15.襲撃
賊により雨の砂漠に血がふりまかれ
ペレウス、ファリザードの嘆願に命救われること
その騎兵たちの全身をおおう甲冑は、どうみてもヴァンダル式のものだった。
遠い故国からきて「十字軍」を称した者たちの装備。雨をはじく銀や黒色の甲冑が、軍馬にまたがって殺到してくる。数は十名ばかりだが、それはじゅうぶんに重くまがまがしい威容だった。
こんなときでなければペレウスは、異国風の騎馬武者を興味ぶかく観察したかもしれない。
あいにく、そいつらが槍をかまえて襲歩でこちらに突進してくるときに、じっくり観察する余裕などというものはない。
最初、ずっとひそんでいたらしいその騎兵の小隊は、城壁の陰からごくさりげなく現れた。あっけにとられたペレウスたちから離れたところで馬を旋回させ、手際よく一列にならんだ。そして、いきなり拍車をかけ、空堀にそって走りはじめたのだ。
明らかにペレウスたちのいる縦列の横腹につっこむかまえだった。
『足並みをそろえた重騎兵の一斉突撃は、巨大なハンマーのようなものだ』
かつて酒をかっくらいながらサー・ウィリアムが、美々しい騎士物語とは相反する「現実の戦場の話」としてたれた教えが、警鐘となってペレウスの頭にひびきわたる。
『うっかりその前にいあわせた歩兵はご愁傷さまだな。転がったところで腹を馬に思いきりふみつけられると、腸がとびでて苦悶のうちに絶命する』
ペレウスは頬をひきつらせた。これが話にきいた、ヴァンダル人お得意の「重装騎兵の一斉突撃」であることは疑いないとおもわれた。
「なんだ、あれ」
列のほかの人々とおなじく、ぽかんとみていたパウサニアスがつぶやいた――いや、かれらは反応できず固まっているのだった。
ペレウスのみが、得ていた知識のおかげでかろうじて麻痺から逃れていた。
恐慌の叫びがのどまでせりあがってきたが、ペレウスはそれをおさえ、サー・ウィリアムの教えという頭のなかの引きだしをもう一度開けた。こうした場合の打開策はなんだったろう。
『地形も障害物もさまたげにならないならば、勢いにのった重装騎兵団のまえにたちはだかれるのは、槍をもった歩兵の一群かおなじ重装騎兵のみだ。それ以外のやつらは死にたくなきゃ逃げろ、だな』
槍? 甲冑? ペレウスはみまわした。
そんなものが味方側のどこにある? そもそも衛兵は先頭のファリザードのまわりに集中し、後方のペレウスたちのまわりにいるのは荷かつぎ人夫ら非戦闘員ばかりだ。槍持ちがいたところで、不意打ちに対応する時間もない。
『死にたくなきゃ逃げろ』
どうにか冷静でいられたのは、そこが限界だった。かれはそれまで話せることを隠してきたファールス語で「逃げろ」とつぶやき、
「逃げろお!」
もう一度、周囲のためにこんどは絶叫し、パウサニアスの手をひいて縦列からかけだした。
かけだした直後に背後で、災禍の嵐がまきおこった。
鎧をきこんだ人馬の突進――速度と質量がうみだす圧倒的な衝撃力――それが、第一門の外にはみだして長々とつづいていた縦列の横腹をなぐりつけたのだ。閉じた箱に頭をつっこんで動けなくなった蛇の胴体をけとばすかのような横撃だった。
走りながらふりかえってペレウスは戦慄の光景をみた。
鋼が肉を蹂躙していた。
賊――おそらく賊だろう――の騎兵たちは、最初の突撃で長槍を馬やらくだにつきたて、もしくは体当たりし、地に投げ出されたらくだ乗りや衛兵たちを馬蹄にかけていた。
(乗り物から殺しているんだ)
これまたサー・ウィリアムのいったことだ。
『青二才で功名しか頭にない騎士は戦場で強い敵との一騎打ちを求め、高名な敵を求め、突撃のときには馬上の人間をねらう。だが老練で戦慣れした兵ならば、多くはかたまって行動し、弱い敵から叩くことで戦列を乱させ、平然として相手の馬を殺す。獣の本能をもつそいつらのほうがずっと危険なのさ』
こけまろびそうになるパウサニアスをひっぱって、ペレウスは城門前から離れようと走った。一気に汗をふきだしたパウサニアスが「ばかな、こんなばかな」とくりかえしていた。
「あれがイスファハーン近郊に出ていたヴァンダル人の賊なんて、そんなはずはない……ぼくらは賊の出没する地方を後ろにしてきたんだぞ」
「先回りされたんだろ!」
「そんなはずがないよ!
砂漠の道には決まったルートがある、とちゅうに水が湧きでているか否かが、通れる道を決定するんだよ! この日数でやつらがぼくらに先回りするなら、ぼくらのたどってきた道を通るしかなかったはずだ! 気づかぬうちにそばを追い越されたとでもいうのかい!?」
「理屈を考えるのはあとにしろよっ、あいつらから離れないと!」
ペレウスがそうどなったとき、川と化している谷のほうから、二十名ほどの軽装騎兵がぱらぱらと駆けてくるのが見えた。砂よけの黒布を顔をふくめた上半身にまきつけ、小さいが強力な合成弓を手にした弓騎兵。
「あの格好はファールス人だ」
とたんに自失状態から立ち直り、パウサニアスは、「それなら味方だ、助かった――」といいながら、かれらにかけよろうとしてペレウスの前に出た。
その少年の眼前に、散開した軽騎兵のひとりが走りでるや弓をひきしぼり、ひょうと放った。
矢は飛電のごとく走り、パウサニアスの胸の真ん中をつらぬいた。
希望は瞬時に消しとんだ。都市クレイトールの少年の命とともに。
パウサニアスがおどろきの表情で、あ、と目と口を大きく開け、足をとめてかくんとひざを折り、雨を吸った砂にうつぶせに倒れこむ――その一切を、ななめ後方からペレウスは凝然とみおくっていた。
唇が意思をはなれて動き、つぶやいた。
「パウサニアス?」
あまりにあっけなくかれが死んだので、ペレウスにはこれが現実とは思えなかった。
(……こんな……殺されたのか、ほんとうに?)
だが、まぎれもなく現実であり、展開はペレウスを放っておいてはくれなかった。パウサニアスを殺した軽騎兵が新しく弓に矢をつがえようとするのが、視界の端で認識できた。
……やむなく死体の手を離し、ペレウスは方向転換してふたたび走った。背を射ぬかれる恐怖が、めくらめっぽうにかれを駆り立てた。
だれもが混乱しきっていた。城門のなかに逃げこもうとする者、城門から出てこようとする者、橋のうえで押し合って空堀に落ちる者。
重騎兵にけちらされて逃げようとした者たちが、包囲するように散らばった軽騎兵に弓で仕留められ、再度城門のほうへ追いこまれていった。
羊でも追いたてるように賊の包囲はちぢまり、ファリザードにともなってきた一行は、橋のまえへと集められていく。
そのありさまはもはや狩りの様相を呈していた。
(なんでヴァンダル人の重騎兵と、ファールス人の軽騎兵が組んでいる!?)
ありうるはずのない賊の構成。だがいぶかしむゆとりはない。
いま明らかであり問題なのは、賊兵のその組み合わせがこちらにとって最悪のものであり、死をもたらしてくることだけだった。
城門にかけよっても中には入れないことを遠目で悟った者たちは、たがいに背をあずけあった。狼の群れに囲まれた野牛の群れが、円陣をくんでみずからを守るように。
ただし、この敵は狼の群れよりはるかに危険であり、狩られるものたちは野牛ほど強くはけっしてなかった。
ペレウスも円陣を組んだ中にいた……いつのまにかかれは、足元の衛兵の死体から円盾をひろってかまえていた。となりに立った衛兵の盾とならべて、せめてもの防御壁をつくっていた。
だが効果はあまりないだろう。敵の重装騎兵の第二の突撃は、円盾の壁をやすやすと粉砕するであろうし、軽騎兵の矢は盾の壁の隙間をぬってこちらを殺傷するだろう。
大きな軍馬にまたがった黒い全身鎧の賊兵――おそらく重騎兵たちの指揮官――が、耳ざわりな命令の声を発した。
ちぢみあがって死を待つペレウスたちのまえで、重騎兵がまた横一列にならんでゆく。
つぎこそ死ぬ、とペレウスは悟った。絶望に盾をかまえる手から力がぬけていく。
そのとき、一時的に誇りを捨てる選択肢が心に浮かんできた。
(身分を告げて、人質になるといおう。身代金をとれるかぎり、捕虜は殺されることはない。きっとだいじょうぶだ)
命乞いするのはたしかにみっともないが……かんがえてみれば屈辱には慣れている。
命があればあとから復讐もできる。
(まず生き延びなくては。そして生き延びられたら、パウサニアスの仇をはじめ、今日のむくいをいつかかならず受けさせてやる。
借りを返そうとするのがジン族だけだとは思うなよ)
周囲の生き残りたちの命もなるべく助けなければ――ペレウスが口をひらこうとしたときだった。
「やめろ! もうやめろったら、わたしが捕虜になるといっているだろ!」
城壁の内側から、ファリザードの懇願のひびきを帯びた絶叫がした。雨の勢いがすこし弱まり、離れた場所の声が届くようになっていた。
「だからやめろ、これ以上だれも殺すな!」
それにつづいて、門楼の上から、「まあ、よかろう。軽騎兵ども、矢をおさめろ。プレスター、攻撃は待て」と、低い声がひびいた。
黒い鎧の指揮官が、面頬の奥から舌打ちをもらし、篭手をはめたこぶしをあげて何事かをいった。重騎兵たちが手綱をしぼって馬の猛りをおさえる。
ペレウスは瞠目した――いま発言した、門楼の上にいる顔に黒布を巻いた者は賊の首領なのだろう。かれは軽騎兵にはファールス語で、そしてプレスターと呼ばれた重騎兵の指揮官にはアングル語で呼びかけたのだ。
だがペレウスの注意は、賊の首領らしき者がつかった言語よりも、ファリザードがつづけた叫びのほうにすぐさま向いた。
「わたし以外の全員をいますぐ逃がせ、それが人質になってやる条件だ!」
「全員はだめだな。おまえの衛兵どももとどめ置く。あとから奪い返しにこられたらかなわん」
そのにべもない返答に対し、「兵にはよく含ませるっ、そんなことはさせないからかれらも解放しろ」とファリザードが必死にいいつのる声がした――だがそのうち、どうやら彼女は折れたらしかった。「……安全を保証しろ! ひとりでも死なせたら承知しない」と妥協の声がとどいてきたから。あるいは、まわりの衛兵たち自身から説得されたのかもしれなかった。
「それさえ守るならおまえらのいいぶんを飲む! わたしの身代金がいくらだろうと――」
「金貨十万ディーナール。薔薇の公家の女児の価値としてはそれでも安かろう」
首領がそっけないいい方で金額を口にしたとたんに、場が凍りついたように静まりかえった。異国人のペレウスでさえ、それが聞くだけで肝をつぶすようなとほうもない額であることは理解している。
しかし、ファリザードの声にはいささかもためらいがなかった。
「十万ディーナール。承知した。それで、わたしが連れてきた者たちのだれにもこれ以上危害をいっさい加えないと誓え」
「よかろう、話がまとまった。賢い姫で助かったよ」
「……城門の外にいる荷かつぎ人夫たちは即刻解き放て」
「わかった。かれらの身の安全を、われわれの唯一神のふたつの目にかけて誓う」賊の首領が天を指した。「日輪と月輪にかけて、誓うとも」
首領はつぎに胸壁の上で方向転換し、ペレウスたちにむきなおっていいわたしてきた。
「そういうことだ。門外にいるイスファハーン公家の下僕ども、おまえたちはいますぐきた道を戻って帰るがいい。
雨がふっているうちに、砂漠を歩くための水をたくわえておくことだな」
そう呼びかけられたことで、いましも殺されようとしていた、ペレウスのまわりのファールス人たちが一気に緊張をゆるめた。
かれらは、ファリザードが人質となることで自分たちの安全があがなわれたと知って、まずは一様に、救いがもたらされたことへの安堵を顔に浮かべた。
それから、危険から一刻でも離れたいというように足早に移動をはじめる。かれらのために退路をあけた賊の軽騎兵のあいだを、おどおどとおびえながら。
――しかし、その直後から表情はさまざまに変わっていった。人夫たちはやれやれ助かったと肩の力をゆるめていたが、泣きそうなほど悲痛に顔をゆがめた者もおり……ことに衛兵に多かったのは、苦渋をかみしめる表情だった。自分たちが守るべきであったファリザードに、逆に守られるしかなかったのだから。
ペレウスもまた、慙愧に下唇をかんでいた。
これまで彼女を誤解していたことを認めなければならなかった。
(どれだけ生意気でも、口先でとがったことをいおうとも、あの子はやはり父親の娘だ。ぼくが思っていたよりずっと善良な心を持っている)
イスファハーン公のことに考えが及んだとき、責任感につきうごかされた。
盾を手にしたままかれはくるりと方向転換し、去っていく者たちのなかから衝動的に走りだしていた。
城門へ、彼女のもとへむかって。