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6.転機

迷える騎士サー・ウィリアム過去の一部を語り、

ペレウス、ファリザードに目をつけられるのこと

 ひざまずいて頭をたれる群衆の前を、伯父の軍勢が行進してくるのをみて、ファリザードは決心した。


(隠れよう)


 ジンでありイスファハーン公の娘であるファリザードは、むろんひざまずく必要はない。だが、周囲の者たちが身を縮めるなかでひとり立っていれば、すぐみつかってしまう。そうすれば、「なぜおまえは伴をつれずこんなところにいる、ファリザード」と、伯父はあの凍てついた刃のようないつもの雰囲気で問いただしてくるだろう。

 ホラーサーン公は、義弟であるイスファハーン公とまったくちがい、ジン族と人族が親しくまじわることをけっして喜ばない。「わたしは顔見知りの領民たちの店で買い物をするのが趣味なのです」などといえるわけがなかった。


 こっそり館にもどろうと身を返しかけたとき、ファリザードの目に珍妙な光景がとびこんできた。

 小さなサルが屋台の柱にとりつき、横にたちどまったひとりの通行人のふところに手をつっこんでいた。宝石をあしらった短剣を抜き出そうとしている。男は軍勢の行進のほうに心を奪われており、サルに短剣を盗まれようとしていることに気がついていない。

 ファリザードは顔をしかめた。彼女の父の領地で、ささやかとはいえあきらかな不法行為が白昼堂々とおこなわれている。


「あの小猿はなに?」


 果物屋の老爺が頭をかいてため息をついた。


「じつは、前からあの手合いが出没しておりまして……獣をしこんで、すりを働かせるんですな。なげかわしいことですが、その、狙われるのは礼拝の時間のとき拝跪(はいき)していない不信心者が多かったもので、ついつい放っておりました」


「でも、今回は不信心者への盗みではない。見逃してやる理由がない」


 不愉快そうにファリザードはつぶやいた。近いうちに館の衛兵を派遣して、本格的にサルの主をつきとめて裁く必要がありそうだった。

 だがそのとき、影が電光のごとき速さで空から地へつっこんできた。


 タカの急降下に、ファリザードをふくめ、みなが息をのんだ――サルが驚いて短剣をはなし、逃げようとして背をむけるかむけないかのうちに、タカの爪はその獣をとらえていた。暴れるサルを地におさえこみ、翼をおおうようにかぶせて、猛禽(もうきん)は殺しの爪をぐっと握りこんだ。


 骨がぱきぱきと折れる音――断末魔の痙攣とともにぐったりしたサルをひっつかんで、大きなタカは勝ち誇るように力強く宙にまいあがった。

 ファリザードは嘆息した。罰を受けるべきは、あんなことを教えこんだ飼い主であって、あの哀れな動物ではなかった。タカは屋根のひとつにサルをはこび、捕食の「食」の段階にうつるべく、その死体をあらためて足でおさえつけた。

 肉が引き裂かれる光景をみるにしのびず顔をそらしたとき、ファリザードはまたも予想外のものを……相手をみた。


(あいつは)


 あの恥さらしのヘラス人王族、ペレウスが路上にいた。かれはぼけっと突っ立って、屋根の上のタカをみつめている。


(あの馬鹿もの、何やって……)


 その立つ位置がまずかった。軍勢がいましもかれの立つ区画に踏み込もうとしており、かれの周囲の人間はひざまずこうとしている。かれの姿はいやでも目立つことになっていた。

 伯父御はあいつを問題にするだろうか、とファリザードは気を揉んだ。〈剣〉は、容赦のなさと厳格さにかけては、ほかのジンの追随を許さない。


 あんなやつでも、彼女の家の食客だ。なにより、殺されるのはさすがに寝覚めが悪い。もう眼前で死をみたくなかった。

 だからといって、わざわざそばにいって声をかけてやったり、伯父の軍勢に「そいつを殺さないで」といってやる気にはなれなかった。

 どうせ、あの少年、今日もまた遊びまわっていたのだろう。せっかく忘れていられたヘラス人への嫌悪感がよみがえってくる。


(あんなやつを救うには、これでじゅうぶん)


 ファリザードは、手にしていた食べかけの桃をかれに投げた。

 熟れた桃はかれの頭に当たってつぶれるだろう。かれが果汁にまみれた愕然とした顔でこっちを向いたら、さしまねいてやる。ファリザードが行くのではなく、かれが来るべきだ。

 少年が生意気にも怒ってこちらに来たとき、状況を教えてやるつもりだった。思いきりさげすんだ表情と口調で。


 ところが、想定した状況は起こらなかった。


 その少年は、ファリザードがけっして予想しなかったことに、きわめて機敏に反応した。自分への攻撃を鋭く感じとってか、即座に桃の飛んでくるほうに顔をむけたのである。

 それだけでも意表をつかれたが、かれのつぎの行動は、ファリザードの目をさらに丸くさせた。

 ペレウスは一瞬で、左足を軸に体を回転させ、盾で防ごうとするかのように左腕をかかげ――飛んできた桃を反射的につかんだのだ。


 クズリという獣が、後ろにまわりこもうとする敵に鼻面を向けるときの動き。それに似た俊敏な、防御の身ごなしだった。


 果物を投げたのがファリザードだと気づくや、ペレウスは、きっとばかりにこちらをにらんできた。そして手の中のかじりかけの桃に目をおとし、いきなりそれを投げた。

 ファリザードに投げかえすのではない。いましもサルの肉をついばもうとしていたタカに投げた。


 猛禽は驚き、つかんでいた獲物を離して舞い上がった。怒りの鳴き声が降ってくる中で、サルの体が屋根のふちからずり落ちた。突如として、ひとりの乞食が路地裏からとびだしてくるや、死体を抱きあげ、身を返して出てきた路地裏に消えていった。

 呆然として、そのサルの飼い主であろう乞食を目で追おうとしていたファリザードは、はっとしてペレウスに視線をもどした。


 その少年の姿も、すでにかき失せていた。黙々と軍勢が通ってゆく街路の両端には、ひざまずくファールス人たちがいるばかりである。


「……ふうん?」


 ファリザードは自身も屋台の裏にかくれながら、手についていた桃の汁をぺろりと舐めた。


「武芸の心得、あったんだ」


 金の瞳が、ほそまりながら物騒に輝く。

 食う肉もないとうかつにも捨ておいていた小さな虫が、じつは丸々太った美味しそうな獲物だったと再発見した、豹の子の目。


  ●   ●   ●   ●   ●


「エル・シッドがおれの命令なしで勝手に盗もうとしたのははじめてだった」


 神殿に戻り、冷えた火鉢をはさんで二人して腰かけていた。

 小さな死骸を胸に抱いてゆっくり撫でながら、騎士は呆けたようにぼそぼそしゃべっていた。


「こいつは、いままでの盗みから学びとって、価値のありそうなものを持ってくればおれが喜ぶと知っていたんだろう。

 まったく、利口なのか馬鹿なのかわからねえなあ。この馬鹿め、軍勢行進で鐘が鳴って人々がひざまずくのを、いつも盗みをやってた礼拝の時間と混同したんだ」


「サー・ウィリアム……」のどがつまったような声で、ペレウスはかれに話しかけた。「エル・シッドを、埋めてあげましょう」


「そうだなあ……こいつは三年もおれの盗みの相棒で、話し相手で、従士で、友達だった。おれの国だと友達が死んだら葬ってやって、祈るんだ」


「ぼくの国でも。たぶん、どこでもそうですよ」


 泣き笑いのようにぎこちなくゆがんだ表情をつくり、ペレウスはうなずいた。かれも悲しかった。その小さなサルは、ペレウスにもだんだんなついて、少年の手から食べ物を受け取るようになっていたから。


 ……神殿の裏に出て、砂利っぽい土を、割れた青銅の壺のかけらをつかって堀りかえす。墓穴に、エル・シッドの体を横たえて埋め戻し、死骸が掘り返されないよう大きな石を上においた。

 祈りをささげた――ヘラスとアングル、それぞれの地のやり方で。

 それが終わると、一気に虚脱したようにサー・ウィリアムは肩を落とし、「潮時だ」ともらした。


「この街にいるのは潮時だ。エル・シッドがいなきゃ、おれは食っていけない」


「……ぼくが授業料を払いますよ、いままでのぶんも含めてきちんと」


 できるかどうかわからないが、なんとかして金を稼いでみよう。

 少なくとも、ヴァンダル人であるせいで表立って働くことすらできないサー・ウィリアムより、ペレウスは立場的に恵まれている。

 だが、サー・ウィリアムは力なく首をふった。


「だめだ。なぜ使節が、日々の食糧や金をそこまでして手に入れようとするのかと、ファールス人に怪しまれるに決まっている。

 ヴァンダル人とつながりがあると知られれば、おまえにも、おまえの国にもまずいことになりかねないぞ」


 自分の身だけならともかく、故国のことをもちだされるとなにもいえない。


「じゃあ……じゃあお別れですか、エル・シッドだけでなく、あなたとも」鼻がつまる。この人たちはぼくの友達だったんだ、とペレウスははっきり悟った。身を切られるように辛かった。この街では、ほかに友達はゾバイダだけだったから。


「街から出るのを手伝うという約束でしたよね。ぼくは何をすればいいんですか?」


「いや、ペレウス、その約束はそれほど本気でいっていたわけじゃない。心配せずとも、おれは自分で――」


「盗みの相棒でこそありませんでしたが」ペレウスは強い口調でさえぎった。「ぼくはエル・シッドとおなじくあなたの話し相手で、従士で、それにちょっとは友人みたいなところがあったと自負していますよ。お別れのときくらい手伝わせてください」


 騎士は、鈍い動きで首をまわして少年をみつめた。ややあって「わかった。具体的なことはそのうち頼もう」と、かれはいった。

 ペレウスは話題を変えた。


「……あなたは、やっぱり、傭兵なんですか?」


「……ちがう、騎士だ。この地にきたいちばんの理由は、求め探すものがあったからだが、十字軍に参加することが騎士としての誉れでもあったからだ……くそったれ、雄々しく戦って、負けたときは死ねばよいだけだと思っていたのに」


 その騎士は両こぶしをにぎりしめて独白した。

「折があれば話す」と以前、サー・ウィリアムがいっていたことをペレウスは思い出した。どうやら、いまがその折だとかれは判断したようであった。


「戦うだけであれば、簡単だったんだ。だが、戦い続けるためには金と食糧が必要だった。

 故国は遠すぎる。食糧なんぞ運んでこれないし、無理に運ぼうとするとどんどん出費がかさむ。背後のヘラス人が援助してくれたのは最初だけで、たちまちそれは打ち切られた。傭兵どもに払う給金が尽き、部下や馬に食わせる糧秣すら尽きた。

 だから、敵から奪ってすべて満たそうということになった。気づけば軍のすべてが盗賊になっていた。ファールス人の町や集落を襲い、掠奪で食っていくことしか考えなくなっていた……敵の民を拉致して奴隷商人に売って金をつくることだけはするまいと思っていたのに、王たち自身が率先してそれをやりやがった。上が腐って、下がそうならないと思うか?

 おれの従士までが……たまたま道で行き会ったファールス女が美しかったからという理由でレディをさらって慰み、そののち小づかいかせぎに奴隷として売りとばしていやがった。それを知ったとき、おれはやつをたたき斬って軍を出た。エル・シッドを市で買ったのはあのときのことだった」


 ペレウスは(あなたたち最初から来るべきではなかったですね)と感じたが、きつい言葉を口にはしなかった。かれはもうじゅうぶんに傷ついているから。

 それに、話を聞くかぎりヘラスにも失態はあった。中途半端な援助など最初から一切せず、十字軍などやめろとかれらを教え諭すべきだったのだ。……どうせ、いつものごとく、ヘラスの諸都市のどこかが勝手にやったのだろうけれど……


「前に、剣をとれば敵にはけっして哀れみをかけるなといったな。あれは取り消す。

 それで十字軍が哀れみを忘れた結末が、あの極悪非道だったならば……おまえのありようこそが正しいのかもしれん、甘いペレウス」


「……この街を出て行ったあと、アングルの国に戻るんですか?」


「故国にはまだ戻れないんだ」


 サー・ウィリアムは、軋むようなうめきじみた言葉をもらした。


「帰るのがいちばんいいとはわかってるんだ。度を越した蛮行で、この地においておれたちは忌まれる者になっている。とどまりたくなんてないよ、おれだって。

 だが、いまさら引き上げられない。わが血筋にかかった呪いを解かねばならん。どうしてもここにいなきゃならんのだ」


 妙なことをぶつぶついいだしたかれに問いただすのははばかられ、ペレウスは続きを待った。だが、騎士はそれ以上しゃべろうとしなかった。


  ●   ●   ●   ●   ●


 翌日の昼前。

 イスファハーン公の館――庭園の修練場。


 なんでこんな状況に、とペレウスは立ち尽くしていた。汗がにじむ。涼しい風がこずえを揺らす本日は、さほど暑くはないのに。


(なぜだ!?)


 円形の修練場をとりかこんでほかのヘラス人少年たちが勢ぞろいしている。

 その前で、ファールス人少年の着るような服を身につけたファリザードが、ひざの腱をのばして準備運動を丹念におこなっていた。

 幼いジンニーアの生命力あふれる肢体が、柔軟にたわみ、曲げられ、伸ばされている。


 端麗な面をペレウスに向け、長い耳をぴくぴく上下させ、彼女は笑った――挑戦的に。


「好きな武器をとれ」


キュウリは中東では果物の一種だったりします。

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