第四話 踊る木
乾季も終わりに近い。
バナナの葉が剪定され、
新しい緑の芽が鮮やかに映る。
この日が近くなった頃、
カイはエルアンから伝えられていた。
「妻と娘が迎えにやってくる。」
⸻
学校を午前中までにして、カイは畑に向かっていた。
どんな人だろう。
妻と娘。
白い車が見える。
畑の入り口。
見慣れない車。
タクシー。
カイは足を止める。
エルアンが立っている。
その横に、革の鞄。
少し小さく見える。
「帰るの?」
カイが聞く。
エルアンは、空を一度見上げる。
「今日だ。」
風が強くなる。
バナナの葉が揺れる。
車のドアが開く。
最初に降りたのは、クレール。
淡い色のワンピース。
帽子を押さえ、辺りを見渡す。
その後ろから、少女が降りる。
金色の髪。
長く、丁寧に三つ編みに編まれている。
前髪も長く、額を柔らかく覆う。
光を受けると、淡く透ける。
青い瞳が、まぶしそうに細められる。
控えめなフリルのドレス。
だが、砂埃の中では、少しだけ浮いている。
カイは、
月のように白い。
と思った。
⸻
「ここが、カカオの畑?」
少女は小さな声で言う。
クレールは微笑む。
「そうみたいね。」
クアメが近づく。
帽子を取らない。
だが、軽く頷く。
エルアンが、少し緊張している。
「紹介するよ。
妻のクレールと、娘の....」
少女の顔を見ながら、
「ルナだ。」
少女は、まっすぐクアメを見る。
そして、深く、ゆっくりとお辞儀をした。
「Bonjour。」
発音ははっきりしている。
クアメは、ほんのわずかに目を細める。
そして、
「Bienvenue。」
歓迎の言葉。
短いが。
アミナが果物を並べる。
「遠かったでしょう。一休みしてください。」
「チョコレートの木をもっとみたい。」
ルナは小さな腕を広げている。
空港までクアメが送ることにして、タクシーは帰した。
⸻
ルナは幹から直接生えた実を見て、目を丸くしている。
「これが、チョコレートの木なの?」
カイは思わず答える。
「まだ、豆だよ。」
ルナは振り返る。
三つ編みが揺れる。
青い瞳が、カイを見る。
「あなたは?」
「カイ。」
「カイ。」
発音が少し違う。
それが、なんだかくすぐったい。
⸻
ルナは、木を見上げる。
バナナの葉が揺れる。
光と影が、幹の上で動く。
「あ、踊ってる。」
カイは、胸が強く打つのを感じる。
「え?木は、踊らないよ。」
そう言いながら、自分でも確信がない。
ルナは首を傾げる。
「だって、ほらみて。」
バナナの大きな葉。
いくつもの切れ目がふるえている。
風が刻まれて、小さな音を立てている。
その下では、カカオの実がわずかに揺れる。
光と影が模様を描いて、
右へ、左へ、動いている。
踊っているのは、光。
だが、木も、枝を少し振っている。
⸻
クレールは、その様子を見て微笑む。
エルアンは、何も言わない。
ただ、畑を見る。
クアメは、静かに木に触れる。
カイは、ポケットの中の包みに触れた。
この少女に渡す。
それを予感していた。
⸻
空港へ向かう途中、街に寄る。
フランスで留守を預る人達に、土産を買う。
村から車で一時間。
舗装の荒れた道を抜け、街へ入る。
看板は色鮮やかだ。
携帯電話会社の広告。
選挙のポスター。
新しい銀行のロゴ。
壁には、まだ弾痕の跡が残る建物もある。
だが、屋台は並び、人は笑う。
安堵と不安が、同じ通りに立っている。
ルナは窓の外を見つめる。
「いっぱい人がいるね。」
クレールは微笑むが、視線は鋭い。
エルアンは、周囲をよく見ている。
クアメは運転席で無言。
街は、畑よりも音が多い。
クラクション。
呼び込み。
値段を叫ぶ声。
土産を買うために車を降りる。
市場に入ると、匂いが変わる。
香辛料。
揚げ油。
乾いた魚。
ルナは少し目を丸くする。
ドレスの裾を握る。
カイは、自然と隣に立つ。
⸻
「白い子だ。」
誰かが言う。
悪意ではない。
ただ、目立つ。
物売りの男が近づく。
布を広げる。
「マダム、安いよ。特別だ。」
クレールは丁寧に断る。
だが男はしつこく、離れようとしない。
ルナに視線が移る。
「プリンセス。」
声が近い。
ルナは一歩下がる。
青い瞳が揺れる。
カイは前に出て、間に入る。
言葉は少ない。
だが、視線は強い。
男は一瞬止まり、肩をすくめて離れる。
緊張が、すっと解ける。
クレールがカイを見る。
「ありがとう。」
カイはうなずくだけ。
エルアンは何も言わない。
だが、その目は、すべてを見ている。
⸻
市場の奥で、音楽が流れる。
若者たちが踊っている。
内戦が終わり、街は前を向こうとしている。
だが失業は多い。
若者は仕事を探す。
畑では未来が見えず、街では仕事が足りない。
それでも、人は笑う。
生きている。
それが、この街の姿。
⸻
ルナは、ふと足を止める。
「カカオはどこ?」
市場には、完成品のチョコレートはほとんどない。
カカオは袋に入れられ、積まれ、港へ向かう。
「ここでは、食べないの?」
ルナの問いは、無邪気だ。
カイは答えられない。
エルアンは、静かに言う。
「まだ、少ないんだ。」
まだ。
その言葉が、残る。
⸻
クレールは、首飾りを手にとって眺める。
「ルミエール、これ好きかしら。」
エルアンは周囲を見回す。
ふと気づくと、人の波が変わっている。
音が大きくなる。
一瞬、視界が遮られる。
カイは振り返る。
ルナがいない。
クレールの顔色が変わる。
「ルナ!」
風が、強く吹く。
市場の布が揺れる。
音が、混ざる。
カイの胸が、大きく打つ。
ーー 迷子。
「ルナ!」
エルアンの声が、強くなる。
市場の音が一瞬遠のく。
カイは人の波をかき分ける。
白いドレスを探す。
金の三つ編み。
青い瞳。
視線の高さを落とす。
子どもの目線。
布の陰。
果物の山の向こう。
いた。
ルナは立ち止まり、木彫りの小さな象を見ている。
迷子というより、世界に見入っている。
カイは息を吐く。
「ルナ。」
彼女が振り返る。
「カイ。」
その声は、変わらない。
クレールが駆け寄る。
強く抱きしめる。
エルアンも来る。
安堵と、わずかな怒り。
「離れてはいけないよ。」
ルナは小さくうなずく。
⸻
空港へ向かう。
夕陽が傾く。
道は混んでいる。
クラクションが鳴る。
時間は、容赦がない。
焦りが、空気に滲む。
「間に合わないの?」
ルナが小さく聞く。
エルアンは時計を見る。
答えない。
⸻
空港に着いたとき、
表示板の文字は冷たい。
搭乗終了。
扉は閉じられている。
クレールは静かに目を閉じる。
エルアンは係員と話す。
だが、答えは変わらない。
次は明日。
追加料金。
数字が告げられる。
クアメはそれを聞く。
黙る。
その額は、
彼の一年の収入に近い。
「すまない。」
短い。
だが重い。
エルアンはすぐに首を振る。
「あなたのせいではない。」
それでも、クアメはうなずかない。
遠い国。
飛行機の向こう側。
カイは、初めて距離を実感する。
この人たちは、帰る。
自分は、ここに残る。
赤土の上に。




