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2-3.尋問〈上〉

一同、都市テヘラーンの対応に不審を覚え

かの捕虜を問い詰めて打開策を講ずること


 武装した三百名ほどの一部隊が接近してくる。

 その報せが斥候から入ったのは、都市テヘラーンまで道のり一日を残すばかりの頃合いだった。すわ〈剣〉の軍の部隊かと一行は動揺したが、それがイスファハーン領の兵、おそらくはテヘラーンからの迎えの軍と知ってひとまず心を落ち着けた。

 やがて人族の兵士を背後にしたがえて現われたのは、引き締まった体を鎧で固めたジン族の男だった。


「テヘラーンの警備隊長カースィムと申します。領主アーガーはわが岳父でございます」


 かれは乗っていたラクダから下りて地に片膝をついた。「おお、ファリザード様。家紋の黄金の薔薇さながらに美しい御方」カースィムは仰々しいほどの修辞を伸べ、形ばかりはうやうやしく切り出した。


「申し上げるはまことに心苦しゅうございますが……わが岳父アーガーはファリザード様をテヘラーンにお迎えすることはできぬと申しております」


 言葉は静寂をもたらす矢となってひとりひとりの胸を貫いた。

 そんな、まさか――だれよりも信じられぬという反応を示したのはファリザードとクタルムシュのジン族二人であった。


「……関わらず、どこへなりと行ってくれということか」


 数拍の後、真っ青になりながらもファリザードが瞳をカースィムにひたと据えた。


「至誠をうたわれた武人であるアーガー卿にして、イスファハーン公家を見限るのか」


 彼女が封じ込めようとしていた絶望が、食いしばった歯のあいだから声となってにじんだ。ペレウスは不安をかきたてられてファリザードを声なく見つめた。アーガー卿の協力をたのむことが大前提であった彼女の戦略には、これは痛撃なのである。


 だが、


「いいえ、見限るなどと。唯一の神にかけて、わが岳父のイスファハーン公家の方々への忠誠心はこれまでと変わるところはありませぬ。

 ですが、お許しいただきたい。

 疫病が発生しているのです」


「……疫病? 人族のか」


「ジン族をも冒しております」


「ジンを。はて。ジンは人より傷病には強い種族じゃなかったかい」


 抑揚なくつぶやいたユルドゥズに、カースィムは首をめぐらして答えた。


「常ならばそのとおりだが、実際に、ジン族の間でも猛威を奮っているのだ。

 おまえたち、あれを運んでこい」


 カースィムが振り返ってみずからの部下に命じた。騾馬が引く荷台から何かが抱え上げられ、ペレウスたちの前に置かれる。それを覆っていた布が払われた瞬間、勇においてはけっして人後に落ちぬ白羊族の戦士たちでさえ首をのけぞらせた。

 それは死体のおさめられた透明な水晶の棺であった。

 中に入っているのは裸になったジン族の男の屍であり、その顔から胸元にいたるまで、皮膚にぶどう粒のような肉腫がぼこぼこと盛り上がっていた。病魔が漏れ出ないようにか、棺のふたは固く閉じられていた。


「今朝死んだジンだ。

 ……この病に岳父アーガーまで倒れ、意識不明のありさまとなった。今回の疫病は異様だ」


 言い切ってファリザードに向きなおり、カースィムの口舌は一気になめらかさを増した。


「ファリザード様、どうかご寛恕を。このような強力な疫病が猖獗を極めているがゆえに、あなたやお供の方々を市内に入れることはできないのです」


「……せめて、アーガー卿を見舞いたい」


「岳父は意識を失う前に『市を封鎖せよ、決して外の者を入れるな』と私に言い置きました。それを破ることはできませぬ。市内の者を外へ出すことも。

 繰り返しますがわかっていただきたい。いまはホラーサーン軍との戦いに力をお貸しできる状態にはないのです」


 譲る意思のないことが伝わる、厳然とした拒否であった。

 動揺と迷いを表情にはりつけてファリザードがうつむいた。かろうじて彼女は苦渋の声で答えた。


「……事情はわかった、カースィム卿。

 ここで少し考えさせてもらいたい。こちらの方針を決定するための日数をもらえないだろうか」


「日数? 風向き次第でこちらにも病が訪れないとは限りませんぞ。別の都市を頼るならば早めの決断をされたほうが――」


「そうせっつくものじゃないよ、カースィム卿」ユルドゥズの静かな声には極めて辛辣なものがあった。「まるで一刻も早く追い払いたがっているように見えてしまうからね」


 ユルドゥズをもう一度見やったカースィムの面に、不快感を通りこして悪意に近い色が現われた。傍で見ていたペレウスは気づいた。それは人族を蔑むジン族がたびたび見せる顔だと。

 しかしそれは一瞬のことで、かれは結局引き下がった。


「では、お急ぎいただきたい。ここに野営されるならば、われわれは二日後にまた訪れるとしましょう」


 やって来た三百名が去り、百五十数名の仲間内だけになると、ファリザードは目まいをこらえるように手をひたいに当て、切羽詰った声を吐き出した。


「出だしから盛大につまずいたようだ」


 だが、と続ける。


「たとえ疫病で都市機能が麻痺していようと、一兵も出せなかろうと、テヘラーンの支持はなければならない。わたしへの支持声明だけは公布してもらわなければ」


 ユルドゥズが深刻な顔でうなずいた。


「イスファハーン公領北部の最大の都市であるテヘラーンが助力を拒めば、他の都市も同調して門を閉ざす恐れがある。そういうことだろ?

 でも、どうやるのさ。カースィムとやらは、どう見ても疫病を盾にして一切の助力を拒もうとしていたよ」


 難問に困じはてている一同に、ペレウスは「それですけれど」と手を挙げた。


「ほんとうにカースィム卿の言うことを信じていいものでしょうか?」


「坊や、それは、あいつの言葉のどこかが嘘だということかい?」


「胡散臭く感じたというだけの薄弱な根拠ですけれど……」


 カースィムの受け答えはよどむところなく明瞭であった。だがそのあまりにも事務的な態度ゆえに、ペレウスの胸中には(このジン、内心を悟られまいと気を張っていないか)という疑念がかすめたのである。テヘラーンに寄せ付けまいとする態度もあからさますぎた。何かがあるような気がするのだ。

 クタルムシュが、「それなら、専門家に話を訊くべきだ」と提案した。


「専門家?」


「詐術と疫病の専門家だよ。暗黒の神アンラ=マンユは、疫病をつかさどる神でもあった」


「……あいつですか」


 ペレウスは嫌な顔をしたが、他に妙案もなかった。


………………………………

………………

……


 夕暮れ前の食事時、ユルドゥズの天幕の前――


「嘘だな」


 縄で縛られた賊の首領、ジオルジロスは、話を聞くや一刀両断した。


「ジン族は先天的に病に強い。ジンをも殺すような流行病が過去に例がないわけではないが、それなら先に人族に大被害が出る。ジンの最初の死者が出るころにはその都市内の人族は千人規模で死に、疫病発生の噂が帝国中をかけめぐっているはずだ。ところが、そのような話は一切聞こえてきていないのだろう?

 加えてその病状だ。ぶどうの房のごとき肉腫が表皮に現れるだと? そんな流行病は、この帝国に存在せぬ。私の知る十七種の流行病のどれでも無い」


「新種の病魔という可能性は?」


 ペレウスの問いに「可能性ならある。しかし私はこの場合それよりも留意すべき事実を知っている」と暗黒神の司祭は答えた。


「ぶどう状の肉腫は疫病の症例では思い当たりがないが、毒物でならば別だ。

 たしか古代ファールスにおいて“悪しき膨れ”(ポフ・シャール)と呼ばれた、材料の稀少さと調合の難しさゆえにはなはだ珍しい劇毒がある。経口ではなく経皮吸収によって死にいたらしめることができる……早い話が、肌にかかれば死ぬ。

 大小の球状肉腫が毒を浴びた箇所に短時間で盛り上がって、屍体の見た目は無惨なものとなる。ただし元々の屍体にかけてもそうはならない」


 にわかに、空気が張りつめた。ファリザードがすっと瞳を細めた。


「毒……カースィム卿の運んできたあの屍体は、その“悪しき膨れ”とかいう劇毒をもって殺され、疫病の屍体のように見せかけられたものというのか」


「十中八九、そう考えてよかろう」


 こともなげにジオルジロスが断定する。座るかれから離れ、一同はひたいを寄せ集めた。声をひそめて懐疑的に質したのはペレウスである。


「本当だと思いますか?」


「カースィムの言ったことに嘘があると言ったのはもともと坊や、あんたじゃないか。あの捕虜がいま言ったことはあんたの推論を全面的に裏付けるものだと思うけどね」


 ユルドゥズに指摘されて不本意そうにペレウスは口を引き結んだ。カースィムはかれにとってたしかに胡散臭さを感じさせるジンであったが、ジオルジロスのことはもっと信用できないのだった。しかし、それを言い募ってもしかたがない。


「病の市内蔓延が嘘だと仮定すると、アーガー卿は病魔には倒れていないことになる。だがそれだとおかしい」


 クタルムシュがあごに手を当てた。


「私はアーガー卿とは多少の面識がある。あれは苦境の主家に対し、疫病が発生したと嘘をついてまで助力を拒むような男ではない。まして毒薬を使った小細工で主家をあざむく真似を認めるはずもない。

 そう、アーガー卿が無事であるかぎりはだ」


 一同の脳裏に、好ましからざる想像が黒雲のように広がりはじめた。これはカースィムの独断、少なくともアーガー卿の関与しないところであろう。だが都市の封鎖といい兵を動かす権能といい、警備隊長とはいえカースィムが自由にしてよいことでは無論ないはずなのだ。

 それがあえてこの挙に出ているということは、アーガー卿は口を挟めない状態にあるのだろう。ことによると力ずくで実権を奪われていないとも限らない――実権どころか命をも。


 誰もが一つの打開策を想定していながら、互いに目配せしあってなかなか口に出せない。

 とうとうペレウスがそれを提案した。


「まずは都市テヘラーンの内部で何が起こっているか、真実をひそかに探る必要があるのでは」


 打てば響くようにクタルムシュが応じる。


「よし。市壁を乗り越えて内側を探るのは私がやってみよう。潜入ならば隠形の術の本領だ。

 しかし……なんということだ。ことの成り行きによると、われわれは〈剣〉と戦うより先に、離反しようとするイスファハーン領の都市を敵にまわすことになるかもしれない」


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