15話 朝食
るんるんと食堂へ足を運ぶ。三人が集まったのか、遠くからガヤガヤと飛び交う声が聞こえてきた。目覚め時は時が止まったように静かだったこの屋敷も、たった三日で随分賑やかになったものだ。まるで真っ白なキャンバスに毎日鮮やかな色彩が足されていくみたい。
「まぁでも、心はぜんぜん穏やかじゃないんだよなぁ……」
起きてからというものの、スミレくんやミカゲに対して感じたことの無い動揺と羞恥心に駆られることが増えてしまうという緊急事態が発生。賑やかになったからと言って、全てがいい方向にことが進むわけではない。
(……ほんと、冗談抜きでいつか誰かを呪い殺しちゃう気がする)
はぁ、とため息をついて垂れたもみあげを耳にかける。気落ちした心を晴らすように、足を止めガラス張りから見える庭園に目を向けた。
光を浴びて美しいコントラストを生み出す葉は、いつにも増して鮮やかで。キラキラと輝く朝露が酷く眩しく見えた。
──あぁ、この屋敷から見える景色は本当にいつも綺麗で温かい。
「私の心にも、早く平穏が訪れて欲しいな」
「んみゃ?」
「ううん、毎日が楽しいなって思っただけだよ」
私のぼやきを聞いていたのか、心配そうに首を傾げるしらたまちゃんを撫でて廊下を歩く。何はともあれ、私は今日も恋をしないように一生懸命頑張るのみだ。一歩一歩と大股で足を運べば、私の鼓舞に呼応するように足音は屋敷に響き渡る。
「にしても、今のところ婚約者候補さん達が顔見知りというね」
「んみゃあ〜」
「結構、気まずいんだよこれ」
ぽやっとした笑顔を浮かべるしらたまちゃんに「分からないでしょー?」と、頭を押して、息をつく。
八歳くらいの時に離れ離れになって、文通だけが繋がりだったミカゲは近衛騎士から婚約者候補にいるし、お散歩という名の旅をする私を毎回お城に届けてくれたスミレくんも婚約者候補だし。何だか色々と、私の知らないところで話がトントン拍子に進んでいた。
なにより、二人のことをそういう目で見たことがなかったから、急に意識して心が落ち着かないんだ。前まではそんなこと無かったのに、二人の一挙一動に振り回される自分が腹立たしくて嫌になる。
本でも見た事ない「恋」という感情を自覚する日がいつ来るのかは分からないけど。恋は落ちるものなんだとイリウは言っていたから、油断も出来ない。目覚めてから、私の状況は進んでいるようで止まったままだ。
……だからこそ、この胸のざわめきの理由が呪いか、それとも私自身の想いなのか。
その境界が分からないのが、いちばん怖かった。だって、誰かを思うだけで胸が熱くなるなんて、前の私にはなかったことだから。未知なことが重なりすぎて、どうにかなっちゃいそうだ。
肩を落とす私に、しらたまちゃんは元気だしてと頬ずりしてくれるけど中々前向きになれない。三日目にして情緒の波が激しくて、心の疲労が溜まっているのかな。
「それに十中八九、カキラも婚約者候補だろうし」
朝の静かな空間に、虚しく声が落ちていく。
そういえば、カキラが水の国代表としての婚約者候補にいなかったら、私どうしてたんだろ。そもそも、白雪という生贄の裏事情が全く分からないし、せっかくカキラに会えたから今日は色々教えてもらおうかな。
うん、そうしようと別のことに思考を逸らせば、何だか知らない事をたくさん知れる気がして。コツコツと響く私の足音は、どこか期待に胸を弾ませるように早く感じた。
「ふふっ、久しぶりにカキラとご飯だ」
「んみゃぁ〜」
それに──カキラと一緒にご飯を食べれるのが嬉しくて、胸の奥がふわっと熱くなる。開かれたままの扉から差し込む朝日が、まるで薄いベールのように私を照らしていた。
「おはよー。朝ごはんを食べに来たよ」
「んみゃ」
「おはよ。よし、そしたらカランは俺の前に座って」
「? わかった」
入って早々カキラから席指定が入り、隣じゃないんだとしょぼくれながら腰を下ろせば、顔色の悪いスミレくんと、にっこにこなミカゲが隣に座った。なんか既視感のある配置だと思いつつ顔を上げれば、緩んだ頬を隠さず見つめてくる空色の眼と視線がぶつかる。
「……えっと」
ミカゲの逃げ道を塞がれていく尋問とはまた違う種類の緊張だ。久しぶりに見るカキラはやっぱりかっこよくって、美麗なその顔に見つめられているという事実に心拍数が上がっていく。なんだか熱くて、じんわりと手のひらに汗が滲んだ。なんでだろう、ただ見られているだけなのに胸がそわそわして落ち着かない。
(見られることくらい、昔と変わらないのになんで……?)
