第一節 -5- 少年と王
「久しいな」
少年とリストが転移すると、玉座に座る男が声を発した。
「ああ。久しぶり。で、用件はなんだ?」
男は緋色の髪に白色の肌。巨大とも言える身体を玉座に収め、悠然と構えている。
「北地区が消滅したらしい」
淡々と言う男の言葉に、少年は少しだけ驚いた。そして、得意そうに言った。
「だから、俺の言う通りにして良かっただろう?」
それに男はかっかっと笑い、
「ああ。貴公の言う通りにして良かった。おかげで人民を失わずに済んだ」
「だろ? だから、早くグローリーを出せ。直接訊いた方が早いからな」
「わかっている。来い、グローリー」
男が言うと、一人の男が扉から現れた。金髪碧眼。グローリーという男だった。
「よお。久しぶりだな『閣下』様」
「からかうな、無礼者。私は貴様を尊敬してはいるが、同時に嫌悪している。特に、その無礼さを!」
グローリーは声を荒げ、少年に指を突きつける。それに少年はやれやれといった調子で、
「俺はお前の、その素直なとこ、けっこう好きだぜ? それに、俺は別に無礼じゃないと思うが」
「どこがだ! たった今、貴様は陛下にそんな口調で話しおっただろう!」
「陛下っつっても、俺からすればただのおっさんだからな。いや、『ただの』ってのは間違ってるか。正確には、『有能な』おっさんだな」
「それが無礼だと言っているのだ!」
「なんで王如きに俺が敬語で話さなきゃいけないんだよ」
「王、如きだと……」
それにグローリーは驚き、唖然とする。しかし、玉座に座る男は豪快に笑った。
「貴公はやはり面白いな! そして、強く、頭も良い。どうだ、やはり余の下に就かぬか? 望む物があれば、出来る限り取り揃えよう」
「却下だ。誰かの下に就くなんて、まっぴらごめんだ。ただ、望むものをくれるって言うんなら、グローリーとリストを寄越せ。こいつら二人は、鍛えれば魔王討伐に役立つかもしれないからな」
「却下だ。こ奴らは余にとっても宝のような者だからな」
「なら、交渉決裂だな。最初から、交渉なんてないようなもんだったが」
「いや待て。余の下に就くというのなら、グローリーとリストをくれてやってもいいぞ?」
「あんたの下に就くって時点で却下だ。確かにこいつらは惜しいが、それほどじゃあない。
……本音を言えば、あんたもけっこう欲しいんだがな、陛下殿? あんたのその魔法の才は、グローリーくらいなら軽く超える。実際、魔法を使えば、グローリーとリストが両方襲ってきても瞬殺できるだろ」
「それは貴公も同じことだろう。いや、貴公ならば更にその上を行くか。まず、襲うという感情を抱いた時点で死んでおるだろう」
「それは過小評価し過ぎだ。俺なら、そんな感情は抱かせない。グローリーも口ではこんなこと言ってるが、実際は俺を襲う気なんて、これっぽっちもないだろうさ。俺の戦いを、実際に見たんだから」
それにグローリーは「くっ」と悔しげに息を漏らした。図星だったようだ。
「やはり、貴公は惜しいな。いずれ、手に入れてみせよう」
「不可能だ。あんたの器は一国の王にはふさわしいが、俺を収めるには小さすぎる。どうしても欲しいのなら、この世界の王となってから言え。そうすれば、考えてやらんこともない」
それに男――王はその顔に貪欲な笑みを浮かべ、
「元より、そのつもりよ」
と言い放った。少年は苦笑しながら、「そうだろうな。あんたは、それを望むだろうと思っていたよ。誰よりも欲深いだろうからな、あんたは」
「貴公に言われるとはな。魔王を倒す者よ」
そうして少年と王は二人で笑った。
すると、グローリーが憤慨しながらも陛下が笑っていらっしゃるから口を出すに出せないとでも言うような顔をしているので、少年はグローリーに声をかけた。
「おい、グローリー」
グローリーは一瞬顔を輝かせ、すぐにしかめた。
「表情がころころ変わる奴だな。まあいい。見せてもらうぞ」
そう言って、少年はグローリーの方へ手を伸ばした――同時に、グローリーに強烈とも言える既視感が襲った。どこで見た。最初にそう思った。そしてすぐに答えは出た。魔王だ。魔王がした動作と同じだ。
グローリーがそんなことを思っていると、少年は大きく舌打ちし、伸ばした手を下げた。
「妨害魔法とか、俺への当てつけかよ。しかも、無駄に器用なことしやがって……」
少年が苛立ったようにするのを見て、しかしグローリーはそれどころではなかった。どうしても訊きたいことがあった。
「貴様、今のは、何だ?」
「相手の記憶を見る魔法だ。お前も魔王にやられただろうが。それぐらい気付け」
『魔王』。
その言葉に、リストは驚愕に目を見開かせ、王は少し目を細めた。
「どんな姿だったのですか!」
