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16.和解

ペレウスとファリザード、和解の握手のようなものを交わすも

直後に賊の悪辣さに痛い目をみせられること

 いやな笑いを目元に浮かべている賊の軽騎兵のそばを夢中でかけもどり、ペレウスは開け放たれた城門内にとびこんだ。まだとどめ置かれているファリザードの衛兵たちの視線が、いっせいにかれに集中してくる。

 曲輪の奥と左右にすばやく目をめぐらせ、上方をあおいで、少年は状況をのみこんだ。


(そうか、奥にもうひとつ門があって、そっちが開かなくなっていたんだな。これでは袋小路だ、先に進めるわけがない。そのうえ頭上の胸壁からは弓で一方的にねらわれている)


 城にそなわった罠を、賊は完璧に利用していた。おそらく、こちらが城に接近していることをかなり早いうちに知って準備していたのだろう。

 ほぞを噛んだのち、ペレウスは顔をもどした。

 正面、衛兵たちに囲まれて、馬に乗ったファリザードが呆然とかれをみていた。ペレウスが近づくと、衛兵たちがたがいの顔をみあわせてわずかに空間をあけてくれた。

 ペレウスの姿に、ファリザードは「生きてたんだな」とつぶやいたのち、われにかえったように身を震わせ、鞍からかがみこんだ。賊に聞こえないようささやき声で叱咤してくる。


「なにやってる、はやく人夫たちといっしょに去れ。ミュケナイの王族だと知られたら、おまえも人質にとられるぞ」


「ファリザード」


 ペレウスは間近から鞍上の彼女をみあげた。まだ迷いながらではあったが、かれはひとつの提案をした。


「……ぼくも残ろうと思う。きみを放ってイスファハーンに帰れない」


 少年の申し出に、ファリザードは息をのみ……つかの間の絶句ののち、「なにいってる、ばか!」と声をうわずらせた。

 荒い口調――ただしその声音は立腹しているというより、動転して泣きそうな響きを帯びていたけれど。


「帰れ! おまえが残ってなんの意味があるっ」


「このままじゃ、きみのお父上に申し訳がたたない」


「おまえのぶんまで身代金が加えられることになる。父上はミュケナイに請求書をまわしたりせず、責任を感じてそれを払うぞ。よけい迷惑がかかる」


 ペレウスは固まった。考えてみれば当たり前のことだが、失念していた。考えつつかれは「それなら」と言葉を継ぐ。


「身分を隠して――」


「それこそ論外だ。人質の待遇を保証するのは身分と身代金の多寡だ。身分を伏せて平民をよそおえば、どのような扱いを受けるかわからない」


「でも、この衛兵たちだってその危険は同じだろう。かれらはきみのそばに残るじゃないか」


「残らされるのだ。帰せるものならかれらも帰す。かれらは、わたしの家に仕え、わたしを守る義務を負っているのだから構わないといってくれてはいるが……

 おまえは違う、我が家のしもべではなくいちおう客だ。おまえには義務もないし、おまえがもし命を落とせばイスファハーン公家の不名誉になる」


 かれを追い返そうとして懸命に言いつのるファリザードの指摘は、ことごとく的を得ていた。

 ペレウスの頭が徐々に冷えていく。彼女のいうとおりだとかれはほぞを噛んだ。かれがここに残っても、なんの役にも立たぬどころか、みなを困らせるだけになるだろう。


(思いつきでいうんじゃなかった、ぼくはばかだ)


 十二歳の少女を、残酷な賊のただなかに置いていくことは気が進まなかったのだ。なにか力になれるものならなりたかったのだが……

 無力感にうちひしがれかける――そのかれの目の前に、ファリザードがなにかを腰からはずした。「おまえの手でこれを父上にわたして」と彼女はいった。


「持っていたら、いつ賊に取り上げられるかわからないから。おまえに任せる」


 鞘におさめられた七彩(ハフト・ラング)がペレウスの鼻先につきだされていた。

 ペレウスは逡巡しながらもその鞘をつかんだ。渡しながら、ファリザードが「いいな、帰るんだ」と念を押してくる。

 それから、「……あの、それと……」と、


「――残るといってくれて、ありがとう。気づかって申し出てくれたこと自体は、感謝する」


 はにかみながらの礼――宝刀とともにそれを受け取ったとき、ペレウスは唐突に意を決した。

 少年は刀を小脇にかかえ、少女をみあげてきっぱりいった。

 ファールス語で。


「お父上はきみをかけがえのない宝といっていた。かれはきみを取り戻すために持てる力すべてを注ぎこむはずだ。

 だからきみは早いうちにお父上のもとに帰ってこれると思うよ、ファリザード」


 それまでヘラス語でのみ会話していた相手が、いきなり帝国の言語で話しだしたことで、ファリザードも衛兵たちも意表をつかれた表情になった。ペレウスは「いままで隠していてごめん」と暴露を続ける。


「ぼくはファールス語をこっそり学んでいた。

 打ち明けてしまうけれど、スパイするつもりだった……ヘラスのため、なにか役立つ情報をきみたちファールス人の会話からひそかに収集しようとしていたんだ。でももう、姑息なことはやめにする」


 ペレウスは握手のための右手をさしのべ、真摯に語りかけた。


「いまはもう、きみたちとの戦争を続けたくないと本心から思っている。これからはきみやお父上を信頼して、和平成立のために尽力したい。

 きみがイスファハーンに帰ってきたら、ぼくら、もうすこし仲良くやろう。友達になろうよ、ファリザード」


 少年の手が差し出されたとき、赤熱した鉄に接近されたようにファリザードはびくりと身を震わせてのけぞり、それからみるみるうちに顔を火照らせた。

 困りきった様子でペレウスの手をみつめ、彼女は手綱をにぎっていた自分の左手をそろそろと伸ばして、手のひらと手のひらを重ねるように合わせた。

 ぎこちなく目をそらし、蚊の鳴くような声で彼女はいった。


「ともだち……うん。そのくらいからなら……友達くらいなら、許してやっても……いい」


 右手と右手ではなく、右手と左手。へんな握手のかたちだな、と思いながらも、ペレウスはうなずいてファリザードの手をしっかり握った。とたんに「に、握るな」と少女の羞恥の声があがる。


「も……もういいだろ、放して……」


 ふたりをとりかこむ衛兵たちがあるいは面白そうに口の端をつりあげ、あるいはけしからんとばかりのしかめ面になった――ファリザードの衛兵隊長がふんと鼻を鳴らし、注意してきた。


「こら、ヘラス人の王子。ファリザード様が困ってらっしゃる。子供同士とはいえ男女が気安く触れあうものではない」


「ああ、ごめん」


 思い当たってペレウスは手をひいた。文化が違うことを失念していた。握手という習慣がないのかもしれない。あるいはひょっとして、この地ではぶしつけなことなのかも。

 いずれにせよこれからは、もっとよくファールス人の文化を知っておかねばならないだろう。

 まだ恥ずかしそうにしているファリザードが、手綱をちょっと引いて馬をかれから離したとき、陰々たる声が曲輪内に告げてきた。


「いまより第二門を開ける」


 落とし格子の上がる音がきこえ、それから、石の第二門が重々しくひらきはじめた。

 開いた門のその向こう側に、賊の首領が立っていて、「まずファリザード姫ひとりこちらに来い」と呼びかけ、顔をおおった黒布をとった。全員が驚愕に目をみはった。

 とがった耳に秀麗な目鼻立ち。青年にも見え、また意外に老いているようにも見える、年齢不詳の妖しい美貌――明らかにジン族の容貌。そしてそいつがファリザードを呼んだ声は、あの賊の首領のものだった。

 衛兵隊長が鼻にしわを寄せた。


「きさま、ファールス人……それもジンだったのだな。ただのヴァンダル人の賊より呪うべき輩だったか、裏切り者め」


 隊長の歯ぎしりめいたうなりを黙殺し、ジン族であった賊の首領は冷たい視線をひたとファリザードにあてた。


「ファリザード姫から城内の一室にお連れする。衛兵どもはそのあとで営舎に軟禁させてもらう」


「あっ、待て」


 ファリザードがあわててペレウスを指で示した。


「まだひとり、人夫が立ち去っていない。こいつも逃がす」


 ペレウスを一瞥し、興味なさそうに首領はいい捨てた。


「小僧ひとりか。勝手にどこへでも行け。だが先に逃げた人夫どもなら、馬やらくだを走らせてとっくに遠ざかっているぞ。追いつきたいなら急ぐのだな」


「……あの畜生のいったことではあるがそれだけは正しい。急げ、ヘラス人」と衛兵隊長がペレウスの肩をたたいてうながし、その部下たちも一様にうなずく。ファールス人たちは、この短時間でペレウスに前よりも好感を抱いたようだった。

 ファリザードが鋭い視線でさっと首領の顔を射抜いた。


「約束は守れ。衛兵たちにもいっさい危険をくわえるなよ」


「無用の心配だ。唯一神の両眼である日輪と月輪にかけて誓っただろう?

 だいいち、すでに人族の人夫どもを解放しているだろう。口封じするつもりならだれひとり逃がしていない。おまえの父親をさらに怒らせるとわかっていながら、いまさらわざわざ捕虜を殺す意味がない。

 来い」


 再度うながされて、ファリザードが覚悟を決めたように息を深く吸い、吐いた。彼女は鞍から軽やかな身ごなしで下り、ちょっとペレウスをみて「それじゃ、また」と小声でいった。

 みずから愛馬をひいて賊の首領のもとへむかっていく彼女を見送り、後ろ髪をひかれる思いでペレウスはきびすを返した……第一門からでていくつもりだった。


 落とし格子がいきなり落ちて閉まった。第一門と第二門の双方で。


 愕然としたペレウスの背後、第二門の落とし格子のむこうから、「なにをする、自分で歩く、放せ!」とファリザードの警戒の声が届いてきた。

 ふりむいてペレウスはみた――彼女のまわりに集まってきた賊兵たちが、その手から手綱をうばいとり、彼女の両側から腕をきつくつかんで動きを封じていた。主と離されたところで曲輪内にふたたび閉じ込められた衛兵たちが、憤怒の形相で第二門に押し寄せ、「貴様ら、何だこれは!? ファリザード様になにをする!」と格子を叩きはじめた。


 その怒号のむかう先――賊の首領が、ファールス語ではなくアングル語で、


全員殺せ(キル・ゼム・オール)


 耳に入ってきたその一言に、ペレウスのすべての思考が消し飛び、筋肉が凍りついた。

 賊がわざわざアングル語でつむいだその命令を聞き取ることはできた――しかしそれでも、反応を起こすまでにほんのわずかな間が空いてしまった。そしてかれ以外に、この場の味方でアングル語を解するものはいなかった。

 ファールス人のいでたちをした頭上の賊兵たちだが、ごく簡単なアングル語ならば解するらしく、かれらは矢をつがえた弓をぎりぎりとひきしぼり、


「守――」


 叫びかけながら衛兵たちのもとへペレウスが駆け戻ったとき、矢群がふりそそいだ。

 死をともなって、豪雨のように。


  ●   ●   ●   ●   ●


 落とし格子のむこうの曲輪で、惨烈な光景が展開されていく。

 ファリザードのいる城内側へ、三十名の衛兵の断末魔のうめきと、新鮮な血の臭いが流れてくる。胸壁のうえの賊兵たちは、背負う矢筒からとりだした矢を弓につぎつぎつがえ、下に向けてまだ放ち続けていた。

 拘束されたファリザードの声……制止の懇願、生存者への呼びかけをまじえた絶叫が城門一帯に響きわたっていた。


 賊兵ふたりに両側から腕をつかまれ、動きがとれず足をばたつかせるファリザードは、泣きわめきながら賊の首領をののしりはじめた。


「卑怯者、下種(げす)、人殺しっ……嘘つき、この嘘つきっ!」


 それを聞き流しながら、首領が物憂げにうそぶいた。


「覚えておくと役立つぞ、姫。この世では、だれもかれもが嘘をつく」


「よくも……恥知らずな……!」


『来たりて破壊しアーマダンド・オ・カンダンド・オ焼き払い殺し尽くせりスーフタンド・オ・クシュタンド』。おまえの伯父である〈剣〉が征服時代に、このファールスの地でおこなった虐殺はかくのごとく評され、この七の七の七の七倍ものおびただしい血を流したよ。

 わたしは土着のジンの部族だ。征服時代にわれらをこの地から追った新しいジン族――ホラーサーン公家にもイスファハーン公家にも、わたしはかけらほどの愛情も抱いていない」


 もがいて暴れるファリザードが、瞳にあふれそうな涙と憎しみの光を満たしながら糾弾した。


「日輪と月輪にかけて誓ったくせに、殺す意味がないといったくせに!」


「悪いが日輪と月輪への誓いなど、わたしにとってはねずみの糞ほどの価値もない。

 おまえら侵略者どもの『唯一なる主神』とやらはわが崇信の対象ではないからだ。その名において偽りの誓いをなそうが、それをふみにじろうが愉悦しか覚えん。

 わたしが司祭として仕えさせていただいているのはまったく別の神だ。このファールスの地に太古よりいませる御方だ。六つの腐った卵を産む神だ。すなわち悪思と虚偽と背信と、無秩序と熱と乾きの神だ」


 古代の暗黒神(アンラ・マンユ)の名を聞いたことはないか? とその司祭を名乗るジンは問い、


「殺す意味についてだが、わたしはそれについても嘘をついていたことを告白せねばならない。

 こいつらを殺す必要があったのだよ。わが神は血の(にえ)をこそ受けとってくださる。応えて力を与えてくださる。

 それをいまからみせてやろう。落とし格子を上げろ。――プレスター! おまえのダマスカス鋼の剣をここへもってこい」


  ●   ●   ●   ●   ●


 屍の山、流血の沼――

 積み重なるように横たわった衛兵たちの死体の下で、

 矢のつきたった盾を手に倒れていた少年が、瞳を開けた。


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