ひとつの可能性 【Ⅲ】
訪問者。
客人が来た。
それは青年と少女の二人組だった。
青年は夜空を思わせる髪を持ち、中性的な顔立ちだった。しかし、その顔に似合わず……いや、不思議と似合う筋肉が、その肉体にはあった。全く無駄のない均整のとれた筋肉。戦闘に特化している肉体に思えた。
少女は光のような白に近い金髪と、その髪と同じような色をした肌を持っていた。顔立ちは良い意味で女らしい……と言うよりは、女の子らしい。その表情はとても楽しげで、青年の腕を抱きしめている。
ラブラブのバカップル。
簡潔に言えば、それが彼らに対するスウの第一印象だった。
「……ノッシュご夫妻で、よろしかったでしょうか?」
「ああ、間違いない」
青年は不遜に答えた。それに少女のほうがぷくーっと頬を膨らまして、「もうっ、ゆう――『あなた』ったら。こんな時くらい、愛想良くしてよねっ♪」
……ぷくーっと頬を膨らましていたと思っていたら、どうしてかすぐに満面の笑みを浮かべていた。意味が分からない。
それに青年は若干ながら困った顔をして、ちらりとスウの顔を見た。見定められている。スウは何の理由もなく直感した。しかし、あれは、確実に、見定めていた。
そして、青年は視線を少女の方に戻し、にこりと笑った。
「そうだな。こんなの、旅行みたいなものだ。さっさと和解して、戦争を終わらせなきゃいけないもんな」
そう。
この夫妻が今日、ここを訪れたのは、和解のため。
国と、国の。
自分たちが今いる国と、この夫妻が住まう国は敵対関係にある。しかし、度重なる戦争や、魔族の襲撃により、両国はとうの昔に疲弊していた。
だが、今更、何の理由もなく、戦争を取りやめることは、民衆が許さない。民衆を敵にした王は、遠くない未来、思考と感覚が鉄の刃で分断される。それは歴史が証明している。
無論、民衆も後に引けないだけで、本音では戦争を終わらせたいと思っている。ただ、きっかけが必要なのだ。戦争をやめる、きっかけが。
故に、今回のことなのだ。
この夫妻は敵対国ではけっこうな地位にいるらしく、自らこの国に訪れ、この国が危険ではないことを証明することによって、戦争を終結させようとしているのだ。
無論、どちらか一方では無駄な話で、故に、お父上と爺は交換するように敵対国へと渡った。魔法という技術が発達した今、移動に要する時間はごくわずかである。だから、彼らは悠々と朝食を自宅で食べ、それから魔法により敵対国へと行くことが十分に可能だったのだ。
「だが、君がいなかったら、お――私は、こんな簡単な事実にも気づけなかっただろう。敵対国だったのは昔の話。私たちは、この国を敵対国ではないようにするために、この国に来たのだから。ならば、私たちは旧友の家に泊まらせてもらうというような心で、この家でくつろがせてもらうべきだったんだ」
「そうで――そうよ。いつもは忙しい『あなた』も、今は、忙しくもなんともない。ただここに旅行してきたのだと。私と『あなた』の新婚旅行に来たのだと思えば、それでいいの」
どうやら、彼らは魔法による言語補助にまだ慣れていないようだ。時々、言葉が変に途切れる。魔法による言語補助に慣れていない者によく見られる特徴だ。
しかし、これは恥ずべきことではない。そもそも、そんな魔法が必要ないはずの地位にいて、そんな魔法を扱えること自体が異常なのだ。
スウはソフィに護身用として、様々な魔法を教えたりしているが、貴族でそんなことをしているのはソフィくらいのものであろう。しかし、今現に、夫妻は言語補助を扱っている。……これは驚愕に値することだ。
おそらくこれが扱えるからこの夫妻が選ばれたのだろうな、とスウは思った。
「……『あなた』なんて、言わないでくれないか」
