第三節 -8- 老人への来訪者
「あやつは面白かった」
ヘクセルはくっくっと笑いながら、呟いた。
「障壁を破壊するなど、普通ならば、即刻極刑だぞ。と言っても、あやつを極刑に処することができる人間など、この世界には存在しないだろうがな」
ヘクセルは自らの手の上に魔法陣を展開させる。
魔法の陣。
それは幾何学的模様や、数式、様々な言語の文章――その魔法を表現する、最適の形をとる陣だ。
可視化することによって、魔法の構成をわかりやすく、展開を容易に……と様々な利点が存在する。
しかし、魔法陣を描くのにも時間が必要だ。
そのため、全ての魔法に魔法陣を使うのは愚の骨頂である。
無論、魔法陣を使った方がいい魔法もある。
そうでなければ、現在ヘクセルが魔法陣を展開する要因がない。
難解な魔法であればあるほど、魔法陣の必要性は向上する。
そして現在、ヘクセルが手の上で展開している魔法陣は、この魔法都市の障壁を表すものだ。
平凡な使い手が見ればそれだけで卒倒するだろうほどの密度と複雑さを持った魔法陣だった。
しかし、ヘクセルはそれほどに高度な魔法陣を見て、笑った。
勇者ならば、この魔法陣の粗さえ指摘し、愚かだと笑うのだろう。
そんなことを想像して、笑ったのだ。
実際のところ、魔法都市の障壁は、完全に破壊されたわけではない。
ヘクセルは勇者が魔法都市に訪れるより以前に、その人間にしては膨大な(ヘクセルが最初、魔族かと間違えるほど)魔力を感知し、それを人間だと悟り、その素性を調べようと、頭の中を見ようとすれば、それを予測していたかのような言葉が――危害は加えない。だが、そちらがどう出るかによって、俺も、変わるぞ――その者から読み取れた。
そして、ヘクセルは魔法障壁を一度、戻した。
結果、勇者はいとも簡単に魔法都市に入ることができたわけだが、本来、魔法都市の障壁はあれほどやわじゃない。
魔族(加えて、魔法に疎い人間)には不可視であり、もし発見できたとしても、大抵の魔族では傷一つつけることができないほどの強度なのだ。
だから今、ヘクセルは勇者の訪問によって一度戻した障壁を、張り直し、その点検をしているのだ。
勇者がこの都市に入る瞬間、そして、出る瞬間以外は、障壁は完全な状態であったはずだが、念には念を入れて、である。
「勇者も、面倒くさいことをやってくれる。本当に、迷惑だ」
そう、ヘクセルは、口では言いながら、笑った。
「ええ。本当に」
その言葉が、聞こえるまでは。
ヘクセルは、表情を固め、ゆっくりと、その声の方向へ、向いた。
そこには一人の少女がいた。
だが、すぐに魔族だとわかった。
膨大な魔力を内包していることを、一瞬で理解したからだ。
それにヘクセルは魔王を連想したが、すぐに違う、と思った。
――この姿は、本来のこやつの姿ではない。
勇者と同じように、ヘクセルもまた、目に魔法をかけていた。
勇者ほどの解析能力はないが、それでも、この魔族の本来の姿が人間ではなく、自らの肉体を変化させていることはわかった。
――魔族の肉体は魔力で構築されている。故に、本来の肉体から自らの思いのままに肉体を変化させることが可能なのだ。
「……何者だ?」
ヘクセルは平静を装いながら、訊ねる。それに、魔族はふふっと笑い、
「そんなに怯えなくてもいいじゃない。私、けっこう美人でしょう?」
確かに、美人ではあった。
人間の少女のような体躯。
少女のように、天真爛漫な表情。
星のように煌き輝く相貌に、淡い水色の長髪。
シルクのような肌。
そして、悪魔が持つような尾を持っていた。
「ま、それは置いといて」
そうして、その魔族は、本当に無邪気な笑みを見せて、言った。
「勇者って人のことを、詳しく、教えてもらいましょうか」