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8.はじめての決闘〈下〉

ペレウス、ジンの子に勝利をおさめるが

その直後、災厄にみまわれること

 顔をしかめてよろよろと身を起こし、口にはいった砂を吐き出しているファリザードに、ペレウスは冷たくいった。意識して、わざと嫌味に。


「つぎは寸止めにしてあげようか?」


 憤怒に、少女の瞳が燃えた。

 ペレウスはわざと傲然たる態度で見下した――ひとつのことに気がついていた。


(こいつ、意外に単純だ。挑発に弱い)


 砂を払いもせず立ち上がったファリザードがまたも地を蹴る――鋼と鉄が火花をちらした。鉄の盾表面は傷ついてへこんだが、対してダマスカス刀は刃こぼれひとつしなかった……ひるみを覚えたが、それを面にださずペレウスは煽りを重ねた。


「唇に砂がついてるぞ――地面への口づけはそっちが先だったな」


 ファリザードは盾の押し出しをくらわないようにとんぼをきって距離をあけ、すさまじい目つきでペレウスをみて、


「……ちょっと待ってろ!」


 彼女は〈七彩〉を鞘におさめ、武具置き場まで走っていった。そしてダマスカス刀に代わって、三日月刀を模した木刀を手に戻ってきた。

 肩をぶるぶる震わせて、ファリザードはいった。


「か、刀が特別だから負けたなんて後からごねられたくない。おまえはやっぱり、これで思いっきりぶちのめしてやる」


 これはよほど腹をたてたな、とペレウスは目をほそめた。


(それ、後半が本音だろ)


 ファリザードの魂胆は見え透いていた。

 予想以上に堅固な守りにぶつかって、これは寸止めで勝負をはっきり決められる相手ではないと彼女は悟ったのだ。

 かといって、いっさい手加減なしでやれば、ダマスカス鋼の利刃では相手を本当に殺してしまいかねない。彼女は、ペレウスに怒りを遠慮なくぶつけ、好きに打ちのめすために木刀を選んだのに間違いなかった。


 ペレウスにとっては、彼女の怒りは好都合だった。


(怒って、目をくらませたままでいてくれ)


 かれがサー・ウィリアムにつけられてきた稽古は、まだ防御中心の段階だ――うっかり攻勢に出ようとすればぼろが出るだろう。

 ファリザードがそれに気づいて、距離をとって頭を冷やし、かれを始末する方法をじっくり思案しだせば終わりだった。


 ――彼女には攻めさせろ。そしておまえは防ぎつづけろ――騎士のアドバイスが聞こえるようだった。――ぜったいに冷静に立ち戻らせるな――

 そういうわけでペレウスは「ジン族の剣技なんてたいしたことないな」と続けざまに煽った。


「おおかた、みんなおまえの父親に遠慮して負けてやっていたにちがいない。そこに気づかず、調子に乗っているのは痛々しいぞ」


 ちょっと面白いくらい簡単にファリザードは激昂した。


「このっ……小便王子、盾のかげに隠れるしかできないくせに!」


 怒りのあまりどもったその罵りはかなりの真実をふくんでいた。ペレウスが満足にこなせるのは防御だけだから。

 しかし彼女は、自分の言葉を吟味することなく突っこんできた。


「お嬢様、そいつの手ですよ、あまり怒ると――」


「口をはさむな、ヘラス人の助言なんかいるか!」


 セレウコスが余計なことをいったが、頭に血がのぼりきっているファリザードがそれを怒声で一蹴したのはありがたかった。

 少女は斬りつけてはとびのき、狙う部位を頭、首筋、胴、腕、太ももと変えて技をくりだしてくる。

 興奮した山猫が角をつきだすガゼルのまわりをかけめぐるように、彼女は跳び、跳び、稲妻のようにじぐざぐに跳び、死角に回りこもうとしつづけた。


 だが攻撃のすべてが、文字通りの鉄壁のまえにはばまれた。どんな方向から木刀がこようが、ペレウスはそれより速く身を回し、盾でことごとく受けてみせた。

 真夜中城キャッスル・ミッドナイト騎士(サー)ウィリアムの教えに忠実に、ペレウスは正しい歩法を使って下がりながらかわし、前へふみこんで間合いをつぶし、足を入れかえて体を回した。


「がんばれ、ペレウス!」


 場にいきなり興奮した大声がひびいた。セレウコスの隣の少年が叫んだのだった。ぎょっとしたセレウコスが手をのばしてその少年のえり元をつかんだ。


「なにをいってやがる、黙れ!」


 その少年はセレウコスを睨みあげ、かれの胸ぐらをつかみ返した。


「あんた、ヘラス人の誇りを酒といっしょに飲んじゃったのか、セレウコス! ヘラス人がファールス人と渡り合っているんだぞ――どっちを応援するかなんて決まってるだろ!」


