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ジンニスタン 砂漠と海の物語  作者: 二宮酒匂
帝位簒奪者対公位僭称者
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4-3.三つ巴

 東へ進発したイスファハーン公家軍の野営地に、夕闇が迫るころだった。

 二十名ほどの人族の男たちが、縄を打たれてファリザードの天幕の前に投げ出された。厚い外衣(ドッラー)を着たその捕虜たちは、むっつりと一言も発さずに、敵意のこもったまなざしを彼女に向けた。

「さっそくの戦果です、ファリザード様。私の斥候隊がこいつらを見つけました」

 馬から下りた〈雄鶏公〉トゥグリルが言った。かれはテヘラーンから発したこの軍の右翼部隊を率いていた。

 天幕から出たファリザードは捕虜をつくづくと見やり……(イスファハーン公領の人族じゃない)と結論づけた。

(こいつらは、わが亡き父上の民じゃない。むしろ民を襲うほうだ)

「サマルカンド公家軍の……残党? とにかくあっちの兵だな、トゥグリル卿」

「いかにも。こいつらは近くの集落を襲って金目のものと食料・まぐさを奪っていました。本人たちは徴発部隊で、軍の任務を遂行していたのだと言いはっています。

 さて、斬首しますか、それともサマルカンド公家に引き渡しますか?」

 問われてファリザードは困惑した。難しい判断である。

 対処せねばならない三つの勢力のことを、彼女はずっと考えていた。

 ひとつはもちろん、〈剣〉のホラーサーン軍。しかしこれは後回しである。強すぎるので。

 もうひとつは、はるかに弱いが、しかし緊急性がより高いかもしれない相手……反乱軍だ。このイスファハーン公領北部で私闘を起こしているジンの貴族たちだった。家の祖の職業ゆえに〈粉ひき〉(アッタッハーン)一門として知られるジンたちが、仇敵であった〈油売り〉(アッザイヤート)一門のジンたちを攻めはじめたのである。それは主君であるイスファハーン公家の権威をないがしろにした私闘で、放っておくわけにはいかなかった。

 そして最後のひとつが、イスファハーン公家と同格の大貴族、サマルカンド公家の遠征軍である。かれらはサマルカンド公ティムールに率いられてこの地にやってきており、ティムールが滅びたあとも留まっていて……

「トゥグリル卿、ちょっと人に聞かれないように話をしよう。わたしの天幕に入るがいい」

 ファリザードは鎧の上から羽織った長着(カフタン)の前をかきあわせ、天幕にひっこんだ。

 優美だが小ぶりな天幕のなかで、吐いた息は白かった。冬の原野は、朝夕ともなるとひどく冷える。

 このイスファハーン公領北部の原野は、夏の乾燥期には砂漠と化す。しかし冬季の現在は、ひとまず草原というほうが近かった。もっと北に行くと、ひと夏を通して草が枯れることのない、緑の海かと見紛うような本物の大草原があるという。

 サマルカンド公領にあるのと同じような草原が。

(あの捕虜たち……騎馬部族の連中はそこで馬を養って南下してくると聞いたが)

「騎馬部族が主体のサマルカンド公家軍はすでに飢えはじめている」

 天幕に足を踏み入れたトゥグリルが、彼女の心を読んだかのようにそういった。

「ティムール公は疑いなく補給をととのえて進軍してきたに違いありません。ですが、かれの権力は奪われました。現在、その弟ラーディーが軍を乗っ取っています。

 かれらの兵站は途切れてしまったはずです。まだサマルカンド公領本国はティムール派が固めているはずですから。

 自分たちの軍馬のために、連中は焦って金目のものを略奪しているのですよ」

 トゥグリルは〈断水公〉バハラームと並び、ファリザードのふたりの軍事顧問のうちのひとりである。こと軍事知識に関するかぎり、ファリザードはかれを信頼していた。

 ふりむいて彼女は質問した。

「馬のため略奪する? どういうことだ。詳しい説明がほしい」

「そのままの意味ですよ。ここは草原ではないから馬が簡単に飢えるのです。そしてかれらは馬が多すぎます」

 トゥグリルは答えた。

「ファリザード様、このイスファハーン公領の富は交易のおかげで豊かですが、大地は貧弱です……連中の馬から見たらね。緑あふれる草原地帯でならば安く養えた十数万頭もの馬たちが、この砂漠の地になだれこんだのです。どうなるかは決まっています。

