第三節 -6- 勇者は勇者
思考が戻り、勇者の顔が見える。
サヤは、ぜえぜえと、何度も息を繰り返していた。汗をだらだらと流していた。
だが、その目だけは、はっきりと、信じられないものを見た人間のように、見開いていた。
「どういう、ことですか?」
サヤは思わず、そんなことを訊ねていた。
答えはわかっていた。
しかし、信じられなかった。
「わかっているのだろう? それが、答えだ」
勇者にはっきりと言われて、そして、サヤは、言葉を紡ぎ、吐きだした。
「あれが――あれが、魔王?」
その言葉は、人間のような姿をした少女が魔王と言う事実に驚いているわけではなかった。
ただ、その力に、恐れ、慄いたのだ。
「あ、あんな、あんなの、勝てるわけ」
サヤはすっかり怯えてしまって、そんなことを口走ってしまう。
だが、
「勝つ」
勇者は、ただその一言で、サヤの怯えを否定した。
「確かに、姿形は予想外だった。俺も男だから、あんな姿を見せられると、多少は欲情してしまう。あれほどの美貌には、世界全土を旅する俺ですら、今まで会ったことがない。人間ではないような美しさ、ってのは、ああいうことなんだろうな」
そして、勇者は、サヤが怯えた魔力とは全く別の、『魔王が人間の少女の姿であった』ということに関心を寄せているようだった。
確かに、魔王が人間の姿をしているなどと、誰も予想しなかったであろう。
今まで出会ってきた魔族に、人間の姿をした者はいなかったのだ。
その全てが、人間の持つ言語では形容し難い、様々な動物の、様々な部分を組み合わせたような、異形。
そんな魔族以外は見たことがなかった。
だが、それでも、そんなことは瑣末だと思えるほどに、魔王の魔力は絶大だった。
サヤは今まで、勇者が魔王を倒すことに何の疑問も持っていなかった。
当然ながら、最初は現実味がない話をしているようにしか思えなかったが、勇者の実力を知ってからは、魔王を倒すことのできる人間は勇者しかいないと確信していた。
しかし、今、サヤは、その確信が正しくも、間違っていることに気付いた。
ああ、確かに、魔王を倒すことのできる人間がいれば、それは勇者以外には存在しないだろう。
勇者は確実に人類最強だ。魔法の腕は無論のこと、それ以外に関しても、突出した才能を持つ。
その剣技は魔法を一切使わずとも、それだけで大抵の魔族を殺すことが可能なほどの実力を持つ。
その観察眼は、魔法によって得た魔力や魔法の感知、解析を活かし、その揺れ動きを『視る』だけで、先の先を予測する。
その頭脳は、その仕草、口調、喋る内容、その全てから、相手の性格を知り、心を読む。
その話術は、頭脳と観察眼から得た情報を最大限に活かし、自らの思うままに、相手を動かす。
そして、彼は、そんな人類最高の才能を持ちながら、決して、努力を怠らない。
それは彼の性格故のことであり、彼の性格とは、(こう喩えるのは性格であるのかと問われれば答えに窮するが)、利己的である。
自らの欲望のままに、利益のために、ただ、自分の意思だけを基準とし、ただ、自分の望みを叶えるためだけに、生きている。
彼は、人類最強であり、人類最高の才能を持ち、おそらくは、その努力も、人類最高に近いだろう。
――だが、それでも、それでも。
魔王には、程遠い。
勇者であっても、絶対に、勝てはしない。
魔王は、それほどまでに、強かった。食物連鎖。魔族は人間と違い、何も摂取せずに生きているが、もしも、彼らが食事をするのならば、魔王は、その頂点に君臨する者だった。
それが、魔族の王。
魔王。
サヤは、今まで見てきた、戦ってきた魔族から、どうやって魔王は魔族を統べることができたのか、と疑問に思うことがあった。
しかし、そんなことは、考えるまでもなかった。
魔王は、魔族全てを統べるだけの、力があったのだ。
魔王ただ一人の戦力はその他全ての魔族を合わせた戦力を超える、なんていう噂が存在する理由がわかり、そして、本当にそうなのかもしれない、とさえ思った。
それほどまで、魔王は、強い。
それなのに。
「だが、勝つ。勝って、殺す。あれほどの美貌、殺すのは惜しいが、魔族なんて種族は、俺の理想郷には要らん。故に、殺す」
勇者は、当然のように、今までと同じように、言う。
魔王を倒す。そんな、絵空事を、言う。
勇者も、見たはずなのに――
あの光景を、見たはずなのに――
魔王を、その魔力を、見たはずなのに――
それでも、勇者は、何も、変わらなかった。
サヤは、思う。
この人は、どれだけ、勇敢なんだ。どれだけ、勇気があるんだ。あんなものを見てもなお、そんなことを言えるなんて――
「やっぱり、勇者様は、『勇者』なんですね」
そう言って、サヤは、笑った。
勇者はその言葉に若干ながら驚いたが、「さすがは、俺の見込んだ人間だ」と言って、同じように笑った。