4-1.疾走開始
ファリザード、戦場へ飛び出すこと
「『ホラーサーン軍は落とした帝都を離れ、またも分かれて移動』
諜者が紙に記してよこした情報を、テヘラーン領主アーガーが読みあげる。
北部諸侯会議にて明らかにされた最新情報は、弔鐘のごとく一同の上に響いた。
「『主軍は上メソポタミアに兵を進める。その先鋒五千、ザイヤーンが主将、ウルジェイトゥが副将となってジャズィーラ地方に侵入』
『別働隊を率いるアルプ・アルスラーンは西の竜骨山脈のふもとへ。三千の騎兵を率いて“盾の峠”へ急行、これを封鎖』
『ジャズィーラの太守、ザイヤーンとの全面衝突を避ける。あわただしく北の山地へ撤退』……」
ファリザードは足を崩してクッションに座り、耳を傾けるふりをしている。
報せはすでに知っている。いま考えているのは別のことだった。
(あの古老の女は、裏切りには気をつけろと言っていた……)
彼女はしなやかな体に、彼女用の小さな甲冑と緋のマントをまとっていた。金鍍金された肩当に篭手、腕鎧。脛当、膝当、長革靴。鎖かたびらの上から小札鎧。革とダマスカス鋼をくみあわせた、軽装甲ではあるが柔軟で洗練された造りの鎧である。頭にはオオタカの羽を一本立たせたターバンをかぶり、手の親指には弓をひくときに使う弦掛指輪をはめていた。
軍装であり、いつでも出陣できる格好であった。周りの多くの者は、この姿を彼女の覚悟のあらわれとだけ見ているだろう。
そうではない。
彼女は自分に言い聞かせる。
この戦いに勝つために、わたしは強くならなければならない。
……絶望的な状況を、アーガーがひととおり報告し終えた。
「……ジャズィーラ太守と、そして上帝の近習であった御佩刀持ちムンズィル卿の連名で、出兵要請がわれらに来ている。『ホラーサーン軍と闘うための兵を貸してほしい』と。諸卿よ、思うところを述べられよ」
「むろん要請に応じるしかないでしょう」
ひときわ血気にはやって身を乗り出したのは都市ダシュトの若いジン、タバリーである。美女のように可憐な容貌だが、いまは興奮に目が吊り上がっている。
「ジャズィーラ太守はいったん決戦を避け、もっと兵が集結するのを待ってからホラーサーン軍と闘うつもりでしょう。
しかしホラーサーン軍はその余裕を与えず、どんどんかれらを北へ追いつめるはずです。そして“盾の峠”の出口を封鎖された以上、ダマスカス公家軍はすぐには山脈のこちら側に来れそうにありません」
「ダマスカス公家は周到に準備をする。山脈の向こう側でいま軍容を整えて、まもなく集中攻撃をはじめるはずだ。そうなれば峠を完全に奪回してこちらへ雪崩れ込んでこれるだろうよ」
“断水公”バハラームがぐびぐび酒をあおりながら指摘したが、タバリーは首を振った。
「峠に寝そべった憎らしい獅子を排除するために予想以上の時間がかかるかも。そうなればそのあいだに、北部メソポタミアに残存した上帝軍は一掃されてしまいかねない。
確実にかれらへの援軍となりうるのは、ここにいるイスファハーン公家軍だけです。
一か八か西進してかれらと合流するか、連携した作戦をとり、勝利の可能性をすこしでも高めねばならない。勇気ある決断が必要です、ホラーサーン軍の攻撃にさらされた味方を守るためあえて兵を進めましょう」
だが、一部の者は西進に公然と反対した。
ガージイ卿がタバリーの熱弁を鼻で笑った。伊達者と評判の男だ。このときも金糸銀糸の刺繍をふんだんに縫いこんだ緑の上衣を着込み、ヘラス産錦織の帯を締めて座している。
「タバリー卿、兎が自分から厨に飛びこんで料理人の腕に噛みつくのは勇気とは言わんぞ。われらのもとの戦略は、包囲網をしいて圧倒的に優位に立つまでは野戦を避けるというものだったはずだ」
「ではここに座して留まるべきだというのですか」
向き直ってタバリーが敵意あらわに尋ねる。かれの治める領地ダシュトは、ガージイの領地アリアバードの隣にある。そしてかれらの家門は、遠い昔に兄弟から分かれたにもかかわらず、いまでは抗争と血の復讐を繰り返して険悪そのものの関係であった。
かつて殺しあった雄鶏公トゥグリルと断水公バハラームの間柄ですら、この両家門の確執に比べれば和やかな友人づきあいに見えてくるという話である。
「動きを止めていたところでいずれ戦いは避けられません。北部メソポタミアが完全に制圧されれば、ホラーサーン軍はきびすを返してここまですぐ来ますよ。大陸街道のひとつが西からテヘラーンまで直接通じているのを忘れていないでしょうね?
