結婚初夜に妻となった女性から「愛さない」と宣言されたのだが?
わたくしたちはまるで、異国の悲恋の伝説のようですわ。お父様によって引き離された恋人たちの。
豪華絢爛な屋敷で、一人の令嬢が男性と向き合い、宣言した。香油の香りが胸を高鳴らせる、そんな中で。
「ごめんなさい。エリオット様。わたくし、貴方を愛することはできませんわ」
結婚初夜の新妻の宣言に、エリオットと呼ばれた男性は困惑したように問いかける。
「どういうことでしょうか? フラレイシア様」
どこからかハンカチを取り出し、目元を拭うフラレイシアは美しい髪をおろし、情欲的な寝着を着ていた。まるで胸元を強調するように、腕で身体を抱えながら、夫となったエリオットを見上げる。
「わたくしには、愛する人がいるのです。美しい銀髪に、藍色に輝く瞳。整った顔立ちは王子様のようです。そして、その方はわたくしを大切に優しく接してくださるのですわ。その方とわたくしは相思相愛で、楽しい日々を過ごしておりました。しかし、その方との時間を大切にしすぎたあまり、わたくしは淑女教育をさぼってしまったのです」
「それは……」
淑女教育を終えずに成人を迎えれば、貴族令嬢としての価値はなくなる。それならば、想い人との結婚も無謀になるだろうと思い、エリオットは話を聞く。結婚初夜の妻からの突然の告白を怒ることなく聞いているエリオットは、人がいいと評判の男だ。貴族同士の結婚は政略だ。愛し愛される関係でなくても、時間をかけて信頼を築こうと素直に話してくれた。そう思いながら、妻の言葉を待つ。
「お父様はお怒りになりました。その方も仕事をサボって私に会いにきており、」
「え?! 仕事ということは、年上の方だったのですか?」
妻の言葉にエリオットは驚いて口を挟んだ。未婚の淑女を年上の男性貴族が仕事をサボって口説く。それは大きな問題だろう、と。
「いえ? その方は平民ですもの。仕事があって当然でしょう?」
可愛らしく首を傾げるフラレイシアの言葉には、違和感があった。平民なら仕事をしなければ生きていけない。いや、貴族でも種類は違うが仕事をしないと生きていけないのは同様だ。
貴族と平民の結婚は、今は昔ほど忌避されるものではない。フラレイシアを養うことができるとフラレイシアの父が判断したならば、二人が結ばれることもあっただろう。しかし、フラレイシアを愛するならば、フラレイシアと身分を超えて結ばれようとするならば、相手の男は仕事に精を出すべきだろう。エリオットはその違和感を飲み込み、話の続きを促す。
「その方の仕事の邪魔にもなってしまうからと、愛する私たちをお父様は引き裂いて、あの方を遠くに……。そうして、わたくしたちは会えなくなったのです」
「それは……」
同情して視線を下げたエリオットの目に入ったのは、寝着を自ら下着になろうとするフラレイシアの姿だった。会話とフラレイシアの行動の不一致に、エリオットは思わず固まった。
「ですから、わたくしの心のはあの方のものですが、あなたと結婚の義務である夜伽をする必要があるのです。……許されるなら、夜伽の間、あの方の名を……マルディオの名を呼ばせてくださいませ」
フラレイシアは息をはぁはぁと荒げながら、目は爛々と輝かせている。服を脱ぎ、飛び掛かるように襲いかかってきたフラレイシアから、思わずエリオットは逃げ出した。他の男の名を呼ぶ女を愛する趣味はない。それならば、時間をおいて関係を築いた方がいい。しかし、フラレイシアの行動は明らかに異常であった。まるで、好きでもない男とでもいいから、とにかく閨を共にしたいと願っているような。
そこで、エリオットはフラレイシアの父の元に行き、フラレイシアから愛する人がいると言われた件を伝えた。エリオットはフラレイシアの家に婿入りする身だ。元々の生まれもフラレイシアの侯爵家の下である伯爵家の三男だ。エリオット側からは婚約の解消などできない。
しかし、フラレイシアが可哀想だから、最後に一度だけでも、初夜を迎え、正式に結婚したと登録される前に、その方と合わせてやってほしいと懇願した。それが終わるまでは結婚できない、と。エリオットの心に打たれたのか、侯爵はその嘆願を認め、結婚も保留にしてくれた。そして、侯爵はフラレイシア付きの侍女からも話を聞き、大きくため息を吐いて溢した。
「フラレイシアはまだそのようなことを言っているのか。……まともになったかと思っていたが、もはや修道院にでも入れるほかない、か」
