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7.はじめての決闘〈上〉

ペレウス、ファリザードの挑戦を受け

ヘラスの名誉のために盾をかまえること

アーダムの子(人間)らは増えすぎる」


 イスファハーン公の館の薄暗い客間にひびく、感情のない低い声。


「それが根本の問題だ、義弟(おとうと)よ。

 かれらは毎年産み、増え、たちまち世代を変えてまた産みはじめる。

 対してわれらジン族は、長く生きるとはいえ、ひとつのつがいが二十年に一度産めばひんぱんなほうだ。『子宮錠(ラヘム・コフル)』の存在ゆえに……もっともそれこそが、ジン族が地上の管理者として人よりすぐれている証でもあるのだが」


 ドーム型の高い天井の下、唐草紋のじゅうたんが敷かれた上でむきあう男たちの陰影――それぞれ長椅子で寝そべるように足をなげだした、ふたりの妖王(マーリド)

 義弟と呼びかけられた影が、ものうげに指摘する。


「しかたあるまい、ホラーサーン公――唯一神の経典が、人族に説いているのだ。

 産めよ、増やせよ、地に満てよと。

 ヴァンダル人の歪んだ教えもわれらの正しき教えも、根元はひとつの経典だ。世界のどこであれ、唯一なる主神は、人族に地上の支配権を与えようと決めたのだよ」


「では、そう決めたとき主神は狂っていたに違いない」


 帝国ではけっして許されないはずの涜神(とくしん)の言葉を平然と吐いたのは、ホラーサーン公と呼ばれたその影である。

 亡き妹の夫であるイスファハーン公に対し、〈(アル・シャムシール)〉は、霜がおりるような声をだした。


「われらは長い命を持つ。われらは経験をたくわえ、われらは賢い。それなのに、ネズミのように考えなしに増えるというだけで、人族がわれらの上に立つのか。

 ばかげている。義弟よ、わしは征服時代の(いにしえ)から生き、人のすべてをじゅうぶんに見とどけた。国また(ほろ)びまた(おこ)り……何度くりかえせば気がすむのか、アーダムの子らは?」


 〈剣〉は手をふった。


「人の発想がときに役に立つのは認める。人族に有用な者、善良な者がいることも認める。

 だが地上の管理者になるには、やつらには致命的な欠陥がある。爆発的に増えることそれ自体だ。しかも短い命ゆえ生きいそぎ、百年単位の視点をもって考えることがほとんどできぬ。

 ひとたび人族にじゅうぶんな土地と食糧を与えてみるがいい。その割り当てが足りなくなるまでやつらはたちまち増える。世界のほかの生き物を滅ぼし、森を切りひらきながら、増えても増えてもまだ増えようとする――そして終末に破滅がやってくる。どの文明も行きつくのはそれだ。『飢饉(ききん)疫病(えきびょう)・戦乱・死』だ。

 人口の限界をむかえて社会を破綻させ、生き延びるために他者をおしのけ、奪い、殺し……まわりをまきこんで荒廃しきってからまた最初からやり直そうとする。こんなやつらを愚劣な種とよばず、なんとよぶ。こたびのヴァンダル人の侵略にも、その人族の宿業が遠因として関わっていることだろう。

 むしろわれわれジン族が、やつらを『管理』してやるべきだ。持ってよい子の数を厳しく定めるべきだ。ホラーサーンのわが領地では人口調節に成功しているぞ、イスファハーン公。わしは厳格さでもって、民に長期間の平和と安寧(あんねい)をさずけたのだ。

 ヘラスやヴァンダルの地にも、帝国がそれをもたらすべきだ。最初だけ炎と剣で征服し、のちには正義と法によって支配する。征服と管理こそが長い目でみたとき、平和につながってゆくだろう」


 ホラーサーン公の声音は淡々としていたが、こゆるぎもしない意志がこもっていた。イスファハーン公は黙って聞いたのち、疲れたようにじぶんの首筋を揉んだ。


「あなたへの恐怖でたもたれる平和と安寧か……人族は自由を求めるぞ、われらジン族とおなじように。

 征服されるヘラス諸都市やヴァンダル人は、帝国に対して最後まで抵抗するだろう。かれらの十字軍に対し、われわれが戦ったように」


「人族にわれらと同じだけの自由を求める資格はない」無造作にかれは口にした。「自由を手にしてよい者は、それを適切にあつかう知恵をもつ者だけだ。人族の好きにさせていれば、この世界はいずれ破綻する」


