第五節 -19- 【人魔戦争】
「今生の別れだと言うのに、淡白だな」
シャムの言葉に、サヤは笑って、
「今生の別れじゃないからね」
「いや、今生の別れだ」
「自信満々だね。あなた、そんなに強いの?」
その言葉に、シャムはうなずき、
「一応、『第一』だからな。しかし、そういう意味ではない」
「どういう意味?」
的を射ない答えだった。そんな風にはぐらかさないでほしい。もっと、わかりやすく言ってほしいものだ、とサヤは思った。
そして、そう望んだサヤの望んだ通りの――同時に、サヤが最も望まない答えを、シャムは言った。
「私ではなく、魔王様が、だ」
サヤの息が、ひゅっ、と乱れた。
「勇者にならば、私も負ける可能性はある。しかし、魔王様が勇者に負けるなど、想像すらできない」
「……私も、勇者様が負けるなんて、想像すらできないけど」
その言葉に、ふっ、とバカにしたような笑みを浮かべ、
「私も知らないわけではない。確か、数年前、第十三のつくったものに、苦戦したはずだが。その時に、あの、忌まわしき魔法を開発したとも聞いたが」
全部、知っている。勇者様が言っていた通りだけど、やっぱり、驚く。だからこそ、勇者様は私の存在を隠蔽し続け、いくつもの奥の手を持っているわけだけど、それでも、驚くものは驚くのだ。
「そう。あの魔法。『捕食』がある。だから、負けるはずがない。この戦争も、そう。人間は魔族を倒せば倒すほどに回復する。でも、魔族は違う。消耗するだけ。こんな戦争、最初から結果は決まっているんだよ」
それは、事実のはずだった。それなのに、シャムは全く意志を曲げず、
「勝つ」
と言った。
「どうして、そんな自信満々でいられるの」
思わず。そう言っていいほどに、サヤの口から、そんな疑問が出た。
シャムは当然というように、言った。
「決まっている。魔王様がいるからだ。魔王様だけで、魔族も、人間も、すべてを相手にしても、不足だ。それほどまでに、あの御方は、強いのだ」
その言葉は、高かった。
誇り高く、清廉な。一切の淀みを排除したような、忠誠の声。
滅私。
そんな言葉が思い浮かんだ。
そこまでの忠誠が、感じられた。今までに出会った魔族の、誰よりも大きく、純粋な、絶対的な忠誠心が。
「……少し、話し過ぎたか」
自重するように吐き、シャムの身から、魔力が溢れた。
「もしかすると、勇者はもう、魔王様に殺されているやもしれん。一人残されるというのは、可哀想だ。慈悲だ。すぐに、貴様を勇者の元へ送ってやろう」
その言葉に、サヤは笑い、
「逆も、ありえるけどね。というか、あなたなんか、眼中にないの。早く、あなたを倒さなきゃ、勇者様に怒られちゃう。『遅いぞ、なにやってんだ』って。だから、早く、私に倒されて」
サヤの眼に、淡い光が灯った。
そして、その時、風が、吹いた。
◆◆◆
「凍れ凍れ、魔よ凍れ。汝は裏切者の地獄へ落ちる者。地球の重力がすべて向かうところへ落ちる者。コキュートスの中心へ。地獄の中心ジュデッカのさらに中心へ。汝らの王が幽閉されている場所へ。今、此処をその地へ変えてみせよう」
シェーラは詠唱とともに、魔法を発動させる。大気に含まれる水蒸気が急激な温度変化により、昇華し、雪が生ずる。
「密となり、我が槍と成れ」
詠唱に従い、雪は集まり、十数本の氷の槍が形成される。
シェーラは腕を挙げ、下げる。それを合図に、槍は一斉に魔族を貫き、
「掴め。そして、凍れ」
すると、その魔族の身体は凍る。
「脆く崩れる氷像の如く」
パリン、と音がして、凍った魔族のすべてに亀裂が走り、ぽろぽろと崩れ落ちた。
炎の魔法がシェーラに向かって放たれる。それを見て、シェーラは溜息を吐き、
「矛盾せしものを想像し、故に創造する。其は凍る炎」
炎が凍る。言った瞬間に、この詠唱は、あまり上手くなかったな、と思う。しかし、べつに上手くなくても、自分がわかればいいのだ。感覚的に。よって、良しとする。
それにしても、疲れる。休む暇がない。早く退却命令が出ないだろうか、と思う。
シェーラは自分の戦力を把握していた。魔族を倒せば倒すほどに増加していく魔力量も自覚していたが、それで疲労が回復するわけでもない。将軍ならまだしも、こんな雑魚たちだし……。はっきり言って、最早、これは単調な作業となっている。
「と言っても、油断すれば、死ぬかもしれんのだが」
シェーラは城壁を見る。高く反り立つ城壁を。
(退却命令が出るか、これを壊せば、退却だったか)
だが、これを壊すのは、骨が折れそうだ。
この場にいるのはシェーラだけではなかった。大多数の兵は『淵』から魔法を放ち続けているが、それだけなわけがない。
できる限り戦死者を減らす、というのが今回の戦の目的だが、攻めずして勝てる戦などない。時間稼ぎとは言っても、守っているだけでは、時間稼ぎもできない。
そこで、シェーラに下された命令が、
「『できる限り、戦場を撹乱せよ』か。もう、十分ではないか?」
氷の舞台で、シェーラは独りごちた。完全に愚痴だった。早く休みたいという気持ちが溢れていた。
「……熱を奪え。命を奪え。魔力を奪え」
氷の舞台に足を踏み入れた魔族の動きが止まり、氷像と化す。
「拡散せよ、蔓延せよ、伝染せよ」
氷像が砕け、その破片が近くにいた魔族に当たり、その魔族もまた、氷像と化す。すると、その氷像もまた砕け、その破片が知覚に居た魔族に当たり――とねずみ算式に氷像が増えては砕けていく。
シェーラはこの戦争で、魔法のセンスが飛躍的に磨かれていた。そもそも、『詠唱』というものがシェーラの性にぴったり合っていたのである。
元々、シェーラは武人ではなく文官である。魔法を学んではいたが、それ以上のことは何もやっていなかった。
では、何をやっていたか?
