第三節 -14- 西
――魔法都市・西部。障壁の前。
そこに、一人の男がいた。
筋骨隆々とした肉体。獅子を思わせる金の髪。肌は浅黒く、表情は凶悪な笑み。そして、二本の尾が生えていた。
彼は目の前の障壁に手を伸ばし――ある程度まで手を近づけた瞬間、バチッ、と刺激が走り、手を戻した。
「痛ってぇなァ」
男はそんな言葉を口にしたが、その表情には凶悪な笑みが深く刻まれていた。
そこで、この障壁に触れたことでなんらかの術式が発動したのか、男に向かって幾つもの魔法が障壁より放たれる。「迎撃魔法、か」紫電が走り、水流がうねり、風が刃となって向かってくる。
「この程度の魔法、この俺様に通用すると?」
男は凶悪な笑みをさらに深くして、自らに向かってくる魔法に手を向けた。
直後、男に向かっていた魔法は、全て『燃え散った』。
魔法燃焼。
彼が今、使った魔法は、名付けるのならば、そのような名前の魔法だった。
魔法そのものを燃やす魔法。魔法を構築している、魔力そのものを燃やす魔法。
故に、魔法燃焼。
「おいおい、まさか、これで終わりじゃ、ねぇヨな?」
男は期待外れだ、とでも言うように肩をすくめる。
しかし、それだけで終わりなはずがなかった。
「……ん?」
男は自らの真下に、不自然な魔力の流れを感知した。――いや、これは、今、流れたんじゃない。最初から、流れていた!
男は気付き、だが、もう遅い。
迎撃魔法は発動した。
男の真下に亀裂が走り、その亀裂は、男を飲み込むように広く、深くなっていく。無論、それだけで落ちるような彼ではなかったが、
「重力、魔法かッ」
重力魔法により、男が自由に動けなくなっていた。そして、魔法によってその縛りを強くした、重力という名の鎖によって、男は、そのまま地中へと引きずり込まれた。
男が完全に地中へと引きずり込まれると、亀裂は自然に塞がった。
その数分後。
障壁の迎撃魔法が発動されたことを感知し、既に待機していた人間たちは、そっと、建物の陰から姿を現した。
そして、魔族が本当にいないかを確認し、ほっと息を吐いた。
「あらあら、倒されちゃった」
レプグラムはくっくっと笑っていた。その言葉が本心からのものではないことは、ヘクセルが一番わかっていた。
故に、ヘクセルは、懇願するように言う。
「――今すぐに、そこから、逃げてくれっ!」
だが、その言葉が、聞こえるはずもなかった。
人間たちは、死んだであろう魔族から魔力をもらおうと、障壁に――正確には、障壁の近くに存在する魔法陣に近づいた。この魔法陣は障壁によって倒された魔族と繋がるような性質を持っており、そこに手を触れることによって、実際に魔族に触れることなく、その魔力を奪うことができるといった装置だ。実際に魔族に手を触れるようになった場合、魔族が死んだフリをしているだけだった時に、危険だからこその配慮である。
故に、人間たちは、魔法陣から魔力を奪えないことを知っても、『まだ死んでいないのか。早く、死なないかな』なんてことを思っているだけで、自らの身の危険など、微塵も感じていなかった。
彼らにとっては、それが幸運だった。
なぜなら――
「燃え散れ」
その言葉と共に、魔法陣を伝って、魔法が発動し、そこにいた人間のほとんどが一瞬で燃え散った。
――なぜなら、彼らは、何の痛みも恐怖も無しに、一瞬で、この世から消えたからだ。
「え――?」
そして一方、かろうじて生き残った人間は、何が起こったのかを全く理解できずにいた。どういうことだ? 何が、起こった?