エリオットは、村の名前を聞き出し、軽く身支度を整えたらすぐに飛び出した。逃げ出してすぐ、エリオットは気がついた。正直、フラレイシアの血走った目や荒い息遣いを恐ろしく思ったのだ。きっとそんなエリオットはフラレイシアと結婚などできない。代わりに、最後に、フラレイシアのために恋人を見つけ出し、二人を幸せにしようと。
一方で、逃げ出したエリオットの行動は、フラレイシアにとっては、自分を思って駆け出した騎士に見えたようで、フラレイシアは物語の主人公になった気持ちで彼の戻りを待った。
エリオットは村に着き、すぐに一人の少女を見つけた。声をかけたその少女は、フラレイシアが語った想い人と髪色が同じで、瞳の色も同じだった。血縁者に違いない。エリオットが事情を説明すると、少女は顔色を悪くした。今にも倒れそうな顔色にエリオットが体調を心配すると、意を決したように小屋に案内してくれた。
「体調が悪いのに、すまない。フラレイシア様の恋人のマルディオ殿は、君のお兄様かどなたかだろうか?」
エリオットの問いに、お茶を準備していた少女が席に戻り、唾を飲み込むとエリオットを見上げて言った。
「……わたしなんです」
「は?」
少女が語った話はフラレイシアの凶行だった。弟の悪ふざけで切られた、髪の短い彼女を見て気に入ったフラレイシアに強引に職を奪われ、名を変えられ、軟禁された。フラレイシアの凶行に気づいた父親に救われ、少女は逃がされたが、フラレイシアの近くにいると危険なため、一家全員でこの村に逃げることとなった。
フラレイシアからの監禁時には、少女は強引に男性として振る舞うことを求められ、情夫のようなこともさせられたという。侯爵から口止めされているが、話した方がいいと思って、と少女は語った。
あの時は恐怖しかなかったし、今も思い出すと呼吸ができなくなる、と少女は語り、涙をこぼした。自分の存在のせいで、現在のフラレイシアの夫にまで迷惑をかけて申し訳ない、と。
「あのフラレイシア様が……」
「もちろん、信じていただかなくとも結構です。わたしが秘密を漏らしたことを口外せず、あの方にわたしの居場所さえ漏らさないのでしたら」
少女はそう笑い、手慣れたように毒味をした。そして、エリオットにお茶やお菓子を差し出した。平民向けのものの中でも、貴族令嬢が好みそうな香りの高い紅茶に華やかな見た目のお菓子。部屋に紅茶の香りが立ち上る。そんな少女の様子に、エリオットは嘘をついていると思えなかった。
「そうだ。侯爵から君に、手紙を預かっていた」
エリオットがそう言って、包みを取り出すと、一枚の紙が落ちた。
「……婚約終了届?」
初夜を終えていない二人は未だ婚約者の身だ。事実を知ったエリオットがこのことを周囲に漏らさぬよう、言い含められた手紙と共に、それを守るなら婚約終了届の提出を許可するし、解消による不利益も与えないと書き記されていた。
少女は自分宛の手紙に目を落とし、ほぅっとため息を落とした。
「よかった。伯爵令息様が口外にしないと誓うなら、秘密を話しても構わないと書いてあります」
秘密を漏らしたら殺される。その覚悟を持ってエリオットに漏らした少女は、安心したように笑った。
「……婚約解消届を出したら、フラレイシア様が修道院に入るまで、決して公に姿を見せるな、か」
エリオットがそう言って、困ったように頭を掻いた。その様子を見た少女が、エリオットに声をかける。
「……しがない平民暮らしですし、家族も多く大変狭い家ではありますが、もしもよろしければしばらく滞在なさりますか?」
「……申し訳ないが、行く先がなくて困っている。いいのか?」
「えぇ。あなた様もあの方にきっと恐怖を感じたことがおありでしょう? そんな気がしましたの。仲間を放っておけませんわ。わたしも、初めて話を聞いてもらって少し楽になりました。わたしでよければ、話を聞きますよ」
自分を愛しているはずの騎士の帰還を待っていたフラレイシアは、婚約解消と修道院行きを告げられ、暴れた。そして、方々に恨み言を吐き、北の離島にある修道院に送られた。
そして、エリオットたち二人は、少しずつ距離を縮め、信頼を築いた。燃え上がるような恋はなかったが、確かな愛を育み、二人は結婚した。
「マルディア、そろそろ家に入ろうか」
「えぇ、エリオット様」
大切な人と一緒なら、平民暮らしも悪くない、とエリオットは笑うのだった。




