7:ジルの気持ち
「はぁ。疲れたわね」
「ビアンカ様、ハーブティーを用意しました」
「呼び捨てでいいわよ」
「……ビアンカ様」
「もぉ、頑なに育っちゃって」
ジルを引き取ってから五年、侍従としての立場を一切崩さない真面目な子になってしまった。引き取ったころは、こくこくと頷いては私のあとをヒヨコのように付いてきていたのに。
黒くてサラサラだった長めの髪は短く切ってしまうし、身長もぐんぐんと伸びている。
表情だけはあのころと変わらず、ほとんど無表情だけど。
「あのころの可愛いジルに戻ってちょうだいよ」
「……努力します」
「はぁ。もぉっ。つまらないわねっ。ミルコの雑さを見習いなさいよ」
「ビアンカ様、聞き捨てならないんですけど!?」
私は身近に置く人間とは気心のしれた会話がしたいのだと言っても、ジルは努力しますと言うばかり。
それでも、当初からの公務がない日の私の相手は、ジルが休みの日でさえも必ずやってくれている。
「ねぇ、ジル」
「はい?」
「ずっとここにいていいからね?」
「当たり前じゃないですか。クビにされない限りは、ずっとお仕えしますよ」
「約束よ?」
「はい」
ジルは二人きりになれる短い時間だけは、普段とは違うジルを見せてくれるけど。
それが愛しくもあり、不思議でもあった。
「ジルは、私のことをどう思っているのかしら?」
「本人に聞けばいいでしょう」
「聞きたくないから、ミルコに聞いているのよ!」
ジルが休みの日はつまらない。ミルコに絡んで愚痴っていたら、ミルコが何やら文句を言いだしたけど、無視することにした。
「ほら、もうすぐ四時ですよ。ジルと約束したんでしょう? 私たちは退室しますから」
「うん。ありがと」
今日は四時から久し振りにフリーの時間があったので、ジルが部屋に来てくれることになっている。
部屋のドアがノックされて、入室を許可するといつも通り無表情のジルが入ってきた。
「飲み物は? 何か作る?」
「ホットチョコがいいわ」
「夏なのに?」
仕方なさそうな声で本当に飲むの?と聞いてくるジルに、ジルが作ってくれるホットチョコが好きなのよと伝えると、少しだけ表情を緩めてくれる。
「アイスチョコレートにしようか?」
「薄くない?」
「濃厚に作るよ。冷たいの飲みなよ」
「うん!」
二人きりの時だけの秘密。敬語はなしで、名前は呼び捨てで。
「ビアンカ、お待たせ」
「ありがとう、ジル」
二人でソファに並んで座って、他愛もない話をする。まるで室内デートでもしているかのように。
大人からすれば、ただのおままごとのようにしか見えないだろうけれど。私はこの時間が日々の心の支えになっている。
「勉強は順調?」
「うーん。帝王学は難しいね」
「そう?」
「ビアンカは生まれたときから皇帝の娘だから……」
ジルはずっと王城とは別の建物で暮らしていたし、教育はお母さんからしか受けていなかったらしい。だから、いまこうやって勉強出来ているのがとても嬉しいそう。
どんな勉強をしたのかと聞くと、ジルは少しだけ饒舌になる。楽しいんだと思う。
ジルはお父様と何かを約束しているらしい。その過程で教育を受けられるよう手配してくれているのだとか。約束の内容は聞かないようにしている。
「ジルは、どんどんと知識を溜めて、どんどんと成長して行くのね。身長もいつか追い越されちゃいそう」
「成長期だからね」
「…………約束忘れないでね」
隣に座るジルの肩に寄りかかり、ジルの右手を取る。
掌にある剣だこを指でなぞる。ここ一年でかなり硬くなっていた。少し前までは、真っ赤にしていたり、ちょっと血を滲ませてもいた。
「擽ったいよ」
「もう痛くはない?」
「うん、今は」
「良かった」
こういったとき、ジルは私の好きなようにさせてくれる。
引き取ったときに立ち上げた『私の私による私のための侍従育成計画』のおかげなのか、ジルの優しさで成り立っているだけなのか、他に何か理由があるのか。考えたくはないけれど、つい考えてしまう。
私はいつからかジルに恋をしている。
自分に都合のいいようにジルを育てて、何をやっているのかと思うが、抱いてしまったこの思いを、捨てることが出来ない。
ため息を吐きつつ、ジルの肩にもう少しだけとよりかかって、目を閉じる。
「ビアンカ」
「なぁに」
眠いのかと聞かれた。もしかしたら眠いのかもしれない。ちょっと疲れてはいる。
今日は孤児院を慰問する公務も執務もあって、バタバタしていたからと話すと、ジルが左手で私の頭をポンポンと撫でてくれた。
「孤児院で全力で子どもの相手をするからだよ」
「それが私の信条よ。誰になんと言われようと曲げないわ」
「ん……そういうところが……………………」
ジルが何か言っていた気がする。
目を閉じて頭を撫でられていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。
「うー……あのまま寝落ちするとは」
起きたら朝になってしまっていた。ものすごくお腹が減ってるなぁと思っていたら、ジルが早めに出勤して、部屋まで朝食を持ってきてくれた。
「無防備になりすぎですよ」
「ジルがベッドに運んでくれたの?」
「まさか。ミルコですよ」
――――なんだ。
「僕には持ち上げられませんから」
「人を重いみたいに……」
「っふ、言ってませんよ」
珍しくジルが笑ってくれた。
侍女がいるから敬語になっちゃったけど。
もうしばらく、こんな風な穏やかでいて、少しだけときめきのある日々を過ごせればいいなと思う。