第三節 -22- 絶体絶命
勇者は魔力放出による高速移動で元人間の魔族の一人の背後に移動した。
――『切断』の魔法は、こいつには逆効果のようだ。なら、『攻撃』でッ!
勇者は左手を魔族に突き出し、魔法を発動した。『攻撃』の概念魔法。それが魔族に向かって放たれ、魔族は消滅した。
しかし、勇者がその魔族へ攻撃を仕掛けたその瞬間に、他の魔族が勇者を襲っていた。勇者は左手を消滅した魔族の方向に向けており、隙だらけに見えた。
だがそれは間違いだった。
隙だらけに見えたことこそが、勇者の思い通りだった。
そもそも。魔法を使う際、勇者は手を魔法の使用対象に向けることが多いが、そんな動作は、勇者に必要ないのだ。
無論、勇者以外の魔法を使う人間は、そのような予備動作が必要な者がほとんどで、そもそも、勇者のように戦闘中に咄嗟に魔法を構築できるような構築スピードを持ち合わせていない。
だからこそ、勇者は今まで、魔法を使う際に、その対象に手を向けるなどという『無駄』とも言える動作をしていたのだ。
つまり。
「お前の製作者は卑劣だが、お前自身は、ただ愚かだな。哀れな元同胞よ」
勇者はどんな体勢をしていても、自分の思う通りの魔法を使うことができる。
予備動作などなしに、魔法を使うことができる。
そして、勇者は、自分の背後に迫った魔族に、魔法を使った。
予備動作などなく、不可視故に、発動されたのかすら全く分からない魔法。
これが、勇者の『攻撃』の概念魔法の真骨頂だ。
そんな魔法を、勇者が使えるとすら知らなかったのならば――避ける術は、ない。
結果、案の定、魔族は『攻撃』の魔法を直に受け、その大半が消滅した。
だが、それでも、まだ魔族は存在する。
――やはり、魔力が足らないかッ!
もしも勇者が万全だったならば、今の不意打ちで全ての魔族を消滅することも可能だっただろう。
だが、今の勇者は、魔力が足らない。『攻撃』の概念魔法は比較的魔力消費量が少ない魔法ではあるが、この魔族を消し飛ばすためには、通常よりも多量の魔力が必要だったのだ。
まだ『攻撃』の概念魔法は使える。だが、威力は激減する。そんなものは使っても効果がない。だから、これからは、『攻撃』の概念魔法なしで戦わなくてはならない。
――イチかバチか、ピーピリープリーを先に殺すか? 運良く成功したら、魔力が増え、この魔族を殺すことも可能だ。だが、こいつが魔力を奪わせてくれるほどの時間をくれるわけもない。殺しただけでは意味がなく、魔力を奪わなければ、魔力が増えることはない。この塔の外に出て、雑魚どもから魔力を奪うか? あれくらいの魔力量なら、殺したと同時に魔力を奪うことも……いや、あれくらいの魔力量じゃ、増えても意味がない。それも、雑魚とは言っても、こいつから逃げながら、今の状態の俺が魔力を奪えるとは限らない。逃げている間に、奪った分の魔力量を消費しそうだしな。
だが、ならどうする。
どんな選択肢が、あるというのだ。
――やっぱり、どうにかして、こいつを殺すしかないな。
勇者は決断し、魔族に向き直る。残りは三。『切断』の魔法を使えば、増える可能性あり。感情を動かせば、その分、魔力が回復するらしい。
なら、感情を動かさず、『切断』の魔法を使わず、『攻撃』の概念魔法を使えないこの状況で、あの魔族を殺さなければいけない。
――はっ。簡単だな。そんなもん、魔王を倒す、何十分の一の難易度だ。
勇者はそう思って、自分の戦意を動かす。勇者がそう思ってしまうほどには、この状況は絶望的だった。
しかし、それでも。
それでも、やるのだ。
やらなければ、未来はない。
やらなければ、夢は叶うことがなくなってしまう。
やらなければ、何もない。
やるしか、ない。
やる以外に、選択肢は、ないのだ。
「征くぞ、哀れな元同胞よ。俺は、お前を、殺してみせる」
勇者はそう言って、魔力放出によって、魔族に接近した。
勇者は剣を振り、魔族を斬ろうとする。『切断』の魔法など使っておらず、もし当たったとしても、何の効果もなかっただろう。
だが、魔族は、避けた。
――良し。先の攻撃を、警戒しているな。
勇者の予備動作なしの魔法は、この魔族に警戒を与えていた。いつ放たれるかわからない攻撃と言うのは、誰しも恐怖を覚えるものだろう。それも、不可視でさえあるのだ。いつ、どこから放たれるかわからず、放たれた後も、どこにあるのかわからない。そんな魔法に恐怖を抱かない者など、存在しない。