 この地にまだいるサマルカンド公家軍――ティムール派と区別して、ラーディー軍と呼んでおきますが――は、このままだと馬たちが餓死すると悟ったのです。

 そしてこの土地では、馬に与えられるまぐさの大半は野の草ではなく、人が育てる麦類や豆類なのですよ。当然、無料(ただ)などありえない」

 ここまで説明されるとファリザードにも理解できた。

「連中は、砂漠地帯に来ただけでけた違いの金が必要になることに気づいたわけだ」

「そういうことです。これでもいまは冬だからまだましです、うぶ毛程度ではあっても牧草が砂漠に生えておりますから。

 しかし半年後、もしまだラーディー軍が引き上げていなかったら、略奪の規模は数十倍にも膨れ上がるでしょう」

 ファリザードは顔をしかめた。

「そうさせるつもりはない」

「ええ。すでに決まった計画のとおり、攻撃して追い払いましょう。先鋒は私が務めます。

 では、あの捕虜どもは斬首ということでよろしいですね」

 トゥグリルは満足気に薄く笑った。ファリザードは声を低めてかれに聞いた。

「……勝てるか、トゥグリル卿?」

「まず勝てるでしょう。ラーディーはティムールを打倒して軍を乗っ取りました。それから数日もたっていません、かの軍は間違いなく混乱しています。

 先鋒は私にお任せください、臆病風に吹かれたバハラームなどではなくね」

 ファリザードはちょっと沈黙してトゥグリルから目をそらした。

 実はラーディー軍への対処について、彼女の軍事顧問ふたりの意見は出陣前まで対立していたのである。

 攻撃的な性格で知られる〈断水公〉バハラームが、意外にもラーディーとの同盟を主張していた。

『全面衝突ですりつぶし合うなど愚の骨頂だ』バハラームはそう言ったのであった。『ともに弱ったイスファハーン公家軍とサマルカンド公家軍が、こんなところで血みどろのつぶし合いをはじめれば、最後に〈剣〉にまとめて踏みつぶされるだけだ。戦う相手を間違っている。むしろ、俺たちはかれらを取り込んでうまくその騎兵戦力を利用するべきだ』と。

「犠牲をおさえて勝たなければ、勝てても負けたとおなじことになる」

 つぶやいた彼女の声をトゥグリルは聞きとがめたようだった。軽蔑的にかれは鼻を鳴らした。

「バハラームの意見にまったく価値がないとはいいませんが、あいつはひとつ忘れています。

 多少の犠牲が出ようとも、勝ちさえすればふたたび兵力は集められるのです。勝利を内外に誇示すれば、勝ち戦に乗ろうとする傭兵たち、それに日和見している諸侯たちが寄ってきます……この軍の力を証明しましょう、そうすれば減った兵力も取り戻せます。けれど、そうですねえ」

 トゥグリルは少し考えこむ様子を見せた。

「ラーディー軍と戦う前に、別のもっと弱い敵相手にすばやい勝利をおさめておくという手もあります。

 そういえば、都市ダシュトを包囲した〈粉ひき〉家門のジンどもをどうします? ここからならば、ラーディー軍の野営地とダシュトはほぼ同じ距離ですが。先に連中を叩き潰しますか?」

 ファリザードはにこりとした。

「実は、私闘を起こした馬鹿なジンどもについては心配いらなくなった」

 彼女は、天幕に運び入れさせた文机(ふづくえ)の引き出しから手紙を取り出した。

「さっき〈粉ひき〉たちから使者が来たのだ。いまになってやっとだが、かれらはわたしが送った叱責の手紙に、おそれいって返事をよこした。すぐにもダシュトの包囲を解き、この陣に申し開きに訪れるそうだ」

