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navy moon ー月はいつも丸いー  作者: A.O.C.DESIGN
第四章 Fromage 悠々たる旅路
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第十八話 刻の凝縮

コン、コン。


扉を叩く。

返事はない。


「ルナ、ルナ。」


扉に固定された小さな板。

そこに彫られた上弦の月。

板の下から、朝日の淡い光が差している。


コン、コン。


「ルナー。

おーい、ルナ。

…うぅ、冷えるな。」


エルアンの声。


「あの娘、もうとっくに出発したわよ。」


家の奥からクレールの声が響く。


「えぇ!?...もう行っちゃったのか。」


「本当に、チョコレートのことで頭がいっぱいなのね。」


「昨日、急に帰って来たかと思ったら、

こんなに朝早く行ってしまうとは、なぁ。」


「私たちも、そろそろ出発しましょ。

朝ご飯は途中でどこかに寄ればいいわ。」


「あぁ、そうだな。

うん?もうこんな時間か。

すぐに支度するよ。」



エルアンはガレージの扉を開ける。

古いクーペが静かに朝の光を受けている。


「キレイね。」

「ワックス塗ったよ。

折角だし、こいつもおしゃれにしないとな。」

「まだ乗れるのよね。」

「あぁ。壊れてないからね。」

「普通の人はもう買い替えてるわ。」

「普通じゃないからな。」


ブロン、ブロロ…


「……」


「祈ってるのか?」


「…無事に帰って来れますように。」


エルアンは黙ってトランクに荷物を積む。



ガレージからゆっくり出る。


右に曲がりながら。


オリーブ・グリーン。


少し吊り目の四つのヘッドランプ。


太陽が穏やかにボンネットを照らす。


キラリと輝く、


504のクロムメタル。


ガレージの外で待つクレール。


エルアンは車を止め、助手席のドアを開く。


「さぁ、行こう。」



ザー、ザー。


「いい天気だな。」

「…うん、そうね。」


ザー、ザー。


「途中で休みながら、ゆっくり行こう。

順調にいけば、夕方には到着できる。」

「…そうね。」


クレールはダイヤルを回している。


ザー、ザー、スン。


「あ、合ったわ。」


スピーカーからラジオの音。

メロディが流れる。


「あら、何だか楽しい曲。

ちょうどいいわね。」


懐かしいメロディーに古いラジオのノイズが混じる。


「はい、クッキー。」


クレールはエルアンの口元へ運ぶ。

エルアンは前方を見ながら、速度を落とす。

大きく開いた口に、クレールがそっと落とす。


「ルナが作ったのよ。」


サク、サク。


「これは、ラングドシャだね。

チョコレート味の。」


メロディーにノイズが混じる。


ジジ、ジジ。



大人の冬。


二泊三日の旅。


ブルゴーニュから南へ。


暖かく穏やかな、

ショート・バケーション。



畑の脇を細く流れる水。


溜池に辿り着き、川へと流れる。


道は川と共に続く。


変わる景色。


村から町へ。


町から街へ。


人が織りなす文化も変わる。


土も変わる。


石灰岩から、やがて花崗岩へ。


岩山が現れる。


渓谷に沿って道は続く。


花崗岩の地。


流れが緩やかになる。


オリーブの葉が揺れる。


赤茶色の大地。


空の青さが増す。


川岸の石が目に映る。


エルアンは呟く。


「石の畑だ。」



バン、バン。


二人は車を降り、ドアを閉める。


「お腹が空いたわ。」

「結局、朝ご飯食べなかったもんな。」


街を歩く。

石畳の道。


冬の日差しが白い壁を照らしている。

高い建物。


二階、三階、四階。

縦に長く四角い窓が、

等間隔に並んでいる。


人が歩く広い道。

その真ん中で、絵を売る人。


広場に着く。


賑やかな街に、

アコーディオンの音が調和している。

椅子に座る人々。

その向こうでジャグリングをする大道芸人。


「南に来たわねー。」

「あぁ、何だか身体が軽くなった気がするよ。」


パン屋の前を歩く。


「ふわ〜。

香ばしく広がる。

酵母の香りだ。」


「うふふ。」


たくさんのバゲットを抱えた少女が、

目の前を早足に通り過ぎる。

横を黒猫がついて歩く。


黒い服の少女。


「うーん、何だか急いでたけど、配達かな。

ホウキ持ってたな。」

「黒猫と話してるように見えたわ。」

「ルナの子供の頃に、ちょっと似てたな。」


自転車のブレーキがどこかで鳴る。


キキー。



のどかな広場の風景。


グラスの音。

皿の音。

笑い声。


その時間を、風が裂く。


ゴォ。


バサバサ…


広場のパラソルは閉じたまま。

布だけが旗めく。

カタカタと鳴る石畳の上のテーブル。


南からの風。

人々は動じない。


アコーディオンのメロディーは続く。


「広場の食事も良いけど、やっぱり少し寒いわ。」

「あぁ、お店に入ろう。」

「あそこのお店、ちょっと気になるわ。」

「行ってみよう。」


カラン、カラン。


「いらっしゃーい。

その窓際のテーブル、すぐに片付けるよ。

少しお待ちを。」


ドアを閉めると、風の音が遠くなる。

黒板にチョークで書かれたきょうの料理。

クレールはエルアンに小声で話す。


「うふふ。

ここはきっと当たりね。

美味しい料理が食べられそう。」


「あぁ、さっきから良い香りが充満していて、たまらないな。

ガーリック、オリーブオイル、エシャロット…

あぁ、白ワインが入った。

ジュワーってなってるよ。

もう、我慢できないー。」


エルアンは、目を閉じ、顔を天井に向けている。

クレールがエルアンの肩を寄せる。


「うふ。少しお待ちを、ね。」



窓辺のテーブルで料理を待つ二人。


グラスに注がれた赤ワイン。

ソーダ水のボトルとグラスが並ぶ。


窓から差す冬の光。


テーブルクロスの上で、

ワイングラスが柔らかく輝く。


「光が、とてもきれいね。」

「南の光だな。」


「午後は私が運転するから、飲んで。」

「ありがとう。

シャトー・ヌフ・デュ・パプは、

やっぱり現地で飲みたいワインだ。」


コト、コト…

料理が届く。


オニオングラタンシチュー。

牛肉の赤ワイン煮込み。

ガーリックトースト。


二人はグラスを持ち上げる。


「アタサンテ!」


「ボナペティ!」



食事を終えて車へ。

クレールがハンドルを握る。


ブロン、ブロロ…


名所を通過して廻る。


「あ!あれがサンベネぜ橋ね。」

「ということは、あれはアヴィニョン教皇庁か。」

「大きな川ね。どこから流れてくるのかしらね。」

「…アルプスからかな。」


車は高速道路へ。

プロバンスの東へと進む。

丘を越え、街を抜ける。

村や町。

豊かな自然。


やがて海が近づく。


視界が開ける。


海。


紺碧の風景。


夕暮れの光が水平線に残っている。



丘の上の建物。


青い看板。


『HOTEL 藍色』



車がゆっくり坂を上る。


窓の向こうに、海と街の灯り。


空には細い月。



カチャ。


部屋の扉が開く。


大きな窓。


街の灯りが海へこぼれている。


クレールが振り返る。


「どう?」


エルアンは窓に近づく。


カーテンを開く。


遠くで波の音。


ザァ…


「いい部屋だ。」



テーブル。


ワイン。


グラスが二つ。


エルアンがコルクを抜く。


グッ、グッ。


赤いワインがゆっくり注がれる。


コ、コ、コ。


二人は海を見ている。


街の灯の向こうに、静かな月。



「ルナ、今ごろ何してるかしら。」

「きっと、厨房だろうな。」


「昨日は帰ってくるなり、お父さんは?って。」

「アフリカのこと教えてって、な。」

「何事かと思ったわ。」


「そういえば、アヴィニョンで見た黒い服の少女。」

「えぇ、ルナを思い出したわよね。

あの子も不思議な子。

はじめは葡萄と会話していたんだもの。」


「あぁ、でも、特別なんかじゃない。

普通の女の子だ。」



エルアンはポケットから石を取り出す。


「それ、アヴィニョンに着く前に拾っていたわね。」

「あぁ、アフリカでのことを思い出してね。

アフリカでも石を拾ったんだ。」


エルアンは石を軽く上に放って掴んだ。


「尋ねたんだ。

カイに、長くて細い石が落ちていないか、って。」

「何のために?」

「石を組んで、チョコレートの型に出来ないかと思って。」

「有ったの?」

「あぁ、有った。

カイは、こっちには丸いのとか、卵の形。

向こうのほうに、四角いのとか、長いの、あるよ。

って教えてくれた。」


エルアンは海の上の、空を見つめる。


「あの石も、川辺の丸い石だった。

そして、平らな地層の石だったよ。」



エルアンは見つめる。


海の向こう。


南の空。


飛行機の灯が、離れて行く。


月の光が、海を静かに照らしている。


遠くで波の音が聞こえる。


ザァ…


細い月が、静かに浮かんでいる。

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