第29話 闇夜
暗闇の中、怪しげに灯るキャンドルは辺り一面を照らすようにゆらゆらと揺らめき始めた。
カツカツと力強い足音が闇夜に響いては消えていく。長い黒髪を揺らす女は、銀色に光るナイフを鏡に叩きつけた。
「あー! もう! どうしてカランに当たらないのよっ!」
あの水泡さえ当たれば、全てがわかるのに!
腰まで伸びた黒髪はまるで蛇のようにぶわりと広がった。飛び散る破片に映る赤紫の眼は、憎悪を滲ませる。歪む自分の顔に舌を打った女は更に靴で破片を踏み鏡を粉々にさせた。
綺麗に切り揃えられた前髪に長いまつ毛。柘榴のような瞳を持った女は、異国の服をひらりと揺らせながら可愛らしい椅子に腰をかけた。
「でもいいわ。やっと、ひとつカランについて知れたんだから。ふふっ、待っててねカラン」
先程の怒りが嘘のように、女は恍惚とした笑みを浮かべて小さな鏡を撫でる。そこに映るは気持ちよさそうに眠るカランの姿。すぴすぴと寝息を立てる姿を見ては、まるで愛しいものを見るかのようにその頬を緩ませた。
「にしても邪魔ねぇ。カランのお兄さんを殺しちゃったら、さすがに嫌われちゃうかしら。でも、彼一度死んでるんだしもう一回死んだって……」
変わらないわよね。
女は肩を震わせながら笑い、踊るようにクローゼットを開く。そこには真っ黒と真っ白なウエディングドレスが眠るように掛けられていた。黒のウエディングドレスを取っては、割れた鏡の前に立ち自分と重ねる。くるくると色んな角度を見ながら、いつか来るその日を想像する女はさながら恋する乙女のようだった。
「カランはやっぱり白かしら。でも私とお揃いの黒もきっと似合うわ。あぁ、あぁ! 早く迎えに行ってあげたい」
ぎゅっとドレスを抱きしめる女は、そのまま酔いしれるようにベッドの上に倒れ込む。丸い目を瞑って、熱い息を吐いてから何かを考えるように虚空を見つめ始めた。
「……やっぱりダメね。お兄さんを殺すのは寧ろ逆効果だわ。あの男から覗いた絶望の記憶が正しければ、カランの一生の傷になってしまうもの。そしたら、カランの中で一番強く想われる存在が私じゃなくなっちゃう」
じゃあどうしましょう。
ウエディングドレスを仕舞った女は、また椅子に腰を掛けため息をついた。
愛されるべき者も私、傷であるべき存在も私。カランの全てを貰うくらい許されて当然なはずだと、女は鏡を見つめた。そしてくるりと指で回転させる。背を向けていた側の鏡は、カランでも女でもなく全く別の映像を映し出していた。
ハスリーベ島でもなく、カラン島でもない異世界。鏡に映るは、まるでこの女と同じような見た目をしている少年。赤紫でこそないが、真っ赤な眼を持つ少年はその顔を隠すように大きなフードを被ってつまらなさそうに口を開いた。
「どうするんです? 白の国の守護天使が一人消えた今、あの国の最後の砦はカラン一人になりましたけど」
「あぁ。そうだな、殺せるならさっさと殺して欲しい。だが……」
「はぁー、だがなんです? ……まぁいいや。貴方の命令がなくても、ボクはアイツと戦いたいんで行っちゃいますね。こんな意味のない戦争はさっさと終わらせないと」
やれやれと手を振るフードの男が姿を消した時、瞬きをするように鏡は暗転する。
誰かの記憶を覗いているようなそれを、女はじっと見つめていた。しかし求めているものが映し出されないからか、次第にトントンと人差し指で机を叩き始める。
そしてまた、鏡は何かを写し始めた。
「すまない、僕が。僕のせいで貴女のお兄さんが。僕が、貴女を求めなければ」
「謝罪なんていらない。あれは私が弱かったから、ただそれだけ。……ねぇ、貴方は誰と契約を結んだの? 私はそれを倒さないと死ねないんだよ」
女はバッと身を起こしその映像を凝視する。
銀色の髪は冷たく、少女の花緑青の眼に映ったのは、橙色の髪を持つ青年。カランと瓜二つな少女は、青年の首を取らないまま『悪』とする存在の情報を知って直ぐにその場を立ち去った。青年の視界が歪むように、鏡に映る映像はぼやけていく。
「すまなっ――」
「もういいわ」