そんなことは決まっている。彼女の本来の職を考えてみるがいい。そう、それだ。ならば、何を学ぶのか、考えるまでもないだろう。
つまり、政治である。
様々な資料を読み、先達の知を学び、領地をできる限り良くしようと努めていた。
そんな中、彼女は文芸の道も嗜んではいた。
詩を嗜み、歌を嗜み、音楽を嗜み……東方の大国にあるものも嗜んだ。確か、『史記』とか言ったか。あれは面白かったが、魔法を使わなければ、あれが字だとは思わなかっただろう。最初、見たときは、『絵』かと思ったほどである。この考えは、あの字を一目見てくれれば、すぐにわかると思う。
話を戻そう。
彼女はそのように『文』に精通していたから、『詠唱』のような、言葉を紡ぐことによってイメージを確立するという方法は、ぴったり合っていたのだった。
この戦場では推敲する暇もなく、『その場凌ぎ』のような、つまりは文学的価値などないに等しいような『詠唱』しかできないが、それでも、この命を賭けた場で、これだけすらすらとその戦況に合った魔法を紡ぎ出せるというのは人並み外れた業である。
「其は人の夢。儚く降り積もる夢の骸。叶わず潰えた夢の海」
氷上には雪が降り積もっていた。それを見て、思いついた。
魔族が雪に触れると、惑う。叶わず潰えた夢の海に飲み込まれ――怨嗟の海に飲み込まれ、狂う。
《殺せ》
仲間であるはずの魔族へ、その魔族たちは攻撃を始める。戦場の混乱が増す。
シェーラは、
(今のはさすがに、ちょっと、趣味が悪かったかもしれない)
と自嘲して、気付く。
息が詰まるような感覚。
厖大な魔力が眼前にあるような感覚。
これは、
まさか、
「……将軍?」
◆◆◆
白。
それのいる場所だけ、まるで違う世界のよう。
「さすが、と言いたいところだが、興も過ぎてはつまらぬものだ」
それは甲冑のようだった。角ばったフォルムの甲冑。しかし。素材は見たこともない素材だった。その白は、普通の素材ならば絶対に作れないだろう白だった。
無慈悲な白。虚無の白。そこに優しさや柔らかさは感じられない。清潔感は感じられるが、その系血感は潔癖症のそれのような清潔感だ。排他的な清潔感、とでも言えばいいのだろうか。少しでも汚いものは存在すら許さない。そう宣言しているような、白。
見ると、腕の部分が刃になっていた。長さは一メートルと二十センチくらいか。それは輝く白だった。甲冑の部分と同じ白だが、違う白だ。こちらは、排他的ではないが、全てを制圧するような白だった。その輝きに全てを飲み込むような白。その刃。
その静謐な魔力は、息苦しいほどに不純物がなかった。汚濁した水の中に棲む魚にとっては、清流こそが毒である。だから、人間はこの魔力にあてられては、息をすることすら叶わないだろう。
しかし、魔族は違った。
魔族は魚ではない。水そのものなのだ。同じ水が混じりあったところで、水自体には何も起こらない。ただ、汚濁し、浄化されるだけである。
「退け。後は、私が片付ける」
『第三』の言葉に、周囲の魔族は大人しく従った。
――従おうと、した。
だが。
「吹き荒べ」
圧倒的なまでの風の奔流が、魔族を襲い、その潔白から『免疫機構』にまで成った魔力を纏う『第三』以外の、全ての魔族が、ばらばらの肉片と化し、死んだ。
「久しいな。この時を、待ち望んでいたぞ」
二人。
人間がいた。
「今、ここで、我が大願を」
その言葉に、『第三』たるアルジェンは、首を傾げるような動作をした。
「はて。どこかで会ったか?」
そんなすっとぼけた言葉に、人間は一瞬だけ、怯んだように止まり、突然、笑い始めた。
「それでこそ、だ。魔族」
「それでこそ、この怒りのままに、貴様を殺せる」
「覚悟しろ」
「いや、しなくてもいい」
「苦しみ、苦しみ、苦しんで死ね」
二人は、欲望を剥き出しにした笑みを浮かべた。
子供のような笑みを浮かべた。