4-5.ダシュト解放・本戦〈上〉
ダシュトへ進軍し、そこを包囲する〈粉ひき〉の軍を破る。方針は決まり、あとは作戦を決定するばかりになっていた。
「まず、〈粉ひき〉どもの兵は五千を超したという。わが軍の三分の一だ。俺たちの優勢は動かんが、さりとて敵もあなどってよい数ではない。
ちなみに敵五千のうちのかなりの数が、ちょっと前、テヘラーンのわが軍から去った傭兵どもだ」
〈粉ひき〉の嫌がらせ部隊を駆逐した直後の、朝の作戦会議。戻ってきたバハラームがあらためて行った報告に、ジンたちのなかから罵り声があがった。
「戦場の屑どもめ! 節操無くわれわれの敵に吸収されおった」
「いや少なくとも、その連中はみずからをわれわれの敵だとはっきりさせたぶんだけありがたい。逃げるつもりでそうし損ねて、また味方のように振舞いだしたやつもいますから」
タバリーが、ガージィを横目で見ながら皮肉っぽい声で指摘した。ファリザードは眉をくもらせる。自分の城を〈粉ひき〉に包囲されたタバリーがいらいらしているのは無理もない。だが、かれがガージィに向ける発言にはあまりにとげが多すぎた。
(タバリー卿には一度厳重に注意すべきだろうか)
当てこすりを無視して、ガージィが意見を述べる。
「その傭兵どもはすぐ逃げる輩だ。負けそうだと思えば、わが一門のもとからもふたたび逃げるだろう。猛烈に叩き、かれらを風の前の羽毛のように散らしてやろう」
「あいにく質の悪さでは、われわれの歩兵もどっこいだ」トゥグリルが言った。「訓練されていない歩兵の隊列はラクダの乳のヨーグルトよりも柔らかい……戦場に着いて〈粉ひき〉どもとぶつかれば、ふとしたはずみで崩壊するかもしれぬ。味方の人族がいっせいに逃げればジン兵とて動揺する。対して、敵軍は勢いに乗って追撃してくるだろう。そうなれば敗北はありえない話ではないぞ」
ずばずばとトゥグリルは言い、「ただし攻撃することに異論はない。人族の歩兵に重きを置かない作戦を練ろうと言っているのだ。勝利はジン兵の優位と、適切な陣形でもたらされるはずだ」と付け足した。
攻撃しかないというのはだれもが理解していた。
遠征をとりやめてテヘラーンに引き返すわけにはいかない。それは鳴り物入りで出陣したイスファハーン公家軍が、たかが一豪族に敗北したことを意味する。
ファリザードは諸侯を見つめる。かれらは会戦のとき、ジン兵を前衛に出すべきか予備に多く置くべきかを議論している。
きりきりと少女の胃が痛んだ。
(ここで退けば、イスファハーン公家の威信は地に落ちて二度と輝かない。次から兵は決して集まらなくなるだろう……トゥグリル卿やバハラーム卿でさえ、わたしを見放すかもしれない……)
ふと、死んでいったジンの古老――〈虚偽〉とかいうやつの言葉を思い出した。
(あの古老は、わたしがたくさんの裏切りにあうと言っていた……その言葉通り、〈粉ひき〉も、多くの傭兵たちも裏切った。たしかバハラーム卿の話では、この陣内にすらすでに内通者がもぐりこんでいる可能性があるとも。
そして、ここにいる諸侯についても……わたしが先にかれらの期待を裏切れば、かれらに裏切られるのは確実だ)
それでも――覚悟を決めて、ファリザードは発言した。
「細かい作戦を考えるまえにひとつ確認しておきたいことがある。ラーディーとやらが率いる、サマルカンド公家軍の残党について。
かれらは現在、どうしている?」
ファリザードが話し始めたとき諸侯は口をつぐんで耳をかたむけたが、ラーディー軍に話題が及ぶと小声のざわめきが起きた。
バハラームが答えた。
「……完全な沈黙だな。近くにいながら、本陣をまったく動かしていない。われわれと〈粉ひき〉がぶつかるのを静観している」
「たぶん勝敗が決してから、勝った側につくつもりだろう」
トゥグリルが吐き捨て、ファリザードに目を向けて、
「まさかファリザード様、この期に及んでラーディー軍と結ぶと言いはしますまいな」
「トゥグリル卿。なぜ、それを考えてはいけないのか?」
むしろ淡々と、ファリザードはたずねた。
「戦略は修正していくものだ。わたしはたしかに、最初はラーディー軍を打ち払うつもりだった。そうやってイスファハーン公領全土に示すつもりだった。薔薇の公家がまだまだ強いと。〈剣〉の勝利に動揺した南部諸侯の心を、わたしの勝利でまたこちらに引きつけなおそうとした。
