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EX1.小夜の寝覚め

これは番外編として本編とは別に連載していたのですが、感想欄やWEB拍手感想で「本編とまとめたほうがよい」と複数の要望が寄せられたためこのたび本編に統合することにしました。


主にラブコメです。微妙に変態ちっくだったりするので、お色気や恋愛強めの話が苦手な方はご遠慮ください。


●このEX1は、本編第18話「奔流〈下〉」と第19話「ふたり旅」のあいだのお話です。

 ジン族の大貴族の娘、ファリザードは薄目をあけた。


 意識がもどったとき彼女に最初に見えたものは、闇だった。

 小麦色肌の美貌のなかで、琥珀のような金の瞳がぼんやりと焦点をさまよわせる。十二歳の少女は、半醒状態で疑問をいだいた。


(ここは……どこ? なんで前がみえないの?)


 ただ暗い場所というだけならば、彼女の視界はさほどさまたげられないはずだ。

 人族からは「ダークエルフ」「砂漠エルフ」とも呼ばれるジン族は、もともと夜に順応した種族だったのだから。酷暑の昼間をさけて活動する、砂漠のほかの夜行性の動物とおなじように。

 つぎに知覚したのは、床の冷たさであった。よこたわっている岩肌の感触はごつごつした氷も同然で、骨まで冷えがしみてくる。明け方の砂漠は寒い――ファリザードは尖った長い耳をぶるっと震わせた。

 けれど肌に触れてくるのは、岩と冴えた夜気ばかりではなかった。

 ぬくもりをもった何かがファリザードのきゃしゃな肢体に寄り添っている。


(温かいな……そうか、なにか目の前にあるから見えないんだ……)


 とろとろと夢ごこちで、唯一のぬくもりにもっとくっつこうと肌身をすりよせ――ファリザードは気がついた。

 これは生命のぬくみだ。人肌だ。


(あれ、……え、)


 もやが晴れるように眠気が急速に減退していく――少女は状況を確認しようと顔をうわむけた。

 まぶたを閉じたペレウスの顔があった。

 片耳をちぎられた少年――同い年の、異文明の地ヘラスの王子――かれの女の子のように整った白皙の顔は、起きているときには強情そうに食いしばっている唇をゆるませている。その唇がファリザードのそれにかするほどの至近距離で、ペレウスは浅い寝息をたてていた。


 腰布を巻いただけの裸のペレウスに添い寝されており、かれの腕がファリザードの繊美な胴にまわされている。

 そしてファリザード自身も一糸まとわぬ姿で、美しくつやめいた褐色肌が余すところなくあらわになっていた。


「――――~~~~!!?」


“少年に裸で抱きしめられて、その胸に顔をうずめていた”ことを認識したとたん思考が飛び散った。

 反射的に背をそらしてファリザードはのけぞりかけた。だが意外にしっかり腕にかかえられていて身を離せなかった――彼女の狼狽の挙措で、ペレウスがぱちりと目を開けた。


「起きたんだ……ファリザード」


「お、おまえ、なんだこれっ……どういう……」


「大きな声をあげるんじゃない。あの賊たちはきっとぼくらを探している。川からはだいぶ離れたつもりだけど、こうしているいまも斥候がそばにきているかもしれない」


 はりつめた危機感がかれの口調にはある。はっと記憶がよみがえり、ファリザードは青ざめた。

 そうだ。砂漠の賊に襲われたのだ。ファリザードの一行は眼前のこの少年以外、全員が殺された。ペレウスが助けてくれなければ、彼女自身もどんなひどいことになっていたかわからなかった。

 短めのはちみつ色の髪をかれの鼻先で振るように、首をすばやくまわしてファリザードは周囲をみてとった。

 壁も天井もごつごつした岩であるところからして、洞窟内だろう。すこし離れたところに、ファリザードの愛馬である黎明(サハール)号が腹ばいに寝そべっていた。彼女の視線をたどったペレウスが「黎明に礼をいうんだね」と告げた。


「そのかしこい馬がいなければ、ぼくらふたりともいまごろ川に流されるまま冥界に下っていた。

 黎明は、ぼくらがとびこんだあの濁流が勢いを弱める場所にきたとき、必死に泳いでぼくらを対岸にとどけてくれたんだよ。そのあとぼくがきみを連れてこの洞窟まで逃げてこれたのも、黎明が疲弊をいとわず走ってくれたからだ。いまはさすがにへばってるけど」


