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11/20

11:心の距離、身体の距離




 大泣きしてしまった翌々日。

 いつまでも個人的なことで執務を止めたくなくて、再開していた。

 今日はミルコが休みで侍従はジルだけ。ミルコは出勤しようかと提案してくれたけど、ずっとそうやって避けては居られないから、大丈夫だと答えた。

 なるべく普通に接しようとしていたのに、部屋にはずっとぎごちない空気が流れてしまっている。


「こちら、宰相閣下からです」

「ありがと」


 ジルが渡してくれたファイルを受け取った瞬間、指先が触れて心臓がドクリと跳ねた。

 わずかに触れただけだったのに、ジルから慌てたように手を離され、ファイルが床に落ちてしまった。


 徐々に視界がにじみ、涙が落ちる。


「ビアンカ……ごめん」


 ジルが下唇を噛み、部屋を出ていってしまった。

 謝るほどに、慌てて手を離すほどに触れたくなかったのだろうか。距離を取りたいと本能的に避けるくらいに気持ち悪いと思われているのだろうか? 

 私たちの関係は、もう修復も出来ないほど壊れてしまったのかもしれない。


「ビアンカ様…………」

「ごめん、一人になりたいの……………………ごめん。一時間…………ミルコ呼んでくれる?」

「承知しました。扉の前に一人置いておきますので、何かあった際はお声かけくださいね?」

「うん。ありがとう」


 執務室内にいた侍女や従僕、文官たちに退室してもらい、執務机のイスに両足を乗せて膝を抱える。

 涙は全部スカートに吸わせた。

 一昨日からずっと泣いてばかりで、悔しくて仕方がない。自分がこんなに弱いなんて知らなかった。


 立ち上がりたいのに、立ち上がり方がわからない。

 ぐるぐるぐるぐると考えていたら、部屋の扉がノックされた。

 入室を許可すると、ミルコが扉の隙間からひょっこりと顔を出した。


「休みなのにごめんね」

「本当ですよ。だから朝確認したでしょう!?」

「うん。大丈夫かなって思ってたの……無理だった。えへへへ」


 そう言って笑ったら、また涙がこぼれ落ちた。

 ミルコが仕方なさそうに微笑みつつ、執務机に近付いて来てハンカチを差し出してくれた。


「胸も貸して差し上げましょうか?」

「ううん。いらない」


 ミルコは兄のようで父親のようで、そこらへんのおじさんのような、よくわからない関係だけど、使用人の中で一番信頼している。

 だから、彼にだけはジルと何があったのかを伝えた。

 

「私には高貴な方々の考えは分かりませんので、聞くだけですけどねー」

「侯爵家の次男じゃないの。でも、それでいいわよ。頭の中と気持ちを整理したい」


 ミルコに洗いざらい話したら、少しだけ気持ちが落ち着いた。お父様には報告してもいいと伝えると、柔らかくほほ笑んで「言いませんよ。私たちだけの秘密にしておいてあげます」とイタズラっぽく言われた。

 こういうときのミルコは本当に、主人思いのいい侍従だなと思う。


「ありがとう、ミルコ」

 

 明日からまた気持ちを切り替えて、前を向いて歩くしかない。

 毎日毎日、時間は進んでいるのだから。




 それからは、多少ぎこちなく過ごしつつも、ジルとは普通に会話できるくらいにまで、関係はちょっとだけ回復した。


 お茶会や夜会では今まで通りにジルがエスコートしてくれるし、休憩時間の飲み物も用意してくれる。


「今日は冷えますね。温かい飲みものを――――」

「ハニーミルクにしてちょうだい」

「…………はい」


 温かいハニーミルクをもらって、息を吹きかけながら飲んだ。ジルはホットチョコを飲んでいた。


「ビアンカ様、最近ホットチョコを飲まれませんね」

「っ……」


 ジルにそう聞かれて言葉が詰まってしまう。


「ホットチョコは嫌いになったから。もう飲みたくないの」

「…………次からは、違うものを飲むようにします」


 本当は大好きだ。でも、ホットチョコはジルとの思い出がいっぱい詰まりすぎていて、見るのも、匂いを嗅ぐのも、いまは本気で辛い。


「うん…………よろしくね」


 時々、こんな風な地雷はある。それでも、ジルと会話は続けたい。

 いつか普通に話せるようになりたいという思いもあるし、心の底からジルが嫌いになったとかはない。

 ただ、持て余しすぎた恋心がどうしても消えてくれない。




 ジルとどうにか普通に話せるようになるまでに、一年も掛かってしまった。

 指先が触れてもお互いに動揺しないし、世間話や噂話なんかもしている。


 ただ、愛おしいという思いは消えなかった。


 真面目に働く顔も、ときおり緩める表情も、さらりとした黒髪も、チョコレートのような瞳も。いつの間にかどんどんと伸びている身長も。

 段々と節ばってきた指、筋肉がしっかりとついた腕や背中。

 全てが愛おしいのだ。

 

 私は幼いジルを弟だと思っていたはずなのに、いつの間にか恋だと勘違いしてしまっていたんだろう。

 また弟だと思うようにすればいいだけだったんだ。家族として、愛おしいと思えばいい。

 そして『私の私による私のための侍従育成計画』を遂行すればいいだけだ。

 そもそも、そのためにジルを引き取ったのだから。


 仕事面でいえば、ジルは最高の侍従に育っている。

 周囲の評判もいい。

 計画はちゃんと成功しているんだから、何も悲観することなんてない。




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