かなたで味方が滅ぼされるのを黙って見すごせば、われわれは来月にもテヘラーンの城壁の向こう側に黒い剣の旗印がひるがえるのを目にするでしょう。
各個撃破されるのを待つより、いま戦闘に参加するべきです」
「地理のことなどは八十歳にもならぬ貴公に言われずともよくわかっている」うんざりした声を出し、ガージイは面に冷ややかな笑いを浮かべた。「しかし貴公の言葉からはどうも臭いがするのだよ。腹に隠した意図の放つ芳しからざる臭いがな。貴公の姉はたしかジャズィーラ太守に嫁いだばかりではなかったか。姉を未亡人にしたくないというわけか……おやおや、私情でわれわれの軍を死地に突き落とそうとはとんでもない話だ」
「……情のみで言ったわけではありません。ここは果断な行動が必要ではないかと私なりに判断を――」
「どうあれ情が入っていたことは認めたな。貴公の家門はいつも冷静さを欠くきらいがある。常に果断な方針を選びたがる男が、まともに判断できたとは思えないな」
嫌味たっぷりに混ぜ返されて、タバリーの形相が憤怒にひきつった。声が激する。
「人の意見をあげつらうだけが能か。阿呆な孔雀がごとく飾り立ておって“粉ひき家”が、粉まみれの開祖のように白一色の服でも身につけておれ!」かれが罵りつつクッションを蹴るようにして立ち上がると、ガージイもまた優雅に、しかし機敏に立ち身構えた。「さすが“油売り家”の子孫らしい。簡単に火が付くようだな」侮蔑的に言って肩をそびやかす。
広間が騒然としたが、直後には全員が飛び上がるようにして上座のほうに向き直った。
ファリザードが合図して、背後に控えた侍従に鉦を叩かせたのである。古めかしい青銅の鉦は、ジンの鋭敏な聴覚にはことのほかよく響いた。
「タバリー卿、意見参考になった」
静かなファリザードの声に、タバリーが立ち尽くしてからそろそろと座りこむ。きまり悪げで、分別もなく人の館で私闘に及びかけたことを恥じた様子である。ガージイのほうも気勢を削がれた様子で、ファリザードに慇懃に会釈して座った。
場の空気を戻そうとしてか、アーガーが思案深げに指摘する。
「属国や周辺国に援軍を求めるという手もある。
おあつらえ向きに、上メソポタミアのさらに北にはグルジア王国がある。かれらの誇る『鉄騎隊』二万騎を派遣してもらえれば大いに戦力となるだろう」
「使者を送ることに異論はないが、まず望みは薄いと覚悟しておくべきだな。現在のグルジア王は腰抜けの日和見主義者だ」
うなるような声ですぐに否定意見を出したのは、都市ダスケラの領主アブー・クシチュである。この場ではきわめて数少ない南部の諸侯の一人――だが決してファリザードに好意的とはいえない男だった。ファリザードに忠実なアーガーにもしばしば反感をあらわにする。
ファリザードに決定的に敵対する者がここに集った諸侯のなかにもいるとするなら、かれは有力候補であった。
(恨まれる覚えもないではないけれど)