しかし……認める必要がある。いまのわが軍は、〈粉ひき〉たちにも確実に勝てるかはおぼつかない。そして、恐ろしい外敵に負けるより、反逆した臣下に負けるほうがはるかに取り返しがつかない。
この一戦には勝たねばならない。もしここで、ラーディー軍がわたしたちに味方すれば、勝利は確実になると思わないか? たしかわれわれは、略奪をはたらいていたラーディー軍の兵を捕虜にしたはずだったな」
バハラームはじめとする数人の諸侯たちが考えこむ顔つきになった。対して、トゥグリルは狼狽に顔をひきつらせた。
「待ってください、ファリザード様。あの略奪者たちをラーディーに返すのではありますまいな。会談を申しこむとっかかりにするおつもりですか」
「そうだとしたらなんなのだ、トゥグリル卿」
「それは……はっきり申し上げて愚行です! あなたが先に親切を示しても、サマルカンド公家の者は感謝などはしません。かれらは差し出された配慮を当然のようにつかみとり、対談の申し出のほうは無視するでしょう。ラーディーは、その兄より狡猾ではないかもしれませんが、それでもサマルカンド公家のジンなのですよ」
「……雄鶏野郎の言う危険はたしかにある。薔薇姫よ、この段階であわてて同盟を申し込んでも手遅れだ。あんたが助けを求めれば、連中は確実にあんたの足元を見てふっかけてくる。領土か、金か、あんた自身を差し出せと。それどころか、これをあんたの弱さの証と見なして、かえって攻撃をしかけてくるかもしれないぞ。すべてを奪おうとしてな」
バハラームまでが同調して警戒をうながした。
ファリザードは微笑んだ。なるべく頼もしく見えるようにと気を張りながら。
(わたしはまさにサマルカンド公家のように狡猾にならなければならない)
「味方を増やすためならば、なんなりと差し出せるものは差し出すとも。この件についてはわたしのやり方を聞いてもらう。さあ、拘束した捕虜たちを連れてきてもらおう。それから、ラーディーの陣幕へ使者を送る用意を」
ヌーフはその知らせを聞いたとき舌打ちした。
「小娘がサマルカンド公家軍へと使いを出しただと?」
ダシュトを攻囲する〈粉ひき〉の本陣である。ヌーフは兄であるガージィに代わり、暫定的に一族の指導者の地位についていた。
「その知らせは本当だろうな、商人」
「はい、まちがいなく。すでに護衛をつけた使節団が発ったとのこと」
ヌーフに問われた人族の商人は頭を下げた。「従軍商人としてイスファハーン公家軍の内部に入ったわれらの同志が伝えてきております」
「そうか……それにしても貴君らはどこにでも入りこむのだな、〈指〉よ」
ヌーフの声には商人への嫌悪と、その背後にいる者への恐怖がこもった。
かれの目の前にいる商人は、〈カーヴルトの指〉――ホラーサーン公家軍の諜報組織――のひとりだった。
この商人が〈粉ひき〉たちに反乱をそそのかしたのである。〈剣〉がファールス帝国全土を支配したのちは、私闘はもはや許されないと。〈油売り〉たちと決着をつけたいなら、いまが最後の機会だと。いまのうちの決起ならば、ホラーサーン公家に与する意志を明らかにしたということで、戦後の褒賞すら望めると。
遠方にいるホラーサーン将カーヴルトが、部下に代弁させたその声こそが、〈粉ひき〉たちの心を動かしたのだった。
ヌーフは聞いてみた。
「どう思う。サマルカンド公家軍は小娘の救援要請に応じると思うか?」
そうなれば、〈粉ひき〉たちは破滅するだろう。一公家が相手でも厳しい戦いだ。二公家の軍など相手にできるわけがない。
しかし、〈指〉は首をふった。
「まずないかと。取り越し苦労でございますよ、狼は羊に同情しません……貪欲なサマルカンド公家軍は弱者に哀れみを持たず、侮蔑の対象とするか、獲物と見なすかです。
仮に応じるとしても、連中がただで応じるはずがありません。ファリザード姫は、数百年にわたって後を引くような莫大な対価、あるいは不平等条約を突きつけられるでしょう。彼女が頼りにする周りのジンたちが、それを許すとは思えませんね」
「……わかった。それを聞いて安心した」
