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13.歴史の宿業

ペレウス、古代ファールスの宿業を知り、

ファリザードに道の変更をつげられること

 人と馬とらくだが縦列をなして砂漠をすすんでゆく。

 日射に焼かれた大地をふみしめると、塩の結晶がサンダルの下で乾いた破砕音をひびかせた。パウサニアスがぽつりといった。


「遠い昔、古代ファールスの全盛期以前には、ここは緑の土地だったらしいよ。

 かなたの山並みまで、歳経た巨人のような高い木々が天を衝いていたそうだ」


 ならんで歩み、らくだをひいているペレウスは、かれの話に興味をそそられて問い返した。


「森だった? じゃあなんでそれが、こんな不毛の地になったんだろう」


「人族の愚かさのせいだと、ジン族の記した書物は記録している。

 古代ファールスの諸王朝が、森を切り開き、焼き払って畑をつくることを民に認めていたからだと。人の数が増えるほど、森は減り、畑に変えられていった」


「……畑? 畑なんて、このへんには……村々のまわりにしかないよ」


「逆だよ、ペレウス。地下水がわきでるところだけ畑が砂漠化せずに残り、人々はそこに村を置くしかなくなったんだ。

 森を畑に変えて、しばらくはたしかに作物がとれた。けれど、やがて何も育たなくなり、荒れていった。このあたりの大地は、もともと生えていた木々がなくなればすぐ乾いていくらしいね」


「……なんで森の木々を切ることを禁止しなかったんだろう? 古代の諸王朝は」


「砂漠化はゆっくり進んだからね。初期王朝はあまり焦らなかった。いいや、問題視すらしなかった。

 中期王朝は何度か伐採禁令を出し、森林を守るため、地方長官をかねる監督官を中央から派遣して見張らせた。けれど、当時は人の数が一気に増えた時期だったそうで、人々が飢えないようにするためには新しい畑を開墾するしかなかった。民は監督官たちの目をぬすんで木々を伐り、または公然と反乱して森を切り開いた。ときには監督官自身が反乱を指導した。その反乱者たちにはかれらなりの正義があった……『飢える民を中央の悪政から救わねばならない』とかれらは一様にとなえて決起したんだよ」


「そんな……ずっと長い目でみたら、森林破壊こそが自分たちの首をしめることにつながっていたのに」


「百年先のことより今日や明日食べるもののことしか考えられないよ、人族の大部分はね。

 話の続きだけど、古代ファールスの後期から末期はもうぐだぐだだった。中央の力が衰えて、ファールス各地の地方長官たちは好き勝手に独立国をつくって攻めあった。そして、民を食べさせられない国は、民にそむかれ、他国に攻めこまれてすぐ滅ぶ。民の森林開墾をいまさら禁止することなんてできなかった。

 外からやってきたジン族の征服が、混乱と際限のない砂漠化に終止符をうったといわれている」


 日々の勉学を絶やさなかったパウサニアスは、ファールス語を解するだけでなく、ファールス文字の書物すらこともなげに読み解いているようだった。

 かれの秀才ぶりにペレウスは舌を巻き、感心して聞き入っていたが、最後の一言には眉を寄せた。


「……まるで、ジン族の征服がよかったようにいうじゃないか」


「ファールス人のためにはよかったんだろう、実際」


「そんなばかな」ペレウスは聞き捨てならないと反論した。「あの時代、ジン族によって古代ファールスの人族はたくさん殺されて、それまでの生活のしかたを変えさせられ、その信じていた神々は悪魔として捨てられた。そしていまもなお、この地の民はジン族にひれ伏さなければならない。そんなことをよかったっていうのか、パウサニアス?」


「かれらの自由にさせておけば、もっとひどいことになっていたよ、ほぼ確実にね」


 パウサニアスはすげなく断言した。ふだんは気弱そうなくせに、学問や歴史分析の話となるとこの少年は人が変わり、活き活きとしてしゃべりまくるのだ。……あと、政略を語るときも。


「群雄割拠していた古代ファールス各地の地方長官たちが、『われわれはお互いのいさかいをひとまず止め、森を守ろう。武器をつくるための炉に必要な(まき)をとらず、新しい畑を切り開くこともひかえよう』といったかい?

 かれらが砂漠化をふせぐなどという大義を実現するため団結できたと思うかい?」


「……いよいよ危機の瀬戸際まできたら、そうしたかもしれないじゃないか」


 ペレウスは抗弁をこころみたが、パウサニアスの口早の指摘にたちまち押し流された。


「ぼくらヘラスの『自由な』各都市をかえりみてごらんよ、ペレウス。口のうえでだけ大義に同調して、裏では互いを出し抜こうとしている。

 古代ファールスの人々もきっとおなじだったろう。隣国との争いに不利になるとわかっていながら森林の伐採をやめるなんてできなかったに違いない。

 ジン族……あの砂漠エルフたちがぼくら人族を『長期の視点をもつことのできぬ愚者』とさげすむのは理由があるのさ」


 かれの断定調の語り口に、たじたじとなりながらもペレウスはどうにも面白くない気分である。


「パウサニアス、きみはちょっと人族をこきおろしてジン族を賛美しすぎじゃ――」


 ペレウスが子供っぽく口をとがらせてそういいかけたときだった。

 軽やかな馬蹄の音がひびくと、青鹿毛の黎明(サハール)号にのったファリザードがふたりの横にならび、ぐいと手綱をひいて愛馬をとめた。


 ペレウスは警戒した。昨日まであてにしていた泉が使えなかったことで、「ほらな、わたしが水をめぐんでやったことで助かったろう」と勝ち誇られるんじゃないだろうかと思ったのである。

 が、ファリザードはむしろかれより気まずげな面持ちを浮かべたのち、声をはりあげてせっついた。


「これから涸れ川を離れる! 高いところへ移動して歩くから、ちゃんとついてこい」


「え……なんでわざわざ?」


 砂漠のこのあたりでは、涸れ川を離れると、岩が多かったり起伏があったりして地形が荒れている。

 若干ヘビが多いという問題はあっても、水がなくなって干からびている川の底がいちばん歩きやすいのだ。

 ファリザードは西の空をさして、その疑問にきっぱり答えた。


「あの雨雲をみろ。まもなく雨がふりだすんだ」


 たしかに、空の一角に雲がにわかにわきおこっていて、それは恐ろしい速度で広がっていた。


「そうか、砂漠にも雨がふるんだった」


「ああ。珍しいが、ごく稀に集中してふる。そうすると涸れた川に短時間で水が戻る。ここはたちまち洪水のありさまになるぞ。おまえたち溺れたくないだろう」


 説明に納得してペレウスはうなずき……ふと思いついた。


「そうだ、雨水が革袋に貯められるかも」


 それを聞いて、ファリザードがぎくりとした表情になる。その彼女の様子でペレウスもあることに気づいた。

 泉は使えなかったが結果として新鮮な水は補給できることになったわけで、「ほらな、わたしのめぐんだ水があって助かったろう」は通用しなくなった。ファリザードのほうが、「やっぱりあの取り引きは無しで」とペレウスにいいだされることを怖れているようである。


「そ、それと豪雨を避けるというので、やっぱり父上の旗手の城に寄ることになった! 決めたのはわたしじゃないからな、昨日の話と違うと文句をいうんじゃないぞっ」


 いいわけがましく一息にまくしたて、なにかいわれるまえにと彼女は手綱をめぐらしてすばやく逃げていった。パウサニアスがぽかんとして、疾駆する背を見送りながらペレウスにたずねてくる。


「……昨日の話ってなんのことだい、きみ? ぼくの前にファリザード様がきみのところに?」


「たいしたことじゃないよ」


 そういいながら、ファリザードの今しがたの狼狽を思い返してつい、ペレウスはくすりと笑った。


(都合が悪い話なのにわざわざ自分で伝えにくるなんて、意外に律儀なやつ)


 あんな生意気な子だが、たわいもない一面を知ってからはちょっとした可愛気を感じなくもない。ただその余裕の笑みも、パウサニアスが横で感嘆するまでだった。


「すごいなあ、ずいぶんファリザード様と打ち解けたじゃないか」


「……えー? どのへんがそう見えたんだ? 前よりはましだけど、さすがに友好的とはとてもいえない態度だろ」


「あの方が進路変更を教えにきてくれるなんて想像もつかなかったよ。嫌味か、例の決闘の誘い以外に、彼女が自分から直接ヘラス人に話しかけようとすることなんてなかったぞ。用があれば使いをよこして伝えるかこっちを呼びつけるだけだった」


「そこらへんが改善されたのはぼくもちょっと見直したけど……」


「……ま、もしかしたらきみ相手限定の変化のような気もするけれどね」


 声をひそめて、なにごとかをにおわせるようにパウサニアスがささやく。ペレウスはすこし考えた。


「そうかも。市門を出るまえに、彼女に『おまえに関わるとろくなことにならないからもう関わりたくない』みたいなことをいわれたよ。ぼくはどうもちょっと怖がられてるみたいだ。

 いずれにしても、打ち解けたなんてとんでもない勘違いだよ。イスファハーン公に怒られて鼻っぱしらを折られたから、態度が慎重になっているだけさ、あの子は」


 ペレウスのわけ知り顔の言葉に、パウサニアスがなぜか苦笑した。


「いや、きみ、そういうことでは……たしかにそれもあるかもしれないが……」


「それはそれとして」


 ペレウスはパウサニアスの要領をえない話を断ち切り、かれをじろりと横目でにらんだ。


「ファリザード()? きみも都市クレイトールの第九王子だろう、パウサニアス。

 イスファハーン公そのひとの名に外交礼儀として『様』をつける場合はともかく、その娘ごときにそこまでへりくだる必要があるのかい。ヘラスの王族として、もっと毅然としていなよ」


 そうペレウスが忠告すると、パウサニアスはなにかが笑壷に入ったように、本格的にくっくっと笑いをもらしはじめた。


「きみはほんとうに気むずかしくて強情でがんこなほど誇り高い『古い王族』なんだなあ、ミュケナイのペレウス」


 ペレウスはむっとした。


(おや、以前ファリザードには誇りに乏しい小便王子と罵倒されたけれど、パウサニアスには頑迷(がんめい)な骨董品よばわりされるのか)


「悪いかい?」


 ぶっきらぼうにペレウスがいうと、パウサニアスはとつぜん、ひどく真剣な顔になった。


「べつに悪くない。ただ、まわりがきみと打ち解けにくくなってしまう。そうしたいと思っていてもね。

 ペレウス、むくれず聞いてくれ。指導者には強固な意志と、人を受け入れる度量の両方が必要だ。きみはすでに強い精神を持っている。これからのために、度量をも身につけてほしいんだ」


「……自覚はあるよ。たしかにぼくは強情だし、人当たりのいいほうじゃない」


 ペレウスは一転して消えいりそうな小さな声になって答えた。

 このときかれは、パウサニアスが最初に話しかけてきたとき、とげのある皮肉を投げつけたことをおもって恥じ入ったのである。


「ねえ、パウサニアス、未熟なぼくが王政都市同盟の指導者っていうのはやっぱり無理があるよ。

 セレウコスたちには小便王子とこの先もあげつらわれるだろうし……ぼくよりほかに適任が……なんならぼくは、頭のいいきみを支持するけれど」


「また辞退の話か? アテーナイをしのぐ都市は武力ではスパルタ、権威ではミュケナイしかないんだよ。イスファハーンには都市スパルタの使節はこなかったんだから、セレウコスの母都市に対抗できる格をもつのは歴史の古いきみの都市だけだ。

 それと漏らしたことなんて、きみの敵以外は、きみが思うほど気にしないよ。十二歳のときの、酔っ払っての一度の失敗くらいはね。

 ぼくについては、補佐する役回りのほうが好みなんだ。おもてに出ずいろいろやれるしね。

 あきらめてかつがれなって、ペレウス」


「指導者というより、きみたちの傀儡(かいらい)にされるんじゃないかって予感がしてきたんだけど」


 らくだの手綱をひきながら、ペレウスは嘆息した。

 その頭上をみるみるうちに雨雲がおおっていく――肌寒く、そして暗くなってゆく。

 彼方に、ファリザードがいった城砦の壁がみえてきていた。


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