唐突に、青年が少女に言った。その言葉に、少女はひどくショックを受けたように、目に涙を浮かばせる。
「す、すみません。調子に乗ってしまって……」
しかし、それを見て、青年はふっと笑い、言った。
「そうじゃないよ。『あなた』じゃなくて、いつもどおりの呼び方をしてほしかったのさ。ねぇ、『ハニー』」
瞬間、ぼっと少女の頭が爆発したような錯覚が見えたような気がしたが錯覚なので気のせいだろう。
「は、ははははは、ハニー、って……。えへ、えへへへへ。そ、そうね、ダーリン」
「そうだよ、ハニー。私の最愛の人。愛しているよ、心の底から」
「あっ、愛している……わ、私も。私も、愛しているよ、ダーリン」
「それは良かった」
「……聞いておきたいのだけど、ダーリンは、私のどこを愛しているの?」
「そんなのは答えられるはずがないよ」
「えっ。ど、どうして?」
「決まってるじゃないか。『どこ』を愛しているのか、という言葉が既に間違った言葉だからさ。愛は三次元的なものじゃない立体ではない。もし私がハニーの『どこ』を好きだと言ったとしよう。だが、そうだとしたら――まあ、ハニー以上に魅力的な女性など存在しないのだが――その『どこ』がハニーより優れている女性が見つかったならば、私はその女性をハニー以上に愛することになる。つまり、『どこ』を愛しているのか、という質問ほどの愚問はないのだよ。愛とは、愛だ。それ以外のなにものでもない。ただ、『愛』だ。特定の『どこ』ではないし、『すべて』でもない。ただ、『君』という一個人を、僕は愛しているのさ」
「……それじゃあ、もしも私が、こんな顔や、性格じゃなかったら、ダーリンは、私を愛さなかったの?」
「もちろん。だって、その顔で、その性格だからこその、ハニーだろう。その顔じゃなくて、その性格じゃなかったら、それはもう、ハニーじゃない。……まあ、私は『君』という一個人を愛したのであるから、顔や性格がどれほど変わろうと、もしも私のことを嫌いになったとしても、この『愛』は変わらないがね。同時に、君にそっくりな外見と性格をした女性も、『君』じゃない時点で、私の恋愛対象外だ。……心配しなくても、世界で唯一私は君だけを愛し、愛し続けるよ、ハニー」
聞いているこっちが恥ずかしくなるほどに気障な言葉をかける青年だったが、不思議と彼にはそんな言葉が似合った。……いや、彼の言葉は嘘くささが感じられず、ただ本心から言っているような、妙に説得力があると言うか、そんな感じがあった。気障ではあったが、格好良くさえ聞こえた。
その声に言葉に少女はメロメロのようで、顔を真っ赤にして目を回していた。……こんなことで、よく夫婦になれたなこの二人。夜もこんな感じだったら、めんど――大変なことこの上ないだろう。
「……いいなぁ」
ソフィが不吉なことを言った。
「いやいや何を言ってるんですかどこが羨ましいんですかお嬢様」
「だって……とっても、幸せそうじゃない」
「いや幸せそうですけど、アレどう見てもバカッ――げほん。愛が行き過ぎた人たちですよ」
「バカップルでもいいの。というより、バカップルのほうがいい。だって、絶対そっちのほうが幸せだもん。相思相愛。客観的に見ると、バカだとしか思えないほどにいちゃいちゃらぶらぶのカップル。……羨ましいなぁ、憧れるなぁ。いつか、私もこんなことしてみたいなぁ」
ちらっ、ちらちらっ、とスウの方を見ながらそんな言葉を発するソフィ。とりあえず、それだけは拒否したいものだ。ここまでにはなりたくない。……いや、そもそも恋人同士になることから不可能なのだが。あくまでも仮定として。
「……ああ、すまない。見せつけてしまったようで。さて、では案内してもらおうか」
にこりと爽やかな笑みで、青年は言った。
「わかりました」
スウは言った。