「お……おぼえてないぞ。川に入って水を飲んだあたりから」


「それはそうだ。きみは完全に溺れていた。

 応急処置で心臓はすぐ動いてくれたけれど、手足がすっかり冷たくなっていて、ここに運び入れたときは意識がないまま震えはじめていたんだ」


 はなはだしい疲労を声ににじませながら説明するペレウスに、ファリザードはなにもいえなくなった。

 たしかに濡れた服を脱がせなければ体温がどんどん下がる。砂漠の夜は霜がおりるほど寒いのだ。火をおこすわけにはいかなかったのだろうし、そうなると温める手段は原始的な素肌以外にない。しっかり抱きしめるのは、肌の触れ合う面積をなるべく多くするためだ。ペレウスがこの状況でできうるかぎり最善の処置をしただけだということは納得せざるをえなかった。

 だが、だからといって、こんな……紅潮しきって、ファリザードは目を回しそうになった。

 裸と裸――同年齢の子供相手とはいえ、こんなふうに男の肌に密着するのははじめてだった。


 少年のにおいが鼻腔を満たしている。青い牧草のような若々しいにおい。

 少年の落ちついた心音が胸板から伝わってくる――こちらのどんどん早くなる鼓動も相手に伝わってしまっているだろう。


(どうして?)


 ファリザードは相手の胸にひたいをくっつけるようにして再度、顔を埋めた。赤らみきった表情を見つめられるよりそのほうがましだった。人族であるペレウスは彼女とちがい闇中ではよく見えないだろうとわかっていても、耐えられなかった。


(どうしてここまで恥ずかしいんだ? ちょっと前まで、こいつらヘラス人の視線なんて無視できていたのに)


 犬に裸を見せても羞恥心を覚えないのとおなじで、ファリザードはペレウスをふくむ異国人――彼女の父が館にとどめているヘラス人の少年たち――に肌をさらすことなどなんとも思っていなかった。

 透ける薄衣や、装身具だけつけた半裸は、ジンの女性の邸宅内での格好としては珍しくない。ファリザードはそれらの姿で悠然とふるまい、異国人の目などさらさら考慮しなかった。かりに相手の目に欲情が浮かべば、嫌悪感を覚えてさげすみの念をあらたにするだけだ。犬の発情を気にしてこちらが衣装をあらためる必要がどこにあろう。

 ……などと気張って、大嫌いなヘラス人たちのまえでことさら傲然とふるまっていたのに。


 緊張に体の芯から震えながら、ファリザードは気づいた。いつのまにか、相手は汚らわしい異国の犬だと見下げることができなくなっている。

 恥ずかしいのは、いつしかこの相手を対等とみとめてしまっているからなのだ。


 ――決闘でかれに負けたからか。

 ――求婚者がいれば彼女がはねつける側だったはずなのに、かれには「ぼくに触るな」と逆にはねつけられたからか。

 ――ヘラス語ではなく彼女の国の言葉で「友達になろう」と正面から言われたからか。

 ――そのすぐあと、窮地を救ってもらったからか。


 救われたときの状況を思うと、さすがに異国人がどうのと言う前に恩を感じざるをえない。あそこからふたりして生きて逃げられたのは奇跡だ。


(なんで危険をかえりみず出てきてくれたんだろ……)


 いまになってそのことが気になりはじめ、ファリザードはためらいがちにそっとたずねた。


「……死ぬかもしれないのに、なんで飛び出してきたんだ?」


 とたん、それまで疲れきった様子だったペレウスが雰囲気を一変させ、彼女の頬に手をそえて顔をあげさせてきた。厳しくひきしまった表情――強い意思を宿した少年の瞳に間近からみつめられて、ファリザードは息を呑んだ。


「ぼくにはきみが必要だからだ」


 低い声で告げられて、心臓がどきんとひときわ強くはねた――が、「……生き延びるために」と続けられてなんとか落ち着く。まだ鳴っている胸を少しでもしずめようとおうむ返しにつぶやいた。


「生き延びるため、わたしが必要……?」


「ぼくらは賊の出没する地域から一刻も早く離れなければならない。けれど、水の入る革袋は小さなものをひとつしか見つけられなかった。

 水が足りないなら来た道へは戻れない。雨がやんで砂漠の川はいまごろまた涸れているだろうし、途中の泉は死んでいて飲めないから。

 しかし先へ進むにしろ水をどこかで補充するにしろ、ぼくには知識がない。きみがもともと目指していた村への道筋を知らないし、このあたりにある湧き水の場所も知らない。

 きみという砂漠の案内人が必要なんだ」


 らんらんとぎらつく少年の瞳――強烈な復仇の決意がそこにはある。


「かならず無事なところまで逃げ延びて、賊の情報をきみのお父上に知らしめる。

 あの賊どもは許しておくわけにはいかない。ぜったいこの目であいつらが縛り首になるのをみとどけてやる」


 鮮烈な激情を伝えられ、ファリザードの脳裏にも、衛兵や人夫たちの死に様がありありとよみがえってきた。


(わたしは卑劣な賊の口車にのって、父上の臣下や領民たちを死なせてしまった)