 当然だとファリザードには思われた。〈粉ひき〉たちの動員できる兵は八百そこら、ジン兵はその十分の一ほどだという。有力な貴族たちではあるが、彼女の大軍に敵しうるはずがなかった。

「たぶん、いまなら私闘を起こしても、イスファハーン公家が軍事力で罰しに来ることはないと踏んでいたのだろうな。ところがあてがはずれて大軍で攻撃されそうとなると、すぐにひざを屈したわけだ。あっけない幕切れだが、最後に知恵の道を通ったと評価してやれる」

 しかし、

「……〈粉ひき〉どもの使者が、この野営地に直接来たと?」

 トゥグリルは衝撃を受けたように目を見開いていた。

「え? う、うん」

「私の斥候隊はその使者どもを見つけられませんでしたよ。もしかすると、使者たちの一行は少人数のジンのみで構成されていたのではありませんか?」

 その通りだった。ファリザードが戸惑いながらうなずくと、トゥグリルは眉を寄せ、厳しい面持ちとなった。

「“隠形”の呪印を使って、斥候隊のあいだをすり抜けて来たのでしょうね……本気で降伏するつもりなら、こちらのふところに忍び込んでくるようなまねをするでしょうか? 〈粉ひき〉どもは予想以上に戦意盛んかもしれません」

「え……で……でも降伏するって書いてるぞ」

「あなたはやはりまだお若い。〈粉ひき〉の連中はジン族なのですよ。そして代々の仇敵と決着をつけるべく私闘に起ったのです。これはジンの血の復讐であり、それを阻むのは食事中の餓狼から肉を取り上げるようなものです。どんな大軍だろうと噛み付かれることは覚悟しなければなりません。

 私がもしも反乱した〈粉ひき〉の指導者ならば、このような手紙を出す意図はふたつしかありません。時間稼ぎするためか、あるいは……油断させておいて、先手を打つためです」

「今回はそいつの言うことが正しい、薔薇姫」

 とつぜん、〈断水公〉バハラームの声が響いた。

 入り口の垂れ幕がはねあげられ、甲冑姿のそのジンがずかずかと天幕に歩み入ってきた。左翼を率いているかれは〈雄鶏公〉トゥグリルと険悪な間柄である。そのかれらの意見が一致したということに、ファリザードは驚きと不安を覚えた。

 はたして、バハラームは苦々しく報告した。

「ダシュトのまわりを探っていた俺の密偵たちからの報告だ。〈粉ひき〉どもはさらなる兵を集めている。先日わが軍との契約を打ち切った傭兵どもをすばやく吸収して、いまや五千の軍にふくれあがっているそうだ。降伏するつもりはまるでなさそうだぞ。

 ラーディー軍より先に、〈粉ひき〉どもと戦うことになりそうだ」

「とにかくその使者を捕らえましょう。ファリザード様、この手紙を持って参った〈粉ひき〉の使者はどこに?」

 トゥグリルの問いに、ファリザードが困惑して耳をぴくぴく動かす。「わたしとバハラーム卿でさっき会って……たぶんまだ陣内に」

「心配いらん。もう捕らえた」

 バハラームが合図すると、ジン兵たちが一人のジンを引きずるようにして連れてきた。まぎれもなく最前、手紙を持ってきたばかりの使者である。

「謁見のときからどうも、薔薇姫との間合いを測っているふしがあったのでな。なんとかして飛びついて人質にしようとでもしていたのだろう。俺と俺の兵たちがいたから助かったな、薔薇姫よ。