「……〈剣〉よ、百年以上かけて議論してきたが、あなたと意見をともにすることはできないようだな。わかっていたことだが」


〈剣〉は答えた――無表情に。


「そうだな、われわれはどちらもわかっていたのだ。わたしはおまえと話をしにきたのではない、義弟よ」


「では、あなたは何をしにきたのだ、ホラーサーン公? あなたがわが街に伴ったのは二百騎だが、わたしの聞いた話によれば、三万もの大軍を自領から発して西進させているそうではないか」


「やるべきことをやりにきたのだ。上帝(スルターン)の意を遂行するために。

 最初は、この地の賊の一掃。それから、しぶとくいすわる最後の十字軍国家、アレッポの『聖ゲオルギウス騎士団』なる犬どもの皮を剥ぐ。

 そのあと、ヘラスを踏みつぶす」


  ●   ●   ●   ●   ●


 砂をまいた木立のなかの修練場。

 青空のもと、ファリザードの抜いた黒刀の表面に、火が波打つような紅い刃紋が鮮やかに浮いた。

 その色はたちまち金色に、黄色に、青に、紫に、オレンジ色に、そして純白に移り変わった。


「この刀の名は〈七彩(ハフト・ラング)〉というのだ」


 誇らしげにそれをかかげてみせている少女の前で、ペレウスは走って逃げるべきかどうか思案しはじめている。

 朝起きてからずっと、サー・ウィリアムをどうやって市壁の外に出せばいいのかを考えていた。とりあえず今日も騎士のところにいってみようと決めたところで、ゾバイダが「あの、お嬢様が……」と部屋に呼びにきたのである。

 頭痛を感じながらとりあえず合わせた。


「……きれいな刀だね」


「ふふん、ジン族の技術の粋だ。大地の火で、ダマスカス鋼を七十七夜かけて魔術鍛造したものだ。美しいのは当然として、こいつの価値は切れ味にある」


 その切れ味をぼくで試すつもりか、とペレウスはぞっとしない思いを味わった。相手は気まぐれかつ戦い好きで有名なジン族だ――なにをするかわからない。

 が、セレウコスのとなりにいたヘラス人少年――王政の都市の子がためらいがちに口をだした。


「ペレウス、心配しなくていい。彼女の腕はたしかだ。君を傷つけることはしないよ……」


「どうかな。わたしだって手元が狂うことはある」


 もてあそぶようにそういったファリザードが、「さあ、はじめようか」とペレウスに声をかけた。

 修練場の奥まったところにある、レンガ造りの武具置き小屋を指さしながらいう。


「はやく得物をえらべ。あのなかにはヘラス式の武具もひととおりそろえてある」


(ひどい話がどんどん進行していく)


 ペレウスはげんなりした。これがセレウコスと戦えという話なら、願ってもない復讐の機会とよろこんだかもしれないが、ファリザードを相手にするつもりはなかった。このジンニーアの皮肉、冷笑、さげすみのまなざしにはうんざりしきっていたが、セレウコスに向けているような種類の憎悪は抱いていなかった。彼女はほかのヘラス人にもひとしく意地が悪いことを知っていたので。

 少年は意を決してきっぱりいった。


「断る」


 ファリザードは眉を上げた――それからきゅっと寄せて不快感をしめした。


「……断る?」


「なんだか知らないがいきなり呼びつけて武器をとれだって? ぼくになんの得がある」


「腰抜けめ。得がなければ戦えもしないのか」


 間髪をいれず罵声が飛んでくる。刀を肩にかつぎ、ファリザードは氷結しそうなほどに視線の温度を下げ、さらにつづけて罵ってきた。


「『貴種の恥と民の恥とは平等の重さではない』イブン・アリーがかくいったように、義務と名誉を背負うからには、民の上に立つ者は戦いをおそれてはならず、醜態をさらしてはならず、誇りを墓までひきずっていかねばならない。

