12.パウサニアス
ペレウス、都市クレイトールの少年パウサニアスに接近され
持ちかけられたとほうもない話に驚愕すること
砂漠のなかには点々と、旅人や隊商が利用できる泉が存在する。そのひとつの手前で、騎乗の者も徒歩の者も、隊の全員が足を止めていた。
ジン族の衛兵隊長が、先行していた兵たちを問いつめている。
「涸れているわけではないのに泉の水が使えない? どういうことだ」
肩をつかまれたひとりの兵は、いささかひるんだ様子で「それが、水が塩からいのです」と報告した。隊長が困惑を浅黒い顔にあらわす。
「ばかな、地下水の湧き水だぞ。それに塩砂漠の砂が入らぬよう、椰子の木々と風防柵がめぐらされている」
「わかりません。とにかく飲めないんです」
なんてこったと隊長は毒づき、ふりむいて隊に叫んだ。
「全員聞け。水にあまり余裕がない、むだに使うな。これからは急いで先に進むぞ」
ペレウスはファリザードからもらった水袋をにぎりしめて気を重くした。
(また節約と強行軍か)
パウサニアス――今回のファリザードの砂漠行に同道している、ペレウス以外の唯一のヘラス人少年――が横でヘラス語にいい直して伝えてくれる。
「泉の水が塩からくて使えないので、急いで先へ進むそうだ」
パウサニアスはそののち分析をはじめる。
「地形のどこかが崩れて、地下水脈に地表もしくは地中の塩が流れこんだのだろうか。いや、そのほかに考えられない」
かれはペレウスの一歳上の十三歳で、王政都市クレイトールの出身である。先日の決闘さわぎのとき、最初に「がんばれ、ペレウス」と声援をおくり、セレウコスにいいかえしてくれた少年である。学者肌で、ペレウスよりさらに痩せてひょろひょろしていた。
敵国語を解することをいまだ隠しているペレウスとはちがい、パウサニアスは帝国の地に来る前からファールス語を学んでおり、公然と話している。
仲良くなったあとの話によれば、「ファリザード様が砂漠に出ると館に報せがきたとき、イスファハーン公が娘に衛兵をつけるというので、見聞を広めておこうと混じらせてもらったのさ。ペレウス、きみの通訳もつとめてあげよう」ということだった。
じつはぼくもファールス語を話せるんだよと、ペレウスはかれにすっかりいいそびれていた。
かれと親しくなったのは昨日のことだ。
湯たんぽがわりにペレウスが抱えて寝ていた羊が、食用としてさばかれてしまった夕方の話である。
一人寝の寒さはファリザードに提供させた毛布で乗り越えるつもりだったが、おもわぬことに、ファリザードにつづいてパウサニアスがかれのところを訪れた。
『天幕を張るのを手伝うよ。ふたりいるだけでだいぶ違う』と話しかけてきたパウサニアスに、ペレウスは当初、不信感をすてきれなかった。
同じヘラス人に陰湿ないじめを受けてきた記憶は、薄れこそしたが忘れてはいない。
直接手をだしてきたアテーナイのセレウコス以下、民主政都市の少年たちは論外であるが、王政都市の少年たちも、傍観しているばかりで助けてくれなかった。
その恨みが、ペレウスに冷たい、ひねくれた物言いをさせた。
『いまになってぼくになんのつもりだい、都市クレイトールのパウサニアス。こちらには特に用はないよ』
『聞いてくれ……きみに許してほしいと思っている。王政の都市からきた者たちはみんなそうだ』
『なぜだ? ぼくがファリザードとの立ち会いに勝ったとたんいきなり「許してくれ」とはどうしたわけだい?』
このときペレウスは、気づかないうちに冷笑的な態度になっていた……が、パウサニアスのつぎの言葉はかれを絶句させた。
『きみはあれでヘラスの名誉を守った。そして、王政都市の子たちの面目もほどこしてくれたんだ。
ぼくら王政都市の子供たちは、これからはきみを中心に固まって民主政派に対抗しようとおもっている。きみがぼくらを許してくれるならばだが』
あっけにとられたのち、ペレウスはついで眉をひそめた。
『……どういうこと? イスファハーンにいるヘラス人同士が、個人間の喧嘩という程度じゃなく、派閥をつくっていがみ合うわけ?』
『もう派閥はできてしまっている。民主政派はとっくにセレウコスを中心にまとまっているんだ。どんなろくでもないやつらの結びつきだろうと団結は力だ。
ぼくら王政都市の子たちだけがてんでんばらばらなんだ。民主政のやつらはぼくらの政治体制を『僭主制』『独裁制』とよんで差別し、ことあるごとにいやがらせしてくる。それなのにこっちは対抗できない。めいめい我慢してやりすごすだけだ……
ペレウス、きみがいちばんひどい目にあわされていたのは間違いない。でも、きみほどじゃなくても、あいつらにはみんなうんざりさせられてきたんだよ』
いいわけにもならないけれど、とパウサニアスは言葉をついだ。
『ぼくはここに来る前、ヘラス最強の都市アテーナイの代表には逆らうなと、母都市の議会からいい含められていた。アテーナイににらまれるようなことになれば、母都市が不利益をこうむるから――と。みてみぬふりをしてきたのは、それがゆえだ。ほかの少年たちも似たり寄ったりだとおもう。
でもそれももう限界だ。ぼくらがどれだけおとなしくしていようと、もう王政都市と民主政都市の子供たちの対立路線は避けられない。
ぼくらも、だれかを指導者役として固まる必要がある。それにはきみが最適だよ』
ペレウスは目をしぱしぱまたたかせた。度肝を抜かれていたのである。
(指導者? どうしてそんな話に?)
『ぼ……ぼくは十二歳だよ。パウサニアス、秀才と名高いきみをはじめ、ぼくより年長の者が何人もいる――』
『現在、きみより資格のある者はいないだろうと、ほかの王子たちとは意見が一致した。ジン族との一対一の勝負に勝ったのはきみだけだ。民主政都市アテーナイのセレウコスではなく、王政都市ミュケナイのペレウスがヘラス人全体の面目を保ったんだ。そして、きみは精神の面でもぼくらのだれより強靭だとおもう。
きみはセレウコスたちにあれだけひどい目にあわされても、けっして折れなかったし、自分を曲げなかった。あの武術、セレウコスに復讐するためにじっくり身につけていたんだろう?
あいつらに復讐したいのはきみひとりじゃない。復讐のことがなくても、民主政のやつらはぼくらの都市の利益を積極的にそこなおうとしている。ヘラスへの報告書は、「代表団の監督役」「書記官」を勝手に名乗っているセレウコスたちを通さなきゃならないんだぜ。あいつらがここでしていることを報告なんてできないんだ。
遊んでいるだけのあいつらが、報告書のなかでいかに自分たちを持ち上げ、ぼくらをどれだけこきおろして悪し様に書いているか知れたもんじゃない』
唾棄したげに、一瞬パウサニアスは顔をゆがめた。その吐露された憎しみはたしかに本物と思われた。
かれは、とまどっているペレウスの手をとって熱心に説いてきた。
『ペレウス、手を組もう。これは子供の遊びじゃない、ぼくらは次世代をになう王族だ。ここからはじまる結束は未来において、民主政都市に対抗する王政都市の同盟につながっていくはずだ。
きみがその発足したばかりの王政都市同盟の、当面の指導者になるんだよ』