第二節 -1- 青年となった少年
ルージェの腹が裂かれ、そこからハラワタが引きずりだされた。すると、魔族はルージェの身体をぽいとそこらに放った。
レナリーはそれを恐怖に震えながら見ていた。
彼女たちの住む村を、突然、魔族が襲った。
ここ数年はなかった魔族の襲撃に、しかし村の人間たちは対応できた。村の人間たちは、数年なかった魔族の襲撃に対しても油断していなかったのだ。村の自警団は皆、訓練を少しも怠らずにこの数年を過ごしてきた。
それが無駄だったことが今日わかった。
「ひっ、ひぃっ! こ、来ないでぇ……」
レナリーは腰を地に落とし、そばかすが特徴の顔を涙や鼻水でくしゃくしゃにしながら声を上げた。立とうとしても立つことができない。下半身に全く力が入らず、やっとのことで腕が動かせるくらいだ。腕が動かせても何の意味もないが。
魔族はルージェの身体を放った後、レナリーの方を見た。
レナリーは悲鳴を上げられなかった。その喉を魔族の腕に掴まれたからだ。
その魔族は人間のような身体を持っていたが、首はなく、脚が四本、腕は十六本あった。体長は五メートルはあり、その腕の一本一本がレナリーの身体より大きかった。その肌の色は黒い。眼球は人間と同じようなものが、十六本の腕にびっしりと埋まっている。
その腕の一本に、レナリーの喉は掴まれたのだ。いや、つままれたと言った方が適切かもしれない。それほどまでに魔族の腕は大きく、逞しかった。
――私、ここで死ぬの……?
レナリーはそんなことを思っていた。まだまだしたいことはたくさんあった。やり残したことはたくさんあった。
だが、そこでレナリーは違うことに思い至った。
――みんなが死んじゃったら、もう、意味なんて、ない。
皆、死んだのだ。レナリーを除いた全ての人間が死んだのだ。ならば、もう生きる意味なんてないのではないか。そう、ないのだ。もう、生きる意味などは存在しない。だから、私はこれから、皆のいるところに行くのだ。きっと。きっとそうなんだ。死後の世界へ。楽園へ。私たちは行くのだ。なら、もう、死んだって、良い。死ぬ方が、良いのだ。
レナリーは笑った。涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔を、無理矢理笑みの形に変えた。
それはぎこちない笑みだった。あきらめたような笑みだっだ。
魔族の腕に力が込められ、レナリーの喉は圧迫され、呼吸ができなくなる。
苦しみが脳を支配した。
どんどん腕の力は増し、どんどん痛みが増す。
呼吸ができない。首が痛い。
それだけのことで、レナリーは、無意識の内に、思った。
先ほどまでに思っていたことなど、全て吹き飛んで。
ただ一つ、強く、強くこう思った。
――死にたくない。
そう思ったが故に、レナリーは精一杯抵抗した。かろうじて動く腕で何度も魔族の腕を叩いた。脚をばたばたと動かし、魔族の腕を蹴った。無論、それは魔族には何の傷も与えない。何のダメージも与えない。
魔族は無駄なことをするレナリーを見て、笑った。口などは存在しないが、その腕にある眼球で、確かに笑った。
するとその眼球が抉られた。
「クズが。人間様に手を出してんじゃねぇよ」
次にレナリーの喉を掴む腕が斬られ、すとんとレナリーは地に落ちた。
レナリーはごほごほと大きく咳をした。流れていた涙が目に溜まり、少しの間、何も見えなくなった。
そして、レナリーが目を拭い、顔を上げた時、そこにはばらばらになった魔族と一人の青年がいた。
精悍の一言を身体で現したような容姿。髪は夜の闇に似た黒。長く重そうな剣を片手で持ち、しかし防具の類は何も身につけてはいないようだった。
「……え?」
レナリーは思わずそんな声を上げていた。今の状況を受け止めることができなかったのだ。無論、受け止めることができたとしても、そんな声を上げていただろうが。
すると、青年はレナリーの方に目を向け、嬉しそうに「良かった」と笑った。
だがすぐにその顔を曇らせた。その視線の先には、大勢の人間の死骸が転がっていた。
「すまんな」
それにレナリーはふっと顔を上げた。
「俺が、もう少し早く着いていれば、こんなことにはならなかったのに」
そう言った青年の顔は、とても悲しげで、申し訳なさそうであった。
――この時、青年は十七歳となっていた。