第三節 -16- 南
――魔法都市・南部。障壁の前。
そこに、一人の男がいた。
巨漢と形容するにふさわしい男だった。東洋人のような短い黒髪と黄色い肌を持つ、巨漢。その額からは、東洋の伝承にある『鬼』を想起させるような、巨大な角が額から生えていた。
「フッ! ハッ! ハッ! ハァ! 久しい! 久しいな!」
彼は豪快に笑っていた。そして障壁に触れようとして、バチッ、と音がして、弾かれる。
「む。このオレ、第五テドビシュに刃向かうか。これは良い。気にいった! 特別に、賛辞を贈ろうではないか!」
そうして彼はまた豪快に特徴的な笑いを上げる。その時、幾つもの迎撃魔法が放たれたが、彼はそれに直撃しながら、全くの無傷だった。逆に、「ほほう。まさか、このオレに攻撃をするとは。フッ! ハッ! ハッ! これは面白い! 面白いぞ、人間!」などということを言った。
地に亀裂が走り、彼を飲み込もうとする。重力魔法も発動する。だが、彼はそれを全く意にすら介さず、障壁に手を当てた。
バチバチッと音が鳴り、だが、彼はそれを無視し、障壁に手を突っ込む。そして、力任せに、破った。
「うん? 意外と脆いな」
彼は拍子抜けとばかりにそう言って、魔法都市の中に入る。同時に、物陰に隠れていた人間から幾つもの魔法を放たれる。だが、彼はそれに豪快に笑った。
「フッ! ハッ! ハッ! 恐れず、逃げず、向かってくるか! 良い! 良いぞ! もっと来るがいい! 貴様等は、我が眼に適った!」
彼は心底うれしそうに笑ったが、彼に魔法を放っていた人間たちは、逆に恐怖が募っていった。これだけの魔法をぶつけているのに、どうして、無傷なんだ!
「水よ。流れよ。我が矛となりて――」「雷よ。走れ。奔れ――」「地よ、知よ、智よ――」
人間が必死に詠唱を使い、ありえないほどの高密度の魔法を浴びせ続けるが、それでも、無傷だった。――バケモノ。そんな言葉が脳裏をよぎった。
「これは面白い! 何事かブツブツ言っていると思うたら、それによって、魔法を強化しておるのか! フッ! ハッ! ハッ! 人間はやはり、知恵をつけるものだなあ! そのような方法、オレたちですら、知らなかったぞ! いや、もしやすると、それは人間の身に適用されるのかもしれぬな。まあ、どちらにせよ、そのようなまどろっこしいこと。このオレ、第五テドビシュがするはずもないがな!」
豪快に笑うテドビシュ。なにがおかしいのだ。こっちは、こんなにも、必死なのに。
「こんなにも面白いものを魅せられては、このオレが何もせぬわけにはなるまい」
その言葉に、人間たちの背筋は言いようのない悪寒を感じた。背筋が凍り、嫌な予感がした。恐怖? 違う。そんなものじゃない。死? そうかもしれない。だが、それは、何か、違うような気がする。
「最初だからな。手加減してやる。――死ぬなよ?」
――諦観?
