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ジンニスタン 砂漠と海の物語  作者: 二宮酒匂
帝位簒奪者対公位僭称者
85/90

4-4.ダシュト解放・前哨戦

書籍版ジンニスタン、ついに明後日2/13発売となります。応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。

「行軍中、五十もの兵がいっぺんに集団脱走しようとしやがった。軍法に照らして全員斬首しなきゃならん」

 翌日の夕方、バハラームが上げてきた報告は深刻なものであった。

 兵の士気が低迷している証拠だからである。

「どうにもこうにも、この軍はもろすぎる。

 ……近くに来た〈粉ひき〉どもは嫌がらせに熱心だがごく少数だ。こっちのジン兵や正規兵部隊とは正面からぶつからない。だからわが軍の直接の人的被害は、実のところそれほどでもない。

 問題は、ジンの攻撃にさらされただけで、脱走をいとわないほど兵士がおびえていることだ。臆病者の歩兵どもめ。逃げようとしたところで、見つかり次第脱走罪で処刑されるだけだろうに」

 軽蔑と怒りをこめ、腕を組んだバハラームが吐き捨てた。雄鶏に餌を与えていたトゥグリルが、顔をあげて嘲笑う。

「なんだ、かれらに期待していたのか? あの徴集された歩兵どもの大部分は、農民だ。冬はかれらにとって作物を育てねばならない季節だぞ。そんな大切な時期に戦争に駆り出されたのだ、士気が高くなるはずがない。かれらは家に帰りたいのだよ」

(そうだった)ファリザードは耳を垂らして深くうなだれた。

 イスファハーン公領では、冬麦をはじめ多くの作物が、寒く湿ったこの季節に育てられるのである。

 トゥグリルは麦粒を雄鶏にまた投げてやりながら指摘を続けた。

「かれらは農民でなくば、都市の貧民街の小僧どもにすぎない。軍役の義務を金で肩代わりできずいやいや集まった貧乏人たち、他に職がなかったので集まってきた食い詰め者たちだ。訓練をほどこす時間もろくになく、矢を敵の近くに飛ばせるかすら怪しいものだった……

 数をそろえておけばいくらかは役に立つと思ったのだがな。敵への威圧と、道々で砦を取ったあとに置く守備兵としてくらいは」

 ファリザードとその軍事顧問ふたりは、〈粉ひき〉に包囲された都市ダシュトに軍を向けていた。〈粉ひき〉たちの主力にそこで攻撃を加え、降伏させるつもりだったのである。

 〈粉ひき〉たちが戦意旺盛すぎて、降伏させられるかはだいぶ怪しくなってきていたが。

「なんというざまだ。命運をかけた決戦となるのは、〈剣〉やラーディー軍と戦うときの話だと思っていた。反乱した諸侯ごときにこうも手を焼かされるとは!」

 バハラームが愚痴る。ふたりの間で、ファリザードは頭を抱えた。

(まだテヘラーンを出てきたばかりだぞ)



 昨夜からイスファハーン公家軍は動揺していた。〈粉ひき〉のジンたちによる襲撃を受けて。

 まことに執拗に、イスファハーン公家軍に対するいやがらせを〈粉ひき〉たちは行った。

 少人数のかれらは、正面から戦おうとは決してしなかった。日が沈むや野営地に忍び寄り、見張りの兵をその場で殺すか拉致し続けた。

 そしてかならず追いすがられる前に姿を消した。

 拉致された見張り兵は、八つ裂きにされて広範囲にばらまかれた姿で発見された。

 また、〈粉ひき〉の狙撃手のひとりは、野営地めがけ火矢を射かけてきた。そいつは捕捉されないように〈隠形〉を使い、野営地のまわりをつねに移動して居場所を変えているようだった。加えて、ダマスカス鋼の魔弓を使っていた。射程が通常の倍と異常に長く、加えて放った瞬間に矢が“妖火”を帯びるのである。

 その火矢は決まって毎回いやなところを狙った。天幕の屋根、糧秣(りょうまつ)を積んだ輜重隊……すでにイスファハーン公家軍は火矢のため、ラクダに積んでいた焼夷弾を半分近く失ってしまっていた。それは非常に貴重な兵器だったにもかかわらず。

