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4.ふたつの剣

ヘラスと帝国の戦争の発端と

ファリザードが敵対的な態度をとる理由のこと

 父王と叔父はかく語った。


『第一次は不意をついてヘラス側から攻めた。いや、ヘラスの一都市テーバイが勝手に攻めた。最初はこちらの侵略だったのだよ』


『…………帝国がしつこく挑発したんじゃなかったのですか?』


『違う。交易のいざこざはあったが、帝国はわれらをとるにたらないものと扱っただけだ。彼我の実力のままにな。

 しかし、帝国が鼻先であしらったのはテーバイ、民主制の都市だった……テーバイの民はおろかにも、わが都市に侮辱をあたえた蛮族(バルバロイ)に報復しろと激昂し、反対を叫ぶ政治家を民会によって追放したのだ。

 民意をうけたテーバイの将軍クレオメネスは、海沿いにある帝国のいくつかの街を落として勝利宣言したが、その直後に占領地を放棄し、略奪した財宝だけを手にあわてて引き返した。残っていれば、帝国各地から殺到してくる大軍に皆殺しにされたのは間違いなかった。あれほど愚劣な「勝利」はめったにないぞ。

 第二次は、大がかりな復讐戦を挑んできたファールス帝国の巨大な拳に、ヘラスすべてが粉砕されかけた。ペロポンネソス半島にまで攻めこまれたが、ヘラス諸国は歴史上はじめて団結し、帝国が苦手だった海戦に戦力を集中することでかろうじて帝国をしりぞけた。国土は焼け野原になったが、ともかく滅びずにすんだ――というのが真相だ』


 ペレウスはその話を聞いたとき大いにとまどったものだ。

 ずっと幼いころから、吟遊詩人がハープをひきながら歌う「クレオメネスの栄光」や「サラミスの海戦」、「自由諸都市の凱歌」を、お気に入りの歌として聞いてきたのに。

 だが、父王も、将軍である叔父も、『そんな歌は、民みずからが甘く味付けした歴史にすぎない。真実は苦い』といいきった。


『現在の第三次戦役は……ヴァンダルの蛮族どもこそ呪われよ。ヘラスはとっくに帝国との戦争にこりていたのだ。それなのにヴァンダル人どもが十字軍などと称してやってきて、勝手に帝国と戦端をひらきおった。外交的にへたをうってヘラスは巻き込まれ、今日の滅亡寸前の惨状におちいったのだぞ。

 勝ち目がなさそうだと知るや、ヘラスにあとを押しつけて、ヴァンダル諸王はさっさとそれぞれの故国に引き上げた。あとに傭兵や、遍歴の騎士などという、戦場のハゲワシどもを残してな。

 ヘラス諸都市はむろん帝国に何度も講和をもちかけたとも。ところが、あの恨みを忘れないダークエルフ共は簡単にわれわれを許そうとしない。

 やつらはなんといったと思う?

 われわれは前の戦争でもヘラス人に親を殺された、子を殺された、連れ合いを殺された。おまえらが忘れようがこっちはよおく覚えているぞ、当時から生きているからな。さあ、いまこそ貸しを取り立てに行くぞ。くりぬかれた一個の目玉につき二個の目玉を、折られた一本の歯につき三本の歯を、取られたひとつの首につき十の首をもらう。それがわれらジンの流儀だ、と』


(敵とみなした相手には、きわめて残忍でしつこいジン族……)


 ペレウスはぶるりとふるえた。百年をかけても恨みを徹底的に晴らすのが暗黒エルフだと言い伝えられている。仇本人だけでなく子孫にまで累をおよぼすことも珍しくないのだと。


(ほんとうに、講和は成立するのだろうか?)