 おまえは貴種失格だな、ミュケナイのペレウス。まわりから小便とばかにされるおまえに、恥をそそぐ機会をあたえてやっているのだぞ。わたし相手に善戦できたなら、多少は見なおしてももらえように」


 その言いぐさにさすがにむっとしながらも、ペレウスは(我慢しろ、我慢)と念じた。うっかり乗せられてはたまらない。


「……やりたきゃほかの奴と好きなだけ戦ってくれ。失礼するよ」


 いらいらしながらペレウスはきびすを返そうとした。

 が、舌打ちしたファリザードがいいはなった言葉に足をとめた。


「ヘラス人など全員こんなものか。もういい、どこへでも行け」


「……全員?」


 ペレウスはふりかえってファリザードの顔を見、勢ぞろいしているヘラス人少年たちを見回した。王政都市の少年たちが目を伏せ、ペレウスをいじめてきた民主政都市の少年たちが羞恥をごまかすようににらんでくる。

 まさか、すでにみんな負けたのか。

 ミュケナイの王子の表情に気がついたファリザードが、ふっと美唇を嘲笑にゆがめた。


「そうだ、全員だ。おまえ以外のヘラス人はそれぞれ二回ずつひざまずかせておいた。だれもかれも、焼くまえの練り小麦粉ほどの歯ごたえもなかったぞ。

 あとはおまえだけだ。

 おまえがわずかでも持ちこたえれば、そのがんばりのぶんだけヘラスの名誉が回復されるかもしれないな」


 我慢できなかった。


「……わかった。やる」


 故郷の名誉を守れるなら、やる。


 武器庫にはたしかにとりどりの武器や防具があった――ファールス人の武器はもちろんとして、ヘラス式、驚いたことにヴァンダル式までも。

 かれが鉄板をはった円盾と片手剣のみをもって出てくると、ファリザードがおやといった顔をした。


「ほかの者みたいに槍を選ばないんだな。それに、鎧はつけないのか」


「……鎧をつけていないのはそっちも同じだろう」


 槍は習っていない。というより攻撃の技術そのものをろくに身につけていない。

 なら、まだしも持ち慣れた武器のほうがよかった。

 盾を持ち上げるペレウスをまじまじ見てファリザードが「ふうん」と興味深そうにいった。


「ほかのやつらは刀をみせるとだれしも鎧をとってきたのに。おまえって蛮勇の持ち主か、変わった奴のどっちかだな」


(盾だけで子供にはじゅうぶん疲れる重さなのに、鎧までつけたらへたばっちゃうよ)


 とにかく、サー・ウィリアムとの稽古のときとなるべく同じ条件でやりたかったのだ。

 そうだ、とペレウスはファリザードに話しかけた。


「ぼくが勝ったなら」


「ん?」


「きみになにかひとつ、要求をのんでもらう」


 ペレウスはサー・ウィリアムのことを念頭にそういった。

 あの騎士を市壁の外に無事に逃がすことが、当面の重要事だった。ファリザードの――領主の娘の協力があれば、それはきっと成就するはずだ。

 どうやってそれを行うかは、勝ったあとにゆっくり考えよう。勝てるとすればだが。


 しかし、ペレウスがそういったとたん、少女は過敏な反応をみせた。


「な……なにかって何をだ!」


 身を守るように左手で体を抱き、右手の刀の先を突き出しながら、彼女は後じさった。ファリザードの瞳に怒りと警戒と、わずかにおびえの色が浮いているのをみて、ペレウスはいたく傷ついた。

 セレウコスが鼻にしわをよせ、横から胴間声をはりあげた。


「きさま、下劣な意図でヘラス人の名誉を汚すつもりか!」


 ここにいたって、ペレウスの堪忍袋の緒も切れた。体ごとセレウコスにむきなおって怒声を返す。


「彼女やおまえがなにを誤解したのかだいたい想像がつく、セレウコス。あんたは自分の鏡像にそれをいうがいい。

 そして彼女は疑いなく、ぼくをあんたの同類だと思っているにちがいない。あんたらが娼館通いで、この街でのヘラス人の評判を美しい(、 、 、)ものにしてくれたからな。ご乱行についてはたっぷり耳にしてきたぞ。

