2:私の私による私のための侍従育成計画
ジルベルトを引き取って一ヵ月程は、私が公務の日はミルコとともに側に控えさせ、ただ流れを見て覚えることをジルベルトの仕事とした。
「次はお父様の執務室に行くわよ」
ジルベルトはやっぱり頷くだけ。
この国に来た当初は、どこに移動するにも僅かに不安そうな顔で辺りをキョロキョロと見ていたジルベルト。でも最近は城内や仕事の流れを覚えたのか、不安そうな雰囲気は消えた。その代わり、無表情が通常装備になっているけど。
公務がない日は、私の部屋内でなら好きに過ごしていいとも。
今は私の弟のようなものだと思えばいいとも伝えた。そのほうが過ごしやすいだろうしね。
ジルベルトはいつでも浅く頷くのみで、声を発しようとはしなかった。ミルコや侍女たちには無理に話させなくていいと伝えている。ジルベルトが自ら声を出す日を待つことにした。
「おはよう、ジルベルト」
「ねぇ、ジルって呼んでもいい?」
「今日はガゼボでお茶にしましょう?」
「随分と寒くなったわね」
いくら話しかけても、ジルはコクリと頷くだけ。それでも嬉しいのは、この国に来た当初の酷く不安そうな顔があまり見られなくなったから。
ミルコいわく、夜中に時々うなされているようだけど、背中を擦るとフッと息を吐いてまた眠りに落ちるそう。
さて、これからどう進めていこうかなと考えつつ、開いていた本を閉じた。
さっきお父様の所に行ったら、ノルマの本を五冊も渡された。それらを読んで、感想文を提出するよう言われたのだ。
「ふぅ、よし。ちょっと休憩!」
文机からソファに移動し、壁際に控えていたジルを隣に呼び寄せた。
ミルコにジュースと焼き菓子をもらう。もちろんジルにも同じものを。そして、先ほどまで読んでいた本の内容を話す。
人に話すことで、頭の中の考えを再構成出来るのもあるけど、ただ単にジルの知識も増えればいいなという思いがあった。
ジルはいつでも真剣に聞いてくれた。よく分からなかったときは、僅かに首を傾げてくれる。もう一度説明すると、コクリと頷いてくれる。
一方的に話してばっかりだけど、ジルの頭の良さはなんとなく感じていた。
ジルを連れて王城内を歩いていると、ヒソヒソと「あれ、敗戦国の……」という声が聞こえる。ジルの存在は役人や使用人たちにも知れ渡っているようだった。
事実なのだから注意はしないが、ジルのケアだけはしておこうと声を掛けると、ふるふると顔を横に振られた。
「気にしていない、というよりは……どんな怨嗟の言葉も、受け取るべきだと思ってる?」
そう聞くと、ジルが暗い顔でコクリと頷いた。
ジルは、この幼い身体と心の中にどれだけの覚悟を持って、敵国だったこの国に来たんだろうか。
たった六歳に、あの国は何を背負わせているんだ。
怒りと悲しみが押し寄せてきた。自分のことではないのに、なんでこんなにも苦しいんだろうか。
「ジル、ガゼボに行くわよ」
ジルの手を引いて、庭園の奥にあるガゼボに走った。
ガゼボのベンチに並んで座って、少し傾いた太陽を背にする。
「ミルコ、二人きりにしてね」
「畏まりました。普通の会話が届かない範囲でよろしいですか?」
「ええ、それでいいわ。ありがと」
お礼を伝えると、ミルコが恭しく礼をして去っていった。
「ジル、苦しいときは苦しいって、辛いときは辛いって言っていいの」
「……」
「私でもミルコでもいいわ。私にだったら、うれしいけど」
ジルがコクリと頷いてくれた。いまは、これでよしとしようと思う。
「少しだけぼーっとしましょ。たまにはサボるのも大切よ」
ジルに少しだけ体重をかけて寄りかかった――――。
ちょっと疲れていたこともあって、いまいち何を話したのかは覚えていないけれど、いつか国に戻れる日が来るとか、帝国が介入するからにはジルの国が延々と変わらないことなどはないとか、そんなことだった気がする。
目が覚めると自室のベッドにいた。窓の外を見ると、夜の帳が下りたばかりのようで、空は紺と紫の間を彷徨っているようだった。
「ジルは?」
側にいた侍女に聞くと、終業時間を過ぎたのでミルコと部屋に戻ったとのことだった。
「恥ずかしい所を見られちゃったわね」
「ふふっ。ビアンカ様が頑張られているのは、あの子も見ていて分かっていますわよ」
「そういうんじゃないのよ……乙女心よ」
「あら、失礼いたしました」
侍女にうふふと笑われながら、ベッドから飛び降りて食堂へ向かった。
「んあー、疲れたっ! ミルコ、ホットチョコ作って。ジルの分もね」
「はい、承知しておりますよ」
ソファに移動して、隣の座面をトントンと叩くと、ジルがおずおずと座ってくれる。うんうん、これにも慣れてきたわね。
今日は雨が降っていて肌寒いので、温かいものが飲みたくなった。どうせならとことん甘いものがいい。疲れた脳に染み渡るから。
「ジル、熱いから気をつけてね」
「……」
三ヵ月が経ってもジルからの返事はないけれど、ちゃんとこっちを見て頷いてはくれる。
ミルコに差し出されたカップを手に取り、ジルがフーッと息を吹きかけながらホットチョコを一口飲んだ。その瞬間、ジルの頬が赤く色づいて、表情がほんの一瞬だけ緩んだような気がした。