 疑念と懸念がないまざり、ペレウスは暗たんたる気分になった。感情は拒否していたが、理性では「敗北という形になっても和平が必要だ」とわかっていたのだ。

 父のいうとおり真実は苦い――ペレウスのやるせない感情は、怒りとなって眼前の騎士に向いた。


「ヴァンダル人の兵が十字軍の名のもとにおこなってきた非道こそが、帝国の憎悪の火をつのらせているんです。なにが『護るのが騎士』……」


 ペレウスは言葉をのみこんだ。それまで意地悪くはあったが磊落(らいらく)な態度をくずさなかったサー・ウィリアムが、痛いところをつかれた顔になったから。

 その男はだまりこくって目を伏せた。そして何もいわなくなった。沈黙にペレウスが耐えられなくなりかけたころ、かれはだしぬけに認めた。


「ああ、そうだ。戦争で、敵の民にやったにしても、あれは……いくらなんでも、ひどすぎた」


 にぎりしめた酒袋を口にあて、かれはごくごくとあおった。酔ってすべてを忘れようとするかのように。エル・シッドが主人の肩にのぼって、慰撫するようにかれの頭をたたいた。

 直前まで誇らしげであったその騎士の打ちしおれように、ペレウスはショックをうけた。

 にわかに同情がつのってきて、ペレウスはそれ以上責める気にはなれなくなった。


 すると、黙した少年の様子を見てとって、サー・ウィリアムがかすかに笑った。


「相手が弱ったとたん攻撃を止めるとは甘いなあ、おまえ。それに若い。ものすごく若い。国を出たときのおれよりも若い。

 忘れるなよ、哀れみは真の騎士に必要な資質だ。だが戦闘では哀れみのゆえにためらえば死ぬ。だから、剣を手にしているときにだけは哀れむな、けっしてな」


 その茶色い髪の青年は、酒臭い息をはいて説教した。空色の瞳がどんよりと酒精によどんでいる。

 いつもより早く酒がまわりきっているようだった。サー・ウィリアムは、ペレウスが騎士に叙任されることをめざしている本当の従士ではないということを、すっかり忘れてしまっていた。

 かれは、「だが」ともごもごと続けた。


「いまは剣で立ち会ってるわけじゃないからな……その哀れみを受けておこう。おれのことはいっさい聞かないでくれるとありがたい。いつかこちらから話すおりもあるだろう」


 しまった、とペレウスはつかの間、思った。質問を封じられるまえに、「ゾバイダとはどんな関係ですか?」と聞いておけばよかったのに。

 サー・ウィリアムは見たところ不潔でのんだくれの乞食だが、若い戦士らしく均整のとれたたくましい身体をもっている。そして、酒を抜き、ひげをそって風呂に入ればじゅうぶんにハンサムなのではないかと思われた。

