12:返還要請
ジルとの距離が以前のようになってきたと感じ始めたころに、和平協定の更新時期になってしまった。
お父様のもとには、サルメライネン王国から『十二年の任期満了に合わせてジルベルト王子を返して欲しい』という旨の手紙が届いていた。
お父様は、手紙を読んでからジルが決めていいと言っていたが、そんなものは『拒否』一択だと思っていた。
「今までほったらかしにしていたくせに!」
「そうだね」
今の今まで、サルメライネン王国からジルの生活費などの支援は一切なかった。幼いころは私の私財から捻出していたし、今はジルの侍従としての給金が生活費になっている。
皇女付きの侍従ということもあり、普通に生活するには困らないし、貯蓄も出来ていると言っていた。
久しぶりに二人きりになれたのに、私は身勝手な手紙に怒ってばかり。
ジルはそんな私を見て苦笑いしていた。
サルメライネン王国に戻ったところで、ジルが幸せになんてなれるはずがない。
だって、側妃で地位が低かったからと、王城に入れず教育係も付けず、ただ放置していた。戦争で自国の都合が悪くなったからと、人質として帝国に渡して、信用度の保証に使った。
聞けば、彼のお母様はサルメライネン国王に斬られて亡くなったのだという。
ジルを人質にすることに抵抗したから。
初めて知ったとき、なんでそんな酷いことが出来るんだと叫んだ。
そして、ジルは絶対に返さないと決めたのだ。
「こっちは人質を求めてもいなかったのよ!? それなのに……ジルを好き勝手に使ってばっかりじゃないっ!」
「うん……それでも、国に帰りたいんだ」
ジルのその言葉に、崖から突き落とされたような感覚になった。
「え………………帰るの? あんなにひどい扱いを受けていたのに?」
「うん」
「なんで……ずっと私といてくれるって約束したじゃない」
「うん。いつかの未来のために、帰りたい」
「っ、なんで」
なんでと聞いても、ジルはごめんねと謝るばかり。
帰ったらもう二度と会えないかもしれないのに。
呼び戻されたからって、安全に暮らせる保証なんてありはしないのに。
どれだけ思いを伝えても、ジルは帰ると心に決めたのだと言う。
「…………もういらない、ジルなんて嫌いよ…………バカ」
「うん。ごめんね、ビアンカ」
そう言った後、ジルが淋しそうに微笑んだ。その表情に心臓が締め付けられる。
「なんでそんな顔をするの? そんな顔をするなら帰りたいって言わないでよ!」
ジルは悲しそうな表情で謝るだけだった――――。
ジルが国に帰る前日、サルメライネンの文官が使者として迎えに来た。
使者歓迎の夜会には顔だけ出して、すぐに部屋に戻った。明日がお別れなのだと嫌でも痛感してしまい、涙が溢れそうだったから。
そして翌朝、悩みに悩んで見送りには立ち会うことにした。目は真っ赤だし、目蓋はちょっと腫れてしまっているけど、お別れはちゃんと言いたかったから。
「ジル、元気でね」
「うん」
「風邪引かないでね」
「うん」
「船旅は大丈夫?」
「たぶん大丈夫だよ」
「手紙書いてくれる?」
「っ……………………努力、するよ」
それはジルにも分からないからなのだろう。サルメライネン王国に戻って、自分がどう扱われるのかが。
ジルが馬車に乗り込んで行く。こちらは一切振り返ってくれない。
出発した馬車が見えなくなるまで、見送った。
お父様は珍しくそれに私に付き合ってくれて、最後は抱きしめてくれた。
「泣いていいよ。大切に育ててたんだろう?」
「ゔん」
「好きだったんだろう?」
「ゔん……大好きだったの……………………こんなに苦しいのなら、もう誰も好きになんてなりたくないわ」
「出逢いはまたあるよ」
お父様のその言葉を信じることは、今の私には到底無理だと思った。
ジルがサルメライネン王国に帰ってからの二年、とても活動的に過ごした。様々な計画を立て、遂行していくことで、心にぽっかりと空いてしまった穴を埋めていた。
中でも、よく慰問していた孤児院で子どもたちの教育を開始し、城での登用も行った。地位に関係なく、有能な者は役職にだって就けるようにした。
プライドばかりが高くなってしまっている貴族出身の使用人よりも、平民だけど仕事に真摯な使用人のほうが、ともに働きたいというアンケートの結果が出たこともあり、城内はいま人事の見直しが頻繁に行われていて、とても忙しい日々を送っていた。
そんな中、元婚約者のカッスリーノ様からの再度婚約したいという申し入れがあった。
「はい?」
「私的にはどっちでもいいんだけどねぇ」
お父様にどうするかと聞かれて、本気で悩んだ。
カッスリーノ様の家はとても優秀な文官が多く、彼の父や弟、従兄弟たちなど、国にかなり貢献してくれている。彼――カッスリーノ様だけが、母親の中に全てを忘れて産まれてきた。とまで言われるポンコツなだけなのだ。
「侯爵はアレの手綱を握れる妻を欲しているんだろうな
。まぁ、制御不能そうだったら幽閉もありだなと思っている。しばらくあの阿呆に付き合ってネタを絞り出してくれると助かるんだが?」
「……はぁ。まぁいいですよ」
国の利益になるなら相手は誰でもいい、と答えると、お父様が大笑いしながら発表は今度の夜会にすることを決めた。
「娘の確実に失敗する結婚を大笑いで決めるなんて酷いわね?」
「誰でもいいと言い放ったビアンカには言われたくないよ」
そう言われて、お互いに笑ってしまうんだから、お父様と私は似たりよったりの性格なのかもしれない。