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14.虎口

一行、知らず虎口に踏み入り、

たちまちにして窮地におちいること

 砂漠の城につくころには、隊の全員が夕の雨に濡れそぼっていた。

 暗い曇天から落ちてくるしたたりは、勢い強く大粒のものだった。しかもその勢いは刻々と強まっていく。


(あの王子は列を外れずついてきているかな)


 ファリザードは鞍のうえで肩ごしにちらりとふりむいた。(あり)の行進のように黙々とつきしたがってくる縦列と、背後にしてきた谷が目にはいる。

 その谷はさっきまで涸れた川で、道として利用していた……なのにいまは、流れる水が土色にうねって、荒ぶる怒涛となっている。川の音と雨の音のどちらがより激しいかわからなかった。

 砂漠の大地は、水がもたらされるときでさえ苛酷だ。


 衛兵隊長が軍馬を走らせてくると、主君の娘の馬にならばせて、案ずる声をかけてきた。


「ファリザード様、雨よけの皮衣はほんとうにいらないのですか? 体が冷えますよ」


「だいじょうぶ。ニザーム卿の砦はすぐそこじゃないか。みんなが暖まるための炉や風呂を馳走(ちそう)してもらえるはずだ」


 騎乗したまま濡れねずみになった少女は顔をもどし、いまや目前にせまった城を指さした。

 この砂漠の城――名もなき(とりで)のひとつ――は、イスファハーン公家の旗手をつとめる妖士(イフリート)、ニザームが長らくあずかっている城だ。

 今回イスファハーンをとびだした経緯がみっともなく、たずねられたくもないので、ファリザードはこの城に立ち寄るつもりはなかったが……この雨ではやむをえまい。


 岩山の湧き水を利用したこの砦はかなり大きい。

 かつては城壁の外にまで耕作地が広がっていたそうで、城壁内には畑や兵舎や牢獄だけでなく寺院や浴場すらある……ただしいまは、大半の建物には人が入っておらず、緑の色もほとんどない。


 湧き水が極端に減り、深い井戸からくみあげられる程度の水量しかなくなったため、かつてにくらべて人が少なくなったのだ。イスファハーン公家が旗手のひとりにここを与えたのは、さびれかけた砦を守らせるためというより、忠実な臣下に城をひとつやろうとしたからである。


(……あれ?)


 衛兵たちに周囲をかためられて橋に馬をすすめ、雨水がたまりつつある空堀をわたり、開かれた門と落とし格子の下をくぐったところで、ファリザードたちは足を止めた。

 どうも様子が妙だった。先行した先触れの兵が、まだ門楼のうえへと呼ばわっていた。


(なんで第一門だけ開いて、第二門が閉じられているんだろう? これでは混乱してしまう)


 ファリザードの隊は、先頭が城になかば入ったところで行く手をふさがれた格好だった。そのうえ、「待て」の合図が隊のうしろまですぐには届かないため、第一門をくぐって続々と後列の者たちが入ろうとしてくる。

 小さな曲輪(くるわ)のなかで、押し合いへし合いしながら立ち往生するはめになっていた。

 衛兵たちはいらいらしながら叫んでいる。


「なにをふざけている、第二門を開けろ。われわれはイスファハーン公家の者だ。この悪天候ゆえにしばしの逗留を乞いにきた。

 門を開けろというのに!」


 返答はなかった。四方をかこむ胸壁は、一行をあざけるように黒々とそびえたち、沈黙していた。

 密集状態にいらだった兵士たちが、鉄の(びょう)をうった第二門をこぶしで叩き鳴らしはじめる。

「こら、乱暴なふるまいはよせ」と叱責する隊長の後ろで、ファリザードはふと胸壁をみあげた。 


 なめまわすような視線を感じたのである。少女の肢体にはりついたその視線の感触はひとつではないようだった。まわりを囲んだ矢狭間のそこかしこから、何者かがこちらを凝視しているのが感じられた。


(なんだろう、雨で薄まっているみたいだけれど、かすかにへんなにおいもする――)


 ジン族の感覚は鋭い。ファリザードが薄気味の悪さをおぼえはじめたとき、出しぬけに門楼の上から声がふってきた。


「最近は砂漠に賊が出る。日が落ちたのちは、身元を証明しないかぎりよそ者は入れん。

 まことにイスファハーン公家……薔薇(ばら)の一族ならば、その旗印をみせてみろ。でなければ門は開けられん」


 狭間胸壁に立っているのは、暗さゆえはっきりとはわからないが、砂よけの布を顔に巻き、鎖かたびらを着こんだ兵士のようだった。

 思ってもみなかった要求に気分を害した衛兵隊長が、さきほど「乱暴なふるまいをするな」と部下を叱ったことも忘れてどなりかえす。


「主家に対して門をとざしたあげく旗印をみせろだと? 賊は遠方を荒らしていて、われわれはそれに背をむけて遠ざかってきたのだぞ。われわれをよくみろ、荷を背負った人夫が半分近くをしめている。これが賊の一群にみえるのか!」


「奪った荷を背負った賊かもしれない。なにぶん、視界が悪いので後ろのほうまではわからぬな。旗印がないなら入れるわけにはいかん」


 胸壁に立って駄目出しをするその門番らしき兵士の声は、陰鬱でありながら奇妙によくひびいた。衛兵隊長が激高した。


「門番め、これ以上ファリザード様を雨にさらすようなことになれば、きさまのその態度はかならずニザーム卿に話して――」


「よせ、もっともだ」急激にたかまる違和感をおさえこみながら、ファリザードは制止した。「門番の役割はまさにこれなんだからしかたない」


「……わかりました。ここは旗印をみせて堂々と通り、とっちめるのはそのあとにいたしますか」


 しぶしぶ了承した衛兵隊長が、門番に聞かせるよう大声でそういった。こころえた衛兵たちが獣皮をかぶせた長持(ながもち)をあけ、旗をとりだして手で広げる。

 赤地に金糸で刺繍された、「黄金の薔薇(ばら)」の、イスファハーン公家の家紋。雨風にけぶった薄闇のなかにあっても、その紋章は燦然(さんぜん)とかがやいた。


 数瞬の無言のうち、門楼の上から「おお、たしかに」と声があがった。


「となるとそちらのご令嬢は、イスファハーン公家のファリザード様ですね」


 蛇がしゃべるとすればこうであろうというような、冷たくぬらつく声音――総毛立つものをファリザードは感じた。


(こんな声の者が、この城にいただろうか? おかしい。なにかおかしい)


 疑念をいだかせる門番の声が、曲輪に淡々とひびきわたった。


「無礼をお許しください。しばしお待ちを」


 それにこたえ、隊長がふんと鼻をならす。


「急げよ。雨に打たれながらでは気は長くないぞ」


 そのときファリザードは、さきほどから嗅いでいたにおいの正体に気づいた……彼女の一行がおちいっている状況にも。

 彼女らは四方を壁にかこまれた場所で、身動きに苦労するほど密集し、みおろされていた……脊髄が凍るような恐怖がにわかにファリザードをとらえた。

 とっさに手をのばして隊長の腕を押さえ、彼女は焦った声でささやいた。


「引きかえそう!」


 その唐突な言葉に、隊長は「なんです、ファリザード様」とけげんな顔をした。そののんきさに腹をたてる余裕もなく、ファリザードは必死にせっついた。


「戻ろう、いますぐ第一門の外に出よう!」


「戻る? 豪雨の砂漠へですか? ファリザード様、どういうことです」


「血のにおいがただよってくる!」


 彼女のまえでペレウスが耳をひきちぎられたとき、嗅いだにおい。

 脳裏に鮮やかなあの記憶が、雨に溶けたほんのわずかなにおいを識別させた。

 隊長が身じろぎをとめ、小鼻をひくひくさせて大気を嗅ぎ、そしてその顔色もまた変わった。


 しかし、あまりに遅すぎた。

 後方――第一門の外から、突撃ラッパが鳴りわたった。


 猛った吶喊(とっかん)につづき、馬蹄の音が雨音を押しのけた。

 いくつもの絶叫と断末魔がそれにつづいた。


 相手がだれかはわからなかったが、なにが起こったかは明白だった。

 何者かに不意打ちされた。こちらに害意をもつ者たちが城壁の内と外にひそんでいた。縦列の後ろ半分を襲われた。


(襲われたのは荷駄をはこぶ人夫たちやらくだ使いが大半で、まともな武器も持っていない――すぐに衛兵をむかわせて助けないと!)


「外に!」


 叫んでファリザードは馬首をめぐらし、急ぎ足で第一門から出ようとした――が、恐慌(パニック)にとらわれた隊後方の者たちが、逆にどっと城壁のなかに入ってこようとする。曲輪内にはいよいよ人馬がひしめき、駆け出るどころか、数歩進むことさえおぼつかなくなってきた。


「プレスターのいうとおりかもしれん。おまえらイスファハーン公領のやつらは、兵も民も平和呆けして、どこまでも愚かだ。

 城内の様子を検分もしないうちに、城の虎口(門にちかよる敵兵を殺すための仕掛け)に自分から頭をつっこみに来るとは、敵のことながら呆れはてる」


 門番――ではなかったその賊の男が、うずまく混乱を見下ろしながら、胸壁の上で独白していた。


「皮剥ぎ公アーディルの軍や、西方の戦の最前線に出ている軍にくらべれば、おまえらは赤子のようなたわいなさだ。

 それだからわれわれはイスファハーン近郊からこっちに逃げてきた。〈剣〉が伴ってきたのは二百名とはいえ、あの精鋭どもの前に立つなど正気の沙汰ではないからな」


 語りながら、偽の門番の手が合図すると、狭間胸壁にぞろぞろと弓をもった兵があらわれた。

 そのうちの一名が、手にしていた(まり)のようなものを曲輪に投げこんできた……それはファリザードの愛馬黎明(サハール)の鞍に一度ぶつかってはねかえり、石畳に転がった。


 ジン族のものである血まみれの首――ファリザードは衝撃と戦慄にあえいだ。


(ニザーム卿……)


「その城主も愚かだった。夜襲への備えがないも同然だったぞ。

 この規模の城壁を手抜かりなく見張るためには、歩きまわる五人以上の歩哨を胸壁の上に配置しておくべきだったのに。夜番はこの大手門に一名、裏門に一名がいるだけだった。それも、腰をおろして酒をなめ、目を光らせていたとはとてもいえないありさまでな。

 こっそり胸壁に這いあがり、後ろからしのびよってそいつらののどをかき切るのはたやすかった。そのあと、門を開けてわが方の兵をなだれこませ、城を占拠させるのも」


 “門番”とおなじく黒布で顔をおおった賊兵たちが、ゆうゆうと弓をひきしぼって配置につく。胸壁の上から下の曲輪へと射線を集中させられる、絶対的な優位をたもった位置。

 一行をのぞきこむようにかがみこんだ“門番”が、「終わらせようか。武器を捨てろ」といった。


「ファリザード姫を置いていけ。姫を人質としてよこすか、姫ごと全員が犬死にするか選べ。

 よく考えろ、だが急げ。雨に打たれながらでは気が長くないのは、こちらもだ」


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