第十五話 帰 郷
「出発するわね。」
カイとアヤンダ。
朝の日差しが、バスの中を明るく満たしていた。
「それにしても、昨日は楽しかったわ。ヤオ、面白い子。」
「うん。本当によく笑った。」
スピーカーから曲が流れる。
「インターネットラジオだから、いろんなチャンネルあるの。」
「それにしても、まさかバスとは。」
「だって、いっぱい運べるじゃない。」
カイは携帯を見る。
母への返信。
|明日帰るよ。
アヤンダが言う。
「二人でやれば早く終わるわ。収穫作業。」
⸻
かさ、かさ。
バナナの葉。
畑の脇にバスが止まっている。
さら、さら。
しゃがんで眺めるカイ。
「…何だこれ。」
⸻
畑に入る二人。
カイは立ち止まる。
アヤンダも立ち止まる。
「こ、これは、どういう…」
「これ……あなたの家の畑なの?」
⸻
バナナの木。
葉の影。
カカオの木。
根元に集められた、カカオの実。
その下の枯れ草。
刻まれたバナナの枯葉。
畑を進む二人。
若いカカオの苗の列。
等間隔で並んでいる。
カカオの列。
カカオの列。
その向こうにも、列。
カイは目を凝らして、見る。
(…水が、ゆっくり流れてる。カカオの殻の水路…)
(こっちの列......稲?)
(奥の方に花、バラ?)
さらにカカオの苗の列が続く。
「試しだ。」
クアメ。
「お帰りなさい。」
アミナ。
⸻
「初めまして、アヤンダと申します。」
手をおろし、頭を下げる。
「初めまして、私はクアメ。それとアミナ。」
帽子を取り、二人とも頭を下げる。
アミナが口を開く。
「早かったわね。まさか昨日の今日だなんて。」
カイは畑を見ている。
アヤンダが答える。
「たまたま、予定が空いていたので参りました。
お邪魔でしたか?」
「いえいえ、そんなことは。
昨日、収穫がひと段落したんです。
大変だったものだから、息子に手伝いを頼もうと思いまして。」
「私は、南アフリカで事業をしております。
コートジボワールにカカオを仕入れに来ています。
畑を視察するのは、私の仕事です。」
「それはそれは。あの、大きい車でいらしてるの?
大変ね。」
「いえ。アビジャンまでは貨物船ですので。」
ナナが木の影から顔をのぞかせている。
「ナナ、こっちにいらっしゃい。」
ナナはカイにしがみつく。
アヤンダを見る。
「ナナさんね。こんにちは。」
「ナナ、大きくなったね。」
カイが我に帰る。
⸻
バナナの葉が、光を遮る。
その木の下に、五人がいる。
風に揺れる草。
クアメは根元に座る。
クアメの前に、刈り取ったばかりの稲穂。
ひと束。
四人で囲む。
アミナとアヤンダの会話が弾む。
カイとクアメは、黙っている。
ナナは、バナナの木にしがみついている。
昼前の穏やかな風が、吹き抜ける。
⸻
午後。
ラジオから弦の音。
アヤンダとカイは散歩。
「村の人たちが、協力して作ったのね。
本当に素晴らしいわね。
川辺から水を引いて、畑まで。」
「うん。」
「あのバラ、いいバラね。
八重咲き。
先がピンクの白い花びら。」
「…」
「さっきから元気ないわね、どうしたの。」
カイは立ち止まる。
「オレ、父さんは変わらないと思ってたんだ。」
川辺の石を拾う。
「言われたんだ、継がなくていいって。」
卵の形の石。
「先が無いんだって、思った。」
右手で放って掴む。
「でも、違った。」
繰り返しながら続ける。
「父さんは、諦めていない。」
「そうね。」
「あの畑には、とても魅力があるわ。」
「…うん。」
「ね、ご両親に伝えて。」
卵の形をポケットに入れる。
「え?」
アヤンダはカイを見る。
「できれば、この畑のカカオを高く買い取らせてほしいの。」
畑の端から端まで、ゆっくり見る。
「もし、畑の写真と情報を発信することを許可してもらえれば、だけどね。」
両手の親指と人差し指で、枠組みをする。
「うん。やっぱりここ。」
文章を読むように口にする。
「この畑は、とても貴重な未来への挑戦が始まっていた。」
体をカイに向ける。
「私は、信頼し合える関係を築けるように頑張るわ。」
目を閉じる。
「問題が起こらないように、ちゃんと注意する。」
目を開き、カイの右手をそっと引き上げる。
「そう、伝えて欲しい。」
カイを見つめ、両手で優しく包む。
「ゆっくり考えて欲しいって。」
暖かい風がそよぐ。
稲穂が、上下に揺れる。
アヤンダは手を離して、歩く。
「でも、私はこの畑のカカオをすぐにでもチョコレートにしたい。」
カカオの実に触れる。
「少しでもいいから、持って帰りたいな。」
⸻
「…はぁ。」
アミナのため息。
クアメとアミナが並んで座る。
その向かいに、カイとアヤンダ。
「もう、話があるって言うから。
びっくりしたわ。
あぁ、そう、いうことね。」
カイは首を傾げる。
アヤンダは少しうつむく。
「大丈夫でしょ、あなた。」
沈黙。
「あなた?」
少しの間。
「…できるなら。」
クアメはアヤンダを見て話す。
「作ってもらえないか。」
アヤンダが顔を上げる。
「チョコレートを。」
カイの目が開く。
「ここで。」
⸻
アヤンダは眉を寄せる。
「…私は、作れるのですが、ここでは器材がなくて…」
「そうよね。気にしないで。ただ食べたいだけよ。」
コトン、何かの音。
「チョコレート…?」
離れたところからナナが近づく。
クアメのそばに座る。
「また食べたいと思った。ただ、それだけだ。」
カイが立ち上がる。
「それなら。」
真剣な目。
「オレが、作るよ。
父さん、もう一度、いいかな。」
アヤンダがカイを見る。
「…作れる、の?」
「何度も、作ってきたんだ。」
カイに視線が集まる。
「頭の中で。」
クアメが目を閉じる。
「……」
⸻
ー ねぇ、父さん…
ー 僕もチョコレート作ってみたい…
ー だめ?...
ー 一回、だけだ…
⸻
虫の声。
灯。
かまど。
石。
⸻
小さなカイの、後ろ姿。
振り返る。
固くつぶる目。
舌と歯。
⸻
「……」
クアメが静かに目を開く。
「やってみろ。」
カイが頭を下げる。
⸻
西日が差す。
灯が揺れる。
カイはかまどから石板を取り出す。
石板を水平にし、砂糖を広げる。
クアメの背中が伸び、目を凝らす。
カイの顔を見る。
カイは鉄鍋で豆を煎る。
パチ、パチ。
薪を動かし、火を見る。
「いい匂い……」
アヤンダとナナが大きく息を吸う。
カイはじっと鍋を見ている。
鍋を火から下ろす。
クッ。
殻をマチェーテで割る。
中身を石の皿の上に置く。
ゴン、ゴン。
卵の形の石で、叩く。
ガッ、ガッ。
擦る。
カカオがドロドロになる。
カイは木の板で混ぜる。
グルグルと、練る。
「砂が、土になるまで。」
カイは小さな石板と、細い石で型を組む。
トロトロのカカオを流す。
しばらく待つ。
アヤンダがカイに話しかける。
「カイ、なぜこんな作り方を、どうやって。」
「…エルアンと、父に教わったんだ。」
クアメは黙っている。
「私が話すわね。」
アミナが、扉を開く。
「エルアンはね、十年くらい前にここで畑を手伝ってくれたの。フランス人よ。」
⸻
日が沈む。
村の人々が、集まり始める。
火が灯される。
タン、タタン。
太鼓の音。
大きな声が、村に響き渡る。
祭り。
⸻
ナナが外に出る。
「見てくる!」
止まって後ろを向く。
「チョコレートまだ?」
アミナが答える。
「まだよ。大丈夫、ナナのはちゃんとあるからね。」
ナナが駆け出す。
アヤンダがカイを見つめる。
「…そんなことがあったのね。
何だか、信じられないけど、確かにチョコレートが、ここにあるわ。」
クアメが問う。
「私は、一回だけ許した。それだけだった。」
カイはクアメの目を見る。
「一回だけだよ。」
少しの間。
「失敗した。…だから、次に作る時があったら失敗しないように。
頭の中で練習した。
そして、父さんが言った言葉の意味を考えたよ。」
アミナが外を見ながら聞く。
「何を言ったの?」
カイが答える。
「…若いって。」
クアメは目を細め、少し上を見る。
「あの時、確かに言った。
それで、あの動きか。」
「そろそろ、固まったと思う。
チョコレートは祭りに持っていけないよね。」
パキッ。
真っ直ぐ半分に割る。
パキッ、パキッ。
「はい、父さん、母さん。…どうぞ、アヤンダにも。」
クアメが口にする。
沈黙。
クアメが背中を向ける。
大きな背中。
上に顔を向ける。
肩が小さく、ゆっくりと、動く。
アミナが寄り添う。
「…おいしいわね、ね…」
⸻
ドドドド、ドン!
トトトト、トン!
タン、タタン、タン、タン!
ズン、ズン。
太鼓。
叫び声。
金属音。
パチ、パチ。
松明の火。
動き回る炎。
旗がゆったりと舞う。
脚が細かく、時を刻む。
大地が揺れる。
腕が風を起こす。
バナナの木が揺れる。
葉と幹に、光と影が映る。
人の波。
その根元に果物。
皿の上。
⸻
「はい、ナナ。お待たせー。」
「わー!チョッ…」
カイがナナの口を塞ぐ。
「しーっ。少しだけしかないんだから。」
「んー!んー!」
ナナが駆け出す。
腕を振る。
クルクル回る。
倒れる。
笑う。
「あなたは作れる。作るべき。」
アヤンダはカイの隣に立つ。
「でも、方法はあなたが、あなた自身で見つけなければならないわ。」
カイは微笑む。
「あぁ、そうする。…だってさ、その方が大きいよ。」
アヤンダは前を向いたまま。
「何が、かしら。」
「…残るものが。」
⸻
ドドン、ドン。
ドドン、ドン。
「お兄ちゃーん!いっしょにおどろー!」
カイはすっと立つ。
「よし、行くとするか。」
「行ってらっしゃい。」
アミナとアヤンダが並ぶ。
「よかった。カイは成長してる。」
「彼は、とても優秀です。」
「私が言うのも何だけど、自慢できるわ。」
「大いに自慢できます。
でも彼は、謙遜するのでしょうね。
カイはとても上品です。」
ドドン、ドン。
「カカオ、今は少ないけど、使って。」
「よろしいんですか?それは、とっても嬉しいです。」
「あなたは、充分、信頼できます。
畑の仕事もしてくれたし。
こちらもちゃんと、お礼をしないと。」
ドドン、ドン。
松明を囲む人の輪。
カカオの実を、両手に持つナナ。
カイの後ろを、ついて歩く。
「珍しい踊り、ですね。」
「カイがね、村の人に広めたのよ。」
「え?そうなんですね。
これは、遠い国の踊り。
アフリカだと、こうなるのね。」
「その国では、どうなの?」
「もっと、こう、ゆったりした… 壁と床を、お掃除しているような。」
ドドン、ドン。
ドドン、ドン。
⸻
祭りの後。
静かな畑。
暖かい風。
真上に向かう月。
カイは立って、上を向いている。
目を閉じて、光を浴びる。
⸻
ー カカオを学びたいのです…
ー 素晴らしい木だ…
ー これは安全だよ…
ー 刃は刃だ…
ー これをあなたに…
ー 未来を考えるために…
ー ルナだ…
ー 娘がいるんだ…
ー 初めて食べた時、踊った…
ー Bonjour…
ー 月は、いつも…
ー 木は、踊るの…
ー 太陽の光で柔らかくなって…
ー 大きい象さん…
ー 私も作りたい…
ー いろんな形があるの…
ー いつも丸いの…
ー 月と海、仲良し…
ー フランスに来て…
ー 約 束 … … …
ー ここで育てた豆を…
ー チョコレートを…
ー あなたたちが…
ー ここで…
ー ありがとう…
ー 教えてくれて…
⸻
カイは光を浴びている。
ナナがいつの間にか、カイの後ろにいる。
ナナは見上げる。
カイの頭の影。
月は見えない。
ひとすじ。
光が足元に落ちる。
ナナは、手のひらを広げる。
月の光に当てる。
手のひらをじっと見る。
振り返って、カイの頭をもう一度見る。
そして、ゆっくりと、歩き出す。
音を立てずに。
そっと。
家に向かって。
⸻
光と影が揺れる。
畑の水面に。
さら、さら。
かさ、かさ。
夜は深まっていく。
⸻
朝の光。
鳥の声。
「はい、ここに並んでくださーい。」
張りのあるアヤンダの声。
三脚にスマートフォン。
写真撮影。
村人みんなが集合。
「それでは、三枚です。
よろしくお願いしまーす。」
さら、さら。
かさ、かさ。
アヤンダが村人たちに混ざる。
「カシャ。カシャ。カシャ。」
オートシャッター。
デジタル音。
「どうもありがとうございましたー。」
⸻
ブルン、ブルル…
「元気でね。」
「母さんも、ナナも。
父さん、お元気で…
…出発します。」
軽く頷く。
手を振り合う。
ドアミラー。
離れていく。
三人の姿。
バスの中は、午前の柔らかい日差しで明るい。
「いい写真が撮れたわ。
私ね、写真撮るの好きなんだ。」
「そうなんだ。」
「文章書くのも、結構得意なのよ。」
「そうなの。」
「...そっか、やっぱり、寂しいのね。」
「……」
カイは、うつむいている。
指が画面に触れる。
アヤンダのタブレット。
「アヤンダってさぁ、これで仕事してるんだよね。」
「そうよ。」
「これって高いの。」
「そうね、金額で言ったら高いわ。
でも、妥当な価格だと思うわ。」
「...そう。」
しばらくの間。
「オレもこれ欲しいかも。」
インターネットラジオが曲を届けている。
「この番組、世界のポップスね。」
「…そうなの?」
「この曲、いい音色ね。」
「…うん。」
「ハーモニカ。」
「……」
「何だか落ち着くわね。」
「…」
「...お疲れのようね。気にしないで寝ていいのよ。」
ハーモニカが奏でる。
懐かしい、土の香りが漂う。
故郷の記憶が浮かぶ、暖かいメロディ。
「…ラジオ。」
「うん?」
「...カーラジオでは、ないんだね。」
「そうよ。」
「...カーラジオではないわ。」
⸻
バスが走る。
揺れながら。
街に向かう。
空は青い。
月は見えない。
太陽の光。
明るく照らす。
ハーモニカの音色。
耳に残る。
指が画面に触れる。
チャンネルが変わる。
曲を選ぶ。
また音楽が流れる。
バスは走る。
揺れながら。
村から遠ざかる。
轍を残していく。
真っ直ぐに。
前へ。