 ファリザードも手をこまねいていたわけではない。

 襲撃に対して彼女は、ジン兵や調練を受けた正規兵を繰り出し、夜間の哨戒網を密にすることで対応した。

 それは一定の効果をあげた。ぷっつりと火矢は飛んでこなくなり、見張りが殺されることもなくなったのである。

 ところが、〈粉ひき〉たちは去っていなかった。かれらは今度は軍のはるか後方に回りこんで、従軍商人たちの荷馬車を襲った。軍にむらがって物を売る商人たちの列はだらだらと長く続いていて、最後尾までファリザードたちが守ってやるのは困難だったのである。

 明け方近くになって、商人たちが野営地に庇護を求めてきた。果物のように木に吊り下げられた商人たちの死体と、ひっくり返された荷馬車群を遠目に見たとき、ファリザードは激怒した。

「ここまでやるか、〈粉ひき〉ども! 商人たちは軍ではなく民間人だぞ。同じイスファハーン公領の民を情け容赦なく殺すのか!」

 トゥグリルが彼女に答えた。

「〈粉ひき〉たちは手段を選んでおりません。残酷で卑劣だとみずからの悪評が立つことをいとわないようです。むしろわれわれが民間人を守る力がないと印象づけようとしています」

「あんなやつら地獄に落ちるがいい。商人たちは護衛をつけてテヘラーンに送り返せ」

 馬の鞍を叩いてファリザードは命じたが、軍事顧問ふたりは難しい表情になった。

「敵の目前でこの軍の兵を()いて護衛に回せと? お優しいこった。それが敵の狙いかもしれないぜ」

「でもバハラーム卿、護衛をつけず帰せば〈粉ひき〉どものやり口からして、商人たちの帰路を襲っても不思議ではないだろ。わが軍から離れたところで襲われたら、それこそ一方的な殺戮になるじゃないか」

 泣きそうに顔を歪めて言ったファリザードに、トゥグリルがため息をつく。

「ファリザード様、従軍商人たちをどうしても守りたいなら、対応はふたつあります。あなたの言うように兵を割いてテヘラーンへ護送してやるか、軍が商人たちを取り囲む陣形でのろのろ移動するかです。前者は軍を分散させることになり、後者は軍の移動速度が極端に落ちます。

 むろん、どっちもおすすめできません。そもそも商人たちは自分の利益のため、危険を承知で軍についてきたのですよ。去るなりついてくるなりは、めいめいの好きにさせましょう」

「なんで商人たちがついてくることを最初にだれもとがめなかったんだっ!?」

「ああいう商人たちは軍という犬にくっつくシラミのようなもので、昔からすっかりお馴染みの存在でしたから……それに戦が長引くと、大軍の補給は連中にかなり助けられることになります。売春婦や風呂屋やお菓子売りを追い払えば、なぐさめを失った兵の士気にかかわりますし」

 朝が来ても悪夢は終わらなかった。

 〈粉ひき〉たちは行軍路で待ち伏せしてイスファハーン公家軍の斥候兵をしらみつぶしに殺し、その死骸を冒涜して、目立つところに晒した。

 昼前までには、後方にいた従軍商人たちは一握りの命知らずを残して逃げ散ってしまっていた。斬首されることになった歩兵五十人も、商人たちにならって逃げようとしたところを見とがめられたのである。

 いやがらせに辟易しながらも一日の行軍が終わり、野営するため足を止めて……襲撃はまたしても激化しはじめた。

 早急な対応が必要とされ、ついにファリザードは決断を下した。

「昨日のような夜をもう一晩繰り返すわけにはいかない。打って出て、わが軍を悩ます周囲の〈粉ひき〉どもを積極的にこちらから狩る」

「やっとその結論に達したか」

 バハラームが鼻から息を抜いた。

 満足気にトゥグリルがうなずく。

「ジンに向いた戦術は、防御よりも攻撃です。わが軍を守るため、敵を踏みにじりに行きましょう。

 あなたがいままで積極的に連中を殺そうとしなかった理由は、わからないでもないですがね……この軍がひとたび〈粉ひき〉の血を流せば、かれらはあなたを仇と憎み、本物の敵に回る。それを恐れていたのでしょう? 仲を修復する余地がなくなることを」

「その通りだ。ジンをひとりでも殺せば、血の復讐が連鎖することになる。だが」

 ファリザードは怒りを宿した目をトゥグリルに向けた。

「ジンの血は敵味方ともまだ一滴も流れていないが……わが軍の人族の兵や商人たちはどんどん死んでいる。わたしたちみずからが軍法にのっとって殺さざるをえなかった、あの五十人の脱走兵も含めてだ。こっちが流した血はもうじゅうぶん多い。あの豚野郎どもの血も流してやる!」