自分でも分からない恥ずかしさから逃げるように、じゃがバターを頬張れば視線の温度が上がったように一層その眼差しは強くなって。既に甘すぎる視線に、じゃがバターが異様にしょっぱく感じてきた。これはさすがに食べづらい。じゃがバターの上で視線を泳がければ、隣からかちゃんとフォークを置く音が響いた。
「ミカゲくん、食事中の女の子を見続けるのはよくないと思うのは俺だけじゃないよね」
「? 礼儀としてはそうですけど、姉さんとカキラさんは一応兄妹ですし。二人が良しとしてるなら、僕らが首を突っ込むのも……」
「いやいや、兄妹だからって仮にも俺たち皆ライバルなんだよ!」
スミレくんの声に反応するみたいに、窓の外で木々が大きく揺れた。
ごくんと、なんとかじゃがバターを紅茶で飲み込めば、ちゃぷんと波打ち私の花緑青と目が合う。波紋を広げる紅茶に、つられるように思考が揺らいでスミレくんの言葉に疑問が浮かんだ。……ライバルって、なにと。
「あ、あのさ。少し気になることがあるんだけど」
「ん、どうした?」
勇気を振り絞って声を出せば、紅茶のお砂糖さんもびっくりするほどの甘い声が返ってきて上手く息が出来ない。スミレくんの『兄妹』と『ライバル』――その二つの言葉が、まだ胸の中でうまく離れてくれなくて。心が妙に落ち着かないのに、そんな風に微笑まれたら困る。困るんだ。
(あぁ、もうなんだか私のところだけ湿度がすごい高いよ……!)
仮にもカキラはお兄ちゃんなわけで、ここまで動揺するのはやっぱりおかしい。だって今までカキラに対してこんなドキドキすること無かったもん。絶対、この呪いには、惚れやすくするデバフがあるに違いない。じゃないと、この心の揺らぎに説明がつかなくなる。
どれだけぐるぐる考えても、理解と感情はまったく紐付かなくて。ぎゅんっと上がる心拍数。紅茶を飲んで何とか頭を冷ましながら、とりあえず動揺がバレないように私はスカートを握った。
カキラの砂糖より甘い眼差しに負けるな私……!
「し、白雪の婚約者は七人いて、その中で我こそは! って人がお嫁さんに迎えるんだよね。もし、その我こそはが複数人いたらどうなるの?」
言ってからようやく自惚れた発言だと気づいたけど、もう遅い。だって、現にスミレくんは「ライバル」と言った。つまり、その、少なからずミカゲとスミレくんはあの。私にちょっぴり好意があると言うことになって。意識したら負けなんだけど、一応白雪として知るべきかなと問えば、カキラはにんまりと笑みを深めた。
その刹那、世界の時が止まったようにしんっとこの場が静まり返る。しらたまちゃんの小さな欠伸だけが食堂に反響して、握った手が少しだけ緩んだ時、ゆっくりとその唇が動いた。
「バトルロイヤルが始まる」
「えっ」
その言葉が落ちた瞬間、空気が一枚、薄い氷のように張りつめた。
にこりと笑うカキラの表情は、どこか冗談のようで……でも目は笑っていない。予想外すぎる返答に、思わず素っ頓狂な声が漏れてしまった。そんな物騒なことが顔合わせの時に起きるのかと瞬きを繰り返す私に、カキラは上品にパンを食べてから暖かな眼差しを向けて口を開く。
「まぁ何事も、拳で語るのが一番手っ取り早いからさ」
「そ、そっか」
逆光だからか、どんなに国宝スマイルだとしてもどこか威圧感がある。太陽に照らされ輪郭がぼやける銀髪も、なんだか不思議とカキラから溢れるオーラに見えてきた。
それがちょっぴり怖くて、机の上に眠るしらたまちゃんをそっと盗んでむぎゅむぎゅと握る。今の心拍数の高さが恐怖か照れか分かんなくなってきた。
「な、なんだっけ。あの、私のために争わないで。みたいなことが起こるってこと?」
「お、さすがカラン。理解が速い」
「でも姉さん、それは今回に限りで。本来であればあみだくじとか、花嫁の意思尊重とか色々と決定手段はあるんですよ」
もりもりと四個目のパンを食べ終えたミカゲは、昨日の尋問モードが嘘みたいににこっと微笑む。可愛いなぁと和みつつ、それでも疑問は絶えない。
「じゃあなんで今回に限ってこんな物騒なの?」
ご馳走様でしたと手を合わせてから、第二の疑問を投げれば視界の端でスミレくんのタッセルが揺れた。
「カキラが自分に有利な条件で、今回の事を進めたからだよ」
「普通に考えて、俺より弱いやつにカランを渡せるわけないだろ」
「それは分かるけどさ、ほらもっとなんかあるじゃん。友達から初めて、お互いの相性を知っていくとかさ」
「元カノ十三人持ちの言うことは違いますね」
「至ってまともなことしか言ってないと思うけど!?」
すかさずツッコミを入れるスミレくんが面白くて、つい笑みがこぼれる。