生き残った人間が、そんな動揺の内に囚われる中、障壁の外の地面が、突然『燃えた』。
地面が燃え、そこから出てきたのは、当然ながら、先ほどの男だった。
「人間が重力魔法を使えるとはな。驚き驚いて、称賛の代わりに、かかってやっちまったヨ」
男はその表情に、見る者に恐れを抱かせる凶悪な笑みを深く刻み、言う。
「だが、この俺様から魔力を奪おうとしたことは、許せねェ。不敬は、万死に値する」
男は燃え、穴の開いた地中から地上に出、障壁に触る。
すると、それだけで、西側の障壁が燃え散った。
――魔法燃焼。
それは、魔法を燃やす魔法。魔法を構築している、魔力を燃やす魔法。
先ほどの、突然、魔法陣の近くにいた人間たちが燃えたのも、これを考えれば理由は容易に想像できる。つまり、自らと魔法陣を結ぶ魔力の構造に火をつけ、魔力を通して、燃やしたのだ。その結果、魔法陣の近くにいた人間たちは、みな、一瞬で燃え散った。
しかし、魔法陣にあまり近づいていなかった人間は、未だ完全には燃え散っていなかった。誰一人として無傷な者はいないが、それでも、生きていた。
彼らは男が障壁を破壊したことを認識すると、その意識を動揺から戻すことに成功した。だが、それが、彼らの不幸の始まりだった。
最初に気付いたのは、炭化した脚。
あまりの熱に、燃え続けることなく、一瞬で炭化し、その傷を焼き塞いだ、脚。
「 ッ!」
声にならないほどの、悲鳴。
さきほどまでは気にならなかった恐怖が、激痛が、一気に押し寄せてきた。脚が、脚が、ない。炭になっている。ぼろぼろと、崩れ落ちている! 触る? いや、だめだ。触ったら、もっと早く、崩れ落ちてしまう。ぽろぽろと、砂で固めたものに力を加えたら、砂が崩れていくように、崩れ落ちてしまう。しかも、自分の、この脚が――
だが、それだけで済んだ者は、まだ、幸いだった。
下半身がまるごと燃え散った者もいた。位置関係的に、前方だけが燃え散り、残った中身だけが炭になっていた。腹の中が、見えた。炭になった皮膚の穴から、炭になった内臓が見えた。炭化していることが一瞬でわかった。血は、やはり出なかった。通常、大量出血によってパニックに陥るはずの人間は、今、血が出ないことにパニックになっていた。何故、血が出ない。これほどの傷で、何故、血が出ないのだ。腹に、穴が開いているのに。真っ黒焦げの内臓が、見えているのに。それなのに、何故、血が出ないんだ。
手だけが炭化した者もいた。指が炭となり、動かそうとしたら、ぽろぽろと崩れ、地に落ちた。骨が見えた。炭化していた。すぐに崩れた。
炎に晒されると、普通、人間は皮膚が焼け爛れるはずだが、そんなものは全くなかった。燃え散るか、炭になるか、何もないか。それだけしかなかった。
炭になっている場所と、いつも通りの場所。それがはっきりと分かれていて、それが、逆に痛ましさを増幅させた。こっちはいつも通りなのに、それなのに。比較対象が存在することによって、悲惨なそれが、どれほどの悲惨なのか。その程度を知ってしまい、恐怖は増幅したのだ。
他にも、色々な者がいた。耳がない者。鼻がない者。腕がない者――みな、同じように、悲惨であった。
そして、その悲惨を生み出した者は、彼らの前に立つ。
わざと、大きな足音を立てる。すると、ビクッ、と身体を震えさせ、人間たちは、彼の方を向く。凶悪な笑み。悪魔のような笑み。
「お前らへの罰は、まあ、一応は、これで終わりとしようか。俺様は、人間ほどに、悪ではないからなァ。せめてもの、慈悲だ」
そうして、彼は――『第六』は、言った。
「この俺様、第六ゾォルが、炭にすらせず、完全に、この世から燃え散らしてやるヨ」
ゾォルは手を払うようにして振り、直後、その延長線上にあった建造物なども巻き込んだ、炎が、舞った。
しかし、それは一瞬で消え――後に残ったのは、きれいさっぱりに建造物や人間が消えた、地面だけだった。
これで、西の一角は、消滅した。
これからは――この、無駄に大きな都市の、西側の全てを、燃やすことだけだ。
ゾォルは、埃がたまった部屋を、久しぶりに掃除する時、埃を一気に掃除する、その爽快感を楽しみにする人間のように、笑った。