 かくして野営地と原野の境界線に、武装したジンたちが集った。

 一万六千のイスファハーン公家軍だが、属するジンの総数は千八百名余である。これは領主たちと、それぞれの従えるジン兵を合わせた数だった。

 月のない夜、ジンの襲撃にはジンをぶつけるのがもっとも良い――これは鉄則だった。天性の襲撃者たるジン兵の真価は、暗闇で発揮される。夜目が利かない人族の兵は、その一点のみをとっても、闇のなかではジンの敵になりえないのだ。

 かれらの目の前で、真っ暗な原野から一条の明かりが空に駆け上った。弧をえがいて野営地に降ってくるそれは、〈粉ひき〉の狙撃手の火矢だ。

 宙にある火矢を戦鎚で差し、バハラームが毒づいた。

「火矢の狙いが異様に正確だ、くそったれ。遠くから曲射で射ってきているというのに。敵の狙撃手はよほど腕がいいぞ」

「それだけではない」陰気にトゥグリルが指摘した。「野営地の外をうろちょろしている〈粉ひき〉の連中が、ここまで正確に内側の配置を知っているのはどういうわけだ? 明らかに輜重隊の陣地をめがけて火矢を落としてきている。野営地の内側に敵の間諜(スパイ)がいて、信号を外に送っていたとしてもおかしくないな」

「間諜か」

 ふたりのつぶやきを聞いて過敏に反応したジンがいる。

 ダシュトの領主タバリー。〈粉ひき〉によって包囲攻撃を受けている〈油売り〉一門の当主である。かれは顔を歪めて言った。

「心当たりがあります。われわれの内部に紛れ込んだ〈粉ひき〉についてね」

 誰もがしんと静まり返った。集められていたジンたちの目が、かれらのひとりへとそっと注がれた。

(タバリー卿がだれの名を出すつもりか、あまりにも明白だ)

 見送りに出ていたファリザードは、苦い思いを噛み締めながら聞いた。

「だれだ?」

 その問いを待っていたとばかりに、憎しみをこめてタバリーは高らかに名指しした。

「まさに〈粉ひき〉の当主、ガージィですよ! そこに小憎い面をさらしています」

 〈粉ひき〉たちの長としてテヘラーンに来たジン、〈伊達者〉ことガージィは、告発されても一言も発しなかった。かれは立ち尽くし、ただ顔を伏せて怒気をたちのぼらせた。

 黙っている仇敵をにらみすえながら、タバリーは雄弁をふるいつづけた。

「この軍の内になぜまだガージィを置いておくのですか、ファリザード様? そいつは会議であなたの敵に回っていましたよ。いまも自分の一族に情報を流しているはずです」

「口をつつしめ、タバリー卿。ガージィ卿の一族はかれを無視して決起したのだ」ファリザードは首をふった。「ガージィ卿はこの反乱に与しなかったただひとりの〈粉ひき〉なんだぞ」

「おう、それが芝居でないとどうして言えますか?

 現にわが軍の情報は流出して〈粉ひき〉に渡っているではありませんか。最低でもかれを拘禁して、戦が終わるまでどこかに押し込めておくべきです!」

 ふいに目を光らせ、歯ぎしり混じりの声をガージィがあげた。「それはよろしくないな、タバリー」と。

「出撃前に私を拘禁すれば、ジン兵の戦力が一人減るだけだぞ」

 それに対してタバリーは、声にまじる毒素の濃度をいちだんと高めた。

「ほう、戦力だと? 自分の一族に弓を引く覚悟があるというのだな? ならばガージィ、貴様の武器をとるがいい。われらの前に立ち、同族である〈粉ひき〉のやつらの首をかき切るがいい。それができないなら、貴様のことを信じる理由は金輪際ないぞ」

 両者の間にふたたび横たわった沈黙は、すさまじい殺気に満ちていた。

 なんとか空気を変えようとしたファリザードが声をあげる直前、ガージィが言葉を発した。

「……わが一族は私に不満を抱いて切り捨てた」

 のろのろと、呪詛するように。

「以前から、貴様ら〈油売り〉に対して甘すぎるという理由で、私は一族から突き上げられていたのだ。ああ、正直いうと後悔しているぞ、タバリー。『理性を保て。愚行はやめるのだ』などと一族をなだめなければよかったと思う。むしろこの反乱の先頭に立ち、貴様ら〈油売り〉を殺してやりたかった。だが、すべてが遅すぎる。わが一族は私を裏切った。裏切られたジンのなすべきことは報復だ。

