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2-7.奇襲

ペレウス、ファリザードに気迫で納得させられ

夕食を分けて食べること


「襲撃はあるかもしれんな」


 夕食に出た薄焼きの固いビスケットをほおばりながら、仲間の白羊族たちと座り込んだ“禿げのウルグ”はそうペレウスに答えた。

 ユルドゥズが後を託していったその男は、いかにも戦士といった風貌のたくましい壮年である。頭髪はないが眉とあごひげは濃く、瞳は青かった。

 羨望をこめてペレウスはかれを見つめる。自分がこういう屈強で頼りになりそうな外見をしていれば、とつくづく思いながら。

 少女のようだと評される自分のこの顔を取り替えられたらどんなによいだろうか。


(男できれいな顔なんて、軟弱に見えてなめられるばかりだ)


 憂鬱の小道にさまよいこみかけた思考を引き戻し、ペレウスは簡素な食事中のウルグにまた問いかけた。


「では、その場合どうするんですか? 戦うんですか。でも、あなた方はジン相手には戦えない呪いがかかっているんでしょう。カースィム卿はジン族です」


「慌てるな。筋道立てて話す。

 族長もクタルムシュ卿もいないときはおれが指揮をとるならわしだ。

 ひとつ言っておく、ヘラス人の坊や。何かあればおまえにもファリザード様にも、白羊族の采配に従ってもらわねばならん」


「わかっています」


「よし。馬には鞍をおき、いつでも逃げられる用意をしておくのだ。おまえが尋ねてきたとおり、カースィムが襲撃してくるかもしれないからな」


 それを聞いて、やはり逃げるのだ、とペレウスはちょっと失望に似た思いを味わった。それは面に出たようで、ウルグはあごひげをしごいて「勘違いするなよ」と釘を刺してきた。


「騎馬の民だけの軍では、目の前の敵を恐れることは恥だが、とりあえず逃げることはなんら恥ではない。

 なぜならわれらにとっては、それは敵の優勢をくつがえす反撃の用意であり、敵を誘う罠であり、戦場を移動するだけのことだからだ。

 おまえたち砦を築いてその中に閉じこもる民にとっては、土地はしがみつくものであり、戦場は限定されたものだ。ゆえに、背を向けて逃げることを敗けと考える。だが、われら騎馬の民は、野を駆けながら矢を撃ち、追いすがる敵を反転して押し包むすべを知っている。

 カースィム本人はジンだが、その連れていた兵は大部分が徒歩の人族だった。こちらの二倍の人数であれ、白羊族が奴らを恐れる要素はない。追ってくるようならば、砂漠でカースィムの軍を引き回しながらがりがりと削ってやる」


 そこまで豪語したのち、厳しく引き締まった表情をふとゆるめ、かれはペレウスを前に「案ずるな。少なくとも、知らぬ間に襲われることはないのだ」と確約してみせた。


「奇襲は受けない。

 四十名を斥候として八方に散らしている。数に勝る敵や、われらが戦えぬジン兵が来ようと、かなり早くそれを察知できる。余裕をじゅうぶんにもってほとんど犠牲を出さず逃げられるだろう。そこは安心してよいぞ」


「奇襲はない……んですね」


「うむ。ここは平野であり、騎馬の民がもっとも能力を発揮できる場所だ。猫であろうとも、われらの哨戒網をくぐりぬけてくることはありえない」


「敵にクタルムシュさんのような“隠形”の使い手がいてもですか?」


 ペレウスは疑問をはさんでみたが、


「われらはみな、クタルムシュ卿の血を薄めた目薬をいただき、斥候を務めるときは眼に点すようにしている。

 そうすることで“隠形”を見破りやすくなるのだ、ジンの魔法の根源は血だからな。本隊がクタルムシュ卿の力で隠されていても、斥候たちは本隊を見つけて戻ってきていただろう? そしてクタルムシュ卿ほどの“隠形”の使い手は、この帝国にはいない」


 それに、と禿げのウルグはみずからの青い瞳を指した。


「この瞳が敵を見る。幼児のころから馬に乗せられて羊の番をし、草原や砂漠の彼方を見つめていた瞳だ。羊を狙う狼や泥棒が現れないか気を配ってきた。

 われらはこの視力をもって、相手がこちらを見つける前にこちらが相手を見つけてみせる。

 完全な闇のなかでないかぎり、目の良さでわれらを凌駕できるのは空の猛禽くらいだ」


「へえ……」


「わかったか、坊や。必要以上に思いわずらうことはない。おまえも男ならばどっしり構えていろ」


 そのなだめと激励の台詞に悪意はなかったろう。

 ウルグの周りで「そうとも、おれたちが守ってやるよ」「若いうちから苦労性だな」と笑う白羊族の兵たちも、ペレウスにどちらかといえば好意的な視線を向けてきていた。

 しかしペレウスは、こちらをまるきり子供扱いするウルグたちにむっとした。


(ぼくは怯えているんじゃない。もしもの時どうするのか確認しておきたかっただけだ)