 こいつが天幕から退出したあともひそかに後をつけさせていたら、野営地の井戸に近づいてなにかを入れようとしていた。そこを捕らえたが……」

 バハラームは革の小袋をふところから取り出した。

「中身は液体だ。こいつ自身に飲ませてみようとしたら拒んで暴れた。おおかた毒かなにかだろう」

 〈粉ひき〉の使者は後ろ手に縛られ、猿ぐつわをかまされてうなっていた。ファリザードの命令で猿ぐつわが解かれると、

「余計な口をはさんでくる小娘め!」

 使者は敵意をこめて彼女に叫んだ。

「これはわれわれ〈粉ひき〉と〈油売り〉の問題だ! 黙ってわれらがダシュトを落とすのをみておればよかったものを!」

「おまえたちはどちらもイスファハーン公家に忠誠を誓っている家なのだぞ。主家であるわたしが勝手な殺し合いを黙ってみているわけにはいかないだろ?」ファリザードは指摘したが、使者はいびつな笑みを浮かべて言い放った。

「イスファハーン公家は滅びるだろう。われわれはもはやおまえを主とは認めない。すぐ死ぬであろう者に忠誠を捧げるなどばかばかしいではないか」

「黙ってろ。そうでないと貴様が薔薇姫の先に死ぬぞ」

 バハラームが使者に警告し、「この糞を連れて行って拘束してろ」と部下に命じた。

 かれらが去ると、バハラームはトゥグリルに顔を向けてにやりと笑った。

「ところで雄鶏野郎、俺の手並みはどうだ? 護衛に情報収集に敵のたくらみ阻止と、今日一日だけで貴様よりよほどこの軍の役に立ったと思わんか? 涙を流して自分の無能を悔い、俺の有能さをたたえてもよいのだぞ」

 不快げな表情のトゥグリルが冷ややかに応じる。

「道化は喝采を欲するようだな。それがほしいならくれてやろう、今回はなんとか人並みにできたようではないか」

「やめてくれ、なんで卿らはすぐ喧嘩するんだ」

 ふたりの煽り合いを止めさせつつ、ファリザードはほうとため息をついた。

 もしかしたら、この二人は彼女に気をつかっていつもの調子で喧嘩してみせたのではないかと思ったのである。


 天幕の外から轟音が聞こえた。


 口論を止め、いっせいにバハラームとトゥグリルが同じ方角を見た。

「なんだ、いまの……」

 ファリザードは天幕から顔を出し、目をみはった。

 野営地の南側から、黒い煙がもくもくと立ち上っていた。赤い炎が天を焦がしており、悲鳴に混じって「焼夷弾に引火した!」という叫びが届いてきた。

 輜重隊のラクダの何頭かに、石油(ナフサ)が原料の焼夷弾を積んでいたことに思い当たり、ファリザードはぞっとした。

「消せ! 消火しろ!」

 天幕から走り出て指示しようとしたファリザードの襟首がひっつかまれた。

「ひっこんでろ! 俺が行く」仔猫でも扱うようにバハラームは彼女を天幕に再度放り込み、「おい、雄鶏野郎、彼女を守れ。狙撃手がいる」と言いおいて去った。

「そ……狙撃手?」

 目を回しながら身を起こしたファリザードに、トゥグリルはうなずいてみせた。

「ジンの魔弓兵です。おそらく、〈粉ひき〉の使者一行とともに来て、陣の近くに身をひそめていたのでしょう。野営地の外から火矢を射ってきたと思われます。人族ではけっして使いこなせないダマスカス鋼製の魔弓を、“大力”によって引き絞り……消えにくい“妖火”を矢にからみつかせて、常識外の距離を飛ばしてきます。

 〈粉ひき〉どもはいよいよ本気のようですね、あんな魔具まで持ち出して襲撃を仕掛けてくるとは。覚悟を決めていただきますよ、ファリザード様。連中がこうまであからさまに反逆に踏み切ってきた以上、確実に潰さねばわが軍はすべての勢力にあなどられます」

 トゥグリルがぱちんと指を鳴らすと、かれの“妖火”がぼわんと宙に浮いた。

「ジン兵を含む軍同士の殺し合いに、いまこのとき突入しましたよ」



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