 今宵は貴様の言うとおり、私がかたをつけてこよう。私の短剣を出せ」

 従者に声をかけ、ガージィはひとつだけ武器をとった。

 それは手のひらで隠せそうほど小さなダマスカス鋼の刃物。刀身は手の指の長さしかなく、黒布を巻かれた柄が全長の半分を占めている。

 鞘に収めた短剣を口にくわえ、ガージィは原野へと出て行った。

 冷ややかにそれをタバリーが見送る。顔を見合わせたほかのジンたちもまた動かず……

 ファリザードは焦りを感じてせっついた。

「ガージィ卿ひとりに任せるのはひどくないか? 相手が少数といえど危なすぎるだろう……」

「慌てるなよ、薔薇姫」

 バハラームがあごを撫で、ファリザードに言った。

「もちろん援護するが、あいつに先鋒を切らせておけ。あいつの呪印は、平地でならば弓兵への対策にはじつに効果的だ」



 “変化”の呪印が、原野をそろそろと歩むガージィの姿を変えていく。

 獅子よりもずっと小さい。豹よりも小ぶりな頭部。

 爪は敵をひっかくものではなく、地面をしっかり捉えるためのもの。

 前へと駆けて襲う、ただそれのみに特化した体。

 ファハド・スィヤード――すなわち猟犬豹(チーター)

 ……暗い原野のなかからまた火矢が上がった。

 矢の上がった地点をしかと見極め――短剣をくわえた猟犬豹は走りだす。

 親族に敵対する苦悩を抱えたまま、地を(はし)る稲妻と化す。

 疾駆する。

 たちまち最高速度。周囲の風景が後方へ吹っ飛ぶ。はるか前方にいた狙撃手の姿がぐんぐん大きくなる。

 別の狙撃点に移動しようとしていたのだろう。驚愕に目を見開いている狙撃手は、下ろした弓をあわてて構え直したところだった。

 識別する。

 同じ〈粉ひき〉の一族。ガージィが予想していたとおりの顔見知りのジンだ。

 狙撃手も急襲してきたのがガージィだと悟ったようだった。刹那、その表情が強く歪む。裏切られたという悲嘆と失望、矢を放ってよいのかという迷いが面をよぎる。矢を放つ寸前の、ほんの一瞬だけ。

 その一瞬のためらいでじゅうぶんだった。両者のあいだの距離が縮まり一気に無となるまでは。

 激突する。

 矢が放たれた瞬間すでにかれは狙撃手のふところに入っており、腹に頭からぶちあたっていた。狙撃手が胃液を吐きながら体を折って吹っ飛ぶ。矢は猟犬豹の頭上を飛んでいった。

 猟犬豹は、五つ数えるうちに百ガズ(メートル)を駆け抜ける俊足の獣である。

 “変化”を解いてジンの姿に戻り、ガージィは口にくわえていた短剣の鞘を払った。倒れた狙撃手へと、大またに歩み寄る。

「ザキーヤ。おとなしく捕まれ。そうするつもりがおまえにないなら、逃げられない程度に手足に傷を負わせるぞ」

 淡々と勧告する。弓を手放して苦悶するジンの女(ジンニーア)へと。腹をおさえてうずくまり、胃液に口元を汚しながら、ザキーヤは呪詛をガージィに向けた。

「兄貴……この……この裏切り者……」

「私を先に裏切ったのはおまえたちだろうが? 私がテヘラーンに行っていたあいだに、よくもこんな愚行にふみきってくれたな」

 妹に沈痛な言葉を投げかけ、ガージィが進み出たとき、別の声が背後から響いた。

「動くな、ガージィ」

 別のジンがかれに弓を突きつけていた。ちらと肩越しに見て、ガージィは名を呼んだ。

「ヤフヤーか。わが従兄(いとこ)よ、そんな物騒なものを向けないでくれよ」

「ふざけるな。あんたがファリザードの軍から脱出してきたらふたたび一族として迎え入れようと、ザキーヤと俺は決めていたのだぞ。それなのに、本気であの小娘に肩入れして攻撃してくるとはな」

