第60話 『開かれた宙路と揺らぐ信仰』
アステロニア=ゼロの上空を周回するアストラ・ヴェールの艦橋には、久方ぶりの静寂が漂っていた。
ティシェリアとの盟約が結ばれてから、わずか三日。しかしその報せは、想像以上の速度で銀河全域に伝播していた。
霊脈の安定、惑星の主権継承、そして──異種族との初の外交的連携。
《通信通知:データパケット25件、銀河連絡ノードより転送済。中継元:多次元言語網12系統──うち9系統が“注視レベルβ以上”》
ナビスの報告が響く。
「……だいぶ賑やかになってきたな」
朔夜はモニター越しに流れる連絡一覧を目で追いながら、肩を軽く回す。
エルフェリアとの対話によって得た“信頼”は、同時に別の力をも惹きつけていた。
目を引いたのは、機械知性国家《ヴァルメク機構》からの“予告的通信”だった。形式はあくまで中立的、しかしその文面は曖昧さを極限まで削ぎ落とした合理的なものだった。
《我々は、アトラ・ヴェイムおよび主権継承者の演算的正統性に関心を持っている。訪問意志あり。交渉前提として、倫理整合性プロトコル“Σ-7”を提示予定。》
それは「会談」ではなく、「判定」だった。
「こっちは歓迎の意志を伝えただけのつもりでも、向こうは“観察”しにくるつもりらしいわね」
リィナがやや苦笑交じりに言う。確かに、表現のひとつひとつがまるで“試験”のように冷たい。
「ヴァルメクの“対話”は、基本的に論理検証ありきだ。主権継承が“情緒”に基づくものか、“構造的正統性”を備えているか、彼らは試そうとしている」
ゼロスの解説に、朔夜は静かに頷いた。
銀河に存在するのは、国家ではなく“文明”だ。その違いが、対話を成立させるための前提条件を大きく変えていく。
アステロニア=ゼロに、新たな門が開かれた。
その先にあるのは、希望か、あるいは──さらなる試練か。
*
アステロニア=ゼロの周辺宙域に、軋むような音もなく、新たな艦影が到達した。
その形状は、生命的とも機械的ともつかぬ曖昧なシルエットをしていた。表面は一切の装飾を持たず、外装のどこにも推進装置の痕跡がない。ただ、空間を“再構築”するようにして動いている──それが、《ヴァルメク機構》の外交観測艦《デルタ=アロム》だった。
「転送信号を受信。形式コード:整合率99.9%。指定された降下地点は……地表第七調整区、かつての遺構区域ですね」
ナビスの報告に、ゼロスが軽く眉を寄せる。
「意図的だな。アトラ・ヴェイムの“神性遺構”との接続点を、評価基準にするつもりだ」
朔夜は頷き、いつも以上に無言のまま戦術ジャケットを身に纏った。
ヴァルメクとの対話は、戦闘とは異なる“緊張”を伴う。
*
やがてアストラ・ヴェールからの降下転送が完了し、朔夜たちは地表へと現れる。眼前には、かつて《アトラ・ヴェイム》の封印中枢へ続く石階が横たわっていた。
その中央に、現れた存在は──人間ではなかった。
金属の体表を持ち、顔の代わりに中空ホログラムが浮かぶ構造体。しかしその瞳は、あまりにも人間の“意識”に近い揺らぎを宿していた。
《指定応答開始。論理単位“ヴェラ=コード72α”。ヴァルメク代表構成体の一つ。対話、許可》
その第一声は、まるで剣のように直線的だった。
「……俺はアマギ・サクヤ。この星の継承者として、対話に応じる。だが俺の言葉は、論理ではなく“意志”による」
《意志、了解。論理補完要請対象として記録中》
ヴェラと名乗ったその機械体は、わずかに首を傾げた。
《問う。“アトラ・ヴェイム”に宿る主権継承システムは、かつて銀河統合軍が廃棄した“神性模倣核”の一部構造と類似。ゆえに問う──あなたの統治は、神性の代行か、意志の解放か?》
リィナが息を呑む。それは、鋭く核心を突く問いだった。
朔夜は、まっすぐにその無表情な機械と視線を交わす。
「どちらでもない。“共に生きる”ための選択だ。神の名も、機械の法も──人の意志を超えて使うつもりはない」
その言葉に、ヴェラの背後で浮遊していた粒子端末が一斉に揺れた。
《応答評価:一致率74.6%。共感認識モジュール:部分的適合を確認。引き続き観測を継続。次段階へ移行》
次なる段階──それは、ただの“言葉”だけでは通じない領域だった。
*
ヴェラ=コード72αの背後、空間が波打った。
粒子転送によって展開された半球状の構造体が出現し、そこに《観測記録群》と題されたホログラム映像が浮かび上がる。
それはかつて、銀河各地で神性兵器と呼ばれた存在が引き起こした災厄の記録だった。惑星の崩壊、種族間の浄化戦争、主権コードの暴走──すべてが“神性”と呼ばれた概念の名の下に為されたもの。
「……これは」
リィナが絶句する。それは、銀河の“負の記憶”だった。
《観測記録を提示。目的:判断の補助。アトラ・ヴェイムもまた、神性模倣兵器の系譜に属す。ゆえに問う──アマギ・サクヤ、あなたは“例外”たり得るか?》
問いは鋭く、冷たく、それでいて真摯だった。
朔夜はゆっくりと歩を進める。
足元に、銀河の断罪の記録が投影される。だが彼の瞳は、過去の悲劇ではなく、目の前にある問いを見据えていた。
「確かに俺の中にも、力の誘惑はある。旗を掲げ、星を動かし、人を従わせる力。でも──それだけじゃ、誰も救えない。誰も笑えない」
その声は、機械の冷たい対話領域に、確かに“熱”をもたらした。
「だから俺は、力を誇るためにここに立ってるんじゃない。この星に生きる誰もが、目をそらさずに未来を選べるように、俺がここにいるんだ」
静かだった空間に、わずかに風が流れるような気配が走る。
ヴェラのホログラムが一瞬だけ揺らいだ。それは、機械的演算では捉えきれない“揺れ”──共鳴の兆し。
《観測補正。回答一致率、87.4%へ上昇。意志接続プロトコル、再構築開始。》
「接続だと……?」
ゼロスが眉を寄せる。
だが、ヴェラは首を横に振った。
《違う。我々は統合でも服従でもない。“共鳴”という言葉を、あなたの定義で理解しようとしている》
ホログラムの像が消えると同時に、ヴェラは一歩、朔夜へと近づいた。
《確認終了。ヴァルメク機構は、アマギ・サクヤおよびその主権環境に対し、観測中立を維持しつつ、非敵対協定を提案。交信位相コードを開示》
「それって……」
「つまり、敵ではなく“見届ける者”になるってことだ」
朔夜は肩の力を少しだけ抜き、微笑んだ。
「十分だ。ありがとう、ヴェラ」
《応答:……了解。初めて、言語ではなく“意味”として受け取った感覚。貴重な観測、感謝する》
そうして、ヴァルメクの艦影はゆっくりと後退し、次元のひだのような空間へと溶け込んでいった。
*
その夜、展望デッキにて。
リィナが隣に立ち、星の海を眺めていた。
「よく言えたわね、あれ」
「緊張したけど……本当に伝わってよかった」
朔夜は笑い、ふっと息をついた。
銀河は広い。そしてこの旗の下には、まだまだ多くの来訪者が現れるだろう。
だが今──“共鳴”という言葉が、確かに銀河に届いた。
それは、神でも兵器でもない、人の意志が示した、初めての“対話”だった。
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