今思えば、本当に元カノ十三人ってすごいと思う。その内の五人は、確か一晩で心を掴まれた女の子たちなわけだし。何をどうしたらそこまで頻繁に恋に落ちれるんだろうか。分かんないなぁと、他人事のように考えてすぴーと眠るしらたまちゃんの頬をそっと撫でる。
「んみゃあ……」
「ふふっ、まだ寝てていいよしらたまちゃん」
小さく欠伸をするしらたまちゃんを撫でながら、窓から見える薔薇に目を向けた。光を注ぐ太陽を見上げる薔薇のように、スミレくんにとってすれ違う女性を振り向かせることは容易い事なんだろう、きっと。
(まぁたしかに馴染みやすいし、かっこいいもんねスミレくんは)
分かってはいたものの、改めてそう思うとつきりと胸が痛んだ気がした。でも、この痛みは林檎のペンダントから発された何かでは無さそうだし、呪いが進行した気配もない。気の所為かなと息を吐いて横を見れば、悔しげに眉を顰めるスミレくんと目が合った。
「カランちゃんは……その、さ。俺みたいな、軽いって思われてる奴なんかじゃ、やっぱり……嫌だよね」
今にでも泣いてしまうんじゃないかと思ってしまうほど、彼のアメジストの眼は不安げに揺れて私を見つめた。たまにスミレくんは迷子の子供みたいな顔をする。そうやって、何人の女の子を落としてきたんだろうと思いつつ、どうしようもなく心が揺さぶられて。つい、その頬に手を伸ばしてしまった。
「別にその子たちに毎回真摯に向き合ってたならいいんじゃない?」
「えっ……」
きっとスミレくんにとって、若さ故の過ちというこの元カノ話は、恐らく唯一の弱み。そして、仮にも花嫁の前でされるものだから、罪悪感を募らせて苦しいんだろう。
(まったく、精神攻撃という名の蹴落とし合いはよくないね)
項垂れるアホ毛を一瞥してから、下がるスミレくんの口角を人差し指で押し上げた。無理やり作られた笑みだとしても、お日様はこういう時イケメンの味方。だから、一層綺麗にスミレくんを照らすんだ。
「自分をそこまで卑下する必要はないよ、それだけスミレくんが魅力的だったんでしょ? それに、過去は過去。過ちだとしても経験のひとつでもあるんだから」
だから大丈夫だよとしたり顔で微笑みを返せば、蕾がふわりと咲くように、アメジストの瞳が大きく開いた。
「カランちゃん、ありが……」
スミレくんの手のひらが、私の手を包む。その刹那、カチャンとソーサーに置かれるティーカップの音が冷たく響き渡った。
一瞬の静寂が、永遠のように感じるほど。カチコチと時計の秒針がゆっくりと聞こえる。
「ところで、カラン」
「な、なにカキラ?」
パッと離した手にはスミレくんの指先の温もりが、まだ指に残っていて。でも、その余韻を切り裂くように、カキラの声が落ちてくる。
「この後レカムもこっちに来るんだけどさ、七属性の誰が婚約者なのかは知ってるのか?」
「ううん、知らない」
乾いた喉を飲み込んで、ゆっくり首を振る。指先にじんわりと残る温もりは、下ろした時にはもうなくなっていて。それが少し寂しく感じた。だけどそう思うのもなんだか変だなと自嘲して、代わりにティーカップに指先を当てる。
「そういえば姉さん、僕が婚約者のことも知らなかったですよね。見合いの写真来ませんでしたか?」
「んーと、届いてはいたんだけど……」
見る暇がなかったんだよなぁと、心の中で呟く。
白雪に選ばれた日から、イリウが「嫌よ、寂しいわ」とお部屋に寝泊まりしていたから、なんだか見るに見れなくて。とはいえ、それをイリウが見つけたら変な企みし始めてもおかしくはないと思い、急いでクッキー缶に入れて裏庭に埋めたんだ。
「その、忙しくて。お店が結構」
「カランはお兄ちゃんに嘘をつく悪い子だったかな?」
「埋めました、庭に」
カキラには勝てないよ。
肝心な理由こそ隠させてもらうけど、一応私もイリウが寝てから見ようとした。しかし庭に埋めた際、目印をつけ忘れたせいで普通に掘り出せなかったのである。
なんで埋めたのと、左からミカゲのじっとりとした視線が飛んでくるがここは無視だ。えいっと机の上に戻したしらたまちゃんは日に当たって一層白く輝いて。ぽやぽやと光る姿に癒しを摂取してから、今度は私から話を切り出そうと口を開いた。
「埋めた理由はさて置きで。その、婚約者の件も含めて。……私が眠っていた二年の話を、教えて欲しいのカキラ」
外の木々が大きく揺れ、雲が流れ込み光に影が落ちる。
不意に、不安が胸に広がった。けれど隠された太陽はすぐに顔を覗かせて、窓から入る朝の光が、まぶしい。
うっと思わず目を細めれば、対照的にカキラは待ってましたと言わんばかりににこりと笑みを浮かべた。




