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19.ふたり旅

窮地を脱したペレウスとファリザード先へ進み

語らううちに親しさを増すこと


 進むほどに砂漠の大地は、塩や岩石や枯れ草ではなく砂地が目立つようになってきていた。

 柔らかくもりあがる砂丘を、らくだと馬の一頭ずつが越えていく。


「ペレウス、あれをみるがいい。あれこそ唯一の主神のふたつの眼だ」


 鞍の前に乗り、らくだの手綱をとるファリザードが片手をあげ、西の空にかがやく赤い夕陽を指した。

 ついで、東の空にほのじろく浮かぶ月を。


「主神は昼も夜もわれらを見守ってくださる。

 それゆえ、神の両眼である日輪と月輪にかけて誓われたことは、けっしてくつがえしてはならないんだ」


 少女の話を、後ろに座ったペレウスはふむふむとうなずいて脳裏にきざみこむ。


 ふたりが乗っているこの二瘤(ふたこぶ)のらくだは、朝方に砂漠をさまよっているところを捕らえたのである。木製の鞍がついていて、弓と矢筒までが鞍にとりつけられていた。自分たちとおなじく砂漠の雨で氾濫した川に流され、乗り手が死んで獣だけが生き残ったのだろう。

 船のように揺れながら歩くらくだのかたわらに、忠実な黎明(サハール)号が並んでいる。ファリザードのいうところによれば、いざとなれば馬はらくだの三倍もの速さで走れるが体力的にはらくだに及ばない。「間近に危険がせまるまで黎明には乗らず休ませておくべきだろう。この子はついてくるからだいじょうぶ」とファリザードはいっていた。


 そうこうして、もともとの目的であった村を目指すうち、ペレウスはファールス帝国の文化を彼女に説いてもらうようになっていた。ちなみにファリザードはもうヘラス語ではなくファールス語で話しており、母語だけあってさすがにその語り口はなめらかなものだった。


(サー・ウィリアムもそうだったけれど、心置きなく母語で会話できるとなるとやっぱり気分が軽くなるのかな。

 それだけでもないだろうけど)


 友達として心を許してもらったということだろう。

 完全にぎこちなさが消えたわけではないが、いまのところ彼女はこれまでよりはるかに友好的な態度をしめしている。語りながら笑みすら浮かべることがあるのだ。

 そして、その新しい関係はペレウスにも居心地がよかった。かつては忌み嫌っていた帝国の文化も、このように良き語り手を得ると、すべてが興味深く……


(なかでも、宗教についてくわしく知っておくのは重要なことだ)


 神話や神々は文化の中心にあるものなのだから。


 ……もっともファリザードいわく、この世には「神々」などなくただひとりの神しかおらず、残りはぜんぶ悪魔邪神のたぐいだそうだけれど。

 昼に最初にその話を聞いたときは「じゃあヘラスの神々も邪神だってのか」とペレウスは腹をたててファリザードに詰問し、「もちろんだ。多神教で偶像崇拝だから邪教だ」というきっぱりした即答をいただいた。

 当然のごとく喧嘩に発展したのち、神学論争はひとまず棚上げということで決着している。こうしてファリザードが唯一神について講釈するときは素直に聞くだけにしていた。


「“両眼”を目にするとき、そこは神聖な場となる。朝方や夕方の時間帯、太陽と月の双方が出ている下は、聖なる力の強まるときなんだ。

 ――そして厳粛な場ともなる。

 誓いはもともと破ってはいけないものだけれど、ことに両眼の光の下で交わされた誓いを破った者は、恐ろしいむくいを受けると伝えられる」


「ふたつの光の下、か。

 なんだか意外だな。ジン族って、闇に親しみ、闇を崇める種族だと故国で読んだ書物にはあったのに。きみたちってまっくらな場所でも目がみえるんだろ」


「誤解だ。わたしたちは暗闇を崇めることはしない」ファリザードは首をふった。「体の構造が人族より暗さに適応しているのは認めるし、夜は夜で心が落ちつくのも確かだけれど、夜はあくまで親しい友であって主ではない。ましてや闇を崇拝などはぜったいにしない、すくなくとも現在のファールス帝国のジン族は。

 そのヘラスの書物は嘘を書いている……もしくは、古いんだ」


「古い? ……ああ、そういえば、古代ファールスのことを書いている書物だったかも」


「それだ。五つの公家の先祖たちが真の宗教をもたらす以前の無道(ジャーヒリーヤ)時代、この地の人族は炎の神を崇め、先住のジン族は闇の神を崇めていたから――」


 そこでファリザードは押し黙った。理由はペレウスにはよくわかった。

 一昨日、彼女の一行を襲った賊……ふたりが命からがらその手から逃れた賊のことを思い返しているにちがいなかった。その賊の首領はジオルジロスという古名を持ち、暗黒の神の司祭と名乗っていたのだ。

 ふたりが仲間を失い、ふたりきりで安全な地へと逃れるべく歩き続けなければならないのは、あのジンの古老のせいだった。


(……ヘラスの神々は邪神じゃない。でも、あの生贄を要求する古代神はまぎれもなく邪悪な存在だった)


 先住のジン族だったというかのジオルジロスにとって、よその地から来て古代ファールスの打倒にかかわった新ファールス帝国のジン族は、憎むべき侵略者なのだろう。それでも、ペレウスには賊に同情してやる気はかけらも起こらなかった。

 なにしろ僥倖もいいところなのだ、二日前のあの日に助かったのは。


 荒れ狂う川に飛びこんだ結果として、ファリザードは溺れて死にかけ、ペレウスも肺に息をためてなるべく浮こうとするだけで精一杯だった。

 ほんとうに死んでいただろう。流れが湾曲して水勢が弱まるところで、黎明号が奮迅のはたらきを示してくれなければ。

 黎明は、ふたりをつかまらせたまま対岸まで泳ぎ渡ってくれたのである。

 幸運のたまもので、流されてくる数多の障害物にぶつかることもなく、相当下流に流されたのちにふたりと黎明は上陸できたのだった。

 洞窟へと逃れ、一夜を明かしたのち、ファリザードが計画を立てた。


『イスファハーンに引き返そうとするのは危ない。賊が張っている可能性が強いし、飲める泉が途中にない。水がなければ人は数日で死ぬ。

 やはりもともとのわたしたちの目的地である村を目指し、そこであらたな護衛隊を編成してからイスファハーンに戻ろう。

 村は西の方角にある。ここからまっすぐ行く道と、南回りに弧をかいて行く道があるな』


『どっちが早い、ファリザード?』


『断然、まっすぐの道だ。南回りは四日はかかるが、西への直進だと、砂漠を二日急げば夕方前には目指す村に着く。水を補給する必要もないかもしれない。

 でも、その道はいまとなっては危険だ。避けなければならない』


『なんで? 砂嵐がよく起こるとか?』


『ひとつのオアシスがあるんだ』ファリザードは懸念をあらわすように声をひそめた。オアシスは砂漠のなかにあって生命を守るもののはずなのに――とペレウスは不審に感じたが、オアシスの名を聞いたとき疑問は氷解した。


『そのオアシスは、獅子(シール)の泉と呼ばれている』


『……ライオンが出るオアシスの名だったね、たしか』


『出るどころじゃない。群れになって徘徊している。

 獅子の泉は獣のための聖なる地だから周辺で狩猟をするな――というのが古来からのならわしで、つねに一定数が生息しているんだ。

 あるていど大勢の人間がふみこめば襲われることはまずなく、たいていは獅子たちのほうが一時退散するから、二十人以上の規模の隊商などはときどき利用する……でも、わたしたちは、子どもがたったふたりだ。

 ……そして、行ってみてもし獅子がいなければ……それは、獅子の泉に一定の数以上の人間がいるということだ』


 ファリザードの口調がおのずと緊迫したことで、ペレウスは気づいた。

 このあたりで大勢の人間が砂漠をかけまわっているとしたら、あの賊どもである可能性が高い。


『四本足の危険な獣に出会うのはいやだし、二本足の獣どもとなるともっと願い下げだ。

 では南回りの岩山沿いしかないね、ファリザード』


 そういうことで、進路が決まったのだ。

 不安はむろんつきまとう。不安だらけといっていい。

 それでも、それをいってしまうのは避けてきた。


(賊のことは、いまは口にしないでおこう)


 憎しみをかきたてるだけならよいのだが、一方ではまた奴らに出会うかもしれないという恐怖で浮き足立ってしまいそうになる。

 話の流れを変えるべく、ペレウスは質問した。


「五つの公家っていったよね。政治の仕組みについてもよく知りたいんだけど。

 えっと……この帝国って、上のほうは一人の上帝と、五つの公家と、十七人の太守によって統治されているんだったね。基本は五公がもちまわりで上帝(スルターン)の座につくんだろ?」


「もちまわり、というのとは違うな」


 ペレウスの話題転換を受け、気をとりなおしたファリザードが鞍にすわったまま上体の向きを変えた。彼女の顔がペレウスの眼前に来る。胴体を大きくひねって肩ごしにふりむいただけであるが、ジン族の体の柔らかさにペレウスはぎょっとした。


(ほんとに猫みたいな身体機能の種族だな)


 ペレウスに向きなおったファリザードの顔は、小首をかしげて説明のしかたを考えているふうである。


「五公家は征服時代以前からある、もっとも古い五つの家系だ。

 その当主たちは上帝となる資格を有し、自分たちのなかから上帝を決める権利をもつ。

 あらたな上帝を決めなければならないとき、五公家の当主たちは会し、おたがいのうちから上帝を選ぶ。最終的に過半数つまり三人の票をあつめた者が上帝となる。

 逆に、公家は上帝を退位させることもできる。それが起こりうる条件は、五公家の当主のうち四人が退位勧告することだ」


「なるほど、上帝自身の出身家系以外の四家か。でも待って。もし上帝が退位させられることに納得しなかったらどうなるの?

 それを不満としてほかの四公を攻めたりしたら。あ、仮定の話だから怒らないでほしいんだけど」


 その質問にファリザードは「知らないのか、ペレウス?」と目をみはって、「そういう例が過去にあるじゃないか」と答えた。


「百二十年前、ヒジャーズ公家のムタワッキル帝、通称“背信帝”が、直属する十七人の太守すべての軍を招集して、ほかの四公を滅ぼそうとしたことがある。

 内乱ののちヒジャーズ公家は敗北し、背信帝の血につらなる者は族滅された」


「族滅!?」


 ペレウスは思わず動転した声を出した。


「そんな……ヒジャーズ公家ってきみらの本家筋じゃなかったか。いちばん由緒正しい……そうだ、たしか『太陽と月』が紋章だったと記憶しているよ。

 それに、現にまだヒジャーズ公家は存在してるじゃないか」


「ただひとり、当時五歳にもならない幼子がいたんだ。その子が長じたのち、他の四公の許しをえてヒジャーズ公家を継いだ。その子以外はひとりのこらず抹殺されたよ。

 ……たしかに残酷だけど……上帝とはいえあまりに無理を通すことはできないこと、暴君となれば公家の結束に潰されること、それを後世に示さねばならなかったと父上はいっていた。それでこそただひとりの上帝が暴走することを押さえられるのだと。

 五公制度こそがファールス帝国の柱なんだ」


 微妙に誇らしげなファリザードは胸をそらして歌うようにいった。


「ヒジャーズ公家は太陽と月。正宗の家であり、その紋章はわれらが教えをつかさどる。

 ダマスカス公家は魔石。紋章は叡慮と魔術鍛造の技をつかさどる。

 ホラーサーン公家は剣。紋章は苛烈さと武をつかさどる。

 サマルカンド公家は塔。紋章は堅牢さと建築の技をつかさどる。

 このように、五公の紋章はそれぞれの家門の特徴と伝統をしめしている」


 ふうんと感じ入ったのち、ペレウスはなんの気なしに訊いてみた。


「ところでイスファハーン公家は薔薇だったよね。どんな特徴と伝統があるの?」


 とたんに、胸を張っていたファリザードが余計なことをいってしまったという顔になってもぞつきはじめた。ぽそりと小さく、


「……女だ」


「女?」どういう意味かよくわからない。ペレウスはあくまで大真面目に「どういうことさ」とたずねた。

 ファリザードはしかたなさげにいった。


「その……イスファハーン公家はどういうわけかめったに女が生まれない。そのかわり、たまに生まれる娘は、ジン族のうちでもとりわけ美しく価値があると言い伝えられてきた。

 だから征服時代以前からほかの四公の家系はもちろん、大陸の列王から求められたんだ。古今に比類なき魔術師と名高いかの帝王、スライマーン・ベン・ダーウド(ダビデの子ソロモン)にもわが家は妃を提供したんだ。

 その歴史から、新ファールス帝国の建設後は、女性の象徴である薔薇を家紋に採用したわけだ。『美、愛、複雑な姿』が薔薇のつかさどるものだ」


「そんな由来なんだ。……ん? 待ってよ、もしかしてきみってそのイスファハーン公家の女児か?」


 そこに気づいたときのかれの「え、こいつが」といわんばかりに愕然とした顔は、ファリザードの機嫌をいちじるしく悪化させた。


「おまえはわたしが男児にみえていたのか? たしかにこの砂漠渡りの服は男のものと同じにあつらえさせてあるが、本気で確認が必要なら目薬で顔を洗ったほうがいいぞ」


「いや……」


 口をとがらせた男装の少女をみやって、ふっとペレウスは醒めた微笑を浮かべた。

 ペレウスにとって、友情を築いたとはいえファリザードはやはり生意気な小娘である。

 同い年の少女に対しわりとひどい認識だが、基本的にかれが好ましく思うのは、奴隷の娘ゾバイダのような年上の女性である。包みこむ優しさと匂いたつ女らしさをもつ大人びた女性に惹かれるのだった。皮肉屋でじゃじゃ馬で精神年齢も肉体年齢もまだ子供でしかないファリザードに、異性的な意味での関心はない。

 もっとも、彼女はつつけばいちいち反応してくれるので、からかう楽しみにはちょっと目覚めかけている。

 このときもペレウスは、謹言なかれにはめずらしくにやっと口の片端をあげた。


「『美、愛、複雑な姿』か……なんといったものだろう……きれいなおとぎ話を耳にしたあとで現実が目に写ったというか」


「ど、どういう意味だその失礼千万な言いぐさはっ! よくみろ、どうみても薔薇姫と呼ばれるにふさわしい美少女だろ!

 おいペレウス、なんで笑い出すんだ、こっちみろ、おいっ」


 赤くなったファリザードが、怒り心頭にこぶしでぽかぽかとペレウスの脚を叩いてくる。

 ペレウスは誤魔化すべく口元を覆い、頬の内側を噛んでいたが、ここにいたってそれでも足りず、笑いの発作が横隔膜をつきあげそうになった。


(複雑さだって? よくも悪くもこの子にそれはないよ)


 重なる薔薇の花弁が複雑性を象徴しているのだろうが、ファリザードのどこにそのような複雑さがあるというのか、本気でわからない。

 打ち解けて以来、彼女の単純といっていいほど素直な一面はますます鮮明になってきていた。


(悪いことじゃない、率直さだって美質だ)


 ペレウスはかれなりにこの「旧知の、新しい友達」が気に入りだしていたのである。

 ぶんむくれる様すら無性にかわいらしくて、頭を撫でてやりたいくらいだった。


(こんな妹が欲しかったのかもな、ぼく)


 鼻をつねりにきたファリザードの手をふせぎ、攻防をくりひろげながらペレウスは晴朗に笑った。


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