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3-2.アークスンクル

山の民の貴公子のこと

「俺の名はアークスンクルという。覚えておいてもらおうか」


 ナスリーンの従兄と名乗った青年は、堂々と名を明かした。ペレウスは自分を拉致したアークスンクルを困惑の目で見つめる。


(あの娘の許嫁)


 その言葉を信じるとして……ペレウスはゆっくりと考えを整理する。

 自分は敵を作りたいわけではない。拷問を受けたいわけではもっとない。拉致という粗暴な手段に訴えられたことには腹が立つが、かれらなりの事情があることは痛いほどわかった。なによりペレウス自身も、無事に帰されたと思ったナスリーンが消え失せていることが気に食わなかった。

 暗黒の神の使徒たちよりも山の民のほうに協力したいところである。ペレウスは言葉を選んで、あるていど経緯を明かすことにした。


「……ぼくらは共通の困難に直面したんだ。

 最初、そのナスリーンという人をはじめあなたたちの仲間は、数人でぼくを拉致しようとした。けれど、ホラーサーン将イルバルスに襲撃を受けて、あななたちの仲間はほとんど死んだよ」


 その後に地下の暗黒神の神殿にさまよいこんだことは、試練の核心に関わるため明かすわけにはいかなかったが。


「それを切り抜けて助かったはずの彼女が行方不明と聞いて、とても残念だ。解決に手を貸したいと思う気持ちはある」


 アークスンクルは懐疑的に目を細めていたが、やがて低めた声で言った。


「説明が不足しているな。それだけでは何のことかさっぱりなのだが」


「待ってほしい。ここが問題なんだけど、いまは詳細な事情をどうしても話せない。

 話せばひどい目に合うかもしれないからだ。あんたたちに拷問されるよりずっと不快な目に」


「そいつは思い違いかもしれんぞ」


「アークスンクル」思い切って名を呼んだ。「ぼくはあなたたちがナスリーンを探すのをできる限り助けたいと思っている。だからこういう扱いを受けても譲歩して話している。だが、信じてもらえなければどうしようもない。言っておくけど、ぼくは自分の意思以外では口を開かないぞ」


 堅い決意を押し出すようにペレウスが言うと、アークスンクルは口を閉じた。

 ペレウスを押さえつけている山の民の一人が不満そうに口を挟んだ。アークスンクルと同程度の若い男である。


「いいかげんにしろ、この小僧。捕虜の立場をわきまえろ、どこまで図に乗るつもりだ!

 若、俺たちにこいつを殴らせてください。こういう甘ったれた下界の餓鬼は苦痛を知らないうちは大きな顔をしているものですが、痛めつけてやればすぐに素直になります」


 その侮りに、ペレウスが(やってみるがいいさ)とふたたび意固地に歯を食いしばりかけたとき、


「シャープール、黙れ」


 アークスンクルは一言放って配下を制止した。


「こいつはただの子供ではない。生半可に痛めつける程度ではおそらく逆効果だ。やるならば徹底的にやり、生死の際で朦朧としたところで吐き出させる」


「そんなばかな。どう見てもただの餓鬼ですよ!」


 シャープールが叫んだとたん、別の山の民がシャープールの頬を勢いよく張った。

 若者はふっとんで路上に倒れる。

 殴った男は、「ロスタム殿、餓鬼を押さえていてもらいましょうや」と言い残してシャープールのほうへ歩み寄っていき、顔を押さえてうずくまるかれの腹を強烈に蹴り上げた。


「死にたいか」「若は黙れと言ったろうが」「貴様、若の幼馴染だからといって随従の立場を勘違いしてるだろう」「黙れといわれたら許しがあるまで口を閉じてろ」殺気立った一語ごとに蹴る。髪をつかんで顔を起こさせ、ひざ蹴りを叩きこむ。悲鳴と肉を打つ音が響く。


 残ってペレウスを押さえつけている者が、かれの首をねじまげて、その光景が目に入るようにしている。

 ペレウスは正直なところ、最初こそ体をこわばらせたものの、途中から醒めた気分でそれを見ていた。


 賊の囲みを破って逃げたことがある。ライオンの群れのなかで木に登って耐え続けたことがある。本気のジンと刃を合わせたことがある。グールに食い殺されかけたことがある。〈剣〉を目の前にしたことがある。

 どれもこれも九死に一生を拾ったといっていい場面であった。比べれば、眼前で展開している単純な暴力などしょせんぬるい他人事である。あれが自分に向けられるとしても、どうということはない。痛いことは痛かろう――それだけだ。竜に食われる苦痛の何十分の一かでしかない。

 それに、ペレウスは知っていた。これが真に迫った茶番だということを。


(これってたぶん、ホジャさんが教えてくれたあれだ。怖がらせたい相手を脅かすために侠客(アイヤール)どもがやる常套手段のひとつだ)


 仲間内で呼吸を合わせ、唐突で派手な暴力を見せつける。種を知らない一般人を怯えさせるにはじゅうぶんな芝居であろう。

 が、ペレウスの目にはもはや見世物としか映らなくなっている。街角の猫の喧嘩のほうがお互い本気で引っ掻き合うぶん上等なくらいだった。


「……白けた顔しやがって。相変わらず餓鬼とは思えない腹の据わりようだな」


 ペレウスを押さえつけている男が、自分とペレウス以外には聞こえないほどの小さな声で苦笑した。その声に聞き覚えがある気がして、ペレウスははっと上を見た。

 それはがっしりしたあごに熊ひげを生やした、いかにも戦い慣れした風貌の壮年である。よくよく見たとき、記憶が正答を探りだした。その男とは鳩の塔で……


(この人は、カースィムに雇われていた山の民の指揮官の)


「よう、命知らずの坊や。このたびはすまんね」


 熊ひげはペレウスに向けにやっとしてみせた。その顔が微妙にこわばったのは、アークスンクルがかれらに向けて声を発したときだった。


「ロスタム殿、そいつが気に入っているのだな」


「まあね」


 ロスタムと呼ばれた熊ひげは簡潔に答えて顔をそらす。ペレウスはそこに違和感を覚えた。仲間に対する態度にしては隔意が感じられるような気がしたのである。

 一方のアークスンクルは、ロスタムのぶっきらぼうさをまるで意に介さないようだった。「心配するな。勝手な手出しはしない。こいつはちゃんと叔父御のところまで運ぶさ」とロスタムに言い、かれはペレウスをつくづくと眺めた。その様子は対象を冷徹に分析する学者にも、珍しい動物をわくわくと観察する子供にも見えた。


「うん。よくわかるぞ、ロスタム殿。

 俺もこいつが欲しいなあ。残念だ、こいつが奴隷だったなら好きに仕込んで育てる楽しみがあるんだが。王の近衛にはこういう奴が必要だ」


 それから、


「おまえら、もういい。やめろ無駄だ。

 シャープール、傷を見せろ」


 随従二人を引き離すと、治癒石と同じ効果のある手でかれはシャープールの怪我に触れていった。


「全部は治りきらんな。あとでもう一度治療してやる。

 シャープール、いまにわかる。この小僧の目の奥には火がある、俺と同じようにな。

 さあ、留まるのは終わりだ。このまま街道を行けば白羊族が追ってくるだろう。あるいはイスファハーン公家軍の一部が来るかもしれん。

 街道を捨てるぞ」


………………………………

………………

……


 昼が過ぎてゆく。ロバの鞍にまたがって、ペレウスは原野を北、つまりアルボルズ山脈の方向へ運ばれていた。

 鞍の上で揺られながらペレウスは熟考する。


(とにかく、胸に“鍵”の短刀を刺せばそれで終わるんだ)


(アークスンクルと取引するしかない。竜の試練のことは伏せたままで)


(「ひとつのことだけを許可してくれたらすべて話す」と言おう。

 まず「あなたがぼくから取った短刀を返してくれ」と、

 次に「胸に刺すのを黙って見ていてくれ」

 「生きていれば、その後で事情を残らず話す」と)


 もちろん、この言い方で相手が納得するわけがない。やっぱり気違いだったと思われるのが落ちである。


(短刀を返してくれとだけ言うべきだな。その言い方が問題なんだ)


 率直に頼んでみようかとペレウスはロバを牽く者を見た。

 くつわをとってロバを牽くのはアークスンクル自身であり、傍目には厚遇されているように見えるであろう。

 実際、虜囚に対するものとしては厚遇の部類である。口をあまり開かない部下たちと違い、アークスンクルはペレウスに気軽に話しかけ、かれの身に対する気遣いすら見せてくる。


「風が強いな。首に巻いていろ」


 突如そう言ってアークスンクルがよこしてきた黒貂(クロテン)の毛皮の襟巻きは、それまでペレウスが触れたどんな毛皮よりも柔らかく暖かかった。


「暖かいだろう。はるか北、サカーリバ(スラブ)人の土地で獲れた黒貂だ。

 その土地の冬の寒さは尋常ではなく、深く息を吸えば肺が凍るので人はみな浅くせわしない呼吸をしているという。そんな土地だから獣の毛も長く伸び、最上質の毛皮となるわけだ。象が毛の生えた姿で土の中から出てくることもあるというぞ」


「それ、嘘を混ぜてない?」襟巻きにあごを埋めながらペレウスは半信半疑で聞いたが、


「そんなことはない。すべて事実だぞ。

 さらに北では夜になると光の幕が垂れる。虹よりずっと大きく布のようで、サカーリバ人はそれを星の精霊が天に洗濯物を広げているのだと言っている。しがみつけば精霊が洗濯物を回収するときに一緒に天に上れるらしい。

 もっともそうやって天に上ったところで、洗濯物に南京虫がくっついていると間違われて星の精霊につぶされるのではないかと思うがな」


「やっぱりほら話じゃないか」


 そう言いつつも、ペレウスは不覚にも頬をゆるめてしまった。


(話が面白いのが困る)


 サー・ウィリアムの騎士物語を夢中で聞き入った過去があるように、ペレウスはこういう話はもともと好きなのである。それにアークスンクルの語り口には軽妙な諧謔(ユーモア)があった。

 くすりと少年が浮かべた微笑に、アークスンクルがにやりとする。


「信じていないようだが、サカーリバ人に会ったら聞いてみるがいい。サカーリバ人の奴隷はこのあたりには多いから……」


 ぱきっと乾いた音がして、その言葉が途中で切れた。

 アークスンクルが立ち止まって足元を見下ろしている。ペレウスはかれが何を踏んだのか気になり、鞍から身を乗り出した。

 青年の足元に踏みつけられているものは、どう見ても骨だった。


「人骨だな。処刑場か」アークスンクルの言葉に、ペレウスはあわてて辺りを見た。


 二本の隣り合う木が立っている場所だった。木の周辺に白骨が散らばっていなければ、なんの変哲もない草原の一角と見えたことだろう。

 木のてっぺんのほうにはそれぞれ一本ずつ、脚の骨とわかる長い骨が縄でくくりつけられていた。


「遊牧の民グッズ人どもがやった罪人処刑の痕だな」


 アークスンクルはふたたび歩き出しながら、骨を凝視しているペレウスに説明してきた。


「向かい合う二本の木を投石機のように弓なりにたわめて縄でその状態を保持する。罪人の片足ずつを(こずえ)に縛りつけてから、木をたわめ置く縄を切る。

 木がそれぞれ反対方向へといきおいよく戻り、罪人は股から真っ二つというわけだ」


 克明な説明を受けてペレウスは引いた。

 死骸は死んでだいぶたっており肉は残っておらず、処刑時の酸鼻さが薄れていることだけが救いだった。


(そんな野蛮な人種がこの原野にはいるのか……)


「ちなみに、おまえが懇意にしている白羊族もグッズ人の一部族だぞ」


 ペレウスの表情が嫌悪から狼狽へと変わる。それを一瞥して、アークスンクルは見透かした笑みをふっと浮かべた。まるで心中を読んでいるかのように。


「どうもおまえたちヘラス人は異文化をたやすく蛮習と決めつける傾向があるな。

 どの民族にも残酷な拷問や処刑は文化として存在する。ヘラスの神話にも八つ裂きや、体を引っ張って殺す話が出てくる。ヘラスの歴史を見れば拷問で死んだ者も少なからずいるではないか。

 ちなみにこの面では、われら山の民の文化も独特なものがある。山に着くまでに強情を張らずにおまえの隠していることすべてを教えてくれれば、おまえにその『文化』を味わわせずに済むのだがな」


 さらりと脅しをかけてきたアークスンクルに対し、ペレウスは眉を寄せて言い返そうとしたが、


「できれば真っ当な歓待の文化のほうを味わっていってほしいものだ。

 今回のことが無事に片づけばおまえを友人として扱うぞ。かまわないな?」


 脅しをかけた舌の根もかわかぬうちににこにこと好意の笑みをアークスンクルは向けてくる。

 反発心を殺がれ、ペレウスはため息をついた。

 その性格にごく自然に親切さと残酷さを同居させた、鷹揚(おうよう)で気まぐれな貴公子――アークスンクルという青年は人を翻弄する才能に長けているようだった。


(母上や“虚偽”にも似たところがある。こういう人たちは苦手だな)


 威圧的に出られるだけならばどこまでも耐えられるが、本物の好意を織りまぜられると対応に困る。


「俺をやりにくい相手だと思っているな」


 ペレウスはびくっと背筋を伸ばして硬直した。内心を読まれるのはこれで二度目である。


「な、なんで、さっきから」


「なんでわかるって? おまえがいちいち俺の従妹と似たような反応をするからさ。それに気づいたら、思考が手に取るようにわかりだした。

 おまえやナスリーンは魂の土台がまっすぐすぎる人間だ。他人のことまでしょいこんで損をする性格で、俺はそういう者がとても好きだ。俺からしたら相性のいい相手だからな」


「……あまり嬉しくないよ」


「余計なお世話だろうが、ナスリーンにした忠告をおまえにも贈ろう。世の中を渡っていくならもう少しあくどさを身につけることだ。人の弱みにつけこみ、上手に嘘をつき、本心を隠せ。特に人の上に立つならば、そのやり方をもっと知っておけ。

 さもなくば、おまえら徹底しすぎた善人の行き着くところは悪人と同じだ――往々(おうおう)にしてこういう死に方だぞ」


 アークスンクルは小枝でも蹴るように足元の骨を蹴った。罪人とはいえ死者を冒涜しているのだが、その動作があまりに平然としているのでかえって嫌味を感じさせない。

 ついペレウスは訊いた。


「その忠告、ナスリーンは……」


「はねのけたな。あいつは俺の言うことを意地を張って拒もうとする傾向がある。

 いじめがいがあるから俺としてはそれでもいいが」


 嗜虐趣味丸出しの返答が返ってくる。なんだか急にナスリーンに同情を覚え、ペレウスは話題を転換した。ひそかに気になったことである。


「……ところで、さっきあなたはヘラスの神話や歴史のことを口にしたけれど」


「星見の塔の書庫には大陸じゅうの書物が蔵されてある」こともなげにアークスンクルが答える。「俺の家庭教師のひとりにヘラス人がいたおかげで、ヘラスの本も読めるのだ」


 そこへ、殴られて腫れた顔の青年――シャープールが、聞きつけて言葉を添えてきた。我が事のように自慢気に。


「若は読書家だぞ。だれも読めない遠国の本を片端から読むんだ。歴史、地理学、天文学、医学、なんだって読んでる」


 ペレウスは興味がさらに強まるのを感じた。とうに悟っていたことではあったが、かれを拉致した青年は無教養な輩ではまったくないようだった。好奇心のまま問いを発する。


「あなたはどういう身分なんだ、アークスンクル。

 ナスリーンの従兄で婚約者だというのは聞いたけれど」


 そこで意外なことにペレウスは、アークスンクルが躊躇する表情になるのを見た。

 しかし、アークスンクルがなにか言う前に、主の顔色を読まなかったシャープールがまた調子よく胸を張った。


「どんな身分だって? 若こそは山の王だぞ。

 俺たち全員の主君なんだ」


 その言葉の直後、かれは冷笑混じりの横槍を受けることとなった


「おい、でたらめはやめてもらいたいな。小さな客人が信じちまうぜ」


 冷ややかに訂正したのはロスタムだった。


「山の王はナスリーン様のお父上シールクー様さ、坊や」


 とたんに、他の山の民がたちまちロスタムを取り囲んだ。アークスンクル本人以外の三人である。

 三人のうち、シャープールを先刻殴った目つきの鋭い男が率先を切った。


「困ったねえ……われらと行動を共にするからには、よけいな挑発をしないでもらいたいと申し上げたはずですがね、ロスタム殿」


 ロスタムは熊ひげを撫でて悠然と返した。


「仕事してるだけさ。

 俺はシールクー様の命令であんたらについてる目付だからな。山にとってためにならん言動を見せたら掣肘するのが役割だよ」


「我々がいつそんな言動を見せたと言うんだ?」


「おお、面の皮が厚いねえ。アークスンクル殿が山の王だなどと外の人間に触れこむんじゃねえってことだよ」


 両者の予想を超えて険悪な空気に、ペレウスは驚きつつも固唾を呑んで見入った。


(同じ山岳民でも、一枚岩じゃないんだな)


 どうやらアークスンクルの一団は、ロスタムの属する集団とは敵対しているようである。かれらを結びつけているのは、ナスリーンを探すという一点のみであるらしかった。

 唇を歪めたロスタムがなおも言い続ける。


「シールクー様が王位について長らくたってんだぜ。その権威をないがしろにするってのはいただけない。ああ、いただけないね。そっちの主張は王位僭称(せんしょう)そのものだ。一言言わずにゃおけないね」


「ぺっ、寝ぼけたことを言いやがって」三人のうちもっとも若いシャープールが逆上の声を上ずらせた。「ちょうどいい、ここではっきりさせてやらあ。若のお父上の先王が弟のシールクー殿に王位を伝えたのは、そのとき若がまだ幼かったからだぜ。前年、若が立派に成人したときに、シールクー殿は王位を返すべきだったんだ。それが筋ってもんだろうぜ」


「立派に、立派にねえ! 下界に王国を拡大するべきだなんて血迷ったこと言い出すお方が、まともに成長したって言えるのかね。そんな奴を王位につけたら血の川が流れる。シールクー様が玉座を守っておくのは民の平和のためだぜ」


「貴様」


 とうとうシャープールが剣を抜いた――かに見えた瞬間、アークスンクルの長鞭が横から伸びて剣を鋭く打ちすえ、はたき落とした。


「わ、若……」


「剣を抜くのは俺が命じたときだけにしろ、シャープール。それと、山の王うんぬんもいまは口にするな。囲みを解け」


 アークスンクルの物言いはずしりと重みをもって抑えつけるようだった。三人が黙ってロスタムへの囲みを解く。アークスンクルはついで「ロスタム殿」と呼んだ。


「協力してナスリーンを探すあいだは王位継承論争は棚上げにするということで俺は叔父と合意している。ここで争うつもりはない、わかっていただけような」


 ロスタムは慇懃に頭を下げる……眼差しは相変わらず危険な相手を警戒するものだったが。


「わかりましたとも。こちらも礼を失しておりましたよ」


 一幕のあと、一行はふたたび歩き出す。

 気まずい沈黙のまま少し行ったところで、ペレウスは今度は自分からアークスンクルに話しかけた。ただし、間近にいるかれのみに聞こえるようなささやきで。


「アークスンクル。ぼくが連れて行かれる『山の王の御前』というのは、あなたの叔父君の前?」


 危険な問いだったが、アークスンクルは振り向きもせず淡々と答えた。


「そうだ。叔父と俺とが尋問の場に両方そろうのだ」


「あ……どちらが山の王であるにせよ『王の御前』ということになるんだ」


「そういうことだな」アークスンクルはうなずいた。「さっき聞いただろう? 叔父とは意見の対立があるが、ナスリーンの件では協力しあうことにしたのだ」


「でも……わからないんだけど。ちょっと大仰すぎやしないか?

 ぼくがナスリーンの情報を持っているからといっても、ぼくをわざわざ山まで連れて行くだなんて。ぼくに拷問するくらいあなたたちだけで、そこらへんででもできそうな……してほしいわけじゃないけど」


「むろん大仰すぎるとも。ばかばかしい。非効率的だ。

 だが休戦中とあって、俺は叔父の面子に配慮せねばならんのだ。

 『そのペレウスという子供が下界の立場ある者ならば、あまり無礼なことをするな。まして殺したりは絶対にするな、まず連れてこい』というのが叔父の注文でな。俺がその注文を無視して自分たちだけで解決しようとすれば、叔父よりも叔父のまわりにいる者たちが騒ぎ立てるだろう。あのロスタムのように、俺を伝統の破壊者として憎む者たちが」


 本音を言えば、さっさと情報を搾りとってナスリーンを探したいのだがな、とアークスンクルは平坦な声で言う。

 またも拷問を匂わせる言葉であったが、ペレウスは別の意味で戸惑った。


「なんで、そこまで実情を詳細に教えてくれる?」


 アークスンクルのような油断のならない人間は、どこまでも本音を隠すものだと思っていたのに。

 突如としてアークスンクルはペレウスをふりむいた。


「なぜなら、ここまでの道のりで気づいたからだ。

 おまえのような人間を味方につけるにはこのやり方がもっとも効果的だろうと。嘘偽りなく、真心で接するしかなさそうだと」


 激情の片鱗がはじめて声に宿った。


「おまえは拷問が効きにくい型の人間だ。かえって時間がかかるだろう。

 ならば少しでも時間を短縮するためには、おまえを取り込むほうが得策だ。

 ミュケナイのペレウスよ、従妹の行方につながる情報を教えてくれ。すべての無礼は謝罪する。

 平和裏に速やかに情報を渡してくれるならば、俺はおまえに深く感謝する。これより以後、おまえがわが力を必要としたときには友人として可能なかぎり助けよう。

 頼む」


 いきなり下手に出られてペレウスはうろたえた。


「え、いや……」


 意味もなくつい目を横向けてしまう。

 むろんこちらも取り引きを持ちかけようと思っていたので、申し出は願ったり叶ったりである。ただ、アークスンクルが態度をころころと変えてくるので対応が遅れたのだ。おそらく、これはかれの手管なのだろう。


(やっぱり、この男は苦手だ)


 そう思いつつも、ペレウスは承諾のため口を開きかけ――横に流していた目が、ぴたりと止まった。


 視界の端の丘、まだまだ遠いが、こちらを目がけて馬を走らせてくる一騎があったのである。

 固まっていると、じきに山の民たちも気づき、「なんだ。こっち来るぞ」とざわめきはじめた。

 しだいに近づいてくる姿が大きくなるにつれ、ざわめきはいよいよ大きくなった。なぜなら、


「おい……あの騎馬を見ろ。人を二人ほど追走させているぜ」


「よく見ろ。後ろの二人は手枷はめられて鞍とつながれてるぞ。ありゃ半分引きずられてるんだ」


 じっと観察していたアークスンクルが言った。「奴隷だな。ああも虐待することはあるまいに」

 その者たちの顔が判別できる距離まで近づいたとき、ペレウスは目を瞠り、まぶたをついこすった。

 やってくる騎馬の男の後ろで、半死半生の様で呼吸を荒げている二人に見覚えがあったのだ。


「クラテロス。リュシマコス」


 ――都市テーバイの代表クラテロス。都市オリュンピアの代表リュシマコス。

 探していたヘラス少年使節たちのうち二人であった。


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