かれと“伊達者”ガージイ、そしていまひとりの領主が、帝都陥落時に、自領へ帰還させてくれと彼女に請願しにきたことがある。だがそれをファリザードは断固として許可しなかったのだった。
この情勢のもとで三人の諸侯の離脱を認めたら、その翌日には十人の諸侯が帰還願いを出すだろうと判断して。
しかしその結果、少なくともアブー・クシチュを苛立たせたのは間違いない。
彼女が先日、城壁の上でホラーサーン女公となったことを宣したときも、かれは揶揄したそうである。『言葉遊びではないか。城壁の陰から正統さを主張すればホラーサーン兵がおそれいってこちらに恭順を示し、〈剣〉の首を持ってくるとでもいうのか』と。
「形としては帝国に臣従を誓っておきながら、先のヘラスや十字軍との戦いですらろくな手助けをしなかった奴らだ。
まして帝国の内紛などには関わりたくあるまい、戦場で荒稼ぎするのが目的の傭兵どもは別としてな。そして傭兵どもも、帝都陥落の報とともにこちら側には寄り付かなくなったではないか。付くとするなら〈剣〉の側に行くだろう」
そのあたりから、大広間での議論はいっそう激化した。多くの諸侯がいっせいに発言を求め、おのおのの持論と思いつきと罵りを声高に丸天井の下に響きわたらせた。
諸侯の半数がタバリーと同じ意見で、賭けになろうと一刻も早く西進すべきだと述べた。こうなった以上打って出て、一刻も早くホラーサーン軍と雌雄を決するべきだと。
もっと慎重な者たちは、あくまでも戦力を増やすことにこだわった。
「グルジア人が役に立たんならいっそ、ヘラス諸都市のほうに呼びかけて力を借りるのはどうだ。傭兵の歴史も長い連中だぞ。加えて奴らにとっては〈剣〉が勝てば故国が攻められることになるから必死になるはずだ」
「ばかな。休戦状態だが、仮にも戦争中の相手だぞ。おぬし、この次は『ヴァンダル人の手を借りるのはどうだ』と言い出しかねんな」
「蛮国のことなどうっちゃっておけ。それよりも同じ帝国の民でありながら、いまだ参戦してこない連中のことだ!
いったい、ヒジャーズ公家はなにをしているのか? この国の危機にあってなぜ兵を送ってくるそぶりもみせない? ヘラスとの戦いのときもそうだった。ダマスカス公家に戦の資金と船団を提供するだけで、ジン兵は一人もよこさなかった。どういうわけだ、腰抜けめ」
「腰抜けは言いすぎだ。いまのヒジャーズ公にして教王たる方はとても慎重なのだ。それに知ってのとおり、背信帝の乱を起こして以来、ヒジャーズ公家は自衛のため以上の軍備を持てないことになっている。かれらのささやかな軍は海軍が主だからな、呼びつけても内陸の戦いには役に立たん」
「背信帝の時代のことなんぞ忘れちまえ、ヒジャーズ公家にも武装させるべきだ。
背信帝、あれも大概頭のおかしいジンだったが、いまになってみればあれはさほど分の悪くない戦いだった。なによりあのときは〈剣〉がこっち側にいたからな」
「ヒジャーズ公家については資金を提供してくれるだけましだと思おう。
それよりはわれらの領地に入って来ているサマルカンド公家だ。いったい、あの欲深い大馬鹿者どもをどう扱えばいいのか?