 しかしそれをむきになって言い立てれば、余計に子供っぽく見えてしまうだろう。文句を口にするのはこらえてかれはきびすを返したが、無性に腹が立ってたまらなかった。


『〈剣〉に一矢報いたいか。仲間の役に立ちたいか。

 子ねずみの気負いだな、ヘラス人の小僧』


 ジオルジロスの嘲り声が鼓膜によみがえった。

 昨夜、あの賊の首領を尋問したのち、短い時間だがペレウスはひとりだけかれのそばに残っていた。そのとき、言葉を交わしたのである。


『なるほど、おまえは勇なき者ではない。

 しかしながらこの現実ではおまえは非力だ、無力だ、足手まといだ。

 気炎をあげるほど失笑され、軽侮される、弱き者であるのみだ』


 なんであんな挑発がずっと心に残るんだ――ペレウスはほぞを噛む。


(あいつは人を惑わす舌の持ち主だ。気の迷いで耳を傾けるべきじゃなかった)


 けれど……大切なことをかれに話そうとしないファリザードや、ウルグたちの悪意なき侮りの態度が胸を刺す。その傷口からさらにジオルジロスの言葉が這い出てくる。


『力さえあればよいのだよ。

 誰もおまえを侮らぬ。誰もおまえを軽んぜぬ。

 力が加われば加わるほど、おまえは心のままにより多くの善きことをなし、より多くの愛すべきものを破滅から拾い上げることができるようになる……

 スライマーンの魔具についてもっと知りたげだな。そう、それが正解だ。力を手に入れたいならば、素直にわが知識を――』


「ペレウス?」


 数日ぶりの呼びかけに、いつしか立ち止まって真剣に考えていたペレウスは顔を上げた。

 ファリザードが緊張した面持ちで立っていた。両手にそれぞれ盛った円盤状の小麦パン二枚に、焼けた肉の串や果物を載せている。

 ぶっきらぼうにかれは応じた。


「……なに」


「あの、ご飯にしないか。夕食時だし、もうみんな食べはじめている」


 せっかくだけどいまは食欲がない――とそっけなく断りかけてから、ペレウスは手を上げてしかめた眉間を揉んだ。


「……そうだね。食べよう」


 岩陰にサソリがいないことを確かめて座る。ファリザードがそろそろとかれの膝にパンを乗せてきた。ありがとう、とペレウスは礼を言って串の肉をほおばった。鳥の肉だった。口中にはじける熱い脂はニワトリに比べていくらか野趣が強い。隣に座ったファリザードが口をはさんできた。


「それは矢で射止めた鳩だ。向こうで焼いている羊ももうすぐ食べられる」


「ふうん……いままで野営で火は避けてきたのに」


「みんな熱い食事がほしかったみたいだから火を使うことを許可したんだ。一日くらいいいだろうと思って」


 それだけではないだろう、とペレウスは裏を読んだ。

 白羊族は、襲撃があることを覚悟している。何かあれば天幕すらも放り捨てて即座の行動に移る用意を整えている。足の遅い羊はここでつぶしてしまおうということだろう。


(……そういう突き詰めたところを、ファリザードはやっぱりぼくには話してくれないんだな。当たり障りのないことばかりだ)


 実際役に立たないのだから、女々しくひがむようなことはもうするまいとペレウスは思いかけていた。だが、どうしても疎外感はぬぐえない。

 黙々と咀嚼するペレウスの不機嫌な横顔を、ファリザードがちらちらと見てくる。話しかけようとして何度も直前で止める彼女の雰囲気に、かれはふたたび苛立ちはじめた。


「話したいことがあるなら言ったら、ファリザード?」


(いまさら、なんの気まぐれだ)


 いままでこっちを避けておいて、なんで脈絡なくまた接近してくるんだ――その不満が、声をとげとげしいものにした。ファリザードは彼の機嫌の悪さにおろおろ狼狽え、長い耳を上げ下げし、


「おまえが……そのう、誤解していないかなと思って」


「誤解?」縦じわを眉の間にきざみ、目をつぶって食物を嚥下したペレウスののどから、低温の声がすべり出た。自分でも思わなかったほどの冷たくねじれた声。


「きみは立ち直って以来、ぼくになにも話してくれなくなった。ユルドゥズさんたちとは語らう内容をぼくにだけ共有させてくれない。彼女らが出立したことをぼくが知ったのは朝になってからだったし、この残った本隊の作戦案も、ウルグさんに聞いてこなければならなかった。