 ペレウスがほのかな想いを向けている奴隷娘のゾバイダと、この騎士とが、本当はどんな知り合いなのか、ペレウスとしてはとても気になっていたのである。


 けれど、ペレウスは、いじめられることで少々歪んだとはいえ、基本的には行儀のいい子だった。そして、サー・ウィリアムに少しずつ親しみを感じはじめていた。

 かれは左の盾をかまえ、騎士にたずねた。


「まず“防御”を身につければいいんですね?」


「ん? ――おお、そうそう。よし、再開だ。

 盾をかまえた姿勢ですばやく回れ右、回れ左を百回ずつ。身体の軸をくずすなよ」


「あ、それと……」


「なんだ?」


「毎回すこしずつでいいので、ヴァンダル人の言葉――あなたの使うのはアングル語でしたっけ。それを教えてくれませんか」


「……なんでだ?」


「護るために存在するという騎士と、その護る土地と、その信じる神の話を、もう少しよく知りたいんですよ。ぼくも故国を護りたいんです」


 手にした盾の表面をみる。古代ファールスがジン族に征服されたとき滅びた炎の神の紋章を。

 ヘラスが帝国に蹂躙されるようなことになれば、諸都市にある壮麗な神殿も捨てられ、壊され、太古からヘラスの文明とともにあったヘラスの神々も抹殺されるのだろうか。

 断じてそんなことはさせない。


「守りにこそ重きを置く武術というのなら、もう文句はいわず本腰いれてやってみますよ」


  ●   ●   ●   ●   ●


 イスファハーン公の館、庭園の砂場にしつらえられた武芸修練場。


 少女のもつ漆黒のダマスカス鋼の鋭利な刃が、黒い稲妻のようにひらめくや、対手の持つヘラス式の短槍が二つに断たれた。

 返す刀でファリザードは、三日月刀の刀尖をつきつけた。歳上で背がずっと高い少年の眼前に。


「わたしの勝ちだ、今回も」


 部屋着である、薄衣だけの裸に近い格好ではない。若草色の胴衣のうえから手首までつつむ真紅染めの長衣をはおり、すその締まったゆったりした白ズボンと絹の靴を身につけて、ファリザードは運動のための服装になっていた。

 刀をつきつけられたセレウコスが、だらだらと汗をながしながら卑屈な笑みを浮かべた。ヘラスの歩兵の(かぶと)と鎧をつけたかれは「ま……まいりましたよ」といって、断たれた槍をほうりだした。それから、全面降伏のあかしに円盾をも腕からはずし、砂の上にへたりこみ、ぜいぜいと荒い息をついた。


 かれほどではないが胸をあえがせながら、ファリザードは、いつものさげすみの目でセレウコスをみた。かれと、修練場に雁首をそろえてなりゆきをみていたほかのヘラス人少年たちを。


「ヘラス人というのが、かくも惰弱の民とは思わなかった。これで二巡目だぞ、わたしがおまえら全員に勝ったのは」


「お嬢様が強すぎるんですよ。それに、その名刀がすごい」


 侮辱すると、即座に卑屈なおべっかが返ってくる――当然だと優越感をくすぐられる一方、セレウコスへの嫌悪感がこみあげる。ファリザードは黙って愛刀を鞘におさめた。


(父上はなんで、こんな誇りのかけらもないやつらに、わたしを……)


 この一年、ファリザードは父から、かれらヘラス人少年使節たちの饗応を任されていた。

 十二歳のファリザードとは年齢が近い少年ばかりだったが、仲良くなった者など皆無だ。

 そもそもかれらは人族のなかでも、汚らしい性質のものばかりとしかファリザードには思えなかった。


 どいつもこいつも仲間内でかたまり、街へ出て遊び呆け、父上の良民に対してすぐ問題を起こす。報告によれば日ごろから娼館にいりびたりの者が半数もいる。

 弱い相手に強く出るくせに、ジン族に対してはこびへつらい、裏にまわってひそひそと陰口を叩くだけ。

 露骨にファリザードにおもねってくるのは「あの話」を知っているからかもしれない。

 この、ヘラスの有力者の子からなる少年使節のうちのだれかが、彼女と結婚できるという話。


 ――汚らわしかった。虫唾が走る。


(ヘラス人なんか、戦争をつづけて徹底的に負かしてしまえばいい)


 こいつらといて胸がすくような時間は、言葉でやりこめ、武技で完膚なきまでに打ちのめす瞬間だけだ。それもほんの一瞬で、すぐにむかむかがつのる。

 ファリザードは、本音では、この愛刀を与えてくれた母方の伯父の意見に賛成だった。「和睦など帝国には必要ない、今回のヘラスとの交渉はばかげている」という意見に。


 けれど彼女の父、イスファハーン公は、宮廷において、ヘラスとの和平を強力に推進する派閥の筆頭だ。娘としては、父の意向に従わざるをえない。

 父からは、気に入った者を夫として選ぶがいいとなどいわれたが……


 ――けれど、どうしても嫌。こんなやつらのだれかに与えられるのだけは嫌だ。


 ジン族は、人族よりもさらに感情を重視する。当人たちの意に添わぬ結婚は、人族ならば多々あると聞き及ぶが、ジン族は自然な心の動きに従うのだ。

 それでも政略結婚がないわけではない……ことに、帝王(スルターン)の縁戚につらなる名家のひとつ、イスファハーン公家に生まれたからには、ファリザードも覚悟はしてきた。