 その言葉が、王政の都市からきた少年たちの心でくすぶっていた火を目覚めさせた。

 かれらは、意を決したかのように前へにじり出て、つぎつぎとペレウスに声援をおくりはじめた。

「負けるな」「あぶない、持ちこたえろ」「ヘラス」「ヘラス!」「ミュケナイ!」「ぼくたちの神々にかけて勝て!」「ヘラス!」熱のこもった叫びはしだいに大きくなっていった。

「ヘラス!」


 その騒ぎに参加せずむっつりと押し黙っているのは、民主政の都市からきた少年たち――セレウコスの取り巻きであったが、かれらも、こんどばかりはセレウコスに同調しなかった。


 ヘラス人たちの声が高まるほどに、ファリザードは後にひけないとばかりに歯をくいしばり、ますます苛烈に剣をふるってきた。鞭ででもあるかのようにその木の三日月刀は伸び、しなるかと思われた。

 しだいに防ぎきれなくなり、攻撃がペレウスの身にかすりはじめた……それでも、決定打は当たらない。


 めまぐるしい猛攻を間一髪ですべて受け止めながら、ペレウスは一心に念じていた。耐えろ、耐えろ、耐えろ――

 王政の都市の少年たちに公然と歯向かわれて、絶句しているセレウコスの姿を、ファリザードの肩ごしに見た気がした。


(こいつらは甘やかされすぎなんだ)


 だから、自分の思いどおりにならなければすぐ冷静さを失うんだ。ファリザードにしろセレウコスにしろ。

 ペレウスも、怒りを我慢するよう育てられたとはいえないが、皮肉にもこのイスファハーンに来てからの日々が、ミュケナイの王子にある程度の忍従を教えていた。


 ……実際にはファリザードの怒りは、ヘラス人との結婚話がからんでいるためだが……そこまではかれの知るよしもない。


(サー・ウィリアムはいっていた――)


 (いきどお)って冷静さを失えば、戦士の攻撃力はいったん火のように燃えあがる……ただし、荒れ狂ったぶんだけ体力ははやく尽きるのだと。

 それに、嵐のような手数で攻撃されてはいたが、ペレウスは重圧をさほど感じなかった。ファリザードの打ちこみは速く鋭いが、軽いのだ。体重をのせて打ちこもうにもその体重があまりないから。武器が、触れれば切れるような利刀だったならば、そういう斬撃でも脅威だが……


(本物の刀でなければジン族なんか怖くないぞ。当たったってサー・ウィリアムとの稽古のときほど痛くない)


 恐怖が邪魔しなくなれば、大胆な防御ができた。ペレウスは存分に歩法を発揮して間合いをあやつった。主導権をにぎり、あとは待つだけでよかった。ファリザードの体力が尽きるのを。


 そして、そのときは訪れた。彼女のふるう刀や駆けまわる脚の速さが目にみえて落ちていった。

 ファリザードは焦っていた――これは彼女の知らない戦いだった。これまで疲れるまで戦うことなどなかった。開始直後から、ダマスカス刀で相手の槍の木製の柄を断ち、服ごと相手の皮を薄く切って、戦意喪失させて勝ってきたのだ。それなのに、この異質な相手は斬らせることも、あきらめることも決してなかった。

 とうとう、息を切らしていったん下がろうとした彼女に、ペレウスははじめて片手剣を手に打ちかかった。


 あいにく、かれの打ちこみはやはりお粗末だった。

 ファリザードはとびすさるのをやめ、迎えうった。全身のばねを使うようにして上方を薙ぎ、ペレウスの袈裟斬(けさぎ)りの攻撃を、三日月刀ではねのけた。だが……ペレウスにとって重要なのは、彼女が足を止めていることだけだった。疲労が、ファリザードの足のおもりとなっていた。


 それが決着につながった。


 突進してぐいぐい押しまくり、間近から足をはらってファリザードを転倒させ、三日月刀を盾でおさえつけてのしかかる。それは、やってみればとても簡単なことだった。なにしろ、彼女はとても軽かったから。


 手をとりあってよろこぶ王政都市の少年たちの歓呼がはじける。

 ペレウスは苦しそうに息をつぐファリザードの腹の上にまたがり、勝者の体勢として彼女ののどに片手剣を擬した。

 蜂蜜色の髪をほつれさせたファリザードは、負けたことが信じられないかのように、呆然と下からペレウスを見上げていた。


「あとで、ひとつ聞いてもらうぞ、いうことを」


(検問を受けず、サー・ウィリアムをこの街の外に出すために)


 ペレウスの宣告を聞いてファリザードの表情から血の気がひいた。彼女はくしゃっと顔をゆがめ、唇を開いて震えた声をだした。


「……い……いやだ……そんな条件、呑んでいない……」


「喧嘩を売ってきたのはそっちだろ」


 あえぎまじりに弱々しい声をだす彼女に、ペレウスは強い口調でたたみかけた。

 今日の勝利はあの騎士のおかげだ。かれを無事に逃がすためには、ここで引くわけにはいかなかった。


「一方的に挑戦して侮辱までしてきたくせに、自分が負けたときにはなにも代償を払う気がなかったのか? それこそ恥知らずだろう」


「いや。いや、嫌……ヘラス人のいうことを聞くなんてぜったいに嫌だ……!」


 ファリザードはかたくなに拒絶した。

 水晶のような涙があふれ、目尻から流れはじめた。

 しゃくりあげた彼女の姿にペレウスは驚愕し、困惑した。彼女が自分と同い年の女の子であることを、ミュケナイの王子はとつぜん実感させられた。


(どうしよう)