商人を下がらせたあと、ヌーフは「だれが〈指〉の言うことなど信じるものか」と吐き捨てた。
ファリザードが独断専行し、莫大な見返りを与えてでもサマルカンド公家軍を雇う可能性はある。この一戦につまずけば致命傷になるのはあの小娘も同じなのだ。
(もちろん、〈指〉がそんなことを正直に言うはずがない。魂胆は見え透いているぞ、カーヴルトめ。われわれを手駒としてイスファハーン公家の力を削らせたいだけだろう。その結果われわれが生きようが死のうが知ったことではあるまい)
とはいえ、この主家相手の戦いから降りるつもりも、負けてやるつもりも無論ない。
しばらくヌーフは考える。
まもなくイスファハーン公家軍を相手にして、会戦がはじまる。その途中で、呼ばれて駆けつけてきたサマルカンド公家軍に横腹を突かれるようなことがあれば、かれら〈粉ひき〉の軍はひとたまりもない。
早く勝負を決める必要があった。
「ダシュトの包囲には最低限の兵を残し、やってくる小娘の軍に向けて布陣しろ」控えている〈粉ひき〉のジンたちに命じ、ヌーフは「それと、試みてみるべき策がある」と言った。
「今日はだいぶ乾燥している。だから、魔弓を用意しろ」
イスファハーン公家軍一万六千と、傭兵主体の〈粉ひき〉たちの軍五千とは、半ファルサング離れた距離をあけて止まった。
じわじわ距離をつめ、「ダシュトの戦い」は、まずは定石どおり弓の射ち合いからはじまった。
といっても、弓を射つ兵種が双方で違う。イスファハーン公家軍は歩兵隊の弓だが……
「〈粉ひき〉ども、弓の軽騎兵を前に押し出してきたぞ。騎馬の傭兵隊がいる、くそったれ」
うなったのは、右翼を指揮するバハラームである。
〈粉ひき〉の軍は両翼に弓騎兵を配置していた。かれらは縦列ですばやく突進してきてから、馬の横腹を見せるようにして扇状に散開した。そうして雨あられと矢を降らせてきたのである。
さすがに戦い慣れており、味方の歩兵のへろへろ矢が届かないところから、強力な複合弓で一方的に矢を降らせてくる。イスファハーン公家軍の歩兵たちは泡を食って盾の陰にかくれはじめた。
「騎馬部族の戦い方をしやがって。おい、こっちにもたしか白羊族とかいうのがいただろう。そいつらを使うように薔薇姫に言えよ」
敵の矢を持ち盾でふせぎながら、バハラームは文句を言った。
だがファリザードが伝令に持たせて返してきた答えは、「白羊族は使節団の護衛につけたのでいない。卿のよいように対処してくれ」である。
ファリザードを罵り、それからバハラームは左翼のほうを見て瞠目した。
「あ、しまった。雄鶏野郎め、先をこしやがった」
左翼指揮官のトゥグリルが陣頭に立ち、馬を駆ってみずから敵へと突撃したのである。かれの直属のジン兵が、心得た動きでそれに付きしたがった。
トゥグリルは右手で馬の手綱をあやつり、左手で盾をかかげながら、矢の雨をかいくぐる。
その突進を見て、敵軍の軽騎兵たちはすばやく弓矢を持ち替えた。長距離用の軽い弓から、短距離射撃用の重い弓へである。鏃も重く、鎖かたびら程度ならば貫通する。そのまま矢を浴びせられればトゥグリルの体には風穴がいくつも空いただろう。
しかし、トゥグリルが率いた左翼の突撃は二段構えだった。
トゥグリルの背後からかれを追い越して、『変化』によって獣の姿をとったジンたちが、軽騎兵に飛びかかっていった。短距離ならば、ジンや人を乗せた馬より足の速い獣は、何種類もいる。
斉射の機を狂わされ、馬を怯まされて、狼狽した軽騎兵たちは馬首を返した。
トゥグリルは盾を投げ捨てて、腰のダマスカス鋼の剣を抜いた。逃げ散る軽騎兵たちに目もくれず、歩兵の列に飛び込む。
ざわめいてめいめいに戦闘隊形をとっている傭兵たちを見て、トゥグリルは失笑をもらす。
「グルジア人に、アルメニア人に、サカーリバ人に、なんてことだ、ヘラス人の重装歩兵団までいるではないか。さまよう戦場の犬どもめ、今日貴様らが集まったのは無駄だったぞ。乾いたこの国に異邦の血を撒き、せめて大地をうるおしていけ」
言うやいなや、右に左に刃が踊った。鉄をも斬り裂くほど鋭利なダマスカス鋼が、傭兵たちの鎧の隙間をえぐり、熱く赤い雨をふりまいた。
次回更新はすぐの予定。