勇者は右手一本で剣を握り、左手を自由にさせていた。それに意味はなかった。ただ、それに意味があるように思わせることが目的だった。
魔族は一定の場所にとどまることがなくなっていた。縦横無尽に動き回ることで、勇者の『攻撃』の概念魔法に当たらないようにしているのだろう。
確かに、『攻撃』の概念魔法は、『攻撃』の概念以外には何の要素も含まれていない魔法であるから、最初に与えた指向性以外を持つことはない。他の魔法ならば、追尾性を持たせることもできるが、『攻撃』の概念魔法は『攻撃』の概念以外を持たないからこそ、あれだけの威力を持っているのだ。もしも『攻撃』以外の概念を持たせたのならば、その威力は格段に下がる。
魔法は結構、曖昧ででたらめで適当なものであることを勇者は知っている。人間が扱うために理論として定義しているが、本来は理論としてはとても定義できるものではない。
ヘクセルの頭を覗き見て知った『詠唱』のように、あの程度で威力が格段に違うような魔法だ。そんな魔法だから、勇者は自らの魔法に『攻撃』以外の概念を付与しないことによって、暗示のようなものを自らにかけている。『攻撃のみに特化した魔法』であると自らに暗示することにより、魔法の威力を上げたのだ。意思により、意志により、自らの魔法が『攻撃に特化』しているという思い込みにより、実際に『攻撃に特化』させることとなった。それが、魔法の特性の一つだ。
それだから、勇者の『攻撃』の概念魔法は、縦横無尽に動き回られ続けたのなら、当てにくいことこの上ない。
――それでも、俺は先読みくらいはできるから、当てることなんて簡単なわけだが。
だが、そう思われるならば、そちらの方が良い。
勇者は圧倒的不利な状況に追い込まれてはいたが、それでも、ある程度ならば、相手を自分の思う通りに動かすこともできる。勇者はそれほどの先見の目を持っているのだ。
――それでも、どうしようもなく、不利な状況であることは、変わりないが。
勇者は確実に最高の戦略をとっていたが、それでもその戦略差には絶対的なものがあるのだ。
『戦いに必要なのは、狡猾さと、強さだけ』。
つまり、狡猾さだけでは、駄目なのだ。
勇者はおそらく世界でもトップクラスの狡猾さを持っていて、それを完全に使いこなしているが、それでも、今の勇者には、強さが足りない。
魔力が、足りない。
――変わりないが、しかし、俺がすべきことは変わりない。
戦い、勝つ。
どんな卑怯な手を使っても、どんな卑劣な手を使っても、どんな残酷な手を使っても、どんな悪辣な手を使っても、どんな非道な手を使っても、どんな残忍な手を使っても、どんな醜悪な手を使っても――ただ、戦い、勝つ。
それこそが、それだけが、勇者の進むべき道。
それ以外の選択肢など存在せず、それ以外の方法など存在せず、それ以外の道など存在しない。
だから、勇者は、あがく。
できる限り翻弄し、混乱させ、好機を探る。
勇者は自分の幸運に賭けていた。幸運にも、自分に勝機が訪れることを。幸運にも、相手が自滅してくれることを。幸運にも、相手がミスをして、自分に有利な状況が訪れることを。幸運にも、この状況をひっくり返すような存在が、この場に現れることを。
だが、そんな幸運が、都合良く、勇者の元に舞い込むわけもない。
逆に、考え得る限り最悪の状況が来ることこそが、現実だ。
「ギィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
一人の魔族が、勇者の方に突っ込んでくる。
――人間の考え得る最悪の状況なんてものは、虚構でしかなく、最悪を忌避する人間なのだから、それが考える最悪など真の最悪ではなく、故に、現実には人間が考えた最悪こそが来たるということはわかりきっていたが、本当にそうなるってのは、本当に最悪だな!
あれだけの数がいた魔族がたったの三人になったと考えれば、勇者にとって状況はかなり好転したと言っても過言ではないが、しかし『まだ三人もいる』と考えれば、この状況は、未だ最悪だ。
三人もいれば、一人を捨て駒にする可能性は充分に考えられた。できる限りそうならないようにはしていたが、それでも、そうなってしまった。
勇者は左手を自分に向かってきた魔族に向けた。魔族はそれに一瞬怯んだが、自分の役割を理解していたようで、それでも勇者に向かってくる。
――玉砕覚悟か!
