第三節 -7- 勇者侵攻
数時間経つと、彼らの目に、一つの塔のようなものが映った。
大きく、そびえ立つその塔は、少なくとも、人間の建造物ではなかった。
円が連なったような形。継ぎ目などは見えず、素材も何かはわからない。
少なくとも、木や石ではない。
「今日は、あれだ。あそこを、潰す」と勇者は言った。
「私、今日も、魔法を使っちゃいけないんですか?」
サヤが首を傾げて訊ねる。
「当然だ。お前は、魔族の前で、魔法を使うな」
「そろそろ、私も、魔族と戦えると思うんです」
「却下だ。戦えたとしても、まだ、戦ってはいけない。本当に、死ぬと思ったとき。それほどまでに危険が迫った時になれば、使ってもいいが、それ以外では、まだ、戦うな」
「……わかりました」
サヤは納得していなくとも、勇者の言葉に、そう答えた。
自分には納得することはできないが、勇者の言葉には、全て意味があるのだ。無意味なことは、言わない。そして、言わないことにも意味があるのだ。
だから、これ以上は、訊かない。
「じゃあ、行くか」
勇者が言った。それに、サヤは口を一文字に引き締めて、「はい」と言った。
・ ・ ・
塔の周辺には様々な魔族が(警備だろうか?)徘徊しており、彼らは勇者たちの乗る魔法車を見付けると、一斉に魔法車に向かってきた。
その姿は人間にどこか似ていた。
魔族の形状は個体様々であるが、同じ場所にいる魔族には一種の傾向が見られることがある。
この魔族たちの傾向は、おそらく、人間なのだろう。
サヤは(実は勇者もだが)魔王以外に、人間の姿をした魔族を見たことがなかった。
と言っても、この魔族たちは、魔王ほどは人間に似ていないが。
その魔族の身体は、人間のような身体――一つの頭、首、二本の腕、胸、腹、腰、二本の脚――をベースに、様々なパーツを付加したような身体だった。
ある魔族は翼を。その背から二対の黒き翼を。
ある魔族は角を。その頭から、腕から、背から、膝から、角を。
様々な人間との相違点を持つ、魔族。
それらが、一斉に、魔法車に向かって、魔法を放つ。
様々な魔法が、一斉に、魔法車の障壁に当たり、障壁が砕け、魔法車に、当たる。
一瞬で、魔法車は完全に破壊され――とうに魔法車から脱出していた勇者は、左腕でサヤを抱え、塔に右腕を向けていた。
「失せろ」
魔法が発動する。
勇者の腕から、ただ純粋な、攻撃魔法。威力のみを特化したことにより、不可視となった、『攻撃』という概念を、そのまま対象にぶつける魔法。
それは、不可視だが、見えた。
魔法の進行方向にいた魔族の肉体が、その形に消滅したのだ。その消滅している場所を繋げば――それこそが、勇者の魔法の通った場所だ。
そして、それはどんどん塔に近づき、
「……チッ。無理か」
しかし、塔は消滅しなかった。
勇者はこれまでに、この方法――最初にこの魔法で拠点ごとそこにいる魔族を消滅するという方法――で、少なくとも十の魔族の拠点を消滅させてきた。だが、今のように、できないこともある。
この理由は単純だ。拠点の障壁が、勇者の魔法でも消滅できないほどの強度を持っていたから。または、そのような細工が施されていたから、だ。
つまり、今回の魔族は、それくらいの実力を持つ魔族だということ。
「面倒だな」
勇者は忌々しげに言った。それに、左腕に抱えられるサヤは、
「そうですね。でも、そっちの方が、やりがい、ってやつがあるんじゃないですか?」
「その通りだ。たまには戦わないと、錆びちまう」
勇者は微笑み、答えた。
そして、魔力を放出し、塔へと急接近。塔の前に立ち、目で、そこにある魔法がどんなものかを解析――完了し、手を、障壁へと当てる。すると、障壁が勇者の目の前だけ、消える。
その隙に、勇者は障壁の中に入り、次は塔自体。勇者は手で触れ、認識の誤作動を誘発させる――魔族と同等の魔力親和性を持つ勇者やサヤだからこそできる芸当――塔が勇者たちを招き入れるように、開き、勇者たちは、塔の中に入った。
直後、勇者は地に膝をついた。
「どっ、どうしたんですか!」
サヤが驚き、戸惑いながら訊ねる。
しかし、勇者はそれに答えることができなかった。
勇者は目を押さえ、歯を軋ませていた。
「くそっ! 畜生の癖に! ここまでの魔法だと!」
そう、魔法だった。
勇者の目には、勇者自身が何重もの魔法をかけている。
その魔法の中で、最も処理能力が高い魔法の効果は、『解析』。
魔法を解析する、効果。
見ただけで、全ての魔法の構造を『視る』ことができ、その構造が、どのようにしてなっているかを、解析する。
それ故に、勇者は、今、苦しんでいた。
この塔の魔法が、多すぎたのだ。
勇者の目は、見た魔法の全てを解析する。その結果生じた情報量が、多すぎたのだ。
余りの情報量に、勇者の目ではなく、頭の処理能力が限界を迎えたのだ。
「……仕方、ないか」
そう呟くと、勇者は自らの目にかけた魔法の処理能力を、落とした。
結果、勇者の目からは、常時の完全な解析はなくなったが、その代わり、少々の頭痛しかしなくなった――頭痛を完全になくすほど処理能力を落とすより、少々の頭痛(といっても、勇者が普通に動くのを耐えられる限界に近いほどのものだが)と引き換えに、魔法の解析を求めたのだ。
「だ、大丈夫ですか?」
サヤが心配げに勇者を見つめる。それに、勇者はいつものように笑い、「ああ、もう、大丈夫だ」と言った。
それにしても――と勇者は思った。それにしても、ここは、なんだ?
明かりはないはずだが、ほんのりと、明るい。壁自体が光を帯びているのだろうか。それとも、この空間自体が、魔法なのか?
その可能性は大いにあった。勇者の頭の処理能力を超えるほどの魔法。そんなものは今までに体験したことがなく、ならば、空間自体が魔法という、まさに規格外の魔法だと考えるのが(勇者にとっては)自然だったのだ。
空間が魔法とは、どういうことか。
通常、空間には空気が満たされている。それが魔法になっていると考えれば話が早い。
空気ではなく、魔法によって存在する空間。それが、(おそらくは)この空間なのだ。
勇者は試しに、壁に向かって『攻撃魔法』を発動した。それはいとも簡単に発動され、しかし、何も破壊することはなかった。
だが、これは、どちらなのだろうか。この空間の影響か、それとも、この建造物か?
勇者はざっと自らのいる場所を見渡した。
これは、通路だろうか。
夜と夕闇の狭間にあるような色の壁、天井、床。
そこにある魔法を少し解析してみるが、完全にはわからない。
勇者でもわからないほどの魔法。
ここの魔族はかなりの使い手のようだ――勇者は思った。
「まあ、それでも、俺のやることは変わらないがな。さて、征服を始めようか」
勇者は言った。
サヤは興味深そうにきょろきょろと辺りを見回していた。