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2-4尋問〈下〉

妖術師ジオルジロス、伝説の魔具の存在を告げ

ペレウス、ファリザードの冷淡さに心乱される

 クタルムシュの慨嘆に、天幕の前は静まり返った。

 だが、


「イスファハーン公家から離反する領主たちを打ち倒すか。やればよいではないか」


 ジオルジロスが背後からかけてきた声が宵風に乗って流れる。かれは一同の耳目を惹きつけておいて、舌をなめらかに動かした。


「だいたいがイスファハーン公家は文弱の家柄とみなされてきた。

 それゆえ、乱世に入るやいなや臣下らがたやすく動揺するのだ。力量を示すしか離反を防ぐ道はないぞ、姫。イスファハーン公領を再征服するがいい。侮りに報いを、裏切りに罰を与えてやるがいい。恐ろしい怪物に臣下をけしかけたくば、自らが怪物より恐ろしい主人となるがよい」


「勝手な発言を許可してはいないぞ、賊」


 意識してか陶器めいた冷たい無表情と厳しい声をつくり、ファリザードが向きなおった。


「貴様は質問にだけ答えていろ。ジオルジロス、この際尋ねておくことがまだある」


「ほお、姫よ、帰依するためにわが神の教義を聞く気にでもなったかな」


「貴様の奉じる邪な神に用はない。現世の凶つ神と成り果てたジンへの対策だけで手一杯だ」


「ほほう、現世の……今度訊きたいのは〈剣〉に関することだな?」


「そうだ。〈剣〉の持つ呪印の能力を言え。征服時代から生きている貴様なら見聞きしたことがあるだろう」


「さっきの情報の礼もまだ受け取っていないのだがな。この身のいましめを解いてくれてもよいだろう? そうすれば知識を分かち与えよう」


「この期に及んでとぼけたことを言う豪胆さだけは褒めてやる」


 ファリザードは言い、束ねた縄を投げ出した。彼女は今宵、それを腰に付けて尋問の場に持ってきていたのである。


「貴様は数多の無辜の民を殺し、邪神への供物とした。縄をほどいてやる気はない。

 だが、役に立つなら新しい縄を追加するのを待ってやる。――これは首にかける縄だ。本来ならばとうに貴様に下っているはずだった裁きのための道具だ。

 貴様から得るものが何もなければ、縛ったままその首にこれを巻きつけ、縄のもう一方の端を馬につないで砂漠に放つだけのことだ」


 努めて冷酷にふるまおうとする少女に、


「それは恐ろしい。ところで自分では気づいていないのか。

 震えずに言えたならもっと脅す相手を怖れさせられるものを」


 ジオルジロスは薄笑いで嘲弄を返した。

 びくっとファリザードの肩が動いたのは、反射的に体が固まって震慄を止めようとしたのだとペレウスには察せられた。実のところ彼女は身震いしてはいなかった――が、自分が無意識に震えているかもしれないと一瞬信じさせられたのだろう。

 口先でなぶられた少女の顔が屈辱にかっと燃える。が、その怒りが噴出する前にジオルジロスは「〈剣〉の能力の詳細は知らぬ」と速やかに答えた。


「征服時代、〈剣〉の力に間近に接した敵は生き残っていない。それを知っているならば教えている。お前らに協力するつもりがまったくないわけではない」


 今度は本当にぷるぷると憤激に震えていたファリザードが、「嘘だ」と吐き捨てた。


「まあ、容易には信じられまいが、今回は嘘ではない。

 わたしにとっても〈剣〉は古い敵だ。奴をかばう義理など砂粒ほどもないし、お前らが〈剣〉と咬み合ってくれるのは実に都合のいい展開だ。現状ではどうにもお前らが弱すぎて共食いというところまで行きそうにないので、多少の手助けをしてやろうとさえ思うのだよ」


 ジオルジロスの飄々としたうそぶきに、ファリザードは満腔の怒気をどうにか追い出すように息を大きく吐いた。


「可能なかぎり貴様の力を借りるつもりはない。これで今夜の尋問は終わりだ」


「そうか。遠慮せず、これからも質問があればいつでも聞くがいい」


「……では最後にもうひとつだけ教えろ。

 そもそも貴様は、なんのために手下を率いて、イスファハーン領深くまで侵入して荒らしていたのだ。無道を働き、良民を害するためだけか」


 その質問は、核心を突いた。問いかけたファリザードが意図したよりもはるかに。

 薄い笑みを刻んでいたジオルジロスの唇が完全につぐまれ、両端が下向きにひくりと歪んだ。その脳裏で計算が渦巻いて、やがて答えを出したようだった。

 次に口を開いたとき、かれの双眸は底光りをたたえていた。


「探し物をしていたのだよ」


「探し物?」聞いていたペレウスは、知らず身を乗り出していた。興味を惹かれたのは、それがサー・ウィリアムの言っていたことと同じであったからかもしれない。


(そう言えば最初にだまし討ちを食らったとき、聞いていたじゃないか。捕まえたファリザード相手に、『……薔薇の公家と剣の公家のかけあわせとは面白い。本来の探し物は片鱗もみつからなかったが、この地に来た甲斐はまずまずあったな。最後にこんな戦利品を手に入れるとは……』こいつは、そんなことを言っていた)


「なにを探していたんだ、ジオルジロス?」


「力の塊だ」


 即座に告げられた答えは、指すところがあまりに漠然としていた――が、ジンの古老はより明瞭にすぐ告げた。


「支配の道具だ。つまり兵器だ。

 使いこなせば、この上ない恐怖をもたらす魔具だ」


 冷涼な夕闇に影が溶けゆく砂上で、その名は紡がれた。


「すなわち“スライマーン王の書”と“スライマーン王の首飾り”だ」


………………………………


 二千六百年前、ただ一人、人の身にして数多のジンに忠誠を誓わせた王がいた。

 スライマーン・ベン・ダーウド(ダヴィデの子ソロモン)――その魔術師としての力量は天下に冠絶したのみならず、後にも先にも並ぶ者現れずと伝わる、生あるうちからすでに伝説となっていた人物である。


「スライマーン王が現われた二千六百年前は、ジン族もまた強大であった。いまの世のジンの能力は、せいぜいが口も利けぬ獣に変じ、五人力十人力程度の腕力を誇るのみに衰微している。しかし昔日のジンはルフ(ロック)鳥や竜などの神獣に変化し、力をふるえば一晩で山を築くほどの異能を持っていたと伝承は語る。

 その上古の世の叡智とジンの力は、それぞれ“スライマーンの書”と“スライマーンの首飾り“に封じこめられて蔵された。前者は人族に、後者はジン族に贈られたという。

 書と首飾りは、大河ティグリスとユーフラテスを渡った東の地に蔵された――すなわち、おそらくはこのイスファハーン公領のどこかだ」


 語り部となったジオルジロスの舌が回転するたび、低まった陰性の声音がすべり出てくる。

 脳髄をひたひたと侵す妖しき語り口。


「それらはこの世の魔具の最上位にあるといってよい。もう一度言うが、書にはスライマーン王みずから記した魔導の知識がたくわえられている。首飾りには、王の従えた古のジンのうち最強の七十二体がみずからの血をもって魔術刻印してあるのだ。

 手に入れたならばきっとスライマーンのように世界を統べることが叶うだろう。どうだ、お前らも探してみないか?」


 誘う台詞を投げかけて、ジオルジロスが語り止む。

 ペレウスはうなり声をのどの奥に押し込めた。

 なにを荒唐無稽な与太話を、と言い放つことが出来なかったのは、伝説のスライマーン王の名と、いまに伝わるかれの業績のことを知っていたからだった。


 その神話めいた話は遠くヘラスにまで響いていたのだ。

 スライマーン王は、無数のジンを自在に使役した。

 当時の地上に君臨していたジン族の帝国の君主が人族に従うことを拒んだため、これを打ち負かした。

 自分の死後に国を襲うであろう蛮族の来襲を防ぐため、大地に新しく山脈を築いて長城となした――などの、まさに荒唐無稽な「実話」が。


(もし本当に、そのスライマーンが残した強力な魔具があるならば……)


「〈剣〉を倒せるぞ」


 ジオルジロスの精神にからみつくような囁きは、場の全員が話を聞いて真っ先に考えたことを煽り立てた。

 が、クタルムシュが咳払いして惑わしの妖言を断ち切った。


「話は聞いたことがある。だが」


 その沈着な表情はすでに常と変りなかった。


「肝心なところを省くものではない。スライマーンの残した魔具はいくつかあるが、かつて発見され、また紛失した“首飾り”には、ジン族は誰ひとり触れることすらできなかったというではないか。

 人族に与えられた“書”に至っては二千六百年間、存在が語られるばかりで見つかっていない。それだけの歳月見つからなかったものが、本腰入れて探したところで今日明日に見つかるわけもあるまい。

 われわれが急いでとりかかるべきは、幻想の詰まった魔具の探索ではない。目の前の都市テヘラーンを手に入れることだ。

 最後に無駄な時間を取られたが、今宵の尋問は今度こそ終わりだな」


 終幕の確認はファリザードに向けて言われたものである。夢から醒めた表情になった少女がうなずき、「クタルムシュ卿、ユルドゥズ、少し話がある」身をひるがえしてその場から離れた。

 その後をついていく大人ふたりを自分も追おうとして、あることに気づいたペレウスは立ち止まった。

 ファリザードはかれの名前だけ省いた。

 それなのに、行っていいのだろうか。


(……何を細かいことを気にしているんだ。ぼくはファリザードの家臣じゃない――呼ばれなかったのがどうしたっていうんだ。それよりこれからのことを決める重要な会話に、途中からのけ者にされてたまるもんか)


 だが、気にせずにはいられなかった。ファリザードに避けられているのは気のせいではなかったからである。

 この状態は一昨日の朝、ファリザードが立ち直ってからだった。彼女はペレウスと会話どころか目を合わせず、近くに来ることもなくなった。それまでは、際限なく意気消沈し続けていたときも、無意識にかペレウスのそばに寄ってきていたのに。

 無視されているわけではない。こちらから馬を寄せて話しかければ受け答えくらいはあった。……それも最低限のものだったが。

 その、明白にかれを遠ざけようとする態度に、ペレウスはもやもやした心情を覚えていた。


(ファリザードのことは時々さっぱりわからなくなる――気まぐれなのか? それなら理不尽すぎるだろう。なんだよ……三日前には「おまえにだけはこうさせて」なんて言っておきながら)


 こぶしを固く握る。三日前の夜、天幕の中で握り合った手だった。あのときは頼られていることを実感できたのだが。こうも素っ気ない対応が続くと、なにかの幻だったような気さえしてくる。


(それとも、ぼくは今のところ役に立たないと彼女に判断されているんだろうか。頼ってもどうしようもないから巻き込むまいとでも考えているのか?)


 そうではないとはペレウスには言い切れなかった。


(でも……ぼくだって、大人の戦士と完全に同等とはいかないけれど、戦えるじゃないか。ファリザードのほうがちょっと先に十三歳の誕生日が来たみたいだけれど、子供扱いされるいわれはないぞ)


 白羊族とくつわを並べて行動するようになってから、ペレウスはクタルムシュに習った武術を修練していた。夕食後から就寝前の時間にかけて、刀術の型をなぞる単演にはげみ、手首を極めて投げる技をクタルムシュに指導しもらっている。うぬぼれかもしれないが、自分がさほどまずい兵士だとはペレウスは思っていなかった。

 ぼくは役に立てるはずだ。あぶられるような焦慮にペレウスは歯噛みした。

 だが突然、熱くなっていた頭が冷えた。


(……だめだ、現実を見なきゃ)


 鉄の味を感じるほどに下唇を噛み、かれは足を止めたまま結局動かなかった。かれが行って話を聞こうとしてもおそらくファリザードは表立っては拒まないであろう。だが、かれが話を聞いたところで、どんな大した貢献ができるというのか?


(彼女が正しい。ぼくはいまはお荷物に近い、頼ってほしいだなんて虫がよすぎる)


 かれは思いつめ始めていた。まもなく十三歳になる子供にすぎない自分が、クタルムシュやユルドゥズほどファリザードの力にはなれていないことを。

 クタルムシュは近衛隊長の地位にいたほどの卓越した武人であり、ユルドゥズは族長として百五十人の配下を従えている。両名共に世故に通じ、おのおの武力をファリザードに提供していた。

 現状、ペレウスがもっとも役に立てる道は直接戦うことではない。かれの価値は近い将来に、ヘラスをして〈剣〉との戦いに参陣せしめる政略で示されるはずだった。それでも……


(じっとしているなんていやだ、無力も無為も耐えられない。もっと、いつだって、仲間の力になりたい。

 役に立つための力がもっとあれば)


 欲求を強烈に自覚したときだった。


「何ぞ悩みがあるようだな、子供」


 縛られたジオルジロスの声が背筋をまさぐるように這い上がってきた。

 こいつがいたのを忘れていた、とペレウスは眉をしかめて振り向いた。一瞥して去るつもりだったが、ふと、心が動くのをかれは感じた。スライマーンの魔具についてもう少しくわしく聞いておこうか、と。


    ●   ●   ●   ●   ●


「クタルムシュ卿、ユルドゥズ、よろしく頼む。

 ふたりとも無事で帰ってくるのだぞ。そうでないとわたしは何も為さないまま両翼を失ったも同然だ」


 白羊族の者二十名をともなって進発直前となった馬上のふたりを見上げ、ファリザードは真摯に言った。

 日が落ちてすぐにテヘラーンへと向かってほしい――ファリザードはかれらにそれを頼んだのである。「テヘラーンへは通常の行軍速度で行けばあと一日の道程だが、単騎急げば夜のうちに潜入できるだろう。やや拙速のきらいはあるが、わたしたちには猶予はない」彼女は速断したのであった。


「ああ、わかってるさ。ま、実際に市壁内に忍びこむのはクタルムシュ一人だろうけど。あたしらがいない間はこの隊は禿げのウルグのやつに委ねてあるから、敵襲か何かあったときは全部あいつの判断に任せな」


 ユルドゥズは砂漠へ散策にでも行くような調子で受け答えし、


「あと、坊やに含みでもあるのかい? なんだか過剰に避けてなかったかい」


 予想外の指摘でファリザードを狼狽させた。


「ふ、含むところなんかあるわけないだろう」


「それならあの態度はなんなのさ。坊や相手にだけやたら素っ気ないじゃないか。あんたに冷たくされるたびに坊や、とても微妙な表情になってたよ」


「だから冷たくしてなんか――……え? ほんと? 本当に?」


「戸惑いと苛立ちのはざまで憮然とする顔だったな」


 クタルムシュが可笑しそうに証言し、その妻が手綱を握ったまま肩をすくめた。


「あんたがなんであんな態度してるのか、理由はいくらか予想はつくけどね。坊やもそう余裕のある子じゃないんだから、変にこじれないうちにさっさと話しときなよ。

 ……おい、聞けよ」


「あまり話さなかっただけで気にしたんだ……そうか、ペレウス、わたしが素っ気ないと気にしてくれるんだ」


「……もういいや。行ってくる」


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