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navy moon ー月はいつも丸いー  作者: A.O.C.DESIGN
第一章 Hors-d’œuvre 彩あざやかな記憶
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第五話 月は丸い

エルアンたちは、近くの小さな宿に泊まることになった。


白い壁。

古い扇風機。

ソファが一つ。


クレールは少し離れた椅子に座り、二人を見守る。


ルナはソファに座り、足を揺らしている。

カイは立ったまま、何かを考えている。


やがて、ポケットに手を入れる。

包み。


「これ。」


ルナは首を傾げる。

カイは紙を開く。


歪な形。


平らではない。

表面にわずかな波。


「チョコレート?」

ルナの瞳が光る。


「エルアンと作った。」


ルナは小さく割る。

音は、少し鈍い。


口に入れる。

少しざらざらしている。

溶け出す。


身体が、ふわりと揺れる。

足が床を軽く打つ。

肩が少し跳ねる。


クレールが微笑む。

エルアンは息を止める。


カイの顔がほころぶ。

「ほんとだ、踊ってる。」


「うん?」


「エルアンが言ってた。

ルナはチョコレートを食べると踊るって。」



ルナは、クレールの方を見る。

「ママ、写真見せて。」


クレールはスマートフォンを渡す。

画面に映るのは、フランスのチョコレート。


艶のある板。

完璧な球体。

宝石のようなボンボン。


「いろんな形があるの。」


カイは息を止める。

「こんなに?」


ルナは誇らしげにうなずく。

「星とか、貝とか、ハートもある。」


カイは画面を近づける。

「全部、豆から?」


「うん。」

少し考えて、付け足す。

「たぶん。」


二人は笑う。



「でもね。」


ルナはチョコレートを口に入れる。

少しざらつく。


「これ、違う。」


「違う?」


「生きてる感じ。」


カイは驚く。

「生きてる?」


「だって、さっきまで木にあったんでしょ?」


カイはうなずく。


「木は、踊るの。」


ルナは真剣な顔で言う。

「太陽の光で柔らかくなって、風で揺れるの。」


カイは首を傾げる。

「柔らかくは、ならない。」


「でも、絵で描いたの。」

ルナは両手で空中に線を描く。

「チョコレートの木が、ぐにゃってなって、こう、踊るの。」


身体を揺らす。


「先生がね、面白いって。」


「褒められた?」


「うん。」


少し誇らしい顔。


カイは、ふっと笑う。

「変だな。」


「変じゃない。」


二人は見つめ合い、また笑う。


「いいな、チョコレート、私も作りたい。」


「エルアンが教えてくれるよ。」


「いろんな形、いろんな味。」


「たとえば?」


「うーん....。象さん。」


「お、大きい!」


「あはは!そう、大きい象さんの、大きなチョコレート!」


また笑う。



「ねぇ、ルナって、どういう意味?」


「月よ。」


「月?」


「うん。スペイン語。でもフランスでも通じる。」


カイは窓を見る。

「今日は半分。」


ルナは首を振る。

「違うよ。」


「違う?」


「月は、いつも丸いの。」


カイは黙る。


「見えないだけ。」


ルナは続ける。


「光が当たってるところだけ見えてるの。

当たってないところも、ちゃんと月。」


カイは、しばらく考える。


当たり前のこと。


だが、胸に落ちる。


見えない部分も、月。


「それ、わかってるよ。」

少し照れながら言う。


ルナは笑う。

「本当に?」


「うん。」


二人の声が重なる。



「海、知ってる?」

カイが言う。


「見たことない。」


「海は、月に引っ張られる。」


ルナは目を丸くする。

「え?」


「水が、こう、動く。」

カイは手で波を描く。


「満ちたり、引いたり。」


「月が?」


「うん。」


ルナは窓の外の月を見る。

「すごい。」


「だから、夜の海は、動いてる。」


ルナは少し考え、小さく言う。


「月と海、仲良しなんだね。」



二人は笑う。

知らなかったことを知る。


形を知っていた少女は、木を知る。

木を知っていた少年は、形を知る。


クレールは静かに見守る。

エルアンも、何も言わない。


子どもが、ただ仲良くなる。

そんな普通の光景が、特別に思えた。



月は、半分に見える。

だが、本当は丸い。

見えないところも、そこにある。




朝の空気は、少し冷たい。

宿の前に車が止まる。

空はまだ淡い。


クアメとカイは、畑へ戻る前に空港へ向かう。

エルアンとクレールは、少し眠そうだ。

昨夜、遅くまで語り合っていた。


発酵について。


葡萄の皮の役割。

カカオの粘液。

温度。

時間。


「発酵は、人が完全には支配できない。」


エルアンが言った。

「だが、見守ることはできる。」


クアメは頷いた。

「木も同じだ。」


一ヶ月。

長いようで、短い。

互いに、理解を深めた時間。



空港に着く。

昨日と違い、空気は落ち着いている。


手続きは順調だ。

クレールはルナの髪を整える。

三つ編みを丁寧に直す。


青い瞳が、少し潤む。


ルナは、カイの前に立つ。

「フランスに来て。」


突然だ。


カイは、言葉を失う。

遠い国。

飛行機。

数字が浮かぶ。

切符。

一年分の収穫。

頭の中で、すぐに計算が走る。


無理だ。


だが、胸の内は違う。

「……。」


クアメが、隣で静かに立つ。

視線を送る。


頷いた。


それは許可ではなく、背中を押す合図。


カイは、息を吸う。

「また会うよ。」


声が少し震える。

「かならず。」


ルナは笑う。

「約束。」


小さな手が差し出される。

カイは握る。

温かい。



エルアンが近づく。


少しだけ、真剣な顔。

ポケットから、小さな包みを取り出す。

家紋が刻まれた剪定鋏。

磨かれている。


「これを、あなたに。」


カイは驚く。

「僕に?」


「枝を切るとき、目を閉じてみなさい。」


エルアンは言う。

「未来を考えるために。」


カイは受け取る。


重くない。

だが、胸に重い。


クアメは、それを見ている。

何も言わない。

だが、止めない。

それが、承認だった。



「また来る。」

エルアンが言う。


クアメは頷く。

「待っている。」


短い。

だが、嘘はない。



搭乗口へ向かう。

ルナが振り返る。

手を振る。

三つ編みが揺れる。



エンジン音。

飛行機が滑走路を進む。


カイは、空を見上げる。


青い空。

遠い国。

手の中の鋏。

胸の中の約束。

赤土の上に立つ。


だが、視線は遠くへ。



十年前の回想から2024年に戻る。



覚えていますか。


カイは、ペンが止まっている。


あの包みを思い出す。

鋏の重み。


ルナの笑顔。

「月は、いつも丸い。」


あの言葉。


カイは、続きを書く。

十年が過ぎたこと。

カカオの価格が高騰していること。

畑が少し軽くなったこと。

それでも、木は立っていること。


そして、まだ、作りたいと思っていること。


インクが、紙に染みる。

夜は深く、青い。

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