第58話『星の記憶と魂の継承』
静寂が、艦を包んでいた。
断層宙域からの帰還後、アストラ・ヴェール艦内には言葉にならない緊張感が漂っていた。警報が鳴るでもなく、戦闘態勢でもない。ただ、そこにいる全員が、何か決定的な変化を感じ取っているような沈黙だった。
艦橋の一角で、朔夜は一人、モニターに映る星の軌道を見つめていた。
その視線の先には、アステロニア=ゼロ──主権継承を果たした惑星が、静かにその姿を浮かべている。だが、彼の思考は遠く、断層宙域で遭遇した“存在”、《アル=シエル》の記憶に囚われていた。
――これは、失われた継承者の意志だ。
あの精神空間で感じ取ったもの。それは、言葉では表現できない感情の結晶だった。誰にも渡せず、誰にも伝えられなかった想い。だが確かにそこにあり、誰かに継がれることを待っていた。
「……記録されなかった意志も、確かにこの銀河に存在した」
そう呟いた朔夜の言葉に、隣にいたリィナがそっと目を向けた。
「その記憶、あなたの中で生きてるのね」
彼女の声は優しく、それでいてどこか切実だった。
ゼロスが淡々と補足する。
「アル=シエルの記憶は、通常の継承データと異なり、魂の基底構造に近い。おそらく、精神的な“同調”を通じて受け渡されたものです」
「だからこそ、受け止めた側の在り方が問われるのか……」
朔夜は、拳を握りしめた。継がれたのは力ではない。意志だ。そしてその意志が、自分の中で確かに根を張り始めている。
そのとき、ナビスの報告が艦橋に響いた。
《惑星アステロニア=ゼロの地中深部より、新たな反応。中枢制御塔より、第二波信号を検出》
「再活性化……?」
ユリオが驚きの声を漏らす。
《補足:本反応は通常の物理信号とは異なり、精神構造への干渉性を含む波形です。分類:擬似霊脈現象》
「擬似霊脈……?」
リィナが眉をひそめる。
「それって、精神空間と現実空間の……中間層?」
ゼロスが頷く。
「過去、星詠みたちが“記憶を刻んだ場所”だ。そこに何があるのかは、入ってみなければわからない」
朔夜は立ち上がった。
「なら、行くしかない。受け取ったものの意味を……確かめるために」
アストラ・ヴェールの艦橋に、再びナビスの冷静な声が響く。
《報告:惑星アステロニア=ゼロ地下より、擬似霊脈領域への接続波形を検出。精神干渉レベル3.7、現実構造との同期率は38%》
ゼロスがその数値を見て、珍しく声を低くする。
「……これは、かなり深い。擬似霊脈は単なる記憶の残滓じゃない。これは“星そのものが持つ夢”だ。生きた記録……いや、“魂の方舟”だ」
「霊脈」と呼ばれる存在は、銀河各地の高位星でも神話的に語られることが多かった。だがそれが擬似とはいえ、物理座標上に出現し、かつアクセス可能となれば──それは一種の神秘であり、同時に危険域でもある。
朔夜は迷いなく頷いた。
「アクセスしてみよう。俺たちが継承者として選ばれたなら、その記憶にも触れる資格があるはずだ」
ナビスが短く告げる。
《認証完了。擬似霊脈接続装置、起動》
アストラ・ヴェールの下部格納ブロックが開き、星とリンクするための特殊ユニットが展開される。中に収められていた転移座標調整用ポッドに、朔夜、リィナ、ゼロス、そしてユリオが順番に収容されていった。
*
次の瞬間──
世界が、反転した。
視界が白く飛び、感覚が空へと吸い上げられるような浮遊感に包まれる。だが恐怖はなかった。どこか懐かしい響きが、心の奥に直接語りかけてくる。
──これは、“星”の記憶。
目の前に広がるのは、現実とは異なる風景だった。空は蒼く、流れる雲は静止し、地には淡い光が満ちている。
そして、そこにいた。
古代の装束をまとう、幾人もの人物──性別も種族も異なる彼らは、皆同じ額飾りをつけていた。それは、《星詠み》と呼ばれる存在たちの証だった。
「ようこそ、継承者よ」
その中の一人、黒銀の長髪を持つ青年が、朔夜に向けて言葉を紡ぐ。
「我らは、この星にかつて仕えた“主権の記録者”。星の意思に近い場所で、継承の鍵を守り続けてきた者だ」
朔夜は言葉を失いながらも、確かに頷いた。
──記録されなかった意志。抹消された歴史。
それが、今ここで朔夜の前に姿を現していた。
そして彼らの瞳は、確かに朔夜という“存在”を見つめていた。
彼らはかつて、惑星アステロニア=ゼロにおいて主権者に仕えた存在。星の構造と意志を記録し、継承者が現れるその日まで、魂の深奥に潜み続けていた。
「だが──我らが仕えた主は、最後に力を誤った」
その言葉と共に、空が一瞬、曇った。
視界に現れたのは、かつての主権者。朔夜にどこか似た眼差しを持つ青年が、星を包み込むようにして神性の炎を呼び起こす姿だった。
──過ち。守るべきものを護れず、星を傷つけ、封印に至った存在。
「彼は、孤独だった。だが──おぬしは、違う」
最初に声をかけた青年が、再び朔夜に向き直る。
「おぬしには、共に歩む者がいる。心を交わし、痛みを分かち合い、恐れずに前を向く者たちが」
後ろを振り返ると、リィナがいた。ゼロスがいた。ユリオがいた。
──仲間がいる。それが、過去の主との決定的な違いだった。
青年は微笑む。
「ならば、渡そう。“第三階層”への鍵を。これは力ではない。想いだ。我らが封じた記憶と、祈りの残滓」
その瞬間、空がまばゆい光に包まれた。
星詠みたちの身体が風に還るように分解され、無数の光粒となって朔夜の胸元へと集まってくる。眩い閃光の中、朔夜の意識は引き戻されていった。
*
現実世界──《エルグラード・ノード》の中枢。
朔夜は静かに目を開いた。リィナが側に寄り、ゼロスは義眼を光らせ、ユリオが微笑む。
《認証更新:継承段階──第三階層、条件達成。惑星主権者としての精神接続、完了》
ナビスの声が響いた瞬間、惑星の心核が共鳴し始めた。地中を走る霊脈が光を帯び、《アトラ・ヴェイム》が脈動する。
「これが……星の意思」
朔夜の掌が微かに光り、その波動が惑星全域へと広がっていく。
──支配ではない。理解の接続。
この瞬間、アステロニア=ゼロは真に朔夜の星となった。
だが、彼の瞳は遠くを見ていた。
“外縁”にはまだ、未知の継承者の反応がある。銀河には、彼と同じように旗を掲げる者たちが、まだきっと存在しているのだ。
その先に待つ“銀河の記憶”へ──朔夜の旅は、なお続く。
《ログ:読了ありがとうございます》
感想やブックマークは、物語の“銀河航路”を確定させる大切な観測点です。
あなたの感じたことが、次の物語の推進力になります──ぜひ一言でも届けてください。
また、更新情報や制作の裏話はX(@hiragiyomi)でも発信中です。
フォローしてもらえると、ナビスも喜びます。
《次回座標、設定中……》