 その現状のどこに誤解があるんだ」


 やはり一度は言わねば気がすまなくなったのである。口にしたあとには予想通り、自分の格好悪さにうんざりしただけであったが。

 だが、


「や、やっぱり誤解してるっ! 違う! 違うからなっ」


 ファリザードがぶんぶん首を振り始めた。これ以上言うつもりのなかったペレウスもつい続けてしまう。


「だから、なにが誤解なんだよ」


「話さなかったのは悪かった、ただ、わけがあって……」


「そのわけって?」


「そ、それは……とにかく、おまえに含みがあったわけじゃないんだ!」


「ああ、そう、具体的なわけも言えないなら――」完全に意固地になってそっぽを向いたペレウスだったが、


「わたしが、」


 ぐいとファリザードが身を乗り出して距離をつめてきた。膝の上にあったパンがひっくり返ったことにもかまわず、声と眼に力をこめて彼女は言った。


「わたしがおまえを信頼しないなんて絶対にないっ!」


 間近で真剣に断言されて、その勢いにペレウスは息を呑む。


「……わかった」


 やっとのことでそれだけ言った。一拍置いてから、なぜか頬が熱くなる。「……そ、そういうことだ」力説したファリザードもたちまち同様に赤らみ、


「あ」


 ひっくり返った自分のパンに気づいて、その表情がしまったと言いたげに歪む。肉や果物を載せていた部分が下になって落ちたため、それらの具はことごとく砂まみれである。

 やるせなさげに具を拾い始めたファリザードに、ペレウスは黙って自分のパンを二つに割って半分差し出した。ぎこちない礼とともにパンが受け取られる。

 黙々と食事が再開される。


(……なんだこれ)


 手にした串の先が微妙に震える。むずむずした感覚を覚えながら、ペレウスは自らを罵った。悩んでいたはずなのに、ぼくはなんで論理もなにもないファリザードの言葉にあっさり胸を軽くしているんだ。単純な馬鹿め、と。

 それにさっきからの一連の会話の内容ときたら。


(これじゃまるで……)


 しばらく構われなくてすねていただけみたいではないか。


「違うからな」自分はもう少しましなことで悩んでいたはずである、と焦るあまり、うっかり口に出してしまった。


「何が?」


「なんでもないよ!」


 きょとんと小首をかしげていたファリザードが、ふと理解の色を面に浮かべ、どういうわけかゆるんだ笑みを「えへへ」と浮かべた。幸せそうに半分のパンにかぶりつく彼女に、(なにを納得したものやら)とむずがゆさ九割の新たな腹立ちを感じながらも、ペレウスはすっきりした気分になっていた。

 自分の無力という問題も、なぜ作戦案を共有させてもらえないのかの疑問も解決したわけではないが、焦る気持ちは薄れていた。


 次の瞬間が来るまでは。


 まずファリザードが咀嚼を止め、その顔からゆるんだ微笑が消えた。

 ついでペレウスもそれを感じた。

 圧迫感。そして聞こえる風切り音。白羊族の驚きの声。

 ふたりはそろって姿勢を変え、岩陰から注意してそろそろと顔を出した。


 一目、見た。

 ――ぶわりと、ひたいが汗を噴いた。


 総立ちになった白羊族の戦士たちも凍りついて、かれらのただ中に降り立ったジンを遠巻きにしている。

 対して、やって来たジンはかれらを無視し、羊の丸焼きがかけられた焚き火に歩み寄っていた。炎にかけられた羊の後ろ足を素手でつかみ、関節をやすやすとねじり切る。信じがたい力で羊の股を裂いて、生焼けの肉にかぶりつき、獣じみた勢いで食いちぎりはじめた。


 黒褐色の肌の下に盛り上がる獰猛な筋肉の層。

 高い背、広い肩幅、ひとつまみのたるみすらない攻撃のための肉体。

 最低限の急所のみを守る、簡素なダマスカス鋼の胴鎧。


(あいつだ)


 動転しきって、ペレウスは知らず左耳の痕を手で押さえていた。かつて耳朶をちぎられたときの古傷が、いまになってずきずきと痛みを伝える。

 白羊族は奇襲は受けないと言ったじゃないか――ペレウスは内心でつぶやいた。

 だが、ウルグを責めることは酷だともわかっていた。自分とも因縁があるそのジンの能力については、〈剣〉が乱を起こしたこの一ヶ月間でたびたび聞かされていたのだから。


 止められないのだ。そのジンは。

 高い城壁がかれをさえぎることができないのと同じように、どれだけ優秀な地上の哨戒網も、かれの前では無意味なのだ。

 こちらの斥候が地を見張るだけではかれに気づき得ない。仮に見つけたところで、斥候が本隊に知らせる前にかれは本隊に届くのだ。


 なぜならかれは、

 空から来る。


「追いつかれた……」


 頭をひっこめて岩にぺたりと貼りつき、震えながらファリザードが口にした。〈剣〉直属のそのホラーサーン将の名を。


〈虚空の覇者〉(アスマンギール)イルバルス……」


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