珍しく声を荒げ、リストが言う。それにグローリーは答えようとした。しかし、応えることができなかった。どうしてか魔王の姿が思い出せなかった。魔王と出会い、自分が殺されかけたことは鮮明に覚えている。だが、魔王の姿だけがはっきりと思いだせなかった。
その瞬間、グローリーは恐怖を覚えた。魔王の姿が思い出せないことだけではない。その事実に、今まで全く気付かなかったことに。聞かれなければ、おそらく自分は魔王のことすら口にはしなかっただろう。そんな自分に恐怖を覚えた。どうしてしまったのか。強くそう思った。
「リスト。こいつは魔王の姿を覚えてはいない」
「何故ですか! 何故、そんな重要なことを……」
「妨害魔法。情報――つまり概念とか、そういう抽象的なものを改竄する魔法によって、だ。自分の存在を隠蔽するための魔法。自分のことを言えなくする魔法。簡単に言えば、自分に関する情報を誰かが得ることの一切を妨害する魔法だ」
その言葉にリスト、グローリーは驚愕し、すぐ納得した。王は最初から納得していた。
何故そんなことを知っているのか。最初にそう思い、だがすぐに、少年なら知っていてもおかしくはない、と思ったのだ。少年は全ての能力が他の人間を圧倒して余りあるほどに高く、それは知識の量も例外ではなかった。特に、魔法に関しての知識は。
グローリーの停止魔法も、少年の知識がなければあれほどまでの高みには至らなかっただろう。むろん、少年と出会う前からグローリーは『閣下』と呼ばれるほどの技術を持っており、空間停止魔法も扱えた。しかし、その発動まではかなりの時間が必要だった。
『魔法とは、糸を編むようなもの』。
これは少年に教えてもらったことだった。少年も人から教えてもらったと言っていたが、初めて聞いた時は、成程確かにその通りだ、と思ったものだ。
そして、少年は色々なことを教えた。自らの知識、技術、それを惜しげもなく教えた。
結果、グローリーに魔法発動スピードが格段に上がった。糸を編むという喩え。魔力を編み、魔法を発動する。そのようなイメージが――何のイメージも持たず、ただ理論的に組み立てていた魔法に、はっきりとしたイメージを持つことによって、その発動までの時間が短縮されたのだ。何のイメージもなく、ただ理論的に組み立てるよりは、イメージを持って、感覚的に編んだ方が早い。いや、正確には、理論と感覚の二つを利用することによって効率を上げているのだ。単純に二倍のスピードではなく、理論と感覚は相互に影響し、循環し、スピードは途方もないほどに上げられる。現に、グローリーの空間停止魔法はそのやり方をするまで――つまり、ただ理論的に組み立てていた頃は十分などという時間がかかったが、今では十秒もかからない。
ただ糸を編むという喩えだけでこれほどまでに変わるものかと最初は疑問に思った。
しかし、少年曰く、
『魔法自体、元々は感覚的なものなんだ。理論で組み立てるのは間違っているとは言わないが、効率的じゃない。そうだな……例えば、お前は身体を動かす時に理論的に動かすか? 逐一どうやって身体を動かしているのかを考えて、その理論を組み立てて動かしているか? そうじゃないだろう。身体を動かすのは、感覚的なものだ。理論で考えていては、逆に難しい。まあ、魔法に関しては理論を理解するのも必要と言えば必要だがな。理論を理解していれば、「理論」という明確なイメージが自分の中に確立され、それを基に魔法を構築することが可能になる。それに「編む」というイメージを合わせることによって、スピードが早められる。
つまり、「理論」によって人間は魔法を構築することが可能になり、「感覚」によってそのスピードが早まる。本来、魔法は人間の能力ではなく、魔族の能力だ。そのため、「理論」はやはり必要だ。しかし、理論だけでは構築速度が遅い。魔族は生まれつき魔法を扱えるんだから、感覚的に使えて、そのスピードは理論なんて目じゃないほどに早い。しかし、人間も理解さえすれば、感覚的にもすることが可能なんだ。「理論」と「感覚」。その二つこそが人間の能力だ。どちらも使って、初めてその真の能力が発揮されるってわけだ』
ということらしい。
その後に、理論で考える利点について、『新たな魔法を習得する時は人間の場合、理論的にした方が良い』などを挙げた。
その説明は、十四歳という若さを考えずとも、素晴らしい説明だった。この年齢でここまで魔法に精通していることは異常とも言えたし、この国では魔法学の一人者でもあるグローリーやリストにとっても目から鱗が落ちるような発想だった。少年はおそらく、この国の誰よりも魔法に精通していた。誰よりも知識を持ち、さらに、誰よりも強かった。