婚約破棄ですか? よろしいですわ決闘いたしましょう
シリーズ第六弾です。この作品だけでもお楽しみいただけます。
王立学園、卒業祝賀会。
大広間に集った卒業生たちの視線が、壇上に立つ一人の令嬢へ注がれていた。
「本年度、最優秀の成績を修めた者
――リーゼロッテ・フォン・トートヴァルト公爵令嬢」
名を呼ばれ、盛大な拍手が湧き起こる。
リーゼロッテは、ふわりと微笑んで一礼した。
十八歳。すらりというよりは華奢な、身長百六十ほどの少女である。
銀色の髪は丁寧に巻かれた縦ロールとなって肩の左右へ流れ、
その後ろには大きな青いリボンが結ばれている。
サファイアを思わせる澄んだ青い瞳に合わせたドレスも
また鮮やかな青を基調としており、裾や胸元には銀糸で繊細な刺繍が施されていた。
いかにも公爵家の令嬢らしい、華やかで愛らしい姿だった。
「リーゼロッテ嬢。見事であった」
「ありがとうございます」
学園長から記念の徽章を受け取り、リーゼロッテはもう一度丁寧に頭を下げる。
彼女が首席となったこと自体に、教員たちはさほど驚いていなかった。
トートヴァルト公爵家は、代々王国中枢を担ってきた名門である。
現在の当主も国王の右腕たる宰相を務めており、
その一人娘であるリーゼロッテも入学当初から優秀だった。
本人はいつもふわふわと笑っているため、あまり秀才らしく見えないのだが。
壇上を降りたリーゼロッテは、友人たちから祝いの言葉をもらおうと足を進め――。
正面に立つ青年に気づいた。
ノルディア王国王太子。
マクシミリアン・フォン・ノルディア。
王家の色である金髪と紫の瞳を持つ、端正な青年だった。
学業成績も五指に入る。
剣術にも秀で、王太子として相応の教育を受けている。
外見と肩書きだけを見れば、まさしく非の打ち所のない王子だった。
その王太子が、ひどく不機嫌そうな顔でリーゼロッテを睨んでいた。
「まあ、殿下。どうなさいましたの?」
「どうした、ではない! なぜお前が首席なのだ!」
突然響いた怒声に、大広間の空気がぴたりと止まる。
リーゼロッテは驚いたようにぱちぱちと瞬きをしたあと、
少し考えるように首を傾げた。
「……わたくしの成績が一番よかったからでは?」
あまりにも当然の答えだったため、
周囲の卒業生たちは何とも言えない顔でそっと視線を逸らした。
ほかにどんな答えを期待していたというのだろう。
マクシミリアンのこめかみに青筋が浮かぶ。
「そんなことを聞いているのではない! お前は私の婚約者だろう!」
「ええ」
「ならば、私を立てるのが当然ではないのか!」
今度こそリーゼロッテは、本当に意味が分からないという顔をした。
「……なぜ殿下を立てねばなりませんの?」
小さく首を傾げると、銀色の縦ロールまでふわりと揺れる。
「なっ……!」
「殿下も首席になりたかったのでしたら、お勉強を頑張ればよかったのでは?」
悪意など欠片もない。
リーゼロッテとしては、首席になりたいなら勉強すればよいという、
ごく単純な話をしているだけだった。
「リーゼ……」
少し離れた場所から、困ったような低い声が飛んでくる。
銀灰色の髪に藍色の瞳を持つ、
長身の青年――エルンスト・フォン・トートヴァルト。
二十五歳になる彼はリーゼロッテの従兄であり、
彼女が将来王太子妃となって公爵家を離れることを前提に、
幼い頃から分家より本家へ迎えられ、次期公爵として育てられてきた。
幼いリーゼロッテに出会ったその日から「お兄様」と慕われてきた彼には、
今の彼女が王太子を挑発しようとしているわけではないこともよく分かっている。
だからこそ、片手で額を押さえながら思う。
――リーゼ。正論ですが、それ以上は殿下の心が持ちません。
もっとも、止めるにはすでに遅かった。
「女のくせに!」
マクシミリアンの怒声が大広間いっぱいに響き渡り、今度こそ完全な沈黙が落ちた。
壇上に残っていた学園長が、なんとも言えない顔で眉間を押さえる。
その一方、壁際に控えていた教師の一人は、隣の同僚へそっと顔を寄せた。
「……決闘担当へ知らせます?」
「まだ早いでしょう」
「そうですかねえ」
ここ数年、
どういうわけか卒業祝賀会になると婚約破棄から決闘へ発展する騒ぎが続いている。
そのせいで教師たちにも、妙なところで経験値が蓄積され始めていた。
そんな周囲の空気にも気づかず、マクシミリアンはさらに声を荒らげる。
「女が男より前へ出てどうする! 勉学など、ほどほどにできれば十分だ!
夫を立て、支える。それが女の役目だろう!」
その言葉を聞いた瞬間、リーゼロッテの柔らかな笑みがほんの少しだけ薄れた。
「……ほどほどに?」
「ああ! お前は王太子妃となる女なのだぞ。
私より目立とうとするなど、身の程を――」
「わたくし、目立とうとしてお勉強したわけではありませんわ」
「ならば、なぜ首席になった!」
「ですから、お勉強したからですわ」
話が一周した。
周囲の何人かが、今度は本格的に遠い目をした。
「もういい!」
マクシミリアンは苛立たしげに手を振ると、
まるで自分こそが正しいと疑いもしない顔でリーゼロッテを見下ろした。
「お前のように、夫を立てることも知らぬ女など王太子妃には相応しくない!」
そして大勢の卒業生や教師たちが見守る中、胸を張って宣言する。
「リーゼロッテ・フォン・トートヴァルト! 私はお前との婚約を破棄する!」
大広間のあちこちから息を呑む音が聞こえた。
当のリーゼロッテは取り乱すこともなく、
ただ静かにマクシミリアンを見つめている。
やがて彼の言葉を自分の中で噛み砕くようにわずかな間を置いてから、
小さく頷いた。
「……そうですの」
リーゼロッテはそれだけ答えると、しばらくマクシミリアンを見つめた。
悲しんでいる様子も、怒っている様子もない。
むしろ彼の言葉を聞いて、ようやく何かに納得したように小さく頷く。
「婚約破棄については、承知いたしましたわ」
「ふん。当然だ」
満足げに鼻を鳴らすマクシミリアンに、リーゼロッテは静かな声で続けた。
「ですが、殿下のお考えには賛成できません」
「何?」
「女性はほどほどに努力して、男性を立てていればよい。
女性が男性より優秀であったとしても、
それを表に出すべきではない――殿下は、そうお考えなのですね?」
「そう言っている!」
迷いのない返答を聞き、リーゼロッテはもう一度だけ考えるように目を伏せた。
王太子妃になる以上、自分が彼を支える立場になることは理解している。
けれど、それは自分の努力や才能を抑え、
ただ彼より後ろに立ち続けるという意味ではないはずだ。
どうやら、その根本から二人の考えは違っているらしい。
やがてリーゼロッテは顔を上げると、いつものようにふわりと微笑んだ。
「……わたくしと殿下では、考え方が違いすぎますわね」
「あ?」
「よろしいですわ」
その言葉をどう受け取ったのか、マクシミリアンの口元が得意げに持ち上がる。
ようやく自分の言うことを理解し、非を認めたのだとでも思ったのだろう。
だが、リーゼロッテが続けた言葉は、彼の期待とはまるで違っていた。
「決闘いたしましょう」
大広間が、しんと静まり返った。
数秒の沈黙のあと、先ほどの教師が無言で隣の教師へ顔を向ける。
「ほら」
「……決闘担当へ知らせてください」
◇
ノルディア王国には、古くから正式な決闘制度が残されている。
貴族同士が名誉を巡って争った場合、互いの胸元に一輪の薔薇を留め、
先に相手の薔薇を散らした者を勝者として決着をつけるものだ。
もちろん、殺し合いではない。
使用されるのは殺傷能力を抑えた決闘専用の武器であり、
相手の身体へ重大な傷を負わせないための規則も細かく定められている。
また、決闘を申し込まれた側には使用する武器区分を選ぶ権利がある。
近接武器を指定した場合は、
その規定内で双方がそれぞれ得物を選ぶことができるため、
今回その選択権を持つのはマクシミリアンだった。
「近接武器だ!」
問いかけられるや否や、マクシミリアンは迷いなく即答した。
彼は学業だけでなく剣術にも相応の自信を持っている。
勉学でリーゼロッテに後れを取ったことが気に入らないのなら、
せめて武では自分が上だと証明してみせる――そんな思惑が、
ありありと透けて見えた。
「承知しました。では、マクシミリアン殿下がお使いになる得物は?」
「剣だ」
「かしこまりました」
教師が頷くと、ほどなくして決闘用の長剣が運ばれてくる。
マクシミリアンは慣れた手つきでそれを受け取り、軽く握りを確かめた。
続いて教師がリーゼロッテへ向き直る。
「リーゼロッテ嬢は、何をお使いになりますか?」
「そうですわね……」
リーゼロッテは少しだけ考えるように視線を上げ、
それから何でもないことのように尋ねた。
「巨大鎌はございますか?」
ざわっ、と大広間が揺れた。
周囲の反応とは対照的に、教師は一度だけ目を瞬かせる。
「……巨大鎌、ですか?」
「はい」
リーゼロッテがにこやかに頷くと、教師はほんの一瞬だけ沈黙した。
「……ございます」
ざわっ、と大広間がもう一度揺れた。
「あるのか……?」
「あるんだ……」
「巨大鎌を使う人間がいる想定なのか……?」
もっともな疑問である。
なぜかノルディア王国の決闘用武器庫は異様なほど充実しており、
剣や槍はもちろん、普通ならまず必要にならないような武器まで一通り揃っている。
誰が、いつ、何を想定してここまで充実させたのかは誰も知らない。
しばらくすると、二人の職員が一本の長大な得物を運んできた。
柄だけでもリーゼロッテの身長に迫るほど長く、
その先には大きく湾曲した刃が取り付けられている。
もちろん決闘用なので刃は潰されているものの、
華奢な令嬢が扱うにはあまりにも物々しい。
それを見たマクシミリアンの顔が、目に見えて引きつった。
「お、お前……それを使うのか?」
「はい」
リーゼロッテは、何を今さらというように当然の顔で答えた。
そして巨大鎌を受け取る前に、少し離れた場所に立つエルンストへ振り返る。
「お兄様。鎌用の手袋をくださる?」
「はい。どうぞ」
エルンストはこれまた当然のように懐へ手を入れ、濃紺の革手袋を一組取り出した。
大広間が、再びざわめく。
「なぜ持っているんだ……?」
「鎌用の手袋って何……?」
「専用品なの……?」
しかし、当の二人に周囲の困惑を気にする様子はない。
「ありがとう、お兄様」
リーゼロッテは慣れた手つきで手袋をはめたが、
それを見たエルンストが軽く眉を寄せる。
「リーゼ、右手を」
「あら」
素直に差し出された手を取り、エルンストは手首の留め具を少しだけ締め直した。
「緩んでいます。このまま回転を上げたら危ないでしょう」
「さすがお兄様ですわ」
「いつも言っているでしょう。回転を上げるときほど、手元を疎かにしないように」
「はあい」
決闘を目前にしているとは思えない、あまりにのんびりしたやり取りだった。
まるで朝の支度でも手伝っているかのような二人を、
マクシミリアンは口を半開きにしたまま見つめていた。
「……エルンスト」
「はい、殿下」
いまだ巨大鎌と、
それを当たり前のように扱うリーゼロッテを見比べていたマクシミリアンが、
ようやくエルンストへ顔を向けた。
「お前、知っていたのか?」
「何をでしょう」
「こいつが巨大鎌などというものを使うことをだ!」
エルンストは一瞬だけ考えるような顔をしたものの、
すぐに当然のこととして答えた。
「トートヴァルト家の者ですので」
「なぜ私に言わなかった!」
「お尋ねになりませんでしたので」
あまりにも淡々と返され、マクシミリアンは言葉を失った。
もっとも、トートヴァルト公爵家にとって巨大鎌は、何も特別なものではない。
家名であるトートヴァルトは、古い言葉で『死の森』を意味する。
そして遥か昔、とある当主がふと思ったらしい。
――死の森を名乗るのなら、名前負けしない武器が必要なのではないか。
そこで家臣たちと相談した結果、
――鎌などよいのでは?
となり、採用された。
それだけである。
ところが、始まりこそ驚くほど軽かったものの、
一度それを家伝の武器と定めてからのトートヴァルト家は妙に真面目だった。
歴代当主たちは何世代にもわたって研鑽を重ね、
巨大鎌の扱いに適した足運びや体重移動、遠心力の使い方まで研究し続けた。
その結果、今では巨大鎌を用いる独自の武術体系が、立派に完成している。
ちなみに、家へ嫁いできた者も希望すれば習うことができる。
リーゼロッテの母も使える。
つまりトートヴァルト家では、
巨大鎌を扱えること自体はさほど珍しくないのである。
「準備はよろしいですか?」
教師の声に、マクシミリアンはまだ何か言いたげな顔をしながらも口を閉ざし、決闘用の長剣を構えた。
「いつでもいい」
その向かいで、リーゼロッテも職員から巨大鎌を受け取る。
華奢な少女の手に収まると、
ただでさえ大きな得物がいっそう異様なほど巨大に見えた。
青いドレスに、銀色の縦ロール。髪の後ろには大きな青いリボン。
そこへ、巨大鎌。
あまりにも似合わない――はずだった。
「始め!」
合図と同時に、マクシミリアンが勢いよく踏み込む。
その瞬間。
ぶぉんっ!
空気を唸らせ、巨大鎌が横薙ぎに旋回した。
「っ!?」
予想をはるかに上回る速度に、マクシミリアンの足が止まる。
リーゼロッテは、巨大な得物を腕力だけで振り回しているわけではない。
長い柄を軸に、遠心力と体重移動を巧みに利用しながら、
軽やかな足運びで鎌の軌道そのものを操っている。
くるりと身体の向きを変えれば、巨大鎌もそれに合わせて円を描く。
ぶぉんっ!
一歩踏み込み、さらに一歩。
リーゼロッテが位置を変えるたびに、巨大鎌は途切れることなく舞い続ける。
青いドレスの裾が大きく翻り、背中のリボンが風を孕み、
銀色の縦ロールまでふわりと浮き上がった。
「くっ……!」
マクシミリアンは一度距離を取り、剣を構え直す。
巨大鎌が強力な武器であることは分かった。
だが、これほど大きな得物なら必ず隙があるはずだ。
振り切った直後か、あるいは切り返しの瞬間。
そこへ一気に潜り込めば、懐に入れる。
そう判断し、鎌が通り過ぎるのを待って踏み込もうとした――そのとき。
ぶぉんっ!
「な――」
もう戻ってきている。
マクシミリアンは反射的に足を止めた。
速い。
あまりにも、速い。
その光景を見ていた近くの貴族が、思わずエルンストへ声をかける。
「あれが、トートヴァルト家の鎌術なのですか?」
「ええ」
エルンストは驚く様子もなく、いつもの落ち着いた表情で答えた。
「リーゼロッテ様は……かなりお強いので?」
「私よりは弱いですよ」
「え?」
意外そうに振り返る相手に、
エルンストは決闘場から視線を外さないまま、わずかに目を細める。
巨大鎌を自在に操る妹分の動きを見つめ、
その口元にほんの少しだけ感心したような色が浮かんだ。
「ただし――鎌を振る速度だけなら、リーゼのほうが上です」
ぶぉんっ!
ぶぉんっ!
ぶぉんっ!
リーゼロッテが巨大鎌を振るたびに、その回転はさらに速さを増していく。
やがて鎌が巻き起こす風に煽られ、
床へ散っていた花びらが一枚、また一枚とふわりと浮かび上がった。
「……風?」
誰かが呟く。
巨大鎌の高速旋回によって生まれた風は、
いつしかリーゼロッテを中心に渦を巻き始めていた。
最初はドレスの裾を揺らす程度だったものが徐々に勢いを増し、
青いスカートを大きく膨らませ、
背中の大きなリボンや銀色の縦ロールまで激しく揺らしていく。
「ちょっ……待て!」
思わずマクシミリアンが叫んだが、もちろん待つ理由などない。
リーゼロッテは楽しそうに微笑んだまま、さらに一歩踏み込んだ。
軽やかな足運びに合わせて巨大鎌が大きな円を描き、
その軌道が幾重にも重なっていく。
巻き上げられた花びらまで風に乗り、
ついには小さな竜巻のようになってマクシミリアンの周囲を取り巻いた。
「くっ……!」
花びらと風に視界を遮られ、マクシミリアンが思わず顔を背ける。
その一瞬、構えていた剣先がわずかに下がった。
リーゼロッテのサファイアの瞳が、その隙を見逃すはずもない。
踏み込む。
巨大鎌が、鋭く横薙ぎに走った。
――ばさっ。
次の瞬間、吹き荒れていた風が嘘のように止んだ。
膨らんでいた青いドレスの裾がゆっくりと元の形へ戻り、
舞い上がっていた花びらも、ひらひらと大広間の床へ降りていく。
その中心で、マクシミリアンは呆然と立ち尽くしていた。
身体には傷一つない。
ただ――先ほどまで胸元に留められていた薔薇だけが、跡形もなく散っている。
しん、と静まり返った大広間で、ようやく我に返った教師が二人を見比べた。
「勝者――リーゼロッテ・フォン・トートヴァルト!」
歓声が上がった。
リーゼロッテは巨大鎌をくるりと一度回し、柄を床へ軽く立てる。
そして呆然としている元婚約者へ、いつものふわりとした笑顔を向けた。
「殿下」
「…………」
「殿下も、もう少しわたくしのことをお勉強なさるべきでしたわね」
マクシミリアンの顔が真っ赤になった。
◇
少し離れた二階の回廊から、その決闘をじっと見つめている少女がいた。
まだ十四歳。王立学園へ入学したばかりの彼女は、
兄と同じ金色の髪と紫色の瞳を持つ、ノルディア王家の王女である。
少女の視線の先では、マクシミリアンの胸元から散った薔薇が、
まだ何枚か宙を舞っていた。
その向こうには、巨大鎌を手にした銀髪の公爵令嬢が立っている。
兄が敗れたことに驚いているのか、
それともその前に交わされた言葉を思い返しているのか。
王女はしばらく何も言わず、その光景を見つめていた。
やがて、ほんの小さな声で呟く。
「……お兄様」
それ以上、彼女が何を思ったのかを口にすることはなかった。
◇
当然ながら、この一件がそれで終わるはずもなかった。
数日後。
王宮。
「馬鹿者!」
国王の怒声が執務室を震わせた。
マクシミリアンは父の前で肩を縮めている。
その横には宰相であるトートヴァルト公爵も控えていた。
娘を公衆の面前で侮辱され、婚約破棄された父親でもある。
国王としても気まずいことこの上ない。
「婚約者が首席になったことを妬み、公衆の面前で婚約破棄だと!?
しかも女は男を立てろだと!? お前はこれまで何を学んできた!」
「しかし父上、私は王太子で――」
「だから何だ!」
「…………」
「王太子であるならば、自分より優れた者の才を認め、
それを国のために生かすのがお前の役目だ! 男か女かなど関係あるものか!」
マクシミリアンは、さすがに返す言葉を失って黙り込んだ。
結局、トートヴァルト公爵家との婚約は正式に解消され、
マクシミリアンにはしばらくの謹慎が言い渡された。
王太子として受けてきた教育についても、
これを機に内容を改めて見直し、一から学び直すこととなる。
もっとも、王位継承権そのものを取り上げられることはなかった。
マクシミリアンはまだ十八歳であり、
学業や剣術も含め、王太子としての能力そのものが著しく欠けているわけではない。
だからこそ国王も、今ならばまだ考え方を正せると判断したのだろう。
ひと通りの処分を告げたあと、国王は改めて息子をまっすぐ見据えた。
「マクシミリアン」
「……はい、父上」
「今回だけは、若さゆえの未熟さとして機会を与える。
だが、今後のお前をよく見させてもらうぞ」
それまでとは違う、低く厳しい声だった。
マクシミリアンもさすがに顔を上げることができず、黙って父の言葉を聞いている。
「二度目はないと思え」
「……はい」
マクシミリアンは、深く頭を下げた。
◇
それから数日後。
トートヴァルト公爵邸の庭園では、
リーゼロッテとエルンストが向かい合って午後の紅茶を楽しんでいた。
あの騒動が嘘のように穏やかな時間の中、
エルンストはしばらく言い出しにくそうにしていたものの、
やがてカップを置いてリーゼロッテを見る。
「本当に、これでよかったのですか?」
「何がですの?」
「殿下との婚約です」
リーゼロッテも手にしていたカップをソーサーへ戻すと、
特に迷う様子もなく頷いた。
「ええ。あれほど考え方の違う方と夫婦になっても、
きっとお互いに幸せにはなれませんもの」
「……そうですね」
エルンストも、その答えには異論がなかった。
王太子との婚約がなくなったことで、リーゼロッテの未来は大きく変わる。
これまで彼女が王家へ嫁ぐことを前提として組まれていたトートヴァルト家の継承についても、
今後改めて話し合う必要があるだろう。
だからこそ、エルンストには伝えておきたいことがあった。
「ですが、リーゼ。ひとつだけ覚えておいてください」
「はい?」
「殿下との婚約がなくなったからといって、
今度はトートヴァルト家のために誰かと結婚する必要はありません」
リーゼロッテが、ぱちりと瞬きをする。
「あなたが王家へ嫁ぐ予定だったからこそ、私は分家から本家へ迎えられました。
事情が変わった以上、
今後の継承については父上たちとも改めて話すことになるでしょう」
「そうですわね」
「ですが、だからといって
『それなら私と結婚すればすべて丸く収まる』などと考える必要はないのです」
エルンストは穏やかながらも真剣な眼差しで、
幼い頃から妹同然に大切にしてきた少女を見つめた。
「あなたはようやく、自分の未来を自由に選べるようになったのですから。
次は家のためでも、誰かのためでもなく、リーゼ自身が望む道を選んでください」
「あら」
リーゼロッテはしばらく彼の顔を見つめていた。
そして、エルンストが予想もしなかったことを、何でもないことのように口にする。
「わたくし、お兄様がよろしいのですけれど」
エルンストの動きが止まった。
「…………はい?」
「ですから、わたくしはお兄様がよろしいですわ」
リーゼロッテはいつもと変わらず、にこにこと笑っている。
あまりにも自然に言われたせいで、
エルンストのほうが意味を理解するのに時間がかかった。
「……それは、トートヴァルト家のために、という意味でしょうか」
「違いますわ」
「では、殿下への当てつけということでも?」
「まあ。どうしてそうなりますの?」
本気で意味が分からないらしく、リーゼロッテは不思議そうに首を傾げた。
エルンストはますます混乱する。
「では……なぜ、私を?」
そう尋ねられたリーゼロッテは、今度こそ少し考えるように視線を上げた。
「なぜ、と申されましても……」
やがてサファイアのような瞳を柔らかく細め、
当たり前のことを告げるように微笑む。
「わたくし、ずっとお兄様が好きでしたもの」
エルンストは、しばらく何も言えなかった。
脳裏に浮かんだのは、分家から本家へ迎えられたばかりの頃のことだった。
慣れない場所で緊張していた自分のもとへ、
小さなリーゼロッテが駆け寄ってきて、屈託なく笑ったのだ。
『では、あなたが今日からわたくしのお兄様ですね!』
それ以来、彼女はずっと自分を「お兄様」と呼び、何の疑いもなく慕ってくれた。
エルンストにとっても、リーゼロッテは大切な妹分であり、守るべき家族だった。
少なくとも、これまではずっとそう思っていた。
けれど今、その彼女から告げられたのは、
兄に向ける親愛とは明らかに違う意味の「好き」だった。
改めて目の前のリーゼロッテを見る。
十八歳になった彼女は、もう幼い頃の少女ではない。
青いドレスに身を包み、銀色の縦ロールを揺らして微笑む姿は、
どこから見ても一人の美しい令嬢だ。
――先日は、その姿のまま巨大鎌を振り回して王太子の薔薇を刈り取っていたが。
「……お兄様?」
黙り込んだエルンストを不思議に思ったのか、リーゼロッテが首を傾げる。
つい先ほどまで何とも思っていなかったその呼び方が、
今になって妙に引っかかった。
エルンストは思わず片手で口元を覆い、少し考えてから彼女を見返す。
「リーゼ」
「はい」
「……少し、時間をいただいても?」
「もちろんですわ」
あっさり頷いたリーゼロッテは、何事もなかったように紅茶へ口をつける。
どうやら本人にとっては、
とんでもない告白をしたという自覚すらあまりないらしい。
その様子を見ながら、エルンストは小さく息を吐いた。
これまで妹同然に思っていた相手を、
たった今から別の目で見ろと言われても、すぐに答えが出せるはずもない。
ただ――ひとつだけ、今のうちに変えておいたほうがよさそうなことはあった。
「ですが、一つだけお願いしてもよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「もし本当に、私をそういう意味で選んでくださるのでしたら……」
「はい」
エルンストは少し困ったように笑った。
「まずは、その『お兄様』という呼び方をやめてもらうところから始めましょうか」
リーゼロッテは目を丸くし、
それから意味を理解したのか、ふわりと嬉しそうに笑った。
「わかりましたわ」
幼い頃から十五年近く呼び続けてきた名前を変えるのは、少し難しいかもしれない。
けれど、それでいい。
誰かに決められた相手ではなく、誰かを立てるためでも、家の都合でもない。
自由になったリーゼロッテが今度こそ自分自身で選んだのは、
ずっと「お兄様」と呼んできた、一番近くにいた人だった。
巨大鎌ぶん回す令嬢とか面白そうだなと考えたらこんな子になりました。