「迎え入れるか。しかし、私をふたたびわが一族の当主として戴く気はなかったのだろう。引きずり降ろされた元当主として生きる恥辱には耐えられんな」

 ガージィは暗くうつろに笑った。こわばった顔のヤフヤーがいっそう弓を引き絞る。

「ガージィ、一族を攻撃するのは〈油売り〉どもに味方するのと同じことだぞ……弱腰ならまだしも裏切りだ。あんたはやはり長老たちが言うように、〈粉ひき〉の指導者にふさわしくなかった。

 忘れてしまったようだな? 前の〈油売り〉どもとの戦で、あんたの父親も死んだのだぞ。その仇を討つ前にわれわれは、イスファハーン公家によって強引に弓を置かされた。そのことを俺たちは忘れていない!」

 背信帝の乱のときも、世の混乱にまぎれて〈粉ひき〉と〈油売り〉の両家門は殺しあった。その凄惨な死闘は、激怒した故イスファハーン公ムラードが北部に大軍を進めてくるまで続いたのである。

「問答は終わりだ、ガージィ。捕虜となれ。でなければ背を射抜くぞ。弓兵つぶしのあんたの能力は、敵に回ったら危険だからな」

「私を捕虜にとる……ヤフヤー、本気で言っているのか? おまえたちのいう『小娘』は配下のジン兵に命じた。蝿のように軍の周りを飛び回るおまえたちを排除しろと。おまえたちはいまから追跡を受けて必死で逃げねばならん、私を連れている余裕などないぞ」

 半分以上本心から、ガージィは忠告した。

 ヤフヤーの歯ぎしりが聞こえた。「じゃあ殺す」背後で、かれがぎりぎりと矢を引き絞る気配が感じられた。

 そして、矢の飛ぶ音がした。

「あ」

 気の抜けたようなヤフヤーの声……ガージィはふりむいた。

 後ろによろめくヤフヤーの肩に矢が突き立っている。かれ自身の射とうとした矢はまだ弓弦から離れていなかった。それから、ヤフヤーの後ろに音なく現れた〈断水公〉バハラームが、かれの脚に戦鎚をぶちこんでへし折った。それからバハラームは笑って評した。

「頭に血を上らせて足を止めるべきじゃなかったな、〈粉ひき〉の坊や。さっさと仲間をあきらめて逃げればよかったものを」

 周囲にぞろぞろとイスファハーン公家軍のジンたちが現れていた。

 ジンは(はや)い。逃げるのも襲うのも、集結するのも。よってジンの部隊同士での戦闘は、機動力を活かした非常に流動的なものになることが多い。

 ガージィは、先制したのち〈粉ひき〉たちの足を止めておく役割が、自分に期待されていると知っていた。数で勝る以上、こちらはまともにぶつかれば勝つのだから。

 かれはバハラームに重い声を向けた。

「こいつはわが妹の連れ合いでな。妹を放って逃げはしない」

 ジンの強い情愛は、ジンの足についた鎖でもある。

「ともあれ」

 バハラームが言った。

「こいつらだけではなく、他の〈粉ひき〉どもがまだいるはずだ。この調子でどんどん掃討してくぞ。おい、犬や胡狼(ジャッカル)に化けられるやつはいるか。追跡能力に特化した奴らに臭いを嗅がせ、夜通し痕跡をたどれ。隠れている敵を追いつめて無力化しろ。敵陣の火が見えるところまでは追い立ててかまわん」バハラームはちらりとガージィを見て、「〈粉ひき〉どもを追いつめたあと、余裕がある場合は殺すなよ」と言い添えた。

「感謝する、バハラーム卿」

 思わず懇願するような声を出したガージィに、〈断水公〉は首をふる。

「感謝は薔薇姫に向けておけ。あれはなんだかんだで血を好まん。臣下としてはなるべく、その心中を忖度(そんたく)してやるしかあるまいが?」

 無言となり、〈粉ひき〉の当主ガージィは一礼するように顔を伏せた。

「さあて」

 バハラームは楽しげに、戦鎚を肩にかついだ。

「〈粉ひき〉どもの蠢動(しゅんどう)で訓練不足の歩兵六十名以上を失っちまったが、こっちは〈粉ひき〉のジン兵二名を生け捕りにした。命の重さはどうだか知らんが、戦力としてはまずまずこっちに有利な交換だ。

 ダシュトにはもうよほど近い。明日には〈粉ひき〉どもの主力軍と戦闘になるかもしれんな」


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