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navy moon ー月はいつも丸いー  作者: A.O.C.DESIGN
第四章 Fromage 悠々たる旅路
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第十七話 熟す理念

ポ、ロン。

ポ、ロン。


静かに、ピアノの音が流れ始める。

小さなスピーカーから、透明な音がこぼれている。

静寂な空間に、浮かぶ淡い光の、姿のように。


単調な調べに心を委ねる。

些細な悲しみのように揺らぐ。

鍵盤を打つ指の強さは、同情の言葉のよう。


「また、思い詰めて。」


エルアンはゆっくりと頭を起こす。


コト。


クレールが、紅茶をテーブルに置く。

受け皿にお菓子が添えられている。

小皿にはチーズ。


「ありがとう。」


エルアンは体を起こし、背もたれに身を預ける。

深呼吸をする。


一回、二回、三回。

目を閉じて紅茶の香りを確かめる。


「…ダージリンだね。」


クレールは微笑む。


「ありがとう、クレール。

君の気遣いには、いつも感心させられるよ。

…とても、心が和む。」


「あなたこそ、そう言葉にしてくれるのは、私も嬉しく思えるわ。」


ポ、ロン。

ポ、ロン。



「そう、お父様の葡萄畑が今、そんなに大変なことになっているのね。」


「あぁ、どうしたものか。」


「…そうね。

あなたは、土地を守るために、お父様のドメーヌを助けているのよね。」


「あぁ、そうだ。

代々受け継がれている、大事な畑だ。

一族の誇りだ。」


「どうしても、守らなければならない。

そういうことよね。」


「…あぁ。」


「ちょっと待ってて、私、面白いもの持ってくる。

あなたに内緒で買っちゃったの。」


エルアンは立ち上がり、少し歩いて屈伸する。

腕をいっぱいに伸ばし、体をよじる。


「ふう。」


「お待たせ。

はい、あなた。」


皮の乾いた香りが漂う、一冊の本。


「これは…… 羊の皮、の本?」


「そう。

羊皮紙の本よ。」


「こんな…… これ相当な金額するだろ。」


「うん。

でも、いいなって思ったから。」


「アンティークでもなく、新しい羊皮紙の本か。

確かに面白い。

何が書かれているんだ?

聖書?

開いてみても良いかな?」


「ふふ。

やっぱり興味津々ね。

絶対にあなたも気に入るって、相談しなくてもきっと大丈夫って思ったの。

もちろん、良いわよ。

開いてみて。」


エルアンは、本を丁寧にテーブルに置き、扉を開く。

何も書いてない。

ページを一枚めくる。


薄い皮に刻印された文字で、一行だけ。


『大いなる力には、大いなる責任が伴う。』


「……ん?

…これって、あれ、だよな。

うーんと。」


「うふふ。」


「映画だったっけ、いや、コミックだったかな?

あの、赤いヒーロー。

クモのやつ。」


「もう一枚めくってみたら?」


一枚めくる。

今度は二行の言葉。


『人生で後悔することは、

やらなかったことでする後悔だけ。』


エルアンは片目を細め、拳で顎を支える。


「これは、ジャン・コクトーの言葉だ。」


もう一枚。


『兄さん!良いもの見つけた!』

『ガラクタじゃないか。何の役に立つんだい?』


エルアンは考える。


「これは…… 童話の、まぬけなハンス?」


「面白いでしょう?」


「なんだか、よくわからない。

何だいこの本。」


「この本は、ジャンルを問わずに有名な言葉を集めた本よ。」


「えぇ?そんな本、わざわざ羊皮紙で作らなくても良いじゃないか。」


「でも、おしゃれでしょ。」


「あぁ、おしゃれだ。

聖書かと思いきや、フレーズだけ。

匂いもあるし、見た目もインテリアとして飾っておける。

しかも、一言一言に意味がしっかりある。

ページ毎に、奥行きがあって、いろいろ書いてなくてもそのストーリーが浮かんでくる。

…ん、待てよ、まさか。」


ページをめくるたびに、同じ方向を向いている。


エルアンは読み返す。


「大いなる力と責任、やらないことの後悔、ガラクタが役に立って成功する。

つまり、小さな力でも、やってみれば、思いがけず成功する、かも?」


「うふふ、気がついた?」


「あぁ、わかった。

言葉がつながっているんだ。

順番に読んでも、ちゃんとストーリーになってる。」


「これはね、クリエイターが作った本なの。

『気になった言葉をインターネットで検索してみたら、案外お悩みごとが解決するかも。』

って本の紹介に書いてあったわ。」


「あー、そうか!

うん、うん、なるほどー。

文字数は少ないけど、問題解決の糸口になるかも知れない。

そうか、言ってみれば、現代的な聖書みたいなものだ。」


エルアンは微笑んで、ゆっくり何度も頷く。


「気に入ってくれたようで良かったわ。

それで、あなたは何を悩んでいたんだっけ。」


エルアンは本を見つめる。

スマートフォンをポケットから出して、検索する。


「あ、この映画、見たいと思っていたんだよな。

クレール、これから一緒に観ないか?」


「あら、お父様の畑のことは考えなくてもいいの?」


「まぁ、どうにかなるよ。」


二人は扉を開けて部屋を出る。


本は開かれたまま。

しっとりと波打つ皮。


刻印された言葉。


「最も崇高な芸術とは、人を幸せにすることだ。」


ピアノの音はまだ続いている。


ポ、ロン。



暗い室内。


広いソファ。


プロジェクターの光。


リラックスする二人。



人が跳ねる。


鳴り響く音。


大きなブランコが振れる。


時間の流れが変わる。


二人はソファに身を預ける。


音楽に合わせて身体がわずかに揺れる。



二人の前にはローテーブル。


フルーツとチーズとスライス・バゲット。


静かに立ち昇るスパークリング・ワインの泡。


様々な色の光が二人を包む。



星空の下の魔法。


広がるシーツに映し出される光と影。


夢が語られ歌声が広がる。


男の夢を支える家族の物語。



右へ左へ、音楽に乗る二人。


じっくり、美声に聞き入る二人。


深刻な空気に、固唾を飲む二人。


力強い言葉に、胸を熱くする二人。



エンド・クレジットが終焉の時を刻む。


残影に重なるキャストの証。


何も語らない二人。


映像を見ているのかもわからない。



部屋が明るくなる。

テーブルの上には飲みかけのワインと、食べかけのチーズ。


「あぁ、久しぶりに映画を観たよ。」


「とっても面白かったわ。」


「こういう時間、本当に大事だな。」


「えぇ、すっかり忘れてしまっていたわね。」


クレールがテーブルを片付ける。

エルアンは玄関から、一枚のパネルを持って来る。


「埃が被ってしまっていた。」


エルアンはパネルを丁寧に拭く。

ワイナリーの看板として掲げていた物。


「持って来たのね。

私も、映画を観ながら思い出したわ。

そのパネルのこと。」


「我々にとって、やらなければならないことは、やっぱりこれだな。」


「えぇ、その通り。」



   [ 葡萄樹 上弦の月 葡萄樹 ]


       [ 剪定鋏 ]


       N.A.V.Y.

  Natural Agriculture Vine Yards

      Bourgogne


*Identity 

『私たちは、人生を豊かにするものを探求する。』

『永遠ではなく100年の継続を求める。』



部屋に静寂が戻る。


ポ、ロン。

ポ、ロン。

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