推し活戦線、異常なし
「じゃあ、お名前を呼ばれたら、元気にお返事しましょうね~!」
月曜日の朝、きらきら保育園の玄関先はなんとも落ち着かない空気に包まれていた。
今週末に控えた“ふれあい保育の日”の練習が本格化してきたらしい。
園の前に芽依を連れて行くと、松田先生がニコニコ顔で言った。
「亮誠くん、土曜、来られるのよね?」
「ちゃんと土曜日は休みなんで!」
「あの子ね、踊りながら口ずさんでる姿がもう、かわいくてかわいくて。きっと、当日も自信持ってやれると思うわ」
「えっ、芽依が踊るんですか?」
「もちろん。“ぴょんぴょんステップ体操”のうさぎ役。跳びますよ~」
そして土曜。
俺は保育園の多目的ホールにいた。
保護者席には他のママパパたちがずらりと並び、後方の壁際には「スマホ撮影エリア」が設けられている。
俺はカメラアプリを立ち上げ、録画ボタンを押す準備をしながら、ふと思った。
これ、ライブ現場の構図とめっちゃ似てるな。
ステージ(園児)/観客(保護者)/カメラエリア(厄介撮影オタ)
ライブ前のざわつき、緊張、でもどこか暖かい期待感。
――まさかこの人生で、“オタクとしての経験”が保育園で活きる日が来るとは。
園児たちが「♪ぴょんぴょんステップ~♪」と音楽に合わせて登場した瞬間、
俺の左手が自然に動いた。
……そう、サイリウムのごとく、手を振るリズム。
つい右手まで“フリコピ”を始めてしまっていた。
「やば……職業病やな」
芽依は、前から2番目。小さなうさぎ耳のカチューシャを揺らしながら、ちゃんと振付をこなしていた。
途中、ちょっと列を外れて隣の子にぶつかったとき、彼女が一瞬こちらを見て、不安そうな顔をした。
その瞬間、俺はやらかした。
とっさに両手を高く掲げて、ゆっくり上下に振った。推しが間違えたときの“安心レス”とまったく同じだった。
芽依はそれを見ると、笑って、また前を向いた。
……え?これ、通じた?
保育園の行事で、俺は咲良のステージで何百回とやってきた“オタ芸”を応用してしまったらしい。
でも、あれは確かに効いた。芽依に、届いた。
終了後、松田先生に呼び止められた。
「今日のあなた、すごくいい目してた。あのレス、効いてたわよ」
「……レスって言うんですね、やっぱり」
「うん。“推しパパ”って感じで、ちょっとキュンときた」
先生、推し文化にだいぶ理解があるな。
帰り道、芽依がふいに聞いた。
「パパ、なんであのとき、手ふったの?」
「……芽依ががんばってたから。パパ、かっこいいなって思ったから」
「ふふっ。パパ、ライブみたいだった~!」
ドキッとした。
この子の口から“ライブ”って単語が出るなんて。
まあ、たぶん誰かに教えてもらったんだろうけど――
「じゃあ次は、芽依が“センター”やな」
「せんたーって、なに?」
「いちばん真ん中。いちばん目立つとこや」
「うん!じゃあ、つぎはせんたーになる!」
彼女のその言葉に、俺は少しだけ涙腺を持っていかれそうになった。
今週のライブ――センターは、間違いなく芽依だった。彼女もまた、俺の推しになっているのだなと気づいた一日だった。