まるいおにぎり、まるい気持ち
6月8日。
週末――それは俺にとって“推し”にすべてを捧げる神聖な日だった。
だった。
午前6時、目覚ましより先に目を覚ました。
今日こそは……と、心を燃やしていた。
南野咲良、2ヶ月ぶりのイベント当日。
場所は東京・有明。咲良がパーソナリティを務める番組の公開収録だった。
俺とあろう者が、流石にこの状況では現地参戦は見送ったけど、正午からの配信には絶対参加するつもりだった。
オタク仲間の黒羽と火影からも、「通話繋げながら実況しよな!」とDMが来ている。
そのために平日に買い溜めしておいた飲み物、冷凍ピザ、レトルトカレー。
完璧な布陣だ。あとは芽依を昼寝に誘導すれば、完勝の予定だった。
「パパ〜……おにぎり、まるいやつ〜……」
午前10時。芽依が目を覚まして最初に発した言葉。
「まるいの、な。買ってあるで」
そう、俺はこの日のために“まるい”コンビニおにぎりを3個ストックしていた。冷蔵庫に。天才か?
電子レンジで20秒、温めて手渡す。
「これ、ちがう」
「……は?」
「ちがうの。めいの、まるいのは、あったかくて、やわらかくて、のりがぺたってしてないやつ!」
「ぺた……って?」
どうやら芽依の“まるいおにぎり”は、コンビニではなく手作りのものでないといけないらしい。
というか、どのタイミングでそんな好み形成されたんや。
「じゃあ……今から作る?」
気づけば俺はキッチンに立っていた。炊飯器の残りごはんを確認。
……足りない。しかも炊いてない。
「芽依ちゃん、ちょっと買い物行こか」
「はーい、まるいのね〜」
もう完全に“パパが作る”前提になってる。
さっきまで“推し配信モード”だった俺は、炊飯用無洗米と鮭フレーク、焼き海苔、ラップ、そしてキッチンタイマーを持ってレジに並んでいた。
帰宅。炊飯スタート。
「炊き上がりまで約50分」の文字。
スマホの画面を見ると、もう11時前。タイムリミットが迫っている。
芽依は「アニメみる〜!」と床で転がっている。
どうしてこの子は、俺の大切な推し時間を狙い撃ちしてくるのか。
炊飯完了。ラップを広げて塩を振り、丸く握る。
熱い。指先が地味に火傷しそう。
けど芽依は隣で「まだ〜?」とずっと見ている。
あまりに視線が熱いので、もうひとつだけ作って味見してもらう。
「……うん!これ!これこれ!」
芽依がぱくっと頬張って、満面の笑みを浮かべた。
正午。
配信スタートの時間。
だが俺は炊飯器の釜を洗いながら、遠くで流れる通知音を聞いていた。
「……黒羽、火影、ごめん。俺、ちょっと遅れるわ」
推しの配信を、後で追いかけ再生するなんて、
現場主義者としてはありえない背信行為だった。
けれど、今日は。
「おにぎり、おいしい!パパのまるいの、いちばん!」
そう言ってもらえたことで、
ほんの少し、推しの尊さに近い“何か”をもらった気がした。
夜。芽依が寝たあと、録画配信を再生した。
咲良の声は、いつもより少し落ち着いていて、
画面の向こうで、ふっと柔らかく笑ったその瞬間、俺の時間が止まった。
《……今日もいろんな人に支えられてるなって、実感する日でした。
支えてくれてる誰かに、ちゃんと返していける人になりたいなって思います。》
まるで――
こっちの生活が、あっちに見透かされているみたいだった。
「……返していける、か」
俺に、何ができるんやろうな。
画面越しの咲良が、俺に問いかけてくるような気がした。