 父上とわが一族のためになるのなら、自分はどんな好かないジンにでも嫁いでみせる。


 でも、人に嫁げというのは、ひどすぎた。愛する父がいったのでなければ、侮辱と受け取っていただろう。


 それも、戦争をしかけてきた異文明の民と和睦するためにだなんて……こっちの完勝寸前なのに。

 それに、わたしは七十年ぶりに生まれた、一族のただひとりの女児なのに……

「ジンは子がとても少ない。ことにイスファハーン公家には現在、女児はほかにひとりもいない。だから、おまえはうちの宝物なのだよ」と、父に幼いころに聞かされたことがあった。


 家族以外で、事情を知っているひとにぎりの貴族はみな、ファリザードをおもしろがる目でみるか、かわいそうにと同情の目で見るかだ。いや、父以外の家族でさえそうだ。

 いちばん若い兄が父上に意見してくれたことがある。「攻撃をやめて、自治を許してやるともちかけるだけで、ヘラス諸都市は狂喜して帝国に臣下の礼をとるでしょうに。なぜ、ファリザードまでくれてやらなければならないんです。あの子がかわいそうですよ」と。


(きっと父上はもう、わたしのことがぜんぜん可愛くないんだ。わたしは父上にとって宝じゃなかったんだ)


 美しい双眸に、じわりと屈辱と悲しみの涙がたまった。ファリザードはそれを見られないうちにときびすを返し、少年たちの前から急ぎ足で去った。


 毎日ひとりずつを相手に武芸勝負をいどみ、ヘラス人使節全員を打ち負かす――そのうっぷん晴らしのこころみも、二度目となるとあまり気が晴れなかった。


(真剣での手合わせをせまるだけで、腰が引けているんだから。

 あんな、ねずみほどの勇気もない者たちにいくら勝っても無意味だった)


 もっとも、厳密には、まだひとり戦っていない者が残っている。

 王族でありながら酔っ払って小便を漏らしたペレウスとかいうやつ。ほかのヘラス人みたいに徒党こそ組まないが、例によって、酒を毎日持ち出して、市内のどこかに消えていくという。セレウコスたちとおなじように、馴染みの娼妓かなにかをつくって、そこにしけこんでいるのだろう。今日も姿が見えなかった。

 あれのことは数に含める気にならない。どうせまともな手合わせになるはずもない。


 伯父であるホラーサーン公に贈り物として与えられた三日月刀をすらりと抜く。

 軽く、鋭利で、柔軟でありながらきわめて丈夫な、この世に百振り程度しかないダマスカス刀の一本。

 吸いこまれそうなほど黒い刀を見てファリザードはつぶやいた。


「わたしがもし、あの小便王子みたいな恥をさらしたら、いさぎよくこれを胸に刺して死ぬのに」


 貞節や名誉をまもるためであれば、女性の自決は唯一神も許している――ファリザードの脳裏に、らちもない考えが浮かんできた。


(いっそ、父上のまえでこの刃を自分の首筋におしあてて、「ヘラス人と結婚させられるのは耐えられる恥辱ではありません」と訴えてみようかな)


 しばらく思案したのち、ジン族の少女は、沈んだ思いを払おうとするかのように刀を横に薙いだ。

 ぬぐいがたい鬱屈をこめて、緑の木立のなかでそのまま演武を展開する。


 幹や枝のあいだをぬって華麗なステップを踏みながら、すばやい斬撃を縦横にめぐらし、幾重にも剣閃をかさねる。刃が風を切る快音は一振りごとに高まり、木々の葉だけが正確に切られて舞い散っていく。


 武術指南役の教えどおり、(はや)く。峻烈(しゅんれつ)に。火のように(はげ)しく。


 彼女の教わった剣は、ジン族の正統の剣技――息もつがせぬ攻撃にこそ重きを置く剣。


この物語のヴァンダル人という人々は西欧人にあたります。

実際の歴史上、中東では西欧人をフランク人、ギリシアをルーミ(ローマ)と呼びました。

フランクもヴァンダルももとはゲルマン民族の一部族の名前です。

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