ならば、どんな策を講じようとも、どれだけ翻弄しようとも、無駄だ。
勇者は自分のいる場所に罠魔法を設置し、重心を後方に移動し、魔力を放出し、後方へと高速移動。
魔族が勇者の方に向かい、勇者に接近するが、先ほどまで勇者がいた、罠魔法が設置されている場所に至った瞬間、罠魔法が発動した。
しかし、その罠魔法は攻撃を目的としたものではなかった。この魔族にダメージを与えることができるほどの威力を備えた罠魔法を設置するだけの魔力は、勇者には残っていなかったのだ。
なら、何の罠魔法を設置したのか。
それは、拘束。
魔族はそれにかかり、その動きを止めた。
――拘束魔法に関しては、未だに研究を進めているからな。まさか、今に活用できるとは思わなかったが。
勇者は思いながら、他の魔族に目を向けた。
向かってくるか逡巡しているような二人の魔族と、『夢幻』を封じられ、しかし援護だけでもしようとしているピーピリープリー。この誰かがこちらに向かってきたら、その時点で終わりだ。
ピーピリープリーならば、残存している魔力だけでも殺すことができるが、その間に元人間に殺されてが無駄。しかし、それ以外に、もう方法はないのではないか? いや、まだ方法はあるはずだ。模索しろ。幸運を待ち望め。死への選択だけは、すべきでない。
だが、もしかしたら、勇者は死を覚悟してでも、ピーピリープリーを殺しに行くべきだったのかもしれない。
そちらの方が、生存の可能性は、あったかもしれなかった。
「……わかった。勇者、あなた、もうあの攻撃魔法を、使えないんでしょう?」
ピーピリープリーが、言った。
それはもちろん、勇者を挑発するためではなかった。
「わざわざ拘束したのがその証。使えるんなら、早々に使っていたはずだもん。今、あなたには、あの攻撃魔法を使うだけの魔力が、ない」
ただ、伝えるため。勝利のため。
「それでも、その残っている魔力でも、私を殺すことは簡単なんでしょう」
誰に、伝えるのか。愚問だ。そんな問い、答えるまでもない。
「だけど、こいつらは、違う。こいつらには、あの攻撃魔法以外は――いえ、それ以外でも、それ以上の魔力を必要とする魔法以外は、通用しない。あなたは騙すことが好きみたいだけど、私たちが、騙されるばかりと思って?」
その言葉を、元人間の魔族は、理解していた。理性がほとんどない彼らだが、それでも、ピーピリープリーの言葉の意味は、理解できた。
「そして、私は、もうその虚勢を暴いた。私がいなくても、いずれはその展開になっていたんだろうけれど……これで、もう、終わり。私が殺せないことは残念だけれど、あなたが最悪の脅威であることは絶対。だから、今すぐに、一刻も早く、死んで」
そして、元人間の魔族は勇者に向かった。念のために一人の魔族は待機し、だが、もう一人の魔族は、勇者に向かってきた。
勇者は魔力放出により、逃げる。罠魔法はもうできない。一度に二つ以上の拘束魔法は使えない。
魔族の動きは速く、魔力が切れかけている勇者に、すぐ追いついた。
魔族の二本の腕が勇者に向かい、勇者はそれをくぐりぬけ、魔族の懐へと潜り込む。しかし、そこには待ち構えるようにして、もう二本の腕がある。緑と白。それが勇者を捕まえようと伸びるが、勇者はそれを上に跳ぶことによって、回避する。
その時に先に勇者を捕えようとした、黄とツギハギの大きめの腕が勇者を再び捕えようとするが、勇者は即座に魔力を逆放出。急停止、ならびに急バック。
それに小さめの二本の腕が勇者を捕えようとするが、今度は、勇者はそれに真正面から突っ込み、紙一重でそれを避け、足の間をくぐり抜け、魔族の背後にまで移動した。
そこまでは、勇者の予想通りだった。
だが、『そこまで』だった。
魔族の背後に移動し、勇者は一瞬、安堵した。
安堵、してしまった。
それは、隙だ。
魔族の背中にある肉腫が突然、大きく隆起し、変形し、巨大な腕へと変貌した。
「は――?」
勇者は驚きに、そんな声を出し、その瞬く間にその腕は勇者の頭に向かい、勇者の頭を掴んだ。
そうやって、呆気ないほどに、勇者は魔族の腕に捕えられた。