先のサマルカンド公ティムールがこちらの足元を見透かした要求を突きつけてきたと思えば、つぎに入ってきたのは『反乱でティムール軍は潰れた』という報だ。いまはティムールの弟が公の座についているとも、黒羊族なる人の部族が全軍を牛耳っているともいうぞ。
確かなのはこの数日、ティムールが東から連れてきた騎馬部族どもの多くが統制を離れてさまよい始めていることだ。迷惑にもイスファハーン公領の内側でな。あいつらのせいでわれわれの後背地の治安と兵站に混乱が起きている、先に連中を討ちたいくらいだ」
百出する議論を聞きながら、ファリザードは発言を控えている。諸侯たちの対立を注意して鉦を叩かせる以外、目立ったことはしていない。
(それにしても諸侯会議というものは、論こそ多いが生産性はさほどないな)
だれかが述べた意見にはすぐに否定が付き、愚痴と罵声が乱れ飛ぶ。このままでは永久に結論が出そうにない。
しかし、明らかに三人、意図して否定的な意見ばかり口にしている者たちがいた。
“伊達者”ガージイ、もっともとげとげしいアブー・クシチュ、そしていまひとり……
「話を戻すとだ。西進ではなく、ひとまず当初の予定どおり南下するべきだと思うが」
断水公バハラームが、酒の入った陶器をだんと床に置いて論じた。
「敵とぶつかるにしたって、まずは俺たちの戦力を増さなきゃ話にならん。
ジャズィーラ太守軍にはこちらから勧告すべきだな、決戦を避けて兵を温存してろと。軍を小分けにしてアルメニアの山地にひそみ、ときおり繰り出しては虻が周りを飛び交うようにホラーサーン軍を悩ませろと。
〈剣〉のやつを足止めしといてもらって、そのあいだに俺たちは南に下る。シーツをかぶって震えている南部諸侯どもを戦場に引きずり出してやらねばならん。必要とあらば横面をひっぱたいてでも……」
「南下だと?」アブー・クシチュがさえぎった。「バハラーム卿、それもどうかと思われるな。もっと言えば現実から乖離した意見だ。南下のための兵すら不足しているのだぞ」
「……ああん?」
「諸君、われわれは現状を正確に認める必要がある」
むっとした顔のバハラームにかまわず立ち上がり、アブー・クシチュは長い手を広げた。
「最初の戦略ではわれわれは南下して〈剣〉の軍の背後を押さえるはずだった。〈剣〉が反転してくればイスファハーン公領南部の各城塞に拠ってしのぎ、いずれ西からやってくるはずのダマスカス公家軍と挟撃する、そう計画していた。
あいにくホラーサーン軍は、予想よりはやく帝都を落としてしまった。
ここに至っては、われらが南下しても、南部諸侯がわれらを城に迎え入れるかはなはだ怪しくなってきた。糧秣の提供を受けられるかもおぼつかない。
かれらは〈剣〉に『二度目の助命はない』と釘を刺されて怖れているのだ、念のため言うが。そのうえで率直に、われらとホラーサーン軍のどちらが勢いに乗っているかとなれば……南部の沈黙をいちがいに責められまい」
雄弁をふるいながらアブー・クシチュは上座のファリザードをふりあおいだ。視線に挑発をこめて。
おまえは勝ちそうにない。負ける相手に味方したい馬鹿はいない。衆人の前でそう公然と批判されたも同様であった。
だがファリザードは黙殺する。アブー・クシチュ、おまえの認識はまだ甘い、と腹の中で思いながら。
(南部の現状は、おまえが言ったよりもっと悪くなっている)
わたしは狡猾にならねばならない。
ファリザードに代わってバハラームが吠えた。
「怖がっているのは貴様だろうが。帝都陥落の報が伝わってすぐ領地に逃げ帰ろうとした奴が」
おかげで場は再度険悪化した。ファリザードはまた後ろに合図して鉦を叩かせるべきか迷う。
幸い両者とも実力行使に及ぶまでにはいたらなかったが、論争は止まらない。