 ヘラス人の名誉だと? あんた、よくそんなことがいえるな。その図体でこんな小娘に、それもファールス人に負けておいて!」


 セレウコスの顔がどす黒くなった。かれの顔色に関心はないようだったが、ファリザードもまた、同年齢の少年に小娘といわれたことにむかっ腹を立てたようだった。

 険悪さを増した場の空気をやぶって、ファリザードが低くいった。


「おまえも負ける。すぐに大地に口づけさせてやる」


 彼女は華奢な肩から刀をおろし、だらりと下げた。その足元が浮き、沈み、小さな跳躍を繰り返しはじめた。

 たん、たん、たんと軽やかなリズム――踊るかのような。その高さがしだいに上がり、滞空時間が長くなっていく。


 ペレウスはごくりと固唾を飲んだ。ファリザードの跳躍は人にはありえない種類のものだった。ひざをほとんど曲げずに、半ガズ(メートル)ほども軽々と跳んでいる。

 セレウコスの横の少年が弱々しくペレウスにいった。


「ペレウス……彼女はジン族だ。人より運動能力が高いんだ。それに、あの刀は名だたるダマスカス鋼だし……

 だから、一対一でぼくらが負けても、ヘラスの恥ってわけじゃないと思うよ。もちろんきみが負けたって……」


「ぼくはそうは思わない」ペレウスはぎっと歯をくいしばった。


 書物で読んだことがあった。人の筋肉は重いが、砂漠エルフであるジン族をふくめてエルフ種の筋肉は異常に軽い。だからエルフ種は、人族がけっして実現できないような敏捷(びんしょう)さで駆け回れるのだと。

 しかし、体重の軽さは戦闘において、利点ばかりではないのだとも。


『自分の得意とする戦いに相手を引きこめ』――サー・ウィリアムが口にした教えのひとつが鮮やかによみがえってくる。


(そうします)


 ペレウスは腰を落とし、しっかりと盾をかまえた。

 かれもまた戦闘準備に入ったのをみとどけたとき、ファリザードの跳躍が、高さを誇示するようなものから、低く間隔が短いものに戻って行く――たん、たん、たんたんたんたん――

 そしてつぎの変化は急激だった。姿勢をひくめて縦から横へと、彼女は跳躍を変えた。


(回りこむつもり――)


 そう思ったときには、横から斬撃が降ってきていた。

 驚愕してペレウスは盾で受けた――思考が命じるよりさきに体がおのずと向きをかえて、受けていた。

 意外そうなファリザードの顔が間近にある。ひとつめの横とびをかれが目で追ったとき、すでに彼女はもうひとつ地を蹴っていたと知って、ペレウスはぞっとした。予想よりだいぶ速い。


(あぶなかった。神々よ、ありがとうございます)


 サー・ウィリアムがこの心での感謝をきけば、「おれだ、おれ。礼ならヘラスの神々なんぞではなくおれにいえ。防御や回避が無意識にできるまで体に動きをしみこませてやったのはおれだぞ」と自分を指さして主張したかもしれなかった。

 逃れるように距離をとって離れたかれを、ファリザードが不満げにねめつける。彼女は彼女で、いまの一撃を受けられたことに舌を巻いていた。これまでは、この技を初見の者は例外なくこれで負かしてやれたのに。


「……いまのは寸止めしてやるつもりだったんだから、そう怯えなくてもいいぞ。もっとも、このつぎは保証しないけれど」


 彼女は、優位をしめそうと強いて笑みを浮かべた。


 しかし、ペレウスが剣の平で盾をぺちぺちと叩く挑発をしたため、その笑みはすみやかに消えた。

 うなり、ファリザードはまたも地を蹴った。わずか二回の跳躍で背後にまわりこみ、先ほどよりももっと素早く斬りつける……しかし、今度は予測していたペレウスは、余裕をもって向きを変え、またもしっかり受け止めた。


 それだけでなく踏みこんで盾を押し出し、彼女をはじき返した。


 ファリザードはあわてて左腕で重い盾の直撃をふせいだ。だが軽さゆえに子猫のようにたやすくふっとび、砂を散らして転がった。

 観衆であるヘラス人少年たちが唖然としていた。


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