 彼女と戦ったのは、挑戦されたためであり、ヘラスの誇りのためだった。

 こうして勝者の要求をつきつけているのは、友達のためだ。サー・ウィリアムの安全のための……でも、この子は泣いている……

 さきほどまであった勝利の興奮は、風のまえの霧のように散ってしまっていた。すでに周囲の歓声もやんでいて、あたりには気まずい空気がただよっていた。


「な……泣くなよ。ぼくはべつに――」


 歯切れわるくそう言いかけたとき、ペレウスの横腹を、内臓までひびく衝撃がつらぬいた。


 ファリザードの上からふっとび、わけもわからぬまま苦痛に体を折ってのたうちながら、ペレウスは顔をあげた。


 そこに、ひとりの背の高い男がいた。砂よけのマントを羽織った、褐色の肌のジン族が。


 いや、厳密には、ひとりではない。同じくらい背が高い、武装した五人の兵士たちがそのまわりにつきしたがっていた。鎖かたびらに怪鳥の面頬をつけた者たち。

 横からペレウスの肋骨のあたりを蹴り飛ばしたのは、兵士のだれかだとかれは気づいたが……それにもかかわらず、その場では、ひとりの男が周囲のすべての印象を圧倒していた。


 仔羊毛織(ラムズウール)の赤い胴衣。黒い真珠をはめこんだ耳飾り。金糸銀糸の刺繍でアラベスク紋様を描いた絹の靴。

 ひときわ目立つのは、腰の両側に()いた、きわめて無骨な造りである二本の刀――柄までが黒い鋼でできた、一対のダマスカス刀。


 そいつはペレウスにちらとも目をむけず、少女にむけていった。


「なぜ〈七彩(ハフト・ラング)〉で斬り殺さない、ファリザード。わしは、ちゃんばらごっこのためのおもちゃを与えたつもりはない」


 ファリザードもまた、涙の筋を頬につけたまま、固まっていた。


「お……伯父上……」


「最初に刀を抜いていたのに、後から鞘にしまったそうだな。刃は殺すためにあるのだぞ。おまえも親とおなじで、どうも甘いな。

 イルバルス、その子供の耳をむしれ。ひとつでよかろう」


 一瞬、聞いたことが理解できなかった。

 それから、さきほどペレウスを蹴転がした兵士が大股に近づいてきて、長い指をかれの左耳にからめた――その指には異常な力があった。

 耳が、ハエの羽でもむしるようにやすやすと引きちぎられた。肉が裂ける感触ののち、赤い痛みが脳のすぐ横で炸裂した。


 熱い血が首筋まで濡らしている。イルバルスと呼ばれたジン族の兵が、ぽいと耳を放り出した。ペレウスはそれを見ながら、自分が奇妙に平静であるのを不思議に思った。

 ……平静だと思っただけだった。現実のかれは、叫んでいた。

 ぬるぬるした赤い液体を噴きだす左側頭部をおさえてうずくまり、絶叫していた。


 だれもが言葉を失うなかで、ファリザードの声だけが、ちぢみあがりながらも訴えていた。


「伯父上……そいつは……そいつはわが家の客です、ヘラスの王族のひとりで――」


「だれだろうと、人族だ。高位のジンに手を上げた人族は報いを受けさせるのが古いならわしだ。成人であれば皮を剥ぐが、そうでなければ手を切りとるだけですませる――しかし、おまえのほうからからんだ結果ならば、さらに減じて耳一つが妥当だろう。

 おまえは中途半端な覚悟で勝負をしようとするべきではなかったし、こいつは売られた喧嘩に応じるべきではなかった。それだけだ」


 ふざけるな。どこが妥当だ。

 ペレウスはぎりぎりと歯噛みした――だが、言葉はのどで凍りついて出てこなかった。なにかいえば、こんどはあっさりと殺されるだろうと肌で感じていたから。

 その男が、尋常ではなく怖かった。


「わしは散策している。おまえの父にそう伝えておくがいい」


 とおりすがりに雑用を済ませたといった感じで、兵士をひきつれてその男が去っていく。最後までペレウスのみならずヘラス人たちに一瞥(いちべつ)も与えることはなかった。

 ファリザードが、傷をおさえてうずくまるペレウスの横に来る気配があった。おびえた声がささやいた。


「は……はやく手当てしなければ」


 彼女がペレウスを立たせようとする。

 片耳を失った少年は血まみれの手で、差し出されたファリザードの手を強くふりはらった。


「ぼくに触るな、ジン族め!」


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