「南部諸侯が協力しそうにないというが、大軍を伴って南下するんだぞ。横面をひっぱたいてでもと言ったろう。従わなければ脅して言うことを聞かせるまでだ」
「大軍だと。白昼夢でも見ているのか、バハラーム卿。われらの集めた四万の軍はもう残っていない。城壁に行って野営を見おろしてみろ。ホラーサーン軍が帝都バグダードを攻略してからこっち、総兵力は減少の一途をたどっている。徴募兵の脱走と傭兵の契約解消で、一戦もせぬうちから一万ちょっとにまで減じた。
商いにおいて信用も元手もないのに金を増やすことはできん。兵力も同じだぞ」
「大げさな野郎だな。一万六千は残っているぞ」
「一万六千だろうと変わらない! 歩兵が不足している。
この兵力で広大な南部を力ずくで占領しても、多くの城を保持できるとは思えない。否、南部諸侯が最初から城門を閉ざしてわれらに抵抗したらどうする。そうなれば泥沼だ。われらには打つ手が無いぞ」
「おい、さっきから駄目だ駄目だと悲観するばかりだが、きさまは要するに何を言いたいのだ。だから〈剣〉と和睦すべきだでも言い出すつもりか」
「……そこまでは言っていないが……」
「アブー・クシチュ卿の言いたいことは、戦力の不足をどう解決すべきかということだな。その方向で意見を出し合おう」
さすがにアブー・クシチュが歯切れ悪く口数を減らし、アーガーがやや強引に軌道を修正した――かに思われたときだった。
「あのう、和睦はなぜだめなんですか」
おずおずと挙手した者がいた。
そのジンは満座の注目を浴びて身を縮める。しかし挙げた手を下ろそうとはしなかった。ダームガーンの領主、“臆病公”ジュナイドである。かれこそファリザードに領地への帰還願いを蹴られた三人のうちの最後の一人だった。
かれはいつでも神経質にがじがじ指の爪を噛み、貧乏揺すりと悲観的な愚痴を絶やさないジンで、いつでもなにか危険なことが起きるのを怖れていた。
みずからの臆病さを隠さないジュナイドの態度は、概して勇気を尊ぶジン族のなかにあっては異質といえる。かれに対して他の諸侯の多くは軽侮、あるいはもっと露骨に嫌悪の目を向けるのが常だった。
にもかかわらずこの日、大広間にあつまった諸侯たちはかれを罵るのではなく、しんと静まり返った。
かれがついに口にした意見こそ、ファリザードがもっとも恐れていた言葉だった。彼女は警戒をこめて一座に視線をめぐらせた。
(暗く力のない目をする者が何人もいる。それを考えていながら口に出せなかった者たちか)
「ジュナイド卿、この段階での和睦は降伏と変わらないものになると知って言っているのか。〈剣〉に交渉の余地がどれだけあるか。
あの男はイスファハーン公家を滅ぼしつつあるのだぞ。貴公の案は、ファリザード様やエラム様を処刑人に引き渡せと言っているも同様だ。
うかつなことを言うなら、反逆者として貴公の非を鳴らすこともできる」
アーガーが声を低めて警告する。ジュナイドは震えた声で粘った。
「しかし戦いを続けても、逆転できるとは限らない……血の道ではなく知恵の道を選ぶ手もあります。ヒジャーズ公家も背信帝の乱の折に族滅されましたが、ひとりだけは残されました。〈剣〉がかつて古代ファールスを滅ぼした折も、早くにひざを屈した者の多くが助命されました。
この段階で和睦するならば、〈剣〉がファリザード様を害するとは思えません。あの男は子供だけは殺さないことで知られています」
「わたしはもう子供ではない」
顔を上げ、ファリザードは厳しく言葉にした。これだけは明確にしなければならなかった、戦う意志だけは。
敵に対しても、そしてこの場の旗手諸侯に対しても。
(強くなくてもせめて強さを装わねばならない)
「〈剣〉はわたしの父の皮を剥いだ。兄たちもひとりを除いて殺し尽くした。上帝を弑し、帝国に混乱をもたらし、正当性なく帝を宣した。
この血の負債をかれに払わせ、ファールス帝国を正しい姿に戻さねばならない。
復讐と正義。戦いもせずこの二つを放棄したならば、わたしはもはやジンですらない」
(狡猾でなければならない。
苦境を逆手にとって利用してみせるくらいに)
「正義、それに正当性……ええ、たしかに守れるならぜひとも守ったほうがよいものです」
またも揶揄をこめて失笑するアブー・クシチュに、ファリザードは声を投げた。
「アブー・クシチュ卿、ガージイ卿、告げねばならないことがある。この会議の途中にわたしのもとに急報が届いた」
これは嘘である。途中ではなく、会議の前にその報せは届いていた。
「貴公らの領地でほぼ同時に反乱が起きた。
叛徒たちは貴公らの追放と、〈剣〉への帰順を決定しているそうだ。かつてこのテヘラーンで反乱を起こした逆徒カースィムのように」
ファリザードに反抗的なふたり、アブー・クシチュと“伊達者”ガージイの顔から表情というものが抜け落ちた。一拍して、それがたちまち歪む。
驚きよりも痛恨の勝ったふたりの表情に、彼女は直感した。
(もとより自領の治まり方に不安があったか。それがこの領主たちが引きあげたがっていた理由の一端か)
ガージイと不仲なタバリーが口元をむずむずさせた。「ははあ、アッタッハーン家の内紛ですか。あそこはガージイ卿の代になってから一族不和だったそうですから」毒のこもった笑顔を浮かべたかれに、ファリザードはちらと目を向け、報告を続ける。
「そのとおり。ガージイ卿の領地アリアバードで反乱を起こしたのは、かれの一族だ。
アリアバードは完全に掌握され、いま叛徒たちは隣領ダシュトのタバリー卿の一族の城を攻めている。救援請願がそちらからも来た」
タバリーの笑みが凍りついた。
広間の柱の向こうをファリザードは見る。いまごろ城壁の外では、“雄鶏公”トゥグリルが行軍のために慌ただしく隊列を整えさせているはずだ。
「乱世といっても、この反乱、偶然にしてはできすぎている。ホラーサーン軍の影がこの一連の出来事の上にのしかかっているのが見える。カーヴルト……だったか? ホラーサーン将のひとりがこうした小細工を好むそうだな。
しかし、問題はない。反乱は早急に鎮める。
『正義とそして正当性』、わたしはこの言葉のために戦う。このファリザードについているかぎり、あなたがたの地位は保証する」
座っていつまでも会議に明け暮れていたところで、勝利は転がり込んでこない。
動く。戦う。主導権を奪い返す。ホラーサーン女公の軍には「横面をひっぱたく」力があるのだということを見せつける。
「帝都を奪われはしたが、大戦略の根幹は以前と変わらない。〈剣〉への包囲網をしいて最終的には四公家軍とともに袋叩きにする。そのために、イスファハーン公領南部をまずは奪還する。
おあつらえ向きに、カーヴルトやらいう小策士が、わざわざ倒してよい手頃な獲物を用意してくれた。
反乱者どもをわれわれの軍が肥え太るための肉と思おう」
戦果を積み上げて能力を示す。〈剣〉に勝てるかもしれないと信用させれば、南部諸侯はふたたびこちらに賭ける気になって参陣してくれるだろう。
肌が粟立つような震えを、押さえ込む。怯える小娘でいてはならない。
――ペレウス。わたし、行ってくる。
「同行する諸卿は、いそぎ鎧を身につけられるがよい。
ともに行く気がないならば、この館に残っていてもらう。護衛の兵を残しておく。ただしおのおのの軍の指揮権だけはわたしに譲ってもらわねばならない」
「だ……だが、さっきも言ったとおり、即時南下は無謀な……」
アブー・クシチュが、溺れるようにあえぎながらまだ自説に固執したが、ファリザードは「即時の南下ではない」と突っぱねた。
「南のあなたの領地に急行するのは申し訳ないが後回しにする。
われわれの軍がまず向かうのは、西でもなければ南でもない。
東だ」
サマルカンド公家軍のもとへ。