そう。きっと、そうだ。
それが、一番、近い。
テドビシュが手首を曲げ、伸ばす。それだけの動作だったが、その場に存在した人間の誰もそれを認識することができなかった。それほどまでに素早い動作であり、そんな動作を見る余裕など、誰にもなかったのだ。
津波のような衝撃が弾け、人間たちを襲う。竜巻が通った後のように、建造物がばらばらに壊れ、弾け飛ぶ。人間も同じように弾け飛ぶが、死んではいなかった。死なないようにテドビシュは手加減したのだ。――と言っても、内臓がぐちゃぐちゃになって、骨もぐちゃぐちゃになったが。
「がっ、あっ」
ほとんどの人間が、瓦礫の上に倒れたり、がれきの下敷きになったりして、口からそんな言葉を漏らし、ひゅーひゅーと息を漏らし、だらだらと血を流していた。
血が流れていたのは口からだけではない。鼻からも、耳からも、目からさえ、流れていた。歯が折れ、欠けている。鼻の骨も折れ、顔はぐちゃぐうちゃになっていた。
腕は変な方向にねじ曲がり、足も変な方向にねじ曲がり、身体も変な方向にねじ曲がっている。魔族かと見間違える者もいるかもしれないほどに、ぐちゃぐちゃな肉体に成っていた。
テドビシュは自分の一番近くにいる人間に歩み寄り、「ほう」と嬉しそうな声を上げた。
「本当に死んでいないとは。流石は、このオレの目に適った人間だ」
そうしてテドビシュはその人間を親指と人差し指で頭をつまむようにして掴み、顔に顔を近づけ、値踏みするようにして見る。
「どうした? 刃向かわないのか? オレは、この通り健全だぞ? もしも、刃向かわないのであれば、この都市を、完膚なきまでに、壊滅させるぞ?」
テドビシュは挑発するようにして言ったが、人間は意識がないのか、何も答えることはなかった。「……つまらん」そう呟き、テドビシュはその人間を放り投げた。
「――光れ」
直後、その人間がそんな言葉を呟いた。同時に、テドビシュの視界を塗り潰すほどの光が閃いた。「む」テドビシュはあまりの眩さに、思わず目をつぶった。
好機。
そう断じた人間たちは、一斉に魔法を発動した。倒れた振りをして、ずっと、詠唱をしていたのだ。遠くにいるから、聞こえないだろう。そう思い、自分ができる最高威力を誇る魔法を、それぞれ、長い長い詠唱の果てに、行使した。戦闘ではおそらく使うはずもない、そんな長い長い詠唱によって、自らの能力の限界を超える魔法を行使したのだ。
それは一斉にテドビシュを襲った。地を揺り動かすほどの轟音とともに、テドビシュが魔法に飲み込まれる。様々な魔法、ではなかった。ただ単一の、彼らが知る、最高威力を誇る魔法。魔力の全てを衝撃へと変換し、圧倒的な威力を得ると言う、勇者が使う『攻撃』の概念魔法にも似た、魔法。仲間の魔法と組み合わせることによって、さらに強力になる魔法――一斉に使うことが目的だったのだから、打ち消し合うような魔法を使えるはずもなかったのだ。
――結果、テドビシュが受けた魔法は、驚くべきほどの威力を成したのだ。
魔力のほとんどを使いはたしてその魔法を行使した人間たちは、死を予感していた。この傷、もう長くは生きられないだろう。だが、彼らは満足していた。最後に、この都市を守れたことを。この世界に、貢献できたことを――
だが、それは絶望に変わる。
「フッ! ハッ! ハッ!」
そんな、豪快な、特徴的な笑い声が、死の淵にあった彼らの意識を呼び醒ました。
まさか。
まさか。
――まさか!
彼らは一縷の望みをかけた。それが聞き間違いであることを。自分たちは、無駄死になどではないのだと。
しかし、聞き間違いなどではなかった。
「面白い! 面白いぞ人間! よもや、このオレに『防御』をさせるとは! これは期待以上だ! 人間! 貴様らに、褒美をやろう!」
その言葉と共に、テドビシュは、魔力をその手に溜め始めた。
そして、思い切り腕を振るうのと同時に、その魔力を解放した。
先ほどとは比べ物にならないほどの轟音が響き、地面がめくれあがり、それもまた圧倒的なまでの魔力の奔流に飲み込まれる。『圧倒』。まさにその言葉が似合う魔法だった。
――いや、これは、魔法なのか。
こんなのは、もう、ただの『暴力』ではないのか。
魔法とは言えないような魔法。
『暴力』としか思えない魔法。
ただただ圧倒的な魔力の奔流によって対象を飲み込む『それ』は、確かに魔法と呼ばれるようなもののようには思えなかった。だが、それこそが、彼の、第五テドビシュの魔法なのだ。
「これこそが、我が魔法! 第五テドビシュの魔法だ! さあ! 現世に疲れた者は、我が前に立て! この魔力の奔流に飲み込まれ、しばしの暇をとることを許す!」
テドビシュは豪胆と言う他ない仁王立ちの姿勢で、高らかに言い放った。
応える者は――応えられる者は、既に、そこにはいなかった。