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利己主義勇者と良き魔王 【序】  作者: 雪祖櫛好
第三節 『開戦』
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第三節 -26- 勇者と少女

「サヤ」

 勇者は床のへたりこんでいるサヤに声をかけた。

 どうやら、サヤは現実を拒絶しているようで、未だに耳を塞ぎ、勇者を光無き目で見つめていた。しかしその目には何も映ってはいないらしく、勇者が魔族に勝利したことにすら気付いてはいないようだった。

 ――この調子じゃあ、まだ俺は死ぬわけにはいかないようだな。俺がいなくなっても、復讐の道に生きるように誘導したと思っていたんだが……少しばかり過保護だったかもしれない。今のサヤを見る限り、もし俺が死んでいたら、ずっとこうやって呆けていそうだ。

 勇者は思い、このままでは危険なので、できるだけ早くサヤを正気に戻し、この塔から出ようとしていた。ピーピリープリーが死んだ今、彼女が構築した魔法であるこの塔は、いつ崩れるのかわからない状況にあった。だから、一刻も早くこの塔から離脱しなければならない。

 ……ならないのだが。

「おい、サヤ。おい、おいってば」

 勇者はサヤに何度も呼びかけるが、ずっと呆然として、勇者に気付かない。いい加減にしろよ、ここまでくるとしつこいぞオイ、なんて怒りを覚える勇者であった。

 しかし、サヤをここまで勇者に依存させたのは勇者自身のせいでもあるようにも思えたので、無駄な怒りは出来る限り抑えたほうがいいと思い直し――たのならば、勇者は利己主義などとは呼ばれない。自分勝手で我儘で横暴で。自分の利益を最優先とするのが彼、勇者である。

「………………………………んぎゃっ!」

 とサヤは驚きの声を発した。何故か。簡潔に言えば、勇者のせいである。具体的に言うならば、勇者がサヤのほっぺたを指でつまんで、むにゅーっと引き伸ばしたからである。

「い、いはっ! いはいえふよ、ゆうひゃはま!」

 おそらくは『い、痛っ! 痛いですよ、勇者様!』と言ったのであろう。しかし、勇者はその手を離すことはなかった。その言葉を理解して尚、勇者は手を離さない。その理由は簡単だ。痛いようにしているのだから、痛いなどと当然のことを、望みどおりの感想を言われて、どうして離さなければならないのだ。

「ひゃ、はなひてふらはい! いはっ、いはいでふっへ!」

「嫌だ。離さない」

「おうひてえふか!」

「どうして、だと?」

 勇者は苛立ちに顔を歪ませ、サヤのほっぺたをこねくり回すように手を動かした。

「この口が、この口がそう言うのか」

「ひゃ、ひゃめへふらはい。いは、いはいへふっへ」

 むにゅむにゅぐにゃんぐにゃんとサヤのほっぺたが間断なく歪み続ける。その様はまさに蹂躙と言う他ない。

 サヤの柔らかく、ふわふわとして、真っ白ですべすべで赤子のようにぷるぷるで、弾力性に富みながらも反発力は弱く、まるで全てを受け入れる大いなる神の慈悲のようなほっぺたを蹂躙する……勇者の勇気はやはり果てしないものであるらしい。このような神の宝を蹂躙するなど、勇気がなければできるものではない。神に対する反逆と言っても過言ではない。

 勇者は罰として、苛立ちをサヤにぶつけるために、そうやってサヤのほっぺたをこねくり回していた。しかし、こねくり回しているうちに、だんだん楽しくなってきた。というかむちゃくちゃ気持ちいい。え、なにこれ。今までこんなことそういえばしたことなかったけど、なにこれ、なにこの感触。やばいハマる。中毒性高すぎ。あー、もう一生このままでもいいや。これさえあれば、もう一生困らない。もう魔族とかどうでもいいんじゃないかな。これだけで魔族を滅ぼした際に得る全ての利益に勝るんじゃないかな。

 なんてことを思いかけた勇者であったが、それが本音であるはずがない。もし本音だったら今すぐに全ての魔力を捨てる覚悟――はないな、それはきつい。さすがにそれは無理だ。いや本音じゃないんなら別にいけるんじゃないかとかそんな無粋な指摘はいらない。本音ではないが、もし本音だったらどうするのだ。勇者が魔力を捨てたりしたら、その時点で人類滅亡だ。そこらへんをもう少し考えてほしいものだ。

「ひゅ、ひゅうひゃはま! にゃが、にゃがいえふって! ほえいひょうは、ほっへおひひゃいまふっ!」

 その言葉に、勇者ははっとして手を離した。ほんの少しだけ『このほっぺたが落ちるのか……』と思ったという事実はない。ないったらない。

「……痛い。ほっぺがじんじんする……」

 サヤは涙目で赤くなったほっぺをさすった。それに勇者は、やりすぎだなと思ったが、一応は目的通りであるので、まあいいや、ということにした。

「どうだ、正気に戻ったか」

 勇者は言った。サヤはその言葉に疑問を覚えたかのように首を傾げたが、すぐに気が付いた。

「勇者様! い、生きて……!」

 その言葉とともに、サヤの目から涙が溢れ出した。勇者としては今更過ぎて反応に困る。

「よ、良かった。本当に、本当に、良かった……!」

 サヤはうれしくてたまらないと言うように笑みを見せた。笑いながら泣くとは器用なやつだと冷静に思う勇者との温度差は果てしない。

「つーか、サヤ、お前、なんで良かったとか思ってんだよ」

 勇者の唐突な言葉に、サヤは「え……?」と涙を流しながら、その笑みを疑問に変える。勇者の声に、怒りが滲んでいたように思えたのだ。

 実際、勇者は怒っていたし、苛立っていた。サヤに対しても、自分に対しても。

 その理由がわからないらしいサヤはいつまでも疑問をその顔から消さない。勇者はその鈍さにまた多少の苛立ちを覚え、キリがなさそうなので、サヤの疑問を解消してやることにした。

「この結果は、当然だろうが。どうして喜ぶ。何が良かった、だ。……もっと、俺を信じろ。確かに、危険な状況には陥った。だが、それでも、この俺だぞ? なにを不安に思うことがある。なにを絶望する必要がある。ただ、お前は希望を胸に抱いていればいいんだ。それなのに……」

 勇者は眉を顰め、サヤの頭をわしゃわしゃと撫で回す。それにサヤは「なっ、何するんですか!」と驚きの声を上げるが、勇者にそんな声は聞こえない。

「それなのに、お前はなんだ。俺が死んだってことを決めつけて、絶望に苛まれて……あんな顔をして」

 ぎり、と勇者は歯を軋ませた。そう、それがいちばん苛立つのだ。サヤに、あんな顔をさせた。そんな自分に、苛立つ。あんな顔を見ないために、勇者は魔族を滅ぼすと誓ったはずなのに。それなのに、あんな顔をさせてしまった自分に対して、強い苛立ちを覚えたのだ。

 その不満をサヤに言うのは筋違いであるが、勇者はやはり自分勝手なのだ。自分に言い聞かせるために、他人に不満をぶつけることくらいある。……無論、サヤに対しての苛立ちもあるからこそ、サヤにぶつけているのだが。

「もっと、俺を、信じてくれ」

 勇者は縋るように言って、サヤを抱きしめた。背中に手を回し、その頭を胸に当てて。

「な、な、な……」

 サヤは突然のことに顔を真っ赤に染め、あわあわと手を動かしていた。

 これって現実なの、いやそんなわけないか夢か、でも夢でもいいやなんでもいいや、勇者様に抱きしめられるなんてもう死んでも――いやこの命は勇者様の命だから勝手に死んだりしたらダメだ、あーもうとにかく幸せ……と最終的には目をとろんとさせて、えへ、えへへへへ……とだらしない笑みを浮かべていた。

 まさに恍惚といった表情だが、恍惚すぎて逆に引くくらい幸せそうな笑みだった。もし勇者にその顔を見られていたら、勇者に引かれるか、勇者の欲望が爆発して大変なことになるところだった。どちらに転んだとしても、サヤとしては嫌(一方に関しては嫌ではないと言うよりむしろ大歓迎だが、それは結ばれてからが良いと思う純情なサヤであるから、『今は』嫌)な結末を招くことは間違いないだったろう。しかし、無論ながら間一髪の危機だったことには気付いていないサヤである。幸せ者め。

「俺は、俺は、絶対に死なないから。絶対に、負けないから。だから、俺を信じてくれ」

 その言葉に、サヤの意識は現実に戻った。勇者の声は、今までにサヤが聞いたことのないほどに、悲痛な声だった。

「……わかりました」

 サヤは、その表情を優しげな微笑みに変え、言った。

 勇者の背に手を回し、ぎゅっと抱きついて、言った。

「私、勇者様を信じます。もう、絶望なんてしません。だって、勇者様は、魔王を倒す者、ですもんね。その勇者様が、死ぬわけないですよね」

「ああ、そうだ。……俺は、死なない。絶対に、死なない」

 その言葉は、やはり、自分に言い聞かせるような言葉だった。

 絶対に死なないという、誓いの言葉だった。

 ……サヤに誓うことによって、あんな、サヤを復讐の道に行かせるような、そんな思考を永遠にしないように、絶対にあきらめないことを、誓う言葉だった。


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