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20.夜語り

ペレウス、夜の砂漠でファリザードと来し方を語り

ともに明日への決意を新たにすること

 荒れ地状の礫砂漠から砂の砂漠に出てからは、一日二回に分けて睡眠時間をとるようになっていた。眠るのはもっとも暑い正午から午後にかけてと、真夜中前後である。

 どちらの休憩でも交互に眠り、つねに片方は見張りとして起きておかねばならない。

 ファリザードにいわせれば、こうするのがもっとも良いのだった。


『水のことのみ考えるなら夜に動き、昼間は眠ることに専心するほうがよい。

 だが、わたしたちを探しているだろう賊がいる。ただでさえ見晴らしのききやすい砂漠で、明るい昼間にふたりして眠りこけるのは危険だ。そばに迫られてから目覚めてもどうしようもない』


『そのために見張りをたてて交互に眠るんだろ? やっぱり、ふたりとも昼間にだけ休めばいいんじゃないか? 涼しい夜にどんどん進もう』


 結果的にはおなじ時間をかけておなじ速度で進んでおなじ距離を稼ぐとしても、日中に進めばそれだけ水の消費量が増えてしまう。ペレウスはそれを危惧したが、


『ペレウス、どのみち半日以上ぶっとおしでは歩けない。数刻ごとに足を止めて休みをはさむ必要があり、そのついでに睡眠をとるのだ。

 そうでないと体力の消耗がきつすぎる。人も騎獣も』


『でも――水はろくろく残ってないよ。だいじょうぶなのか?』


『だいじょうぶだ。らくだのおかげで、これまでほぼ順調に距離を稼ぐことができた。

 生命に関わるようになるまでに確実につぎの水場にたどりつく。そうだな、明日には泉に着くはずだ。

 そこから村までは二日だ』


  ●   ●   ●   ●   ●


 砂漠の夜が来ていた。


「そろそろ慣れなよ、ファリザード」


 そうも緊張されるとこっちまで恥ずかしくなってくるだろ――とはペレウスはいわずにおいた。


「う、うるさい、はやく眠ってしまえっ」


 横向きに寝たかれの腕のなかに、弓を抱いてがちがちになったファリザードがいる。彼女は背を向けてはいたが、ペレウスが温かく眠れるようぴったりくっついてくれていた。

 金砂銀砂を散らしたかのような星天の下である。ふたりは砂丘の陰に浅く穴を掘り、横たわっていた。ファリザードと反対側のとなりには黎明号が寝そべっていて、ペレウスはひとりと一頭にはさまれる格好である。こんどは、かれが休む番なのだった。昼の休憩ではおもにファリザードが、夜にはペレウスが眠るのだ。


 砂漠に出てからこっち、賊の襲撃をくらうまでは山羊や羊の毛でできた天幕で寝ていた。

 天幕の寝心地に当初は慣れず難儀したものだが、こうしてそれすら失ってみると屋根のあったことのありがたさが身に染みてくる……


(などと思っていたけれど、これはこれでけっこう温かいな。砂もいまはまだ昼の熱を保っているし)


 歩いてきた疲れもあって、すぐに眠りが訪れそうだった。

 そのこと自体はありがたかった。実をいえば――


「……ペレウス、ネズミが合唱しているみたいに腹がきゅーきゅーうるさいぞ。その音を止めろ」


「無茶いうな、二日なにも食べてないんだからしょうがないだろ。きみだってそうだろう」


 そう、実をいえばひもじくてたまらなかった。水は小さな革袋とはいえなんとか確保していたが、食料までは手に入れられなかったのである。

 道中、ふたりが会話を続けてきたのは、耐えがたい空腹から目をそらすためでもあったのだ。


「それを思い出させるなというのに。おまえは眠ればすむが、わたしはこれから見張りだ。話し相手もなく空きっ腹に耐えるんだぞ」


 話すこと、そして眠ることだけが飢餓感をまぎらわせる方法だった。

 黎明号までやつれた感じになってきている――むしろ、らくだに乗っていればよかったふたりより、荷物はないとはいえ歩かねばならなかった黎明号のほうが消耗が激しいはずだ。

 人馬そろって飢えており、ただ水だけは革袋からきちんと摂っていた。水の不足はただちに生命に直結するからで、摂らないとどうしようもない。


 元気なのはらくだだけである。なお、らくだはこちらが休むあいだ、走れない程度に前足二本を結わえている……とはいえ動きまわれる程度には間隔をゆるめてあるので、その獣はうろうろ歩いて、そこらのまばらな草を食んでいるのだった。明け方にはふたりから半ファルサング(約2.5km)も離れ、捕らえるところからやり直しになるかもしれないがやむをえない。繋ぎ止める杭もなにもないのだから。


「あのらくだから乳をしぼれたらよかったのだが……おおいに腹の足しになるのに」


 自分で思い出させるなといっておきながらぶつぶつぼやいているファリザードに、ペレウスはふとあることを提案した。


「おなか締めつけておいてあげようか? 少しは気にならなくなるっていうよ」


 サー・ウィリアムから、冗談か本当かいまいち判然としない「食い物がない夜をしのぐ方法」を聞いたことがあったのである。はたしてファリザードは興味をおぼえた声で聞き返してきた。


「締めつける?」


「うん。クッションかなにかを凹めた腹に押しあてて、ひもか何かできつく縛るらしいんだけれどね。

 いまはふたりいるし、ほら、こんなふうに」


 ペレウスは彼女の細いお腹にまわした腕に力をいれて、ぎゅっと巻き締めた。とたんに「ひゃああ!?」と裏返った声をファリザードがあげ、じたばた暴れはじめた。


「やややめろ! しなくていい、いらないっ! 放せっ」


 あわててペレウスは腕を放した。ファリザードがあたふたと砂の上を転がって逃げる。

 背を向けてはあはあと狼狽の呼吸を荒くつむいでいる少女の様子に、少年は気まずさを感じた。特になんとも思わず気軽にやったことだったが、ここまで過敏に反応されればさすがに戸惑わざるをえない。

 ファリザードが起き上がってかれに向きなおり、目を三角にしてにらみつけてくる。


「いきなりなにをする!?」


 夜目にもその顔が、尖った耳の尖端まで真っ赤になっているのが見える気がした。

 まさか射たれはすまいがその手の弓矢が怖い。ペレウスはとりあえず謝った。


「わ……悪かったよ」


 だがどうも釈然としない。


「だけどきみ、ジン族だろう」ついつい口に出し、


「それがどうしたっ!?

 ……まさかペレウス、おまえもジン族がつつしみの足りない種族だという悪質なうわさを信じているんじゃあるまいな」


 返ってきたその言葉に耳を疑い、ぽかんと間抜け面をさらしてから、ペレウスは懐疑的につぶやいた。


「……あれって嘘だったのか?」


 たちまち顔に血をのぼらせたファリザードが噛みついてきた。


「ほんとうなわけあるか、侮辱もいいところだ! 他種族が流布させた破廉恥なでたらめだ、わたしたちに貞操観念がないとでも思っているのかっ」


「だって、屋敷内でよく裸に近い格好してたじゃないか」


「あれは伝統的な部屋着だ! 薄物姿を見られるのと、肌に触られるのとはぜんっぜん別の次元だ!」


「そ、そうかもしれないけど」


 ペレウスはたじたじとなりながらも、自分が心の奥で納得しているのを感じた。

 これまでも、あれ、と思ったことはあったのだ。ファリザードと決闘したときや、砂漠に出てからの会話のうちに、「この子はもしかしたら耳年増なだけではないだろうか」とかすかながら疑念を抱いてきた。

 少なくとも直接接触に関する反応をみるかぎり、ファリザードはむしろ初心(うぶ)なほうであろう。


(よく考えれば、ヘラスもどちらかといえば裸体をみせることにはおおらかな文化じゃないか。

 それなのに表面のことだけでジン族を自分たちより淫乱と決めつけてきたのは、敵対する文明を貶めたいという意識がぼくの中にあったのかもしれない)


 本気で和平を目指す以上、こうした悪しき偏見は改めなければならないだろう。ペレウスはなだめるようにこくんとうなずいてみせた。


「わかったよ。ジン族につつしみが欠けるというのは、まったくいわれのない中傷、または誤解だったってことだね。つまりきみらは私的な領域で薄くさっぱりした服装を好むだけだと」


 が、ペレウスの確認の問いに、ファリザードはぐっと詰まった。興奮を一瞬で冷まし、彼女はなにやらばつが悪そうに両手の指先をからめあわせた。


「誤解は誤解だが……そういわれるようになった心当たりがまったくないかというと微妙かも……」


「……どっちだよ、けっきょく」


「だから、誤解を生むような事情はなくもないというだけの……わたしたちにはラヘム=コフル(子宮錠)があるので、そのう」


「ラヘム=コフル? コフルってファールス語では錠だっけ? なにそれ?」


「……もういいだろ、この話! 婚前の娘が話すことじゃないんだ、イスファハーンに帰ったら父上に聞けっ」


 強引にファリザードが話をうち切ろうとした。ペレウスは得心がいかない。疑問をどうしてもはっきりさせておきたい性質(たち)なのである。

 そういうわけでかれは頬杖をついて半眼になり「ちぇっ」とむくれた。


「以前に小便王子とあれだけ連呼してただろ。この期に及んで淑女ぶったってさ」


 四つん這いでそろそろとかれのそばに戻ろうとしていたファリザードが凍りついた。動きが凝固し、彼女の手のひらの下の砂がにぎりしめられてじゃりっと鳴った。

 予想とちがう態度に当惑し「ファリザード?」と声をかけた少年のまえで、少女は砂の上に座りなおす。ややあって、砂に染みて消えそうなほど小さな声が聞こえた。


「悪かった、ペレウス」


 さっきとは別の羞恥――深刻に恥じ入った響きがその声にはあった。

 ファリザードのしおらしい謝罪にかえってペレウスのほうがあわてた。いまさら責めるつもりでいったわけではなかったのだ。

 たしかに昔は恨みに思っていた。嘲笑され、面罵されて彼女に憎悪に近い気持ちを抱いたこともあった。けれどいまとなっては……さまざまな経緯を経て仲良くさえなったいまでは、ぽろっと口に出せるくらいには過去は気にならなくなっていた。かれの中でファリザードへの負の感情は風化しきっていたのである。


「ええと、べつにそのことはもう――」


「ううん、けじめをつけたいんだ。聞いて。

 わたし、あのころはヘラス人が大嫌いだったから……ヘラス人をすぐ見下げようとしたし、馬鹿にできる機会があったら喜んでそうしてきた。

 おまえのことは、一度酔っ払って失敗したことだけ見て情けない奴だと思いこんでいた。けれど、そんなのはたいしたことじゃなかったっていまならわかる。

 わたしは、わたしのわがままで砂漠に連れだした者たちを賊にむざむざ殺させてしまった。一方で、おまえはあの混沌の場からひとりとはいえ救いあげることができた。助けられたのはわたし自身だから礼をいわねばならないのとは別に、わたしは……おまえに謝らねばならない。

 貴族の資格がなかったのはわたしのほうだった」


 ファリザードの吐露に、ペレウスはなんと反応したものかわからない。

 ――漏らしたのはほんとうは酔っ払っての失敗じゃないんだけど……

 ――悪いのは襲ってきた賊だ、きみがそうも責任を感じることはないと思うけれど。

 いいたいことがつぎつぎ頭の中に浮かび、口にのぼる前に心のうちに散っていく。同性に襲われた事実を語るよりは、酒による失態だと思っていてもらったほうがましだった。みずからを責めるファリザードが欲しいのは安易な慰めの言葉ではない、と気づいてもいた。


「ずっと間違った態度をとってきて、ごめんなさい」


 彼女が沈痛な声でそういってから、ようやくペレウスは口をはさむことができた。


「もういいってば。ぼくはほんとに気にしてない。きみもあまり深刻になるな」


 面映ゆげにそっぽを向き、ペレウスは砂の上に起きあがると「そんなことより」と切り出した。

 気恥ずかしさが限度に達して話をそらした格好だが、要件があるのもまた確かだった。


「目指す水場に明日には着くんだったね。これはその前にどうしても話しあっておかなきゃならない。

 ぼくらには警戒しなければならないことがある。あの賊どもの移動能力のことだ」


「……あれか。邪教の妖術をこめたダマスカス鋼の宝具――〈扉の宝玉〉と呼んでいたな」


 悄然としていたファリザードの緊張が別種のものに変わる。

 会話をやめなかったのは空腹をまぎらわせるためだけではない――自分たちを追っているかもしれない賊への恐怖を忘れるため。そのほうが、比重としては大きかった。


(けれど、いつまでもこの話題を避けて通れない)


 ペレウスは罠にはめられた日のことをこと細かに回想しながら、確認するようにいった。


「あいつらは泉を飲めない塩水に変え、〈扉〉の出口にしていた。宝玉が溶けた妖術の扉をくぐると、ぼくらは一瞬で塩水の泉へと移動した」


「あれはまさに邪悪の(わざ)だ」ファリザードが忌まわしそうに吐き捨てた。「泉は砂漠渡りの者たちにとって生命の綱だ。それを汚してまわるだなんて」


「あの妖術がこの地に与えた害は、ただ泉を飲めなくするだけじゃないぞ」ペレウスは指摘した。「あいつらはこのイスファハーン公領で無道をほしいままにし、守備隊の兵に追われながらも半年以上もまともに尻尾をつかませることがなかったんだろ。いくらきみの家の領地がヘラスすべてを合わせたより広大だからといっても、こうまで捕捉を逃れつづけているのは妙だと思っていたんだ。

 だが、あの力があれば話は別だ」


 空間を飛び越えることができるならば、たとえ数に勝る軍に追跡されても、追いつかれる前に姿をくらますことが可能である。

 賊の一群を見失って右往左往している守備隊を置いてけぼりに、移動した先の別地点でまた襲撃をくりかえす。これでは、賊の秘密を知らないかぎり捕らえようがない。


「ファリザード、あらためていうまでもなくあの力は厄介だ。

 あれは明日、ぼくらを脅かすかもしれない。ぼくらが水場に着いたとき、やつらが妖術を使って、先回りして待ち構えている可能性がある。そうなれば――」


 おしまいだ。その言葉を寸前でペレウスはのみこんだが、ファリザードはあえて聞かずとも続きを理解したようだった。彼女も暗くうつむいた。

 向い合って座りこんだふたりの周囲で、夜の闇が濃度を増した気がした。


 軽率だっただろうか、とペレウスはこぶしを固めて砂を凝視した。


(話しあう必要なんて、ほんとうにあったのか? できることなんてないのに。ぼくは……どうにもならない不安に耐えきれず、ファリザードを巻きこんで少しでも心の負担を減らしたかっただけじゃあないのか?)


 考えに沈んでいたため、ファリザードが忍び足の猫のように音もなくにじり寄っていたことに気付かなかった。

 そろりと伸べられた手でひざ頭に触れられて、ペレウスはようやく驚きを覚えて顔をあげた。彼女のほうから触れてくるのは珍しかった。


「前へ進むしかないんだ、ペレウス」ファリザードの決然とした表情が眼前にある。「水は尽きたのだ。いまさら立ち止まることも引き返すこともできない。

 わたしたちにできることはただひとつ、覚悟することだけだ」


 過酷な現実を彼女はあえて突きつけてきた。

 ペレウスは深々と嘆息し、それから彼女のいうとおりに腹をくくった。

 先へ進めばひどい目にあうかもしれない。けれどここまできて引き返せば間違いなく渇きで死ぬ。


「それでも、死ににいくんじゃない。少しでも、生の可能性が高いほうに賭けるということだ」間近で彼女がいう。


「仇をとるとおまえがいったろう――血の貸しを取り立てるため生きなければ」


 一呼吸おいて、ペレウスは強くうなずいた。


「そうだ。死者たちの仇をとるためにも、生きなきゃならない」


 互いの瞳をみつめて一語一語誓うように――


「復讐と裁きのため、イスファハーンに帰ろう、ファリザード」


「かならず、わたしとおまえとで」


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