 われ知らず少年の歯噛みに同調する――そうだ、あの嘘つきの邪教徒どもだけは許さない。裏切られた誓いと与えられた屈辱の数々を思い出し、ファリザードの瞳はペレウスのそれと同じ種類の光を帯びた。口をひらいて、かれにしずかな声で約束する。


「――血の貸しは利息ごと取り立てるのがジン族の古いならわしだ。わたしの一族は、殺された忠義者たちの仇をかならずとる」


「復讐はきみたちジン族の専売特許ではない。ぼくだってせっかく親しくなった仲間を殺された。

 きみのお父上には、かなうことならぼくを討伐隊にくわえてもらいたいと申し出るつもりだ。

 でもそのためにはまず、生きて安全なところまで行かないと」


 とりまとめてから、かれは「あと……」と微妙に歯切れわるく言葉を追加した。

 照れくささで緊張したのかその腕にわずかに力がこもる。かれははじめて含羞を感じさせる声で、


「……もう不毛な喧嘩はやめて仲良くやることにしただろう? 友達だからってだけでも助ける理由にはじゅうぶんだと思うけど」


(だから不意打ちでそんなこと言うな! やだ、だ、抱き寄せるみたいにするなっ……!)


 少年の腕のなかにいることをいやでも思い出させられ、ファリザードは顔から火が出そうになって内心で悲鳴をあげた。復讐の話でせっかくこの状況を忘れていられたのに。

 体の前面に意識が集中してしまう――ファリザードの成長途上の乳房、すべらかな腹、下腹から太ももは、少年のいまでは意外にひきしまった体と密着してしまっていた。

 かれの胸板にこすれるためか意識しすぎたためか、乳首が固くなりはじめたことに気がついて頭が煮えた。ペレウスにそれを気づかれたらと思うとこのまま消え入りたくなる。

 ファリザードは泣きそうになって祈った。


(気づくな。気づかないで)


 幸いにしてというべきか、ペレウスは死にそうなほど疲労困憊しており、彼女の胸中にも胸の尖端にも興味を向けるどころではないようだった。「……寝る」とかれはつぶやき、唐突に体の力をぬいてぐったりした。

 いそいでファリザードは自分とかれの体のあいだに腕を入れ、胸をかばうようにしてわずかに距離をあけた。

 が、急速にまどろみに入りつつあるペレウスが、眠たげな声をかけてくる。


「ファリザード……」


「な、なんだ」


「もっとちゃんとくっついて……すきまを作られたら寒いよ」


「ばっ、ばか、調子にのるんじゃ……」


 狼狽しながら言いかけたが、少女の恥じらいゆえの文句を最後まで聞くことなく、ペレウスはことんと眠りに落ちてしまった。

 寝入りの冗談のような早さにファリザードは絶句したが、考えれば無理もなかった。

 かれは血路をひらいて賊の集団から彼女を救い、洪水の川をわたりきって、乗り慣れない馬を駆ってここに彼女を連れてきたのだ。死の瀬戸際から脱出することで緊張が切れたとたん、極限の疲労で長く意識をたもてなくなってもおかしくない。


(わたしを助けたから疲れてるんだよな)


 さんざんためらったのち、おずおずとファリザードは言われたとおり身を寄せた。かれの背に片腕をまわし、思いきってぴったり肌を合わせなおす。

 熱い頬をかれにくっつけ、凛々しげな形のよい眉を下げて、うぅ、とうなる。


(これはしょうがないんだから)


 体温を分け合うためだ、生き延びるため――自分にそうは言い聞かせてみても、羞恥はどうしても薄れてくれなかった。美貌は完全に真っ赤になってしばらく戻りそうもない。


「眠れなかったらおまえのせいだからな……ペレウス」


 八つ当たりもこめて、かれの名前をつぶやいてみた。

 いままでまともに名を呼んだことはほとんどなかったが、


(これからはちゃんと名前で呼ばないと……ともだち、……になったことだし)


「ペレウス、ミュケナイのペレウス」


 それにしても妙だった。くりかえし小さく呼んでみるたび、へんにむずがゆい高揚感がこみあげるのだ。速まった血流が全身を火照らせて、ファリザード自身はもう温まる必要を感じないくらいだった。

 急に、ぎゅっときつく抱かれた。あえぎに似たかすれ声が喉から出てしまう。


「あっ……」


 無意識ながら、名前を呼ばれたことに反応してか少女の体温の高さを感じてか、昏々と眠るペレウスが強く抱擁してきたのである。

 濃い果実酒の杯でも唇にふくんでいる心地がした。ひどく甘酸っぱくて、酩酊したように夢々(くらくら)させられる。初めての感覚と顔の熱をもてあまして、ファリザードは目をぎゅっとつぶった。

 ほんとに眠れないかも、と千々にふるえる愁い半ばのため息をつきながら。


このEX1は、本編第18話「奔流〈下〉」と第19話「ふたり旅」のあいだのお話です。

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