第三節 -3- 老人との会話
その部屋は本で埋まっていた。
だから、サヤはこの部屋に入った時、驚いた。
見ると、勇者でさえ、驚いている様子だった。
その勇者の視線の先には、本を読んでいる老人の姿があった。
「お前が、ここの長か」
勇者が訊ねると、老人は「いかにも」と答えた。
老人は長く伸ばされた白髪にこれもまた長く伸ばされた白髭。
身体は大きく、服に隠されて見えないが、勇者はその下に筋骨隆々とした肉体があることを見抜いていた。
目は碧く、ぎらぎらとした生命感と人間らしさを光として放出しているような錯覚を覚えた。
「とりあえず、聞いておこう。そなたは、何者だ?」
それに勇者は「魔王を……」と言いかけ、「いや、違うな」と言いながら、言い間違えかけた勇者を責めるように睨むサヤに向かって微笑み、言った。
「俺は、勇者だ」
それに老人は「勇者?」と怪訝な表情を見せた。
「そう、勇者。自分で言うのも何だが、勇気ある者だ。こう言ったら理解出来るか? 俺は、魔王を倒すことを一応の目的として考えている」
勇者が言うと、老人は一度、「は?」ととぼけた顔をして、一変、「ふはははははは!」と笑い始めた。
「魔王を、倒す。ふはははは! それは確かに、勇者だ! ふはははははは!」
その老人の様子に、サヤはむっと口先を尖らせた。
この人、勇者様のことを、バカにしている。そう思ったのだ。
「あの――」とサヤは文句を言おうとしたが、勇者はサヤの目の前に手を出し、それを制した。
「俺は自分のことを言ったぞ。次は、お前だ」
勇者が言うと、「ああ、そうだな。次は、ワシだな」と老人は目もとに溜まった涙を拭った。無論ながら、この涙は悲しみからきたものではない。
「ワシは、この都市の長。ヘクセル・アルトだ。おそらくは、この世界で最も魔法に詳しい人間だろう」
老人――ヘクセルの言葉に、サヤはまたもやむっとした。
そんなこと言っても、勇者様の方がすごいんだから。こんな人は今までにもいっぱいいたけど、皆、勇者様の方がすごかった。
そんなことを思いながら、サヤは同時に、老人が今までの人間のようになる様を想像して、嬉しそうに笑った。
勇者様の本当の力を知った時。今までの人間は、皆、ひどく驚いた。その時の爽快感は、これ以上ないほどのものなのだ。
その笑みに気付いたヘクセルは、「どうした?」と訊ねたが、サヤは得意げにふふんと笑い、「すぐにわかります」と答えた。
それに、勇者は密かに溜息を吐いたが、サヤはそのことに気付いていない。
「まあよい。しかし、勇者よ。そなたは、確かに、このワシよりも強い。ワシほどの知識は持っていないが、今見るだけでも、ワシすら知らん魔法を幾つも使っている。特に、その目は、ワシのものよりも高性能のようだな。ワシが研究者だとすれば、そなたは、開発者とでも言おうか」
その言葉に、サヤは「え?」と息を漏らした。
その言葉はまるで、勇者の実力をわかった上で言っているようではないか。それに、こんな言葉を言う人間は、今までにいなかった。
――この人は、今までとは、違うの?
そんな期待を持ったサヤだったが、ヘクセルの次の言葉は、その考えを変えた。
「だが、そなたでは、魔王を倒せぬな。その歳でそれだけの知識、それだけの技術。全てにおいて、驚きに値する。ワシも天才と言われてきたが、そなたは、ワシなど遥かに超える才能を持っておる。間違いなく、人類最強の人間であろう。だが、だがしかし、それでも、魔王には敵わない。人類は魔族から魔力を奪うという特性を持つが、それでも、魔王には、敵わない。そなたは人類最高の親和性すらも持ち合わせているだろうが、その程度では、まだまだだ。ワシは一度だけ、魔王と会ったことがある。あの時は、命からがら逃げのびたが、今思えば、あれはただ逃がしただけなのだろう。もう覗いただろうが、魔王は、それほどの強さだ。そなたでは、敵わない」
その言葉に、サヤは、やっぱりいつもの人たちと一緒だ、と思った。
しかし、勇者は笑っていた。それはいつもの、侮蔑が混じった笑いではなかった。
「確かに、その通りだ」
勇者は、そんなことを言った。サヤは驚いたが、それに構わず、勇者は続ける。
「確かに、俺一人では、魔王には敵わない。だが、一人じゃなかったら、どうだ?」
その言葉に、ヘクセルは怪訝な表情で「どういうことだ?」と訊ねた。
すると、勇者は突然、サヤの肩に手を乗せた。サヤは「ひゃっ」と声を漏らした。
「俺が、わざわざこいつを連れている理由。まあ、今までお前にすらわからなかったことは、流石俺と自分を褒めたいところだが、それでも、教えてやればわかるだろう。どうだ? わかっただろう。これが、俺の、秘密兵器だ」
勇者はにやりと笑みを見せた。ヘクセルはサヤの方をじっと見て、すると、はっとして、勇者の方を見た。
「そういうことか。だが、これを教えて、よかったのか?」
「問題ない。概念魔法の特性はわかっているだろう? 俺は、この情報自体に、概念魔法である、妨害魔法を行使したんだ。この情報自体が、既に、俺の魔法によって全てから隔絶される。その証拠に、お前はもう、理解できないはずだ」
「言われてみればそうだな。しかし、一瞬でも理解し、納得したのなら、そうなのだろう。……それにしても、なんだ、この妨害魔法は。どれほど重ねれば気が済むのだ。こんな魔法、普通に解除しようとしては、数か月以上かかるぞ」
「当然だ。この魔法だけで、俺はどれだけ時間をかけたと思っている。最初の妨害魔法だけでも、並みの魔法の使い手ならば解除することはできないだろう。だが、予想するに、お前はもう既に百層くらいは解除しているんじゃないか? まあ、それ以上は、けっこう面倒になってきているだろうが」
勇者が言うと、ヘクセルは若干驚いた様子で、
「これ以上、あるのか?」
「舐めるな。お前程度が数か月で解除できるような魔法じゃない。数か月以上はかかるが、数か月程度では解除できるはずもない。お前は死ぬまで、この魔法を解除することはできないさ」
「ふむ。本当に、そのようだな。しかし、ワシは一度、それを理解したのだろう? なら、もう一度理解することも可能なはずだ」
「そう言っている時点で、不可能なんだよ。理解できるきっかけを与えない限り、お前は絶対に見つけられない。そちらにも、俺は何重もの魔法を行使したからな」
それにヘクセルは目を細め勇者を見たが、何もわからないことがわかると、
「そうか。まあよい。魔王を倒すことができるということさえわかれば、それをワシが知る必要はないだろう。それに、ワシが知ると、逆に危険だろうしな」
「そうだな。じゃあ、今日のことは礼を言うぞ」
「ワシからも礼を言う。そなたの頭の中は覗きにくくて仕方がなかったが、かなりの情報を得ることができた」
「お前の頭の中も、けっこうな覗きにくさだったがな」
「では、また会おうか」
「ああ、またいずれ」
言い合って、勇者はヘクセルに背を向けた。ヘクセルもまた同じように、自分が持つ書物に目を落とした。
サヤは途中から彼らが何を言っているのかわからなくなっていたが、勇者がすごいということをヘクセルがわかってくれたようだったので、とりあえず気分が良くなった。