青年が何度目かの謝罪の言葉を口にした時、女は飽きたように鏡をひっくり返した。
恐らく求めていた映像ではなかったのだろう。カランが映った瞬間は、頬を赤らめ食いつくように見入っていたのに立ち去ってからは興味をなくしたように見るのをやめた。
「白の国、聞いたこともない名前ね。この男の絶望を覗けたのは大きいけれど、これ以上情報も無さそうだわ」
「でもあんな風に怒るカランも素敵ね。ふふっ、早く貴女の全部知りたいわ。そうなると、つ・ぎ・は〜♪」
緩む頬を両手で抑えながら、パタパタと足を動かし女はうっそりと笑う。カランの寝顔を鏡越しに撫でてから、しなやかな指先で自身の唇を撫でた。艶かしいその仕草は、普通の男が見たら心を奪われてしまうだろう。それほどまでに、女の美貌は凄まじかった。
その美貌という名の罠に、誰よりも早く引っかかったカランは今この瞬間、誰かが狙われることを知らずに呑気に寝返りを打つ。
布団を巻き込みながら寝返りを打たれたせいで、掛け布団が消えたカキラ。眉間に皺を寄せながら温もりを求め、コアラの如くカランに抱きついた所で、女はくすりと笑みを深めた。
「闇のチャンピオンにきーめた♪ カランの婚約者候補だったし、さっきの男と瓜二つ。ふふっ、あはは!」
女の手には、あの日カランが埋めた婚約者候補が書かれた手紙と写真。
黒いインクでその顔を塗りつぶし、その隣にあるオレンジの髪の青年─ケイと名が書かれた写真には大きくばってんを描く。女はにこにこと手紙を裏返し、カランと自分が手を繋ぐ絵を描いてウエディングドレスの時のように熱く抱きしめた。
もはや完全に自分の世界である。女に取ってカラン以外の男など邪魔者のそれ。丸や三角と男たちの上に足していく記号は、女が求めている情報を持っているかの有無だろう。
「カランはどんな世界が好きかしら。もうすぐ私の理想の世界は完成するけれど、カランは気に入って……。ううん、気に入ってくれなくてもいいわ」
その時は私が"正して"あげればいいんだもの。
今の私にはあの頃の力があるんだからと、女は小さな宝玉を握りしめた。揺らめくその中には、赤子を抱く夫婦や頭を撫でられ笑みを零す幼子の姿。走馬灯のように流れていく誰かの記憶は、数多のものと混ざり消えていく。
からんころんとその宝玉を煌びやかな卵形の入れ物に詰めた女は、おもむろに真っ赤なリップを取り出した。
「次会う時カランがもっと私を好きになってくれるように、お化粧も頑張らないとダメね。カランは可愛い私が大好きなんだから」
そう、カランには弱点があった。
常に私は強いから大丈夫だと自負している彼女は確かに魔力も戦闘力もピカイチ。だが、弱点が二つある。その内の一つが『可愛い』だ。
カランはイケメンに強い。それこそ、あのカキラと十歳の頃まで一緒だったのだ。イケメンと異性には慣れている。そんなカランは逆に、同性との関わりが無に近い。つまり、『可愛い女の子または女性』に免疫がないのである。
「このリップ、きっとカランにも似合うわ。ふふっ、今度買い足しに行っちゃおうかしら。早くカランを私のお人形さんにして、たぁくさん可愛がって……ずうっと一緒に」
陶器のような肌の上、真っ赤な薔薇が咲くように鮮やかに彩る唇。そんな唇を、もし今のカランが見てしまえば言葉を失ってしまうだろう。傍にカキラが居れば「教育に悪い」と目を塞ぐかもしれないが、それほどまでにカランには免疫がない。
そして女はカランが自分に甘いことをよーく知っていた。お泊まりをねだった時だって、可愛く首を傾げればカランは直ぐに「しょ、しょうがないなぁ」と承諾。それこそ、カランが白雪に選ばれた時も「嫌よ、寂しいわ」以外にも抱きしめては泣き落としありとあらゆる手を使ってカランの部屋に居座っていた。
「私とカランは、ずっと一緒。そう、ずっと、永遠に」
「約束したもの。アレも居ない今、私を止められる脅威なんてどこにもない」
「……もうすぐ、全てが終わるからねカラン」
夢に浸るように女は一人呟いて、きらりと光る左手の薬指にキスを落とした――。




