第二節 -21- 勇者誕生
青年が魔法車に帰ると、サヤがなんとも形容し難い顔をしていた。
「なんて顔してんだ」
青年は怪訝に思い、そう訊ねた。
すると、サヤははっと意識を戻し、「驚きました」と言った。
「そりゃあ、驚いただろうな。でも、その感想が『驚きました』ってのは、なんとも」
「なんですか? お、おかしいですか?」
サヤがおろおろと不安げな顔を見せた。
「おかしい」
しかし青年はサヤの不安を取り除くことなどしなかった。
すると、サヤはショックを受けたように目を瞠り、すぐその顔をしょんぼりと俯かせた。
「あれが、魔族との戦闘だ」青年が言った。「あんな派手な戦いは滅多にないが、あれくらいの強さの奴が、まだまだ残っている」
「……あんなのが、まだ?」
「ああ。まだまだ。と言っても、魔族の中では百位に入る猛者ではあるんだろうな」
その言葉にサヤは戦慄を覚えることはなく、ただ驚いただけであった。
あまりにも現実味がなさすぎて、未だに先ほどの戦闘を事実として受け入れてないのだ。
「魔王は、あれよりもっと強いんですよね」
「昔見た魔力の余波から予想した、その時の魔力消費量だけでも、今の奴の十倍はあるな。そんな大規模魔法を何の考えもなく使えるほどには強いだろう。現時点では、俺の万倍は強いんじゃねぇか」
「……そんなのに、あなたは勝とうとしているんですか?」
「無論だ。俺は、魔王を倒す者だからな」
その言葉にサヤはぴくりと反応する。
そして、サヤは自らの疑問をそのまま伝える。
「あなたの名前って、なんですか?」
それに青年は少し迷うようなそぶりを見せ、
「魔王を倒す者、で充分だ」
と答えた。
しかし、サヤはそれで納得せず、「本当の名前は、なんですか?」と訊ねた。
青年は、予想よりも深くまで踏み込んでくる奴だな、と感心した。
「言う必要なんてない」
「納得できません。と言うか、いつもいつも魔王を倒す者、って呼び方じゃあ、長いじゃないですか。だから、もっと短い名前はないんですか」
その不遜とも言える言葉に青年は驚きを隠せず、額に汗を滲ませた。
自分も自分でかなり自分勝手な人間だと思っていたが、サヤもかなり自分勝手な人間であるようだ。
名前が長いから変えろ、などと言われるとは青年も思ってもみなかった。
「……じゃあ、お前が考えてくれ」
青年は面倒くさくなり、投げやりに言った。
すると、サヤは真剣に考え始めた。
半ば冗談で言ったのだが、サヤはうんうん唸りながら考えていた。
そして数分。
「……『勇者』」
サヤの口から、そんな言葉が発せられた。
「勇者、というのは、どうでしょう?」
サヤは顔をぱあっと明るく輝かせ、言った。
「勇者?」
「はい、勇者です」
「なんで勇者なんだ?」
青年が訊ねると、サヤは得意げに胸を張って答えた。
「魔王を倒すなんて、勇気のある人じゃないとできるはずがありません。そんな勇気を持つ者。だから、勇者です。どうですか? けっこう良いと思うんですけど」
サヤは青年を見て、首を傾げた。どうやら青年の評価を待っているらしい。
その青年はと言うと、サヤの言葉に驚いていた。
今まで、魔王を倒すなんてことを言って、無謀だとか蛮勇だとか言われたことはあったが、勇気とは言われたことがなかった。
「そうか。勇気、か。勇気ある者。勇者、か。……確かに、気にいった」
青年は気の良さそうに微笑み、言った。
すると、サヤはまたもや――先ほどよりも明るい、嬉々とした光をその瞳に輝かせた。
「本当ですか!」
「ああ。勇者、ね。確かに、魔王を倒す者、なんて長ったるい名前を今まで名乗ってきたが、これからは、勇者と名乗ろう。魔王を倒す者、とかよりは名称っぽいしな」
その言葉にサヤはさらに目を輝かせた。
――そこまで喜ぶには理由があり、彼女は今まで、誰にも認められることがなかった。
故に、自らのしたことを褒められ、認められることは、彼女にとっては体験したことのないような喜びであるのだ。
そんなサヤの顔を見ていると、青年もなんだか嬉しくなった。
彼は(自称)利己主義であるが、他の人間の幸福も喜べる人間である。
(不幸もある程度は喜べる人間であるが、その場合、喜びよりも悲しみの方が強い)。
彼は、他人の不幸と幸福であれば、幸福の方が好きである。
「じゃあ、あなたは、これから勇者ですっ。よろしくお願いしますね、勇者様っ」
弾んだ声でサヤは言う。
「ああ。よろしくな、サヤ」
青年は優しげな微笑みを浮かべて言った